第130話 知らない人には付いて行かない

 喉奥を使った長くゆったりとしたストローク。

 唇だけの刺激では飽き足らず、時折軽く歯を立てたりする事もあるにはあるけど。

 流石に最終兵器リーサルウェポンの八重歯を披露するには早すぎる。


「……くっ」


 微かに漏れ聞こえて来るのは、吐息にも似たうめき声。

 上目遣いに見上げてみれば、そこにあるのは固く両目をつぶり、苦悶の表情で快楽にあらがおうとする少年の素顔だ。


 恍惚こうこつの中に浮かぶ焦りの色。

 自分の素直な気持ちを私には悟られたくないのだろう。

 薄目をあけて私の事を盗み見してる。

 でも、そんな事は百も承知。

 私はその視線に気づかないふりをしながら、無造作に前髪をかきあげて見せた。


 こういう仕草が好きなんでしょ?

 ふふっ……知ってる。


 脈打つ鼓動。

 大腿に加わる緊張が到達の近さを知らせてくれる。

 私は最後の仕上げに、固めのバニラシェイクを吸い込む要領で、咥内全体を絞り上げてやったのよ。


「……!!!」


「……」


「……!!」


「……」


「……!」


「……」


「……」


「……げふっ……」


「!」


 ナニ驚いてんのよ。

 あんだけの量出しといて、それを飲み込めば『げっぷ』の一つや二つ、そりゃ出るに決まってるでしょ、ほんとにもぉ。それにしても……。


「……にがっ」


「!!!」


 だから、ナニ驚いてんのかって言ってんの。

 アンタ飲んだ事無いかもしんないけど、コレ苦いんだからねっ!

 大体、全部アンタが出したモンだからね!


 などと、どうでも良い悪態をついているうちに、脳内の何処かに自分と異なるCORE人格が急速に形作られて行くのが感じられた。

 確かにクロちゃんの言う通りだ。

 咥内で受け止めた場合でも、多少のロスはあるにせよ、問題無くようだ。


「おぉい、三代目ぇ。もう準備は良いかぁ? そろそろ行くぞぉ」


 ドアの外から多少遠慮がちに声を掛けてきたのは、新しく若頭カシラとなった来栖くるすさんね。


「あ、はいっ! いっ、今ますっ!」


 今さらナニ言ってんのよ。もうた後でしょ!


 ……って、ナニを思ってるんだ? ……私。


 立花あの男の姿で居たのが長かった所為だろうか?

 思わず下品な下ネタでツッコみを入れそうになってしまった。


 イカんイカん……マズいマズい。

 マジで気を付けないと……。


 これもクロちゃんから聞いた話だけど、他人のCOREを使い過ぎると、自分の人格にも影響が出て来る事があるらしい。


 正直、あんなヤツの影響なんてまっぴらごめんだ。

 でも……今の私はこの祝福を持っているが故に、ご主人様より必要とされている身。

 立花あの男の姿になるのが嫌だなんて、口が裂けても言う事はできない。


 そう……口が裂けても……。

 いいえ……それだけじゃないわ。この命を失おうとも……よ。


 真衣まいとしての人生は既に一度詰んだ。

 忌々しい立花あの男と、決して相容れぬ母の所業によって。

 そう、借金のカタに送られたあのゴルフ場で、桜坂さくらざか真衣まいは死を迎えたのよ。


 そう考えれば、ココからの人生は、単なるおまけ。

 神様から偶然もらった、ボーナスステージでしかない。

 そう思うと、急に心が軽くなってくる。


 今まで出来なかった事をしよう。

 誰にも文句を言われる筋合いはない。

 看護師になる夢だって、いま思えば母親に対する意趣返しでしか無かったような気がしてくる。


 そうだ、運よく拾った人生だもの。

 私は自由に生きる。

 そう……それは、愛する人のために……。


 私は何事も無かったかのようにすまし顔で立ち上がると、ポーチから取り出した小さなハンカチで口元を隠した。


「ふぅ……。出した方が早いって分かっちゃいるけど……ちょっと量出し過ぎじゃない? こんなにいらないでしょ?」


「あぁ……ゴメン。でも、真衣まいがあんまりにも上手だからさぁ……」


 え? それってどう言う意味!?

 私が風俗で働いてた事をディスってるわけ!?


