第139話 火星からの使者(前編)

 ――グォギッ!


 決死の覚悟で魔獣ノワール顕現けんげんを願ったその瞬間。

 まるで鈍器にでも殴られたかのような痛みが側頭部に炸裂さくれつする。


「がはっ!」


 また肺をヤラれた!?

 いや、違う。

 今度は胸じゃ無い、頭だっ。


 もっと具体的に、もっとリアルに。

 外圧とも思える激しい衝撃を受けて、私の頭蓋ずがいが断末魔の叫びを上げているのだ。


 これが魔力を全喪失した結果なの!?


 ヤバい。

 痛いっ、イタイ!

 頭がっ、頭が割れる様に痛いっ!

 しかも……気持ち悪っ!


 横たわっているにもかかわらず、激しく揺さぶられた脳は平衡感覚を完全に喪失。

 しかも、断続的に湧き上がる嘔吐感に抗いきれず、腹中のあらゆるモノを一気に体外へと放出リバースしてしまう。


「うげっ、げぇぇぇ!」


「あっ! コラっ! ちょっとぉ! 少したぐらいで吐くんじゃないわよっ!」


 え? どゆこと?

 小突いたぁ!?


 溢れ出す涙と吐瀉としゃ物にまみれ。

 ボロ雑巾以下となった私を見下ろすのは、半ば呆れ顔の真瀬さなせ先生だ。

 そんな彼女は更に眉をしかめながら、私の耳元へと顔を寄せて来た。


「なに勝手に魔力使おうとしてんのよ。さっきも言ったでしょ。ここでアンタに死なれちゃ困るのよっ。私が小突いて止めなかったらマジで死んでたんだからねっ! ホントにもぉ、世話が焼けるなぁ!」


 またアンタかいっ!


 ホント、正直に言わせて下さい。

 真瀬さなせ先生。

 アナタに小突かれた方が……死にそうでしたよ。

 えぇ、ホント。

 マジで死ぬかと思いました。

 だって、鈍器で殴られたのかと思いましたもの。

 完全に金属バットか何かで、脳天カチ割られたのかと思ったのですもの。

 いい加減、覚えて下さい。

 アナタの小突きは、軽トラックに跳ねられるのとほぼ同義、いいえ若干上回ってるんですからっ!

 マジでアナタ、歩く殺人鈍器なんですからねっ!


 頭痛と吐き気が真瀬先生筋肉バカの所為だと言う事が判明し、私の体は一旦の落ち着きを見せ始める。

 更に幸いな事に……と言うかなんと言うか。

 私の突然の嘔吐と失禁に気を取られ、耳を削ぐ準備をしていた男たちが怪訝な表情を浮かべたまま、遠巻きで私の様子を伺っているようだ。


 少しでも時間が稼げるのはありがたい。


「おいマリー。大丈夫か? この女。突然吐いたりして、何か変な病気でも持ってんじゃねぇだろうな?」


 いかにもヤクザ者と言う風貌ふうぼう皆藤かいどう組長ですら、不安な表情で私の様子を覗き見してるのが少し笑える?


 いやいや、笑えねぇよ。

 病気持ちってなんだよ。全然、笑えねぇ。

 確かにヤクザ者のチ〇コ噛むわ、若手の組員撲殺するわ、突然失禁して嘔吐するわで、ハチャメチャな女に見えてんだろうなぁとは思うけど。

 でも良く考えて見て。

 チ〇コ噛んだ以外は全部真瀬さなせ先生が原因だからねっ!

 最終的には、あの女が元凶なんだからねっ!


「あぁ、いいえ。大丈夫でしょう。大人しくさせるために飲ませた精神安定剤の副作用だと思います」


 いやいやいや、飲んでねぇよ。

 精神安定剤なんて飲ませてもらってねぇし。

 そんな高級なモン飲んでたら、もうちょっとマシな行動してたわ。


「そうか? そんじゃお前ら、この女の耳、サッサと削いじまえや!」


 えぇぇぇ!

 やっぱり削ぐのぉ!

 結局コレ、振り出しに戻るじゃん!

 完全にもう一回最初っからやり直しになっただけじゃんっ!


