第129話 焼き肉屋へGo

「チクショウ……、一体全体どうなってんだ?」


 多くの人々が行き交う吹き抜けのエントランスホール。

 日はとうに暮れ、外ではちょうど降りだした雨がアスファルトに大きな水たまりを作り始めている。


「……チッ!」


 なんだかすべての事が癪に障る。

 胸の奥でくすぶっていた不満と苛立ちが、時間の経過とともに膨れ上がり、どうにもこらえきれなくなっているのだ。

 俺は後に続く瑠璃ルリの事には目もくれず、カーテンウォールで仕切られた玄関口の方へと足早に歩いて行く。


 それにしても、まさかあの犾守いずもり狭真会きょうしんかいの三代目だったなんて……。


 寝耳に水とは正にこの事だ。

 そして、思い出されるのはステージへと向かう犾守いずもり落ち着きよう。


 アイツは絶対にを知っていたに違いない。

 にもかかわらず、俺の取り巻きの一人として、そ知らぬ顔で会場入りするなんて……。


「これじゃあ、俺が良い面の皮じゃねぇか」


 呪詛じゅそのように口をついて出るのは、犾守いずもりに対する恨み節ばかり。


 いや、そんな事より。

 喫緊の問題は冬桜会ゆららの今後について……だ。


 悪夢ナイトメアで執り行われた襲名披露パーティの後、俺は新しく狭真会きょうしんかい若頭に昇格した来栖くるすさんから、事務所に顔を出すようにと呼び出しを受けた。

 瑠璃ルリを伴い、不安な気持ちで訪れた組事務所。

 そこで知らされたのは、驚きの命令だった。


 ◆◇◆◇◆◇


「え? 冬桜会ゆららを手放せ……と?」


「あぁそうだ。これから冬桜会ゆららは別の人間に頭はってもらう事にしたから」


 KF-PARKビル内にある組事務所の応接室。

 有無を言わさぬ態度で新若頭が俺の事を見据えて来る。


 これだからヤクザは手に負えねぇ。


「突然どう言う事でしょうか? 大人の事情がある事ぐらいは理解してます。ですが、それにしてももう少しご説明いただかないと……」


 最大限のつくり笑顔で情報を引き出そうとしてみるも、来栖くるすさんは何も答えてはくれず表情一つ変える事すら無い。


 突然何を言い出すんだこの人は。

 冬桜会ゆららをつくり上げたのは他でも無い、この俺なんだぞ!


 冬桜会ゆららは元々、俺と佐竹が高校一年の時に始めたパーティサークルがその起源だ。

 最初のうちこそ気の合う仲間同士だけのお気楽サークルだったが、元々顔の広い俺や運動部に繋がりの深い佐竹の影響もあり、学内カースト上位層の社交場としてその地位を確立するのにさしたる時間は掛からなかった。


 当然サークルを取り仕切る俺の元へは入会を希望するヤツらが押し寄せ、更にそこに集う美男美女を求めて、周辺の学校からも入会の申し込みが相次ぐようになった事は言うまでもない。


 もちろん、これを一時のムーブメントとして終わらせるのはバカのする事だ。


 俺は冬桜会ゆららを組織化し、目に見える形でのカースト制度を創り上げる事に成功。

 こうして出来上がった堅牢な組織チームは流行と言う名の情報と、そこに群がる金とを等価交換する高度な錬金術としての役割を担い始めたのさ。


 金と権力が集中すれば、そこには当然に飢えたハイエナどもが群がり始める。


 高校生が取り扱えるであろう金額を、およそ二桁ほども上回る様になって来た頃。

 俺は冬桜会ゆららの安全をから金で買う事に決めたんだ。


 それが、ケツ持ちである狭真会きょうしんかい立花さんとの出会いだった。


 当時より立花さんは極道を絵に描いて黄金の額縁に入れた様な人で。

 時に度を越えるような我儘わがままな言動をする時もあるにはあるが、対外的な睨みを利かせると言う意味においては、これほど安心できる後ろ盾は無いと言い切れるほどの人物だった。