 ほんの一瞬、心に浮かぶ苛立ち。

 だけど、そんな想いの数万倍にも及ぶ寂寥せきりょう感が、私の小さな心を一瞬のうちに埋め尽くしてしまう。


 分かってる。

 分かってるんだよ。

 それはたぶん、私一人の思い過ごし、被害妄想……だよね。

 ねぇ、そうだよね。犾守いずもり君。

 犾守いずもり君はそんな事言う人じゃないよね。


「あ、あれ? 何か気に障った?」


「あぁ……いや、全然。それより、私のCOREだけど、バックアップは無事に取れてるの?」


「うん、大丈夫。しっかり二人分取れてるよ」


「あぁ、そう……なら良かった」


 犾守いずもり君から貸与されたこの祝福

 どうやら私には適正があったようだけど、残念ながら能力者としての素質は凡庸の域を出ていないらしい。


 私が保持できるCOREは二つだけ。

 先程まで持っていたのは、自分のCOREと立花のCOREの二つだ。これでは何かあった時の為にバックアップを取る事すら出来やしない。

 そこで仕方無く犾守いずもり君にお願いして、定期的に私のCOREと、立花のCOREのバックアップを保持してもらっていると言うわけだ。


 そう言えば、以前犾守いずもり君に無理を言って、三つ目のCOREを取り込もうとしてみた事があった。

 だけど結果はもちろん失敗。

 新しく取り込んだCOREは、CHANGEもBOOTも発現する事はなかった。

 一瞬だけ。ほんの一瞬だけだけど、脳内の何処かに自分と異なるCORE人格が形作られて行く感覚はあったのだけど。


 全て取り込めないって言うか……途中で止まってしまうって言うか……。


 自分でも途中から『あ、これは失敗するな……』と言う感覚自体はあったから、特に失敗した事に対する悔しさは無かった。

 ただ、この程度の力しか無い私が、本当に犾守いずもり君の役に立てるのだろうか? と言う不安がくすぶり始めたのも、この時からだったかもしれない。


真衣まいはこの後どうする予定?」


 壁に掛けられた大きな鏡の前で着衣の乱れを確認しながら、犾守いずもり君が問いかけて来る。


「うぅんんと、今日は香丸こうまるっちがまだ飲み足りないって言ってるから、この後軽く女子会して来る。武史たけしはどうすんの? 一緒に行く?」


「いや、止めておくよ。実はちょっと別件があってさ。って言うか、僕はまだ未成年だからね。真衣まい香丸こうまる先輩と一緒に飲み歩くなんて出来ないよ」


「あははは、そうか。そうだね。で? 別件って何? さっき呼びに来たの来栖くるすさんだよね。あの人たちとまた何か良からぬ事でも企んでんの?」


 ヤクザから金を借りたあげく、夜逃げまでしようとしてた私が言う事では無いが、出来れば犾守いずもり君には危ない橋は渡って欲しくない。


「良からぬ事って……でもまぁ、良からぬ事かなぁ。ほら、以前に話した事あるじゃん。あの佐竹って男、覚えてるかなぁ……」


「あぁ、あのオッサン顔したカチムチの高校生でしょ?」


 覚えてる。

 以前スマホで撮った写真を見せてもらった事があったはずだ。

 なんでも犾守いずもり君の親友を死へと追いやった恨みがあるとか言ってたっけ。


「そうそう。その佐竹から事務所の方に電話があってさ。外で立花さんに会えないかって」


「え? って事は、また私、立花にならなきゃって話? でも無理だよ。たった今武史たけしCOREを交換するのに元の自分に戻ったばっかりだもの!」


 ここ最近は何かと忙しかった事もあって、今日からオフと言う事になっていたのだ。つまり、久しぶりに数日間は立花になる必要が無い。そこで、この機会を利用して私専用のクロちゃんを育てるべく、今回は立花のCOREを返却。代わりに念願のクロちゃんのCOREを手に入れた所だったのである。


 しかも。

 私の能力者としての素質は凡庸だ。

 悲しいかな。誰が何と言おうと凡庸なのである。

 一日に何度も変身CHANGEを繰り返す事など出来ようはずもなく。

 魔力酔いを起こさず変身CHANGEするには、最低でも二十四時間以上のインターバルが必要なのだ。しかも、魔力量が不足していた場合は、最悪変身CHANGEすら発現しない事態も考えられる。そんな事にでもなれば、目も当てられない、完全にゲロり損だ。これはかなりのリスクだと言って良い。


 いまから魔力酔いによるゲロまみれ覚悟で、また立花あの男の姿に戻るのかぁ……。

 いくら犾守君ご主人様からの頼みだとは言っても、簡単に首を縦に振る事は出来ない。いいえ、出来なくはないかもしれないけど……正直……したく……ないっ!