 とは言え前回と大きく違う点が一つある。

 それは、私の肩と頭を真瀬さなせ先生が直に取り押さえている事だろう。


 なんだよもぉ!

 アンタがマジで押さえたら、ピクリとも動けねぇんだよぉ!

 って言うか。

 ねぇ削ぐの!?

 ホントに私の耳、削いじゃうの!?


 私の訴えかけるような瞳に対し、真瀬さなせ先生はただただ申し訳無さそうに頷きを返すだけ。


 いぃぃやあぁぁぁ!

 やっぱ削がれちゃうんだ!

 私の耳、削がれちゃうんだぁ!


 そんな私の心の叫びなど完全に無視。

 先程から何故か恍惚こうこつの表情を浮かべる真瀬さなせ先生に無理やり押さえ込まれ。

 私は出刃包丁が耳元へとあてがわれるのをジッと待つ事しか出来ない。


 ちょっ、まっ!

 マジでヤメテ。

 ホントマジでっ!

 ヤメっ、やめろぉぉぉ! 

 

 そんな私の切なる想いがに、いやに通じたのだろうか……。 


 ――カカッ!


 廃工場内に響き渡る甲高い靴音。


「なんだ!? 誰だっ!」


 包丁を手にした男が音の出所を求めて周囲を見回し始めた。

 すると、男の右斜め後、二段に積み上げられたコンテナの上で、派手な決めポーズを披露する女性の姿がっ!


「愛の炎が燃え〇り、正義の炎が〇え盛る!」


 え?


「愛と正義のセーラ〇服美少女戦士、セ〇ラーマーズただいま参上ッ!」


 えぇ!?


「悪逆非道を働く者は、火星に代わ〇て折檻せっかんよっ!」


 あたぁ……。

 あたたたたたぁぁ……。

 通じたよ。

 通じちまったよ。

 でも残念ながら私の想いが通じたのは天でも月でもなくて、どうやら火星だったようだな。


 って言うか、セリフ完コピかよっ!

 こんな場末の小説に本家がツッコミ入れて来るとはとても思えないけど、コンプライアンス上ポイントポイントは〇で隠しとくかっ!


「チッ……遅ぇよ」


 え? なんて言った?

 真瀬さなせ先生、いまボソッと何て言った!?


 軽い苛立ちの表情を浮かべる真瀬さなせ先生。

 そんな彼女はさておき、居並ぶ屈強な男どもが茫然ぼうぜんと見守る中、火星からの美しい使者は五メートルほどもあろうコンテナの上から勢いよく飛び降りて見せたのだ。


「とうっ!」


 おぉぉ!

 とても綺麗な前方抱え込み宙返りフロント・フリップ

 そして着地っ!


 ――ぐきっ、ゴンッ!


 あ、コケた。


 十センチ近いパンプスに無理があったのだろう。

 案の定。

 着地で思い切り足首をバランスを崩し、コンクリートの床で一回転した後、隣のコンテナにしこたま頭をぶつけている。

 普段はお姉さまキャラのクセに、飲むとキャラ崩壊すんだよなぁ。

 恐らく出がけに一杯ひっかけて来た口だろう。

 って言うか、事務所でストロングレモンのロング缶一緒に飲んでたんだっけ!?

 あの泥酔具合を見る限り、更に飲んでるのは間違い無い。


 あぁ、そう言えばって関西弁か。

 関東勢都会もん風に言えば、くじく……であってるかな?


「いったぁぁぁい!」


 何が『いったあぁぁい』だよ、お前のその格好の方がイタイいよ。

 二十歳過ぎてんだろ!

 それが何でセーラ〇マーズのコスプレしてんだよぉ!


 白いセーラー服に、赤い超ミニスカート。

 そこから伸びる生足が妙に艶めかしい。


 にしてもやっすい衣装だなぁ!

 パツパツじゃん、パッツパツ。

 サイズ全然合ってないんだもん!

 胸元なんて半分以上こぼれてんだもの。

 場末のセクシーキャバクラで月一ツキイチ開催されるお色気コスプレ祭りかよっ!


 そんなキワキワ衣装で思い切りでんぐり返ったものだから。

 超ミニスカートはめくれ上がったままのワカメちゃん状態だ。


 おいおいおい、ヤメロヤメロ!?

