第131話 男ってホント馬鹿(前編)
人間とは、理性の生き物だ。
人が何かを成し遂げようとする時、そこには必ず『理性と言う名の縛り』……つまり
物を投げる。
早く走る。
高く飛ぶ。
もう無理……と思っていても、意外と余力は残されているものだ。
この『理性と言う名の縛り』は世に言う『火事場の馬鹿力』と混同されがちだが、少し違う。
例えば、こう考えてみて欲しい。
人の持つ本来の力を百と仮定しよう。
生命の危機に瀕した際など、己が肉体の損傷を顧みず、百を超える力を発揮する場合が確かにある。
これこそが『火事場の馬鹿力』。
あえて語呂を合わせるとすれば『野性と言う名の縛り』、もしくは『本能の縛り』を越える力とでも表現しようか。
しかし、この力を発揮するには大いなる代償が発生する。
人として、生物として。『死ぬよりはマシ』と言う状態になって初めて解除される
では『理性と言う名の縛り』とは一体どう言うモノなのか?
人は常日頃から百の力を行使する事は無い。
一般的に使われる力は六割から七割程度と言われているらしいが、それでも多いぐらいだ。
実際のところ三割にも満たない力で、日々の生活を営んでいると言っても過言では無いだろう。
これら七割近い力の行使を阻んでいるものこそが『理性』に他ならない。
そんな事をしたら叱られる。
こんな事はやった事が無い。
あんな事はするべきじゃない。
各自それぞれが持つ『環境』や『常識』が邪魔をして、本来の力を行使する事が出来なくなる。
それは『理性』を持つ生物として進化した人類の特権か? それとも『常識』に囚われる現代人の悲しい
ただ、この『理性と言う名の
それは……。
『……まもなく料金所です。ETCレーンへとお進みください。料金は……』
突然聞こえて来た電子的なアナウンスの声に、ふと意識が蘇る。
結構走った様な気もするけど、実際には三、四十分程度かな?
ETCレーンとか言ってたっけ。
と言う事は、高速道路か有料道路を使った?
途中から目隠しされていたので、周囲の状況や方向が全く分からない。
時間的に考えて、千葉方面に行ったのであれば、浦安か舞浜あたり。
南に進路を取っていれば、川崎や横浜ぐらいか?
案外、私の方向感覚を狂わせるために、首都高をぐるぐると回っていただけなのかもしれない。
インターチェンジを下り、いくつかの交差点らしき角を曲がった後で、ようやくタクシーが停車した。
――バタムッ
「おい、降りろ!」
後ろ手に縛られている私は、襟首を掴まれる形で車外へと放り出される。
「おいっ、いつまでそんな所で寝転がってやがんだ。早く立ちやがれ」
――キィィ……ゴウンゴウンゴウン……ガシャン
何の音だろう。
大型のシャッターが開く音……かな。
実際、頭を低く押さえつけられ、何かをくぐるような形で格好で建物の中へと入って行く。
埃っぽく淀んだ空気に交じる古い機械油の臭い。
倉庫と言うより、廃工場と言う感じか。
私は目隠しをされたまま、建屋の中を歩き続ける。
どこまで行くんだろう?
かなり広い建物だな。
あ、そう言えば。
いま私は猿ぐつわをされている訳じゃ無い。
いっその事、大声で助けを呼んでみようか?
そんな想いが脳裏をよぎる。
やっぱり……無理か。
そう言えば車から降りた時ですら、市街地の喧噪や生活音は全く聞こえて来なかった。と言う事は、仮に私がココで悲鳴を上げたとしても、誰も助けになど来てはくれないと言う事だ。
更にもう暫く歩いた所でようやく立ち止まると、突然、誰かが私の背中を突き飛ばしたのだ。
「きゃっ!」
――ボフッ
固いコンクリートの衝撃を予想していた私は、意外にも床ではない柔らかな感触に戸惑いを隠せない。
え? ソファー……だよね?
「おい、目隠しはもう取って良いぞ」
そんな事言われても……。
両腕は後ろ手に縛られたまま。
いったいどうやって目隠しを取れと言うのか?
私が身動きもせず思案に暮れていると、誰かが私の手に巻き付けられていた粘着テープを引き剥がそうとしてくれる。
「大丈夫ですか
「え? その声って……」
ようやく両手が自由になった私は、急いで目隠しを首元までズリ下げた。
そして、いまだ霞む目でゆっくりと正面を見据えてみれば、そこには心配そうにのぞき込む愛らしい少女の顔が。
「
「それはこっちのセリフですよ。
捕まる?
そうか、捕まったんだ、私たち。
私たち二人が
決して行きずりの誘拐なんかじゃない。
恐らく新しい
「
「えぇっと、一時間ほど前……です。KF-PARKビルを出た所でタクシーに乗ったらそのままココに」
私と全く同じパターンだ。
「でも
高校生が一人でタクシーに乗るのがどうの……と言う話ではない。
彼女の金に対する執着は生半可では無い。
まだ知り合って間もないが、直ぐにピンと来た。
彼女は生まれながらの合理主義者であり、生粋の守銭奴なのだ。
そんな彼女が高い金を払ってタクシーに乗るものだろうか?