 そんな決意と不安に満ちた目で見つめる私に対し、犾守いずもり君が優しく笑い掛けてくる。


「いやいや、真衣まいは今日からお休みなんだろ? 立花さんの役は僕が務めるから安心して。それから、あんまり飲み過ぎて知らない男に付いて行っちゃダメだよ。それじゃ、気を付けて遊んで来て!」


「うっ、うん。……あ、ありがと」


 えぇぇぇ……。

 マジ神。

 この子、マジ神だわ。

 年下なのに、なんなの? この抱擁力!

 どう言う事? あぁ、どう言う事かしら!?

 こんな少年が、この世知辛い日本に存在している事自体、ちょっと奇跡なんじゃないの!?

 私、元々ショタは得意分野じゃ無かったんだけど。

 今日からショタ推しに改めるわ。

 No LIFE No Shota!


 いやいや、待てまて。

 犾守いずもり君は既に十七歳だから、ショタと言うには少々年齢が上よね。

 顔こそ童顔だけど、何気に細マッチョだし。

 ナニだって十分ナニだし。って言うか、かなりナニだし。

 持続力は……微妙だけど、回復力はピカイチだし。

 ……あぁ、それは単純に若いからか。

 まぁ、それは置いておいて。

 それにしても、私が年下にデレる日が来るとは思いもしなかったわ。


 そんなこんなで、犾守いずもり君と来栖くるすさんの二人は連れ立ってお出掛け。

 渋谷近辺で会うのは他人の目もあるから、八王子の方で会う事になったらしいけど。まぁ、あの二人の事だから、上手くやるでしょ。


 さぁ、タマのお休みだし、精一杯羽根を伸ばしに参りますか。


 私は小雨が降る中、ちょうどKF-PARKビルの前に停車していた一台のタクシーへと乗り込んだのよ。


「どちらまで?」


「とりあえず、麻布十番駅の方までお願いします」


「はい、かしこまりました」


 滑るように走り出す個人タクシー。

 渋谷から麻布の方へと行くには、地下鉄の乗り継ぎが割と面倒なのだ。

 もちろん、以前の私であればタクシーなんて絶対に乗らなかったけど。最近ではお給料名目で香丸こうまる女史と遊ぶ程度の額はいただいている。


 さてと。

 まずは香丸こうまるっちにLIMEしてっと。

 あれ? 連絡が来てる。

 なになに?


 ……チョット遅れる?

 えぇぇぇ!

 チョット遅れるって、どう言う事!?

 ナニしてんの?


 ……え? シャワー浴びてる!?

 なんで今さら?

 直ぐに遊びに行くって言ってたじゃん!


 ……え? 私が犾守いずもり君とイチャイチャしてたから?

 あぁ……そう。

 拗ねちゃったんだね。

 それは申し訳無い、ゴメン。

 後でなにか埋め合わせするわ。

 うん。それじゃ、先に行ってる。


 歳は香丸こうまるっちの方が弱冠私より若いんだけど、身にまとうオーラっつーか、お姉様キャラが際立ってるって言うか、気付けば私の方が香丸こうまるっちに甘えてると言うこの不思議な関係。


 まぁ、全然嫌じゃないし、どっちかって言うと、これまで家族の絆に飢えていた私にとっては、突然出来た姉であり、妹であり、家族であり……。

 とても居心地の良い関係であると言わざるを得ない。


 今日は何食べよっかなぁ。


 ガッツリ焼肉って手もあるにはあるけど、既にストロングレモンのロング缶を飲み干している身としては、少々重たいようにも感じてしまう。

 それであれば、小洒落たイタリアンバルか何かで、軽く摘まむのも手か? それともこの前初めて連れて行ってもらった居酒屋も捨てがたいし……。

 最近香丸こうまるっちに教えてもらったばかりの色々なお店の名前とともに、彼女の楽し気な笑顔が浮かんでくる。


 母親の借金を返すため、ただひたすらに仕事場と自宅を往復し続けた日々。

 眠る時間を削ってやりたくもない風俗にまで手を染め。余計な干渉や詮索を避けるため、友達すらも作らなかったあの頃。

 当時の私からすれば今の私の生活は夢のまた夢。

 こんな日が来る事など、想像すら出来なかった。


「……うっ」


 嬉しさ半分、悲しさ半分。

 溢れ出る涙で、六本木の夜景が滲んで見える。

 六本木……ろっぽん……。


「……」


 ん?

 ここは……。


 渋谷で乗車してから、既に十五分ほど経過したくらいか。

 麻布十番に行くには、首都高下を通るか、恵比寿を抜けるか、どちらかのはずだ。

 香丸こうまるっちと相乗りするタクシーでは、ほぼこの二択で間違い無かったのに。そう言う意味では、既に見慣れた東京の街並み……のはずなのだが。


「あのぉ……運転手さん。ここって……麻布の方であってます……よねぇ?」


「あぁ、お客様、スミマセン。私、地方から出て来て個人タクシー始めて間もないものですから、ナビの言う通りに走っていて、詳しい地名が分からないんですよ。恐らく工事か渋滞かの関係で、少し遠回りしてるのかもしれません。最後に少し値引きしますんで、ご容赦いただけませんか?」


「はぁ……」


 まぁ、言われてみれば、そう言う事があるのかもしれない。

 どうせ香丸こうまるっちも遅れてるし、そこまで急いでいる訳でも無い。料金だって最後に引いてくれるのであれば、それはそれで問題は無いし……などと考えていた矢先。


 ――カチ、カチ、カチ


 タクシーはウィンカーを上げて路肩の方へと近付いて行く。

 

 あれ? 麻布に付いたのかな?

 でもちょっと景色が違うような……。


 しかもタクシーが停車しようとする道の先には、二人の男性が手を上げて立っている様に見えるのだが。


 え? 誰、あの人たち。

 いやいや、お客は私だよ。

 まだ私が乗ってるのに、なんであの人たちの前で止まろうとするかな?


「あのぉ……運転手さん、繰り返しますけど、ここって麻布と違うんじゃ?」


「すみません、お客様。手を上げていらっしゃるお客様が居ましたので、もしよろしければ、相乗りをお願い出来ませんでしょうか?」


 おいおいおい。

 何言ってんだよ、この運転手はよぉ。

 そう言う事は、ウィンカー出す前に聞くもんだろ?

 って言うか、白タクじゃあるまいし、どこのタクシーが乗客無視して、別の客乗せようとするんだよぉ!! あったまきたっ! もう、降りるっ!


「えっと、運転手さん。わかりました。私、もうココで降りますんで、止めていただけますか?」


「……」


 何やら半笑いのまま、黙秘を決め込もうとする運転手。


「すみません、運転手さん! 聞いてます! お金なら払いますから、とにかく止めて下さいっ! でないと、警察呼びますよっ!」


 ――キキー、バタン


 私の言う事を素直に聞いてくれたのか、それとも最初からココに停まるつもりだったのか?

 車が停止すると同時に、後部座席のドアが開いた。


 私はかなり勿体ないとは思いつつも、握り締めた一万円札を運転席と助手席の間にあるプラスチックのトレイに叩き付けると、釣銭も要求せずそのまま車から降りようとした……のだが。


「はいはいはい、お嬢さん。何処に行くのかなぁ。折角だから相乗りしましょうよぉ」


 開いていたドアより顔を覗かせたのは、先程路肩で手を上げて待っていた男たち二人組だ。

 一人はいままさに降りようとしていた私を無理やり後部座席の奥へと押しやり私の隣へ、もう一人は自分でドアを開けて助手席の方へと乗り込んで来た。


「お嬢さん、悪い事は言わない。少しの間大人しくしていてもらおうか。なぁに、俺達だって人の子だ。言う事さえ聞いてくれれば、生きたままお家に帰す事だってやぶさかかじゃない」


 そう言う男の手には、刃渡り二十センチほどのナイフが握られていて……。


 くっ!

 浮かれすぎて、気付くのが遅れた。

 犾守君ご主人様から、あれほど『知らない男に付いて行っちゃダメ』って言われてたのにっ!

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