第138話 死をも凌駕する恐怖
――ブオォォ……キュラキュラキュラ……ガシャンガシャン……
徐々に見え始めたのは人影……では無く、眩しいほどに輝く巨大な四灯のヘッドライト。
――ブロォン、ブロロロロ……
いまだシャッターが動いている最中にもかかわらず。
黒塗りの高級車を先頭に、複数のワンボックスカー工場内へとなだれ込んで来た。
そして車が停止するやいなや、厳つい顔をした男たちがワンボックスカーより次々と降り立ち、先頭の高級車へと駆け寄って行くのだ。
ヤクザ者だ。
一目で分かる。
顔見知りの人は……残念だけど、いないようね。
となると、
指一本動かすだけでも苦労する私に、これだけの人数を相手に大立ち回りを演じる事など望むべくもなく。
今の私に出来る事と言えば、無言のまま男たちの行動を凝視する事だけ。
――バタム。
やがて運転手と思しき男が現れ、慣れた手付きで後部座席のドアを開けた。
車の中から姿を現したのは、少し神経質そうな一人の男性。
手入れの行き届いたグロマンスグレイの髪に、
外資系ホテルのロビーですれ違ったのであれば、怪し気な事業で成功を収めた派手な成金実業家と言った風情だろう。
しかし、残念ながらココは真夜中の廃工場。
こんな場所に、そんな
「お疲れです」「お疲れ様ですっ!」
車を囲む男たちが、一斉に腰を屈めて挨拶をする。
ロマンスグレイの男は無表情のまま軽く頷き返すと、廃工場の中を見回し始めた。
「アレが
アレが
それが
何か裏の目的が……それとも、
「んだよ、ボビーもチ〇コ噛まれたのか? ホントコイツは
前言撤回。
全っ然、人格者じゃ無かった。
高濃度のアルコールで焼かれたしわがれ声。
ただ、その腹の底を
人格は別として、ヤクザ者を束ねる貫禄だけはありそうだ。
「ところで
「それでしたらあちらに。ちなみに組長、私は
「おぉそうかい。悪かったな」
まったく悪びれた様子もなく、謝罪の言葉を口にする
そんな
「ほほぉ、良い面構えしてんじゃねぇか。にしてもなんだな。この女、既にボロボロじゃねぇか」
「どうした? 例のAV野郎どもが散々
んだとこの野郎っ!
こっちの方こそ願い下げだっつーの!
「ところで
「マリーです」
って言うか、
「どうして残ってんのがお前とBobyだけなんだ?」
おっ!
って言うか、あれ、この話の流れって……なんか雲行きが怪しいぞ。
「例の……あのぉ、誰だったか? あの若いヤツ。チ〇コ噛まれたヤツじゃなくて、ほら確かもう一人いただろ?」
ヤバい!
気付かれた!
あの若手ヤクザの件だ。
「あ、この女が
即答かよっ!
「この女が
「はい、
なに念を押してるんだよぉ。
完全に自分だけは逃げ切る作戦じゃん。
私の事を
「んだよ、この女は男二人のチ〇コ噛んだ上に、ウチの若ぇヤツを殺したってぇのか!?」
「えぇ、狂暴な女です」
どの口が言う!
アンタがちょっと小突いただけで、若いヤクザ君は死んじゃったんだぞっ!
誰が狂暴って、お前が一番狂暴だろ!?
「そうかぁ。世の中には危ねぇ女が居るもんだなぁ……」
信じるのかよっ!
素直かよっ!
「ホント、そうですね」
って言うか、どの口が言う、パートⅡだよっ!
組長! アンタの傍に居るその女が一番狂暴なんだよっ!
「ところで組長」
「おぉ、なんだ?
「……」
ついに『私はマリーです』発言封印っ!
必殺のボケ殺し、ボケスルー発動だっ!
だってこれ、完全に組長に遊ばれてるよね。
だってそうだよね。
一回目、二回目のボケは許せるけど、三回目は流石にボケが過ぎるよね。
「くっ、組長。この女がウチの組員を殺したのは不運な事故が重なったからであった様に思います。私も丁度この場に立ち会っておりましたので、間違いございません。ここはひとつ穏便なご裁断をお願い出来ませんでしょうか」
おぉぉ!
やるな
ここに来て、女を上げたなっ!
やっと私の事を
ありがとう先生っ!
でもまぁ、よくよく考えてみると、本当に殺したのは
まぁ、細かい事は置いておいて。
それでも頑張ったよっ!
「ふぅぅむ、そうだなぁ」
おぉ!
悩んでる悩んでる。
組長、悩んでるっ!
もしかしたら許してもらえるかもしんないぞっ!
よし、もう一息だっ!
「ちなみに組長」
「なんだ?」
「私の名前はマリーです」
あちゃー。
そっちかー。
やっぱ、そっち気になっちゃったかぁぁ!
今はその話は良いんだよっ!
それより、私の話ッ!
私への恩赦について、話を戻してよぉぉ!
