第125話 二匹の狂犬

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今回より久しぶりに現代日本側のお話しです。

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「はぁっ……あぁ……イヤっ……」


 内臓をえぐ重低音ビート狭間はざまから、かすかに漏れ聞こえるのは少女のみだらなうめき声だ。


「やめて……ヤメ……お願……い……ヤメ……」


 しかし、間奏の間すら待ちきれず、自分勝手にAメロを歌い始める者たちにとって、それは程度の低い『合いの手』ぐらいの意味しか持たないらしい。


「うぉぉ。コイツ結構キマるぞぉ、飛ぶわぁ……」


 マイク片手に腰打ちダンスを披露する男がそう叫ぶ。


「なんだよっ、もうしまいかぁ! ホント、だらしがねぇなぁ」


 その隣から、既にピクリとも動かなくなった女に対し、執拗にまたがり続ける男が大声ではやし立てた。


 チッ……クソどもが……。


 幹部連中の痴態は既に見飽きた光景だが、今日ばかりは少し度が過ぎるようだ。

 ふと目を向ければ、部屋の中央に置かれたテーブルの上には、冷え切ったピザやスナック菓子とともに、薄いブルーやピンクの錠剤が散らばっている。


 V-MAX……。


 最近このあたりで流行り出した新種のドラッグだ。

 中身はMDMAなどと呼ばれる幻覚剤の一種だと言う話だが、そのあたりの事情は良く分からない。

 ただ、新種だと言う事もあってか、所持も使用も問題の無い合法ドラッグだと言う触れ込みとなっている……もちろん、そんな訳がない事ぐらいは百も承知だ。


 一粒三千円。

 高校生でも十分に買える値段設定だ。

 仕入れ価格は二千円。

 一粒売れれば、千円の粗利になる。

 

 別に金に困っている訳じゃない。

 裕福な家庭に生まれ、これまで金に苦労などした事など一度も無い。

 確かにケツ持ちに支払う上納金で、冬桜会ゆららの売上げの殆どが持って行かれるのは腹立たしいと言えば腹立たしい限りだが。

 それだって、これが社会の構造ルールなのだと理解納得できる程度の知能は持ち合わせているつもりだ。


 要するに……。


 どの社会においても、底辺に居てはダメだと言う事だ。

 俺の居る場所は少なくともココじゃない。

 もっと上に行かなければ。


 俺の知能とバイタリティがあれば、新しいビジネスを立ち上げる事だって、官僚の頂点を極める事だって出来るだろう。

 しかし、初めての事には当然リスクが付きまとう。

 となれば、できるだけ早いタイミングにおいて社会と言うものを経験し、そのノウハウを習得するのは決して悪い事じゃないはずだ。


 そう。今はその練習期間。

 この社会の縮図とも言うべき裏社会において、俺がどこまでヤレるのか。

 この汚い裏社会にうごめく腐ったゴミのようなヤツらには、俺の経験値の為の肥やしになってもらうとしよう。

 糞尿には糞尿なりの使い道があると言う事だ。


 ――ピチャ……ぴちゃ、ピチャ……


「うぅぅん……むん……チュッ……ちゅっ……」


 甘く気怠けだるげな声を上げているのは、冬桜会ゆららの中でスカウトを担当する女性幹部。

 一体どこでスカウトして来たのだろうか?

 はじめて見る年上の女性に抱きかかえられながら、一心不乱に彼女の唇をむさぼり続けている。

 とは言っても盛大に痴態をさらしているのは女性幹部の方だけで、相手の女性はそんな彼女をクールに絶頂へとエスコートしている様にすら見える。


 年上と言ってもせいぜい二十歳前後ぐらい……女子大生か?


 どこかで会った事がある様な気がしないでも無いが、女性と言うのは化粧と髪型でイメージが大きく変わってしまう生き物だ。

 結局は他人の空似と言う事なのだろう。


 切れ長の目、琥珀色に近い魅力的な瞳。

 ほんの一瞬、交錯した彼女の視線が俺に何かを訴えかけている様な気がして……。


 ――グボゥ、グゲェェェ


「おいおい、汚ぇな、この女吐いたぞ」


「キャハハハ! マジかよっ! キメぇ! マジ、キメぇ!!」


「うえぇぇ……クッさぁぁぁい! マジ最悪ぅ!」


 カラオケの爆音を更に凌駕りょうがする嬌声とともに、吐しゃ物のえた臭いが部屋の中に充満し始める。


「僕はちょっとトイレ行って来るよ。その間に片付けておいてくれよ。流石に店長に怒られるぞ」


「へぇぇい。あ、そうだ。先週は入った掃除のおばちゃんが居たじゃん。あのおばちゃんに片付けてもらおうぜ! そんでもって、あのおばちゃんもヤッちまうってぇのはどう!?」