「実は帰り際に
なるほど。
それなら納得。
公然と『タダより安いモノは無い』と言い切る彼女にとって、これを活用しない手は無いはずだ。
ただまぁ、金券ショップに持ち込まなかっただけ、大人になったと言えるのかもしれない。噂に聞く彼女であれば、速攻で換金していてもおかしくは無かったのだから。
いやいや、そんな事より。
ビルの中でタクチケもらったって事は、
新しい
自分で考えた予想にもかかわらず、あまりの恐怖に身の震えが止まらない。
一刻も早く
自分達を助けて欲しい……と言う想いではなく、純粋に二人の安否が気遣われる。
かりそめにもヤクザ組織の新三役に就任したばかりの二人である。
いきなりその命を狙うと言うのは、敵が何処の誰であれ、流石に無理があるだろう。
となると、多少痛い目にあわせる事で、自分達の主義主張を押し通そうと言う
自分達はその『交渉道具』の一つとして拉致されたのだろう。
つまり、
えへへへ。
愛妾って……。
それはそれで、ちょっと乙女心がくすぐられる気がしないでもない。
場末の倉庫に拉致監禁される美女。
そこに
大丈夫だ! いま助けるっ!
そう言いながら、悪人に向かって鋭い視線を浴びせる格好良い
すったもんだの格闘の末、悪人全員をコテンパンに打ちのめすと、やおら
うん、大丈夫。
安堵の溜息とともに、見つめ合う二人。
そんな二人にもう言葉はいらない。
互いに吸い寄せられる唇と唇。
はうはうはう、だめよ
大丈夫さ、ヤツらはしっかり気絶させたよ。
あんあんあん、やっぱり、こんな所じゃ!
いやいや、こんな所だからこそイイんじゃないか。
そうよね。そうよね、そうかもしれないわね。
あぁぁぁれぇぇぇぇ!!
「ぐへっ、ぐへへへっへへ……」
「あのぉ……
「ぐへっ、ぐへっ……え? なっ、ナニ? 私は
「バック? いやいや、ナニ言ってるんですか
うっ、いかんいかん。
現実逃避どころか、妄想の世界に浸り込んでおったわ。
ちょっと反省。
「ねぇ監督ぅ、もうヤッちまって良いんじゃないっスかねぇ。どうせ動画撮るっしょ? だったら、先にヤッても、後でヤッても関係無くね?」
なんだとこの野郎ぉっ。
どこのどいつだ? そんなふざけた事ヌかしてんのは?
声のした方へと振り向いてみれば。
ガラの悪そうな若い男が三人、ヤンキー座りをしながら私たちの事を値踏みしている真っ最中のようだ。
「そうだなぁ。あと一人もじきに来るだろうが、確かに三人揃ってから
なんだよコイツら。
私たちを
しかも、もう一人って……。
あっ! それってもしかして。
……チックショウ。
良いアイデアだなぁ、それ。
このメンツだと結構売れるんじゃないか?
セル販売のノルマ千本なんて楽勝だろう?
たいたい、私たちのクオリティだったら企画セットモンじゃなくて、単体でメーカー専属契約でもガチ行けるクラスやぞっ。
セルの店頭小売り販売価格が二千九百八十円として。卸値は半値八掛けの千百九十二円。
仮に一万本はけたとすると、その一万倍だから……一千百九十二万円っ!
まっ、マジかぁ……。
プレスと印刷に五十万、監督と編集に三十万、男優三人にも二十万づつ渡したとして、経費はおよそ百四十万。
くぅぅ! 粗利だけでも一千万越えとるやないかいっ!
これ以外にレンタルとインターネット配信入れたら、いったいどれだけの儲けになるんやろっ!?
こわっ、おぉぉ怖っ!
もう既に、天文学的な数字やん。
イカン、関西弁出てしもた。
ちょっとヤッてみたくなって来たなぁ。
この金額だったら
なにしろ金の亡者だし。
私は期待のこもったキラキラした瞳で
あぁぁ……駄目かぁ……。
だよねぇ……。やっぱ、そうなるよねぇ……。
でもさぁ、ちょっと考えてもみてよぉ。
大人になったらさぁ、誰でもシテる事だからね。
なんだったらさぁ、言っちゃ悪いけど、アンタや私だって、お父さんとお母さんがソンナ事したから生まれて来た訳だしね。
そうそう毛嫌いする程の事でも無い様な気がしないでもないように思ったり思わなかったりもしたりしなかったり……。
え? 好きでもない男とスルのは話が別だって?
うん、まぁ、ソコはその通りだね。うん。
でも……一千万円だよ?
え? 駄目? あぁそう。だったら仕方が無い。
「それじゃあカメラ回しておけ。照明も入れろっ! それから女どもっ! お前達も余計な事言うんじゃねぇぞ。途中で変なコト喋ったら、何度だって撮り直しにすっからな。早くお家に帰りたかったら、せっせと男優の玉袋空っぽにするのが一番の近道だと思えっ!」
もう! 言い方っ!
もうちょっとマシな言い方ぐらいあるでしょうに。
でないと、女優魂に火が付かないでしょっ!
私はスンとすました顔のまま、周囲を見回してみる。
照明が点いたおかげで、ようやく辺りが見通せるようになったのだ。
大きな廃工場……と言うのはあながち間違っては無さそうだ。
天井は高く、梁の部分にクレーンのようなモノも見える。
それ以外には、貨物用のコンテナが複数積み上げられていて。
恐らく今では、コンテナ保管用の倉庫として使っている場所に違いない。
そんな廃工場の一角に、場違いなソファーとキングサイズのベッドが一つ。
床には安っぽい絨毯が敷いてはあるけど、コンクリートの上に直敷きだから、硬いかたい。
セットの予算はかなりケチった感ありありね。
まぁ、カメラもまともなカメラは一台だけで、残りの二台は三脚に固定されたスマホだし。
男優はさっきの若手が三人か。
後は監督にカメラマンが一人。照明と音声兼務のアシスタントが二人ってトコね……この人達はどうでも良いとして。
監督の隣に立ってるのは、私をタクシーに連れ込んだ二人組。
あぁ、この二人はヤクザ者ね。一目で分かる。
実質戦力となるのは、この二人だけかぁ……なんだ、これなら逃げられるんじゃね?
そう思っていたのだけれど。
ん? 工場の隅の方でパイプ椅子に座っているのが数人いるなぁ。
暗くて良く見えないけど、確かに居る。
一人はガタイがデカい。レスラーかな? それとも用心棒さん?
単なる見学希望者だったらありがたいんだけど、どうもそうでは無さそうね。
私は一度だけ下を向くと、すぐに極上の営業スマイルを装備してからゆっくりと顔を上げたのよ。
「ねぇ監督さぁん。いきなり本番って言うのもどうかしら? 最初はやっぱりカメリハとかするもんでしょ? だったら、その隣に居る良い感じの男とウォーミングアップさせてくれないかしらぁ。ヘタクソな男優に弄られても濡れないのよぉ。それなら、その人と準備体操しておきたいわぁん。……うふっ」
最後は流し目にウィンクも忘れない。
うん、完璧。
自分でも少々……いや、かなり露骨で馬鹿げているとは思うのだけど。
長年の風俗での経験から言わせてもらえば、男と言うのはこのぐらいで丁度良いはずなのだ。
「なっ、なんだとこのアマぁ! 手前ェ、甘くしてりゃあ、つけあがりやがってぇ! お前っ、自分の立場ってモンが分かってんのかゴルァ!」
あ? あれ、ちょっと反応
「え? えぇぇ……。そんな事言われたら、こーわーいー! ぷんすこっ!」
「……くっ! 貴様ぁ……まだ俺をおちょくる気かぁ!」
あれ? ヤバい。
火に油注いだ?
え? なに? うそうそ。ナニが間違った?
前に四十過ぎのオジサンから聞いた話だと、確かこれで良かったと思うけど。
ぷんすこ? ねぇ、プンスコ間違い?
「もっ、もぉぉぉ! ぷっ……ぷんぷんっ!」
私は某夢の国のネズミさんよろしく、両方の手を握って頭の上へと乗せてみせる。
「……」
あちゃあ……これでも無いかぁ。
もう、何処がどう間違ってるのか、さっぱりわからん。
仕方が無い、批判は甘んじて受けよう。
怒るが良い、そして殴るが良い。
オジサンの気が済むまでその怒りを受け止めて進ぜよう。
もちろん、
そう達観した私は、少し上目遣いで、にへらとした笑いを浮かべてみせたのよ。
すると。
「……なんだよぉ、もぉ……」
え?
「そこまで言われちゃ仕方がねぇなぁ。そんじゃ俺が手本見せてやるとするかぁ。なぁ、お前達もちゃんと見とけよぉ! アラフォーの熟練した俺の超絶テクニックってヤツをよぉ。あぁ、それからよぉ、お姉ちゃんよぉ。ぷんぷんの時は、グーの手はいっぺんに頭に乗せちゃダメだわぁ。片方づつ順番に頭に乗せないとだなぁ! 良く覚えておけよぉ! わはははははは」
……知らねぇよ。
そんなお作法、一体どこで習ったんだよ。
小学校でも教えてもらってねぇよ。
これだから、四十以上の男は扱い辛ぇって言うんだよなぁ、まったくよぉ。
って言うかさぁ……やっぱ、男ってホント
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