とここで、
「分かってるよ、お前の言いたい事ぐれえはよ。つまり、お前はこの女を殺すなって言っいてぇんだろぉ? 仕方がねぇな。お前がそこまで言うなら生かしておいてやっても良い。だがな……」
組長が軽く手を上げると、彼の後ろで数人の男たちが何やら動き始めた。
「今回の目的を忘れる訳には行かねぇ。まずは俺達がコイツらを
「確証……と言いますと?」
すると
「これよ、これっ! おいっ、お前ら、この女の指一本詰めてから、その指を新会長の家に送っとけ。立花へは俺から話を付ける」
「「へいっ」」
組長の後ろで準備を進める男たちが一斉に返事を返した。
彼らが準備をしていたモノ。
それは刃渡り二十センチはあろうかと言う出刃包丁とまな板、それに小さな発砲スチロールの容器が一つ。
「組長、確か……彼女たちにはAVに出演してもらう事で、確証代わりにすると聞いていたのですが……」
着々と進んで行く話に困惑の色が隠せない
どうやら、彼女にとってもこれは予想外の出来事なのだろう。
「ヤクザ稼業を生業とする者がそんな甘っちょろい事してどうすんだよ。落とし前付けるって言やぁ、指に決まってんだろぉ。それによぉ、指詰めた後は東京湾に沈めるつもりだったんだが……まぁ良い。お前がそこまで言うんじゃしょうがねぇ。俺だって人の子、鬼じゃねぇんだ。この女は生かしておいてやるよぉ」
そこまで言った
「おい、この女は殺さねぇ。指詰めた後で、東南アジア行きのコンテナ船に放り込んでおけ。長旅になるだろうから、詰めた指にバイキンが入らねぇようキチンと消毒しとけよ。分かったな」
「組長、東南アジアって……」
「おう、マリーは知らねぇようだから教えておいてヤルよぉ。最近はクスリや銃なんかも、密輸は東南アジアルートがメインでなぁ。中には借金抱えた野郎や女をそのまま
そう言いながら、
「しかしなぁ……この女、面白くもなんともねぇ指してやがんなぁ。女なら、もうちょっと盛った指してもらわねぇと、誰の指だかわかんねぇじゃねぇか」
こちとら医療関係者だからな。
手指のケアは必須事項。
当然、華美な装飾とは無縁だ。
確かにこの指では女の指と言う事ぐらいは分かったとしても、私の指である事までは分からないだろう。
私はその痛みに顔を歪めつつも、千載一遇のチャンスとばかりに、唾の一つも吐きかけてやろうとしたのだが……。
残念ながら思うように力が入らない。
「ふぅむ。そうだな、コイツの耳ぃ
みっ、耳!?
何言ってんだ、コイツっ!!
「この女、ピアスしてやがんだろぉ? これなら、見るヤツが見れば、誰かぐらいは想像出来るはずだ。よし、指は良いから、耳ぃ削げ」
「「へいっ」」
背後の男たちが出刃包丁片手に私の方へと歩み寄って来た。
マジか!
いくら後で復活出来るとは言え、耳が削がれるのはどうなんだ!?
「わ、わたし……海外に……売られるんでしょ……。商品傷付けて……どうすんのよ」
今の私に出来る精一杯の虚勢が口を突く。
「おぉ、そうか。そうだなぁ。でもなぁ、世の中には変わった
その言葉を聞いて、
え? どう言う事?
「ってな訳でなぁ。耳の一つや二つ、揃ってねぇぐらいが丁度良いんだよ」
なんだよそれっ!
何が丁度良いんだよっ!
一か八か。
それしか無いのか!?
しかし私の魔力は既に底をついている。
正に崖っぷち、一歩踏み出せば間違いなく谷底に落ちる瀬戸際だ。
落ちればそこにあるのは、確実な死……のみ。
それじゃあこのまま何もせず、耳が削がれるのを待つのか!?
それも嫌だっ!
恐い、怖すぎる。
意識を保ったまま、何の抵抗も出来ず。
ただ目を見開いて、自分の耳が削がれて行くのを耐えるのみ……。
あぁ、気が狂いそうだ!
そんな事、絶対に容認できない。
それだったら死んだほうがまだましだっ!
分かってる。
いまを耐えれば。
そうすれば
嫌な記憶だって元通り、何事も無く昔の生活を送る事が出来るんだ。
それだけ、たったそれだけの事なのに。
いまだけ、今だけを耐えれば……。
くっ……くっそぉ!
ダメだ、駄目だ、だめだっ!
イヤっ!……やっぱ無理。
恐い……怖すぎる。
無理だ……理性が働かない。
論理的な思考が……出来ない。
耳を裂かれると言う恐怖。
ほんの数秒後には現実のモノとなるそのあまりにも具体的なイメージは、
ダメだ。
出す。
私は
論理的では無い。
正解では無い。
確かにそうかも、そうなのかもしれない。
でも……無理。
自分の耳が。
知らない男の手によって。
無慈悲にも切り削がれる。
痛いっ、イタイ、痛いっ!!
そんな恐怖を味わうぐらいなら。
いま、目の前の崖を……飛ぼう。
そうだ、それしか無い。
絶対にそれしか方法は無い。
それしか無いんだっ!
私は大腿に伝う僅かな温かみを感じつつ、呟くようにその言葉を念じた。
いや、念じて……しまった。
出て来て、お願いっ……私を助けて。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます