第120話 ドナドナ

 ――ギィィ……ガタガタガタ……ギィィ……ガタガタ


 軋む車軸の音とともに、小刻みな振動が連続で伝わって来る。

 存外、荷車と言うモノは大きく揺れないようだ。

 かと言って、決して乗り心地が良い訳ではないのだが。


 それもそうか。


 板バネすら付いていない粗末な木製の荷車である。

 大きく揺れるだけの遊びとなる部分がどこにも無いのだろう。

 しかも、この硬い振動は直接尻から尾てい骨、そして背骨から頭蓋骨へと伝播。

 不用意に口を開ければ、誤って舌を噛みかねないレベルだ。


「……と言う訳でのぉ。本当に酷い目にあったわい。昔の人はもっと大らかじゃったに。時代の経過とともにうつろいゆく人の心と言うモノは残酷なものじゃ」


 この爺さん、さっきからズッと喋りっぱなしだけどホント大丈夫か?

 いい加減、舌でも噛んでくれりゃあ、静かになって助かるんだが。


「そもそも、このワシが一体何をしたと言うんじゃ? 久しぶりの現世じゃからな。そりゃあ腹の一つもすくに決まっとる。となれば、メシが食いたくなるのも道理と言うものじゃ。既に日没を過ぎておったからなぁ。開いてる店など限られておるし。それで仕方なく、本当に仕方なく街の外れにある酒場に入ったと思ってくれい!」


 はいはい。


 拳を握りしめた爺ィが再び熱く語り出す。


「これが街の外れとは言え、なかなか良い店でなぁ。出て来る料理もソコソコに美味いと来た。そこでワシは思ったね。この店は当たりじゃ! とな」


 へーそうかい。


「それでしこたま食って飲み、飲んで食い。そろそろ気分が良くなった来たかのぉ……と言う頃合いじゃった。それまで給仕してくれとった女中の一人がワシの手にそっと触れてから、こう言ったんじゃ」


「「お客様、お二階どうされますか?」」


 間髪入れず、爺ィと一緒にキメゼリフを復唱する俺。


 何回目だよ。

 もう、聞き飽きたよ。


 そんな俺の気持ちを知ってか知らずか。

 爺ィがわざわざ俺の顔を覗き込みながら、ニヤリとした笑みを浮かべて見せる。


 なんでそんなに嬉しそうなの?

 ねぇ、俺のイヤミが通じないの?


「そりゃあなぁ、ワシだって今でこそ『神』と呼ばれる身分じゃが、男の端くれじゃからのぉ。美味いメシに旨い酒。とくれば、おのずと次に事は一つと言うものよ。そこでワシは女中に手を引かれるがまま、トントントンと二階へ上がって行ったと思ってくれい」


 はいはい。


「そして階段を上がると、そこにはいくつもの扉があってなぁ。女中の話によると、女中ごとに自分の部屋を持っておるそうなんじゃ。そんな事お前知っとったか? いやぁ、ワシは知らんかったのぉ。以前に旅した時は野宿ばかりだったし、他の仲間もおったからなぁ……。それで気に入った客がいると自分の部屋へといざなうそうなんじゃ! ほっほっほ。いやぁ、まいった参った」


 なんでそう得意げなんだよ。

 なんか腹立つなぁ。


「それでな。女中に促されるままに部屋の中へ入ると、そこは……そうじゃなぁ、四畳半ほどの広さかのぉ」


 四畳半て……アンタ四畳半って。


「もちろん電気も何も無い部屋じゃから暗闇くらやみな訳じゃ。ただ、窓は開いておったから、目を凝らせば窓から差し込む星明りで何とか様子ぐらいは分かる感じかのぉ。部屋に置いてある家具と言っても、籐で編まれた簡易なベッド一つに、同じく籐で編まれたかごが一つだけ。殺風景な部屋じゃったが、まぁスル事は一つじゃからな。これはこれで問題は無い」


 ホントヤル気満々やな、この爺さん。


「それでもって、ワシが部屋の中程まで進むと、女中の方も遅れて部屋の中へと入って来る訳じゃな。そして、後ろ手で静かにドアを閉めるんじゃよ。もう、この段階で、ワシの胸はドッキドキのドッキンコじゃ! うひひひひひ」


 つまんねー。


「そして、恥ずかしそうに女中がこう切り出す訳じゃ。『灯りはどうしますか?』とな。ワシはこう見えて夜目が利く方じゃし、それに空気が読める方じゃからな!」


 嘘つけよ。


「わざわざ蝋燭ろうそくを取りに行ってもらうのも時間がもったいないからのぉ。それに、うら若き乙女と明るいともしびの元でに及ぶと言うのは流石にしのびなくてな。ワシは大人の風格をもって、『不要じゃ』と伝えた訳じゃ」


 ナニ言ってんだよ。

 要はガッツいてただけだろ?


「するとな、女中の方がこう……肩口の方からスルスルうぅぅっと、自分のストラを脱ぎ始める訳じゃ! 当然、ワシは窓を背にしている訳じゃからの。窓から差し込む淡い星明かりが、女中の白い素肌を照らして……かぁぁぁ。コイツぁ、ヤメられんのぉ!」


 ナニがヤメられねぇんだよ。


「そしてついに! 女中の脱いだストラが彼女の足元へと落ちる訳じゃ! するとそこに現れたのは……豊満と言うにふさわしいハリのある乳房に、名弓を思わせるくびれた腰元、艶めかしい太腿のラインはまさにぃぃぃヴィーナスッ! 美の女神、ヴィーナスが目の前に立っておったのじゃっ!」


 おいおい。

 美の女神ってヴィーナスで良いのか?