「うへぇ、マジかよ。あのおばちゃん、お前のかーちゃんと大して歳変わんねぇだろ?」


「何言ってんだよ。俺のストライクゾーン舐めんなよぉ。下は十歳、上は六十歳ぐらいまで満振りするぜぇ」


「キャハハハハ! マジ、鬼畜すぎぃぃ」


 幹部連中のくだらない会話。

 それが心地良いと感じていたのは、一体いつ頃までだったか。

 今はなぜか、イライラを増幅させるだけの雑音ノイズにしか聞こえない。


 だめだ、思考がネガティブに偏っている。

 外の空気でも吸うか……。

 俺は廊下の突き当りにあるエレベータホールへと向かった。


 ここは、渋谷から少し離れた大通りに面するカラオケ店。

 そこの最上階にあるVIPルームが冬桜会ゆららの本拠地だ。

 まぁ、本拠地と言えば聞こえは良いが、体の良いたまり場と言えばただそれだけの事。

 ただ、この店のオーナーは狭真会きょうしんかいの息がかかっており、大方の店員やアルバイトも冬桜会ゆららに所属していると言う徹底ぶりだ。

 弱冠十七歳にして、我が城を得たと言っても過言では無い。


 同じ狭真会きょうしんかい配下でライバルだった北条はつい先日リタイアしている。

 何があったのかは知らないが、全治三ケ月の重傷だそうだ。


 冬桜会チームは万全。

 ライバルは自滅。

 新しい金策の目途も立ちそうだ。


 強いて難を言うなら、本来は俺が……いや、俺のチームである冬桜会ゆららが引き継ぐはずだった悪夢ナイトメア車崎くるまざきさんに持って行かれてしまったが……。

 これについては、まぁ仕方がない。

 いきなり、何から何まで手に入れると言う訳にも行かんからな。


 順風満帆。


 一言で表すとするならば、それ以上の言葉が見つからない。

 しかし……何かが引っかかる。


 ――ポーン


「あぁ、真塚まづかさん、良い所に!」


 エレベータのドアが開くと同時に、古株のバイト君が慌てた様子で飛び出して来た。


「どうした? 何があった?」


「あぁ、スミマセン。お電話したんですが、つながらなかったもので……」


 そう言えば、考え事をするのに携帯電話のバイブ切ってたっけ。


「実はさっき来た客が有沢ありさわ組のチンピラでして、それが因縁付けて来やがって……」


 有沢ありさわ組?

 なんでそんな所が突然?


 有沢ありさわ組と言えば、元を辿れば狭真会きょうしんかいと同じ、共燦きょうさん連合系暴力団の三次団体だったはずだ。

 しかもその縄張りシマは、渋谷の中心部から東側界隈。

 主に渋谷の西側に本拠地を持つ狭真会きょうしんかいとは決して仲が良いと言う訳では無いが、抗争中と言う訳でも無い。


「それなら、佐竹を呼び出して……」


 そこまで口に出した所で、自分の失言に気が付いた。


 そうだ。

 佐竹はいまいないんだった。


 もともとアイツは冬桜会ゆららの幹部だったが、北条つぶしの一環として、裏切り者の体で北条ヤツの元へと送り込んだのは、間違いなく自分の指示だった。

 あわよくば北条ヤツの所で獅子身中の虫となり、タイミングを見計らって腹の中から食い破らせる算段だったが……まぁ、良い。


 元はと言えば、アイツはバカな上に品性にも欠ける所があったからな。

 冬桜会自分のチームから早く追い出したい……そんな想いがあった事は否定できない。

 ただ、こう言う力業ちからわざが必要な時には、佐竹アイツのような脳筋の番犬を一匹ぐらいは飼い慣らしておくべきだったかとも思う。


「ちょっと待ってろ。すぐ立花さんに連絡とってみるから。それまでは他の客に迷惑が掛からないよう、事務所の奥で店長に応対してもらってくれ」


「わっ、分かりました。よろしくお願いします」


 バイト君は急いでエレベータに乗り込むと、再び一階へと舞い戻って行った。


 しっかし、立花さん連絡付くかなぁ。

 最近電話しても全然電話に出てくれねぇんだよなぁ。

 毎日のように通ってた飲み屋スナックにも全然姿を見せてないってうわさだし……。


 もしかして……立花さんの身に何かあったんじゃ……。


 自分勝手な予想にもかかわらず、背筋に冷たいモノが流れ落ちる。


 立花さんは我儘わがままだし、いつも無茶振りばかりで正直会いたい人では決してない。

 とは言え、居なくなったら居なくなったで、その影響度は計り知れない人物なのだ。


 実質、今の狭真会きょうしんかいが渋谷で大きな顔をしていられるのも、界隈で狂犬とあだ名される立花さんが、会の若頭カシラとして君臨しているからに他ならないのだ。

 もしかしたら、立花さんに何かあったと言う噂が、他の組の方にも伝わったと言う可能性も考えられる。

 つまりは……。


威力偵察いりょくていさつと言う事か……」


 狭真会きょうしんかいの即応体制がどうなっているのか? はては立花さんが健在なのか? それを確かめるための嫌がらせとみて間違い無さそうだ。


 となると、事態はかなりマズいぞ。

 立花さんが出て来るか、もしくはそれと同等の対応が取れなければ、狭真会きょうしんかいは周辺の他の組から舐められる事になる。


 場合によっては、この渋谷が寄ってたかっての草刈り場となる可能性だって考えられる訳だ。


 どうする? 狭真会きょうしんかいを抜けて、他の組へと鞍替えするか?

 半グレの良い所は、ケツ持ちをある程度自由に変えられる言う点に尽きる。

 そこが血と盃によりがんじがらめに縛られるヤクザ組織とは、大きく違うと言われる所以ゆえんだ。

 なんだったら風見鶏のように、その時々で強い組へとなびいたとしても、何らとがめられる事も無い。

 まぁ、しっかりと上納金を収めてさえいればの話だが。

 それはそうさ、継続的に金の卵を産むニワトリを締めようとするバカはいないからな。


 いやしかし、それも遅きに失したと言う所か。

 このビルが立花さんが健在かどうかを判断する試金石とされた時点で、ウチの冬桜会チームは立花さんと一心同体だと周辺の組からは見られていると言う事になる。


 どうやらこれは逃げられんぞ。


 俺は立花さんの個人携帯の番号を諦め、狭真会きょうしんかい事務所の方へと電話を掛けた。


 ――プルルルル、プルルルル……ガチャ


「はい、狭真会きょうしんかいです」


「あ、いつもお世話になっております。冬桜会ゆらら真塚まづかです……」


「おぉ、真塚まづかちゃぁん。事務所の方に電話して来るなんてめずらしいな。どしたい? 何か急用? 若頭カシラはいま出かけてて留守だけど、急いでるんなら、直接携帯に電話した方が早いと思うよ」


 この声は、先日組事務所に入ったばかりの柴田さんシバターの声だ。

 歳は今年高校卒業したての十八歳だとか。

 暴対法が施行されてからと言うもの、ヤクザの構成員と言うだけで、銀行口座を開設する事も出来なければ、携帯電話を契約する事すら出来ないと言うのに。

 そんな中でも組に所属しようと言うのだから、なかなかに肝の据わった人なんだとは思う。

 

「そうですか……実は、ウチのビルに有沢ありさわ組のチンピラが乗り込んで来てまして、因縁付けられて困ってるんですよ。それで……誰か緊急対応をお願いしたいなと思いまして……」


「マジかぁ……どうすっかなぁ。俺じゃ良くわからんしぃ……」


 おいおい、マジかよ。

 こう言う時の為にケツ持ちが居るんだろぉが!

 今までどれだけ上納金収めて来たと思ってんだよっ!

 マジ、コイツ、シメんぞ、コラッ!


「とりあえず、来栖くるすの兄貴に聞いてみるわ」


 ――ガチャ……プー……。


「あっ! もしもし! もしもしっ!」


 コイツマジかよ。

 電話切りやがったよ。

 ホント、いま時の若いヤツは使えねぇなっ!

 って言うか、俺より年上じゃねぇかっ!

 シバター! もうちょっとしっかりしろよっ! シバター!!


「くっ!」


 落ち着け、落ち着くんだ。

 いまここで、使えねぇシバターヤツの事を怒ってみてもらちがあかない。

 どうする?

 一度部屋にもどって、幹部連中を集めるか?

 いや、それは無理だろ。

 完全にドラッグキメて、ラリってる状態のヤツらを揃えた所で、役に立つとは思えない。


 他に……他に何か良い案は……。

 腕を組み、所在無げに廊下の端をうろつく俺の手の中で、キツク握りしめたスマホが激しく振動し始めた。


「うぉっ、なんだ? あぁ、着信か……」


 え? 来栖くるすさん!?


「はい、あ、もしもし! 真塚まづかですっ!」


「おぉ、真塚まづかか。お前ぇ、いま何処にいんだよ?」


 来栖くるすさんは立花さんの右腕とも目されている人で、狭真会きょうしんかいの中でも若手のホープと言って良い。

 見た目は若く、大人し気な印象を受ける風貌をしているが、その内情は全然違う。

 最悪、立花さんが捕まらなかったとしても、武闘派として名高い来栖くるすさんが出張でばってくれるのであれば、話は丸く収まると言っても過言ではないだろう。


 なんだよぉ、シバター!

 お前っ、良い仕事するじゃねぇかよっ! シバター!!


「あぁ、来栖くるすさん、良い所でお電話いただきましたっ! 実はウチのビルに……」


「っせぇよっ! まずは俺の質問に答えろコラ。泣かすぞ、クソ野郎がぁ!」


 立花さん同様、来栖くるすさんも我が強い。

 決して機嫌を損ねてはダメなタイプの人だ。

 しかも、ここは一刻も早く来栖くるすさんに来ていただいて、問題を解決していただく事が最優先事項ではある。

 変に気分を害する事は、是が非でも避けなければ。


「あっ、すっ、すみません! 私はビルに……カラオケ店ビルの最上階に居ます」


「んだよぉ。お前ェ、同じビルに居んじゃねぇか。さっさと下りて来いよ。もうカタぁ付いてるからよ」


「え? それって……」


「ソレもコレもねぇんだよっ! ふざけんなよ、この野郎がっ! 下りて来いっつったら下りてくりゃ良いんだよっ! 返事は『はい』か『Yes』のどっちかにしろっ!」 


「はっ、はい! 分かりましたっ!」


 俺はエレベータに乗り込むと1Fボタンを連打しつつ、大急ぎで一階へと向かったのさ。


 ――ポーン


 軽やかな電子音とともに、エレベータのドアが開いて行く。


 まず目に飛び込んで来たのは、光沢のあるスーツに身を包む中年男性の大きな背中だった。


「あっ!」


「ん?」


 俺の驚きの声を聞き付け、その中年男性がゆっくりと振り返る。


「かっ、若頭かしらっ!」


「おぉ? お前ぇ……誰だっけ?」


「いや真塚まづかです。冬桜会ゆらら真塚まづかですよっ!」


 なに言ってるんですか。

 いや、冗談キツイですよ、立花さん。

 どれだけ心配したと思ってるんですか、立花さんっ!


 何か怪我でもしたのかと思っていたが、全くそんな気配は感じられず。

 しかも、いつもの威厳は十分に保ったままで……いや、少し柔和な印象を受けるのは俺の気の所為か?


 そんな俺の心配を他所に、立花さんは俺がエレベータから降りやすいようにと、少し身をかわしてくれる。


「あっ、すみません。恐縮ですっ。それにしても、いままでどこに行ってらしたんですか? 僕、何度かお電話差し上げた……の……に……」


 エレベータを降り、開けた視界のその先には来栖くるすさんが居て……。


「おぉ、真塚まづかぁ、ナニしてたんだよ。俺が来いっつったら、サッサと来いよバカ野郎。とりあえず、因縁ふっ掛けて来たって言う二人は始末しといたから。あぁ、それからコイツらはこの『ずだ袋』に入れて裏口に運んどけ。後で車を回すから、それに乗せてくれりゃあそれで良い。それから、ロビーの血痕だが、乾かねぇうちに、全部よぉぉく拭き取っておけよ。乾くと後が残るからな。それじゃ、若頭かしらと俺は先に帰るからな。あとは任せたっ!」


「はっ……はぁ……」


 どうやら……。

 立花さんの狂犬ぶりは健在だったようだ。


 いや……。

 立花さんだけじゃない。

 狂犬はこの二人……と言うべきなのだろう。

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