 そういえば……一度だけ。

 たった一度だけだが、上位組織のとある幹部から、売り上げの一部を回せ寄越せ……との横やりが入った事がある。

 ヤクザ組織において、上下関係は絶対だ。

 流石に今度ばかりは諦めるしかない……そう思っていた矢先。

 その上位組織の幹部が交通事故かかで緊急入院するハメとなった。当然、上納金の話もウヤムヤな状態に。


 噂に聞いた話によると、激怒した立花さんが幹部の愛妾宅へと単身押し入り、本人を半殺しの目に合わせたと言うのが事の顛末らしい。

 当然、そんな事件を起こせば狭真会きょうしんかい自体、ただで済むはずが無い。正直な所、組織存亡の危機となった訳なのだが、結果的には二代目会長である真田さんの人望と金の力で、どうにか凌ぎ切る事に成功したようだ。


 ただ……これも聞きづてだが、この時立花さんは子飼いの組員十名ほどを引き連れ、突然渋谷の街から姿をくらましたそうだ。一部では逃げたんじゃないか? との憶測も飛んだようだが、その翌日、組事務所に保管してあった大量の武器弾薬が全て持ち去られている事が発覚。市中では本格的な抗争を前に、立花さんを含む決死部隊が野に放たれたに違いない……との噂が流れたそうだ。その噂を聞き付けた上位組織の幹部層連中が身の危険を感じ、不本意ながらも真田会長の提示した和解案に乗ったのではないか? とも言われているようだが……もちろん、その真相は明らかになってはいない。


「うるせぇよ真塚まづかぁ。ごちゃごちゃ言ってんじゃねぇぞ、コノヤロウ。細けぇ話は本部長の車崎くるまざきからよく聞いとけ。あぁ、車崎くるまざきぃ、俺ぁ三代目に呼ばれてっからよ、ちょっと出かけて来るわ。後は頼んだぞ」


「はい、承知いたしました」


 三代目……だと?

 それはつまり、犾守いずもりの所に行く……と言う事か?


 腹の奥底よりドス黒い何かが沸々と湧き上がって来る。


 俺は自分の才覚によりつくり上げた冬桜会金のなる木を理不尽な暴力により奪われようとしている。にもかかわらず、ついさっきまで自分の手下として使っていた後輩は、俺が太刀打ちできないほどの力を持つ男をアゴで使える立場となってしまった……。


 理不尽だ。

 理不尽過ぎる。

 こんな理不尽はいずれ……いずれ正さねば……。


 ◆◇◆◇◆◇


 ――カリッ


 無意識のうちに噛んだ左手の爪。

 母親から何度も注意された悪癖が再び鎌首をもたげてくる。

 苛立つ俺は、自動ドアが開くのももどかしく、とにかくビルの外へと出ようとした、そんな矢先……。


「おい、真塚まづかぁ」


 高濃度のアルコールで焼かれたしわがれ声。

 ただ、その腹の底をえぐるような重低音の響きには、聞く者に有無を言わさぬ呪いのような力が込められているのではないかと疑いたくなる。


「あ、皆藤かいどうさん。ご無沙汰しております」


 背筋に流れる冷たい汗。

 俺は緊張している事を悟られぬよう、満面のつくり笑顔を完璧に展開させてから、慎重に面を上げた。


「おぉ、元気そうじゃねぇか。はちゃんとけてんのか?」


「はい、おかげさまで。値段も安く仕入れさせていただいておりますので、若者の間でも一定数流通出来ると思います」


 屈強な若衆数人を引き連れ。

 銀色シルバーに輝くサテン生地のスーツに身を包むこの男。

 見た目で言えば、六十代後半……と言った所か。

 残念ながら正確な年齢は聞いた事が無い。まぁ、興味も無いし。


 そんな事より、この悪目立ちする衣装はなんとかならないものだろうか?

 呼び止められた俺の方が恥ずかしくなる。

 ヤクザ映画のコスプレか何かか?

 いったい何処で売っているのかと聞いてみたい所だが……愚問だろう。

 なにしろこんな派手なスーツ……ぜひ欲しいと言う人間がこの日本にいったいどれだけ居ると言うのか? どう考えてもオーダーメードで仕立てたに違いない。


「そうかそうか、ありゃあ入門編としては最適だからなぁ。そのうちV-MAXヴィエムで満足できなくなった客にゃあ、タマピーでも、エスピーでも売りつけりゃあ良い」


「はい、承知しております」


 KF-PARKビルは数多くのファッションテナントを含む商業ビルだ。

 そんなビルのエントランスホールで、公然とタマピーだとか、エスピーの話はホント、マジでヤメテ欲しい。


「おう、お前は目端の利くヤツだから分かっちゃいるとは思うが、この件、新しい若頭カシラには……」


「はい、もちろん理解しております」


 最近の主な収入源となりつつあるV-MAX違法ドラッグの販売。

 その元締めをしているのが、この皆藤かいどう組の皆藤さんだ。


 立花さんと同じ狭真会きょうしんかいに所属してはいるものの、会の中での立ち位置は舎弟頭。

 つまり、先代の会長である真田さんの子分ではなく、兄弟盃を交わした弟分にあたる。

 会社組織的に見ると、旧狭真会きょうしんかいでは、真田さんが社長、立花さんが副社長。そして、この皆藤かいどうさんは系列会社の社長であり、狭真会きょうしんかいグループの系列会社の中でも序列トップであると言う感じだ。


 当然別会社な訳だから、狭真会きょうしんかい自体の体制に入る事は無いのだが、もちろん先代会長である真田さんの弟分として、強い権限と発言力を有している。

 しかもだ、この皆藤かいどう組。

 最近ではV-MAXヴィエムを始めとした違法ドラッグの販売で着々と力を付けており、本家を凌ぐ勢力となっていた。


 俺は立花さんのツテでご挨拶させていただいて以降、何かと目を掛けていただく事が多くなり、最近ではV-MAXヴィエムを流してもらえるまでの信頼関係を築いていた。


 本家の立花さんにしてみれば、はあまり面白く無い話だとは思うのだが、利益の約半分を俺が立花さんに上納している事や、皆藤かいどうさん自体が先代会長である真田さんの弟分と言う事もあり、結果的に黙認されていた……と言うのが実体だろう。


 そして、今回会長が代替わりするとは言え当面の会長代行は立花さんであり、これまで通りの関係を維持する事については、なんら問題無いと考えるのが妥当なのだが……。

 ただ、そうは言っても実質現場を指揮するのは新しい若頭である来栖くるすさんである。

 どこからどう言う横やりが入るか、分かったものでは無いのだ。

 となれば、外部の人間である自分が余計な事を言うべきでは無いって事ぐらい、中学生でもわかる話ではある。


「ところで、今回の一件、皆藤かいどうさんはご存じだったのですか?」


「あぁ、……細かい事は俺も最近聞いたばかりなんだが」


 言葉の合間にほんの少しだけ逡巡しゅんじゅんする様子が見受けられる。


皆藤かいどうさん的にはご了承されたと言う事で?」


 何か隠し事でもあるのだろうか?

 あの豪放磊落ごうほうらいらく皆藤かいどうさんには、らしからぬ素振りと言えるだろう。


「……」


 皆藤かいどうさんが見せる渋い表情。

 そんな沈黙が、俺に余計な一言を吐かせる結果に繋がった。


「だって、こんな鹿な話って、流石にないですよ……ねぇ……あっ」


真塚まづかぁ……」


 公共の往来に響くしわがれた重低音。

 自分の愚かさと、仕出かしてしまった失敗を理解するのに、コンマ一秒も掛からなかった。


「はっ、はい……」


「お前ぇ……半グレのクセして、俺達の領域に首ツッコんでんじゃねぇよ」


 ――カチ


 背中に押し付けられる固い金属の感触。

 それは初めての経験だった。

 にもかかわらず、それが一体何なのか?

 俺はそれを瞬時に理解する事が出来たんだ。

 いや……出来てしまった。


 ――ガク……ガクガク……ガク……


 自分の膝がまるで冗談のように震え始める。


「ガキはガキらしく、親の言う事聞いてりゃ良いんだよ」


「……はっ……はい。スミマセン……でした」


「……」


 沈黙が……痛い。

 視界の端では瑠璃ルリが口元を両手で押えたまま、ガタガタと震えているのが見える。

 彼女は彼女なりに、この恐怖に耐えようとしているのだろう。


 どうする? どうしたらいい?


 幸いな事にこの時間帯であれば、エントランスホールには多くの一般客が往来している。

 大声で『助けてくれっ!』と叫べば、いくらヤクザとは言え、流石にいきなり撃って来る事は無いはずだ……だけど。


 ……いや、そうじゃない……そう言う事じゃないんだ。

 ヤクザに睨まれると言う事は、そう言う事じゃない。


 もしかしたら、この場はやり過ごす事が出来るかもしれない。

 だけど、本当の恐怖はその後にやって来る。

 ヤツらは絶対に俺の事を諦めない、逃がさない。

 地の果てまでも俺の事を追い詰め、責任を取らせようとして来るに違いないのだ。


 仕方が無い……土下座……するか。


 恥も外聞も無い。

 瑠璃ルリが見てようが、そうでなかろうが。

 公衆の往来だろうが、なんだろうが。

 そんな事は全く関係が無い。


 完全服従。

 まずはその姿勢と意思を示す事が最重要だ。


「へへ……へへっ……」


 俺の愛想笑いは早々に限界値を越え、頬は極度の緊張によりピクピクと痙攣けいれんしはじめる。


 俺は犬だ。

 従順な犬でしかない。

 絶対に主人には歯向かわない。

 完全無欠の下僕に成り下がるんだ。


 そんな想いを胸に、俺はゆっくりと膝を屈し始めたのさ。

 するとその時。


「まぁ……わかりゃぁ良い」


「え?」


 見上げれば、ソコには柔和な表情をみせる皆藤かいどうさんの顔が。


真塚まづかぁ、お前ェは見込みがあるからよぉ、今日はメシ食いに連れてってやるよ。焼肉行くか、焼肉っ」


「はっ、はい」


 この流れで断れる人が居るのだろうか?

 散々精神的に人を追い詰めておいてからの、優しい言葉。

 他人をマインドコントロールするための常套手段と言うヤツだ。

 洗脳セミナーなどで良くある手口だが、普通は数時間かけて徐々に追い込んで行くのが一般的な方法である。

 しかし、仕掛ける相手がヤクザの場合、そんなまどろっこしい手順なんて全く不要と言う事か。

 何しろ絶対的な暴力と恐怖が背景にある訳だから、精神的に追い込む事なんて『秒』で済ませられる。


 恐ぇ……。


 これがヤクザ組織の本当の怖さだと言って良いだろう。

 かく言う俺自身も今まさに、この精神的に落とすだけ落としてからやおら救い上げると言う極度の高低差を経験させられる事で、思わず心を鷲掴みされそうになっている訳なのだから。


「おい、後ろの嬢ちゃんはどうする?」


「あぁ、わっ、私はこれから……帰って……宿題……が……」


 宿題なんてするタマじゃねぇだろ?

 とは言え、この後も瑠璃ルリを連れまわした日には、いったい自分がどれほどの醜態をさらす事になるのかわかったものでは無いからな。

 ここは早々にお引き取りいただいた方が俺にとってもメリットは大きい。

 なにしろ、俺一人であれば安全と引き換えにプライドを捨てる事だって容易く行える。


「おぉ、そうか。そうだよな。ガキは勉強第一だ。それに、これから行く焼き肉屋じゃあ、お前ぐらいの歳の娘が裸エプロンで肉焼いてくれるトコだからなぁ。お前連れてった日にゃあ、どっちが店の店員かわかんなくなるんだわ。なぁ、ガハハハハハ」


「「アハハッハ、こりゃ傑作ですね、オヤジ。あはははは!」」


 皆藤かいどうさんの取り巻き連中が一斉に声を上げて褒めそやした。


「はは……はは……」


 つまんねぇ……。


 しかし、この同調圧力に抗う術など、当然持ちあわせているハズも無く。

 俺も取り巻き連中に合わせて精一杯の愛想笑いを浮かべてはみるものの、瑠璃ルリの冷たい視線を受けて、どうしてもその笑顔は固くならざるを得なかった。


「よし真塚まづかぁ、付いて来いやぁ」


「はっ、はい」


 俺は頑強な腕を首筋に回された後、黒スーツ姿の集団とともに、いかがわし気な焼き肉店へと拉致されて行く羽目になってしまったのさ。

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