 清楚系のアンダースコートにまで手が回らなかったのか?

 生パンツ見えてんぞパンツがよっ!

 しかも普段はいてるスケスケ黒パンツのまんまじゃねぇか!

 子供向けの美少女戦士がそんなエロい下着はく訳ねぇだろっ!


「って言うか、思ったほど痛く無かった、あははっ!」


 どっちだよっ!

 痛いのかよ、痛くねぇのか!

 結局どっちだよっ!

 って言うか、五メートルの高さから飛び降りて、でんぐり返して、鉄のコンテナに頭までぶつけてんのに、痛くねぇなんて事あんのかよっ!


「おいっ、女ぁ! ふざけてんじゃねぇぞ! 誰だ手前ぇ!」


 周囲を取り囲む面々も、ようやく出オチ感半端ないとんでもコスプレ女に慣れ始めて来たのか。

 我に返った強面の一人が美少女戦士に向かって怒声を浴びせかけた。


「誰だと問われれば、もう一度言わざるを得ないでしょう」


 火星からの美しい使者は、衣装に付いたホコリを軽く払うと、やおら最初の決めポーズへと戻って行って。


「……えぇっと、こほん! 愛の炎が燃え〇り、正義の炎が〇え盛る!」


 えぇぇ……またそこからぁ?


「愛と正義のセ〇ラー服美少女戦士、セーラ〇マーズとは私の事よっ! 悪逆非道を働く者は、火星に〇わって折檻せっかんよっ! きゅぴーん!」


「手前ぇ、ふざけやがってぇ! だから、どこのどいつだって聞いてんだろうがぁ! 殺すぞゴルァ!」


「えぇぇ! なーにーよー。もう一回聞きたいって言うのぉ! 仕方が無いわねぇ!」


 よほどこのセリフが気に入ったのだろう。

 もう一度オープニングのネタをれて、美少女戦士はかなりご満悦のようだ。

 いそいそと三度みたび最初のポーズに戻ろうとしている。


 こりゃ、結構飲んでんだろうなぁ。

 だとすると伝わらないかぁ。

 伝わらないんだろうなぁ……。

 あ、ちなみに、これ。

 絶対にじゃないから。この人達、完全に怒ってるから。


「面倒くせぇ! 頭ん中お花畑なヤツは、そのままお花畑に逝っちまえっ!」


 ほらやっぱり怒ってるぅ。


 ついにキレた男たち数人が、懐から拳銃を取り出したではないか!


「……チッ!」


 そんな怒声が湧き起こる中、聞き覚えのある舌打ちが一つ。

 と同時に、私を押さえ込んでいた真瀬さなせ先生が猛然と彼女に向かってタックルをかましたのだ。

 軽く小突いただけで軽自動車並みの殺傷能力を持つ筋肉女のタックルである。

 その破壊力は推して測るべしなのだが。


「ふぐっ!」


 何の予備動作も無く必殺のタックルを脇腹に受けた美少女戦士。

 彼女は軽く眉根を寄せただけで、そのとてつもない衝撃を見事にしのいでみせた……。


 ――ぐきっ


 あ、うそうそ。

 コケた。

 やっぱりコケた。

 って言うか、また足ぐねったみたい。


 どう考えてみても十センチ近いハイヒールは戦闘には不向きだと言う事だ。

 ようやく彼女もそれを理解したのだろう。

 火星からの美しい使者コメディアンはぐねった足を不満げに擦りながらパンプスを脱ぎ捨てると……脱ぎ捨てて……いや、パンプスを脱いで、きちんと揃えてから、コンテナの傍に……置いた。

 泥酔してる割には、礼儀正しいようだ。

 と言うか、掘りごたつのある和室の小上がりで飲む事が好きな彼女は、恒常的にパンプスを脱ぐ事に慣れているのかもしれない。……なんじゃそりゃ。


「んもぉ! 痛くないけど、痛いような気がするじゃなぁい! もう、怒ったぞぉ! 月に代わってお仕置きするからねっ!」


 月になっちゃったよ。

 火星じゃなくて、月になっちゃったよ。

 もう、キャラブレブレじゃねぇか。

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