 それって、よそ様んトコの神様だろ?

 お前の所にも美の女神が居たんじゃなかったっけか?

 えぇっと確か、テオフィリアだったよな?


「しかし、ここでワシとした事が、大いなる過ちを犯していた事に気づいたのじゃ!」


 あれほど輝いていた爺ィの瞳に絶望の色が浮ぶ。


「ワシは……」


 ……。


「ワシは……」


 ……。


「見とうなったのじゃ」


 ……。


「どうしてもワシは、もっと明るい所で、娘の素っ裸を見てみとうなったのじゃー!!」


 ぶっちゃけたよ。

 臆面もなく、本能のままにぶっちゃけやがったよ。

 ある意味、いっそ清々しいな、エロ爺ィ。


「長い眠りから覚め、久しぶりに現世に戻って来たんじゃ、こんな所で我慢をする必要があろうか? いやない!」


 反語かよ。


「ワシは意を決し、そして、こう言うてやったんじゃ! 『やっぱり灯りが欲しい!』となっ!」


 そんな意気込んで言うほどの内容じゃねぇだろ?


「するとな、すると娘は……娘は、何と言ったと思う?」


 あぁ、やだやだ。

 ホントマジどうでも良いわ、そのクエスチョン。

 キャバクラでの『俺って、いくつに見える?』に匹敵するぐらい、どうでも良いクイズだわ。


「……」


 ……


「……」


 ……


「……」


「……さっ、さぁ……? 何て言ったんですかね?」


 かぁぁぁ!

 負けちまった!

 爺ィの沈黙に負けちまったぜぇ!


「わからんじゃろう、わからんじゃろう! なんと娘はこう言ったんじゃ! 『蝋燭ろうそく一本、十クランになりまぁす! ウフ』じゃと!」


 爺ィのオネェ言葉が妙に痛い。


「言うに事欠いて、十クランじゃぞ、十クラン! それだけあれば、いったいどれだけエールが飲めると思うとるんじゃ! ほんに、ボッタクリも甚だしい! 当然ワシは言ってやったんじゃ、そんな金は払えんっ! とな。するとどうじゃ、突然部屋の中に無粋な男どもがなだれ込んで来おってからに、ワシの身ぐるみを剥ぐだけでは飽き足らず、なんとそのまま、奴隷商に売り飛ばしおったんじゃぞ! ホントにもう驚きを通り越して、ビックリじゃ!」


 いや、ぜんぜん通り越して無ぇよ。

 って言うか、驚きとビックリだったら、単に並んだだけだろ、それ。


「でも、爺さんは金を一銭も持って無かったんだよな?」


 おっと。よく考えたら、俺の言い方も大概だな。

 神様に向かって、爺さん扱いだし。


「そりゃそうじゃ、今回は現世に来てまだ初日じゃからな。金など持っておる訳が無かろう」


「何度も言うけどさぁ。爺さんは金も無く飲み食いして、女中とも遊ぼうとしたんだから、捕まって当然だろ? 命があっただけでもめっけもんってモンだぜ」

 

「そうかのぉ。いやしかし、世も末じゃのぉ……本当に酷い目にあったわい。昔の人はもっと大らかじゃったにのぉ。時代の経過とともにうつろいゆく人の心と言うモノは残酷なものじゃ」


 おいおい、振り出しに戻るかよ。

 って言うか、この話、一体いつまで続くんだ?

 完全にエンドレスじゃねぇか。

 オヤジの話はなげぇとは良く言ったもんだが。

 爺ィの話ともなると、もっと長い。


「はぁ……」


 もう、返事を返す気力も無いし、敬語を使う元気も出ない。

 ただ、同じ話を何度も聞く内に、疑問に思う事が無いでもない。


「なぁ、爺さん」


「なんじゃ?」


「爺さんって神様なんだからさぁ。その力で店のヤツらをコテンパンにして、逃げちまえば良かったんじゃねぇのか? そのぐらい朝飯前だろ?」


 なんだろうな?

 神様としてのプライドとか、あるのかな?

 それとも、簡単に人間に手出しできない法があるとか?


「まぁ確かにのぉ。ワシの力をもってすれば、酒場どころか、この街ごと吹き飛ばす事も容易いのぉ」


 おいおい、物騒だな、おい。


「ヌシはロープレのゲームってした事あるか?」


「え? まぁな。もっと若い頃だが、コンシューマーゲーム機で結構遊んだな。最近じゃ携帯で出来るらしいが、今はやってない」


「そうか、そしたら、何となく分からんかのう。ゲームも面白いのは二周、三周目ぐらいまででなぁ。ワシの場合は前回に無双編もヤッちまったから、ちょっと飽きて来た所でのぉ……」


 あぁ、確かにそうかもな。

 何度かクリアしたら、後は結構つまらんもんだ。


「そんでもって、今回はちょっと趣向をこらして、を入れておるんじゃ」


「え? 縛り……って?」


「おうおう、聞きたいか? 実はのぉ、今回はスローライフ縛りで行こうと思っとる」


「スローライフゥ?」


「そうじゃ、スローライフじゃ。どうやら人間の数も増えて来たようじゃし、昔みたいに魔獣が跋扈ばっこしておる世界でも無さそうじゃしのぉ。それであれば、自然に身を任せ、フラフラとこの世界を旅してみようと思ってのぉ。そんなもんだで、いきなり最初のイベントで大量虐殺では縛りにならんじゃろ? そこは自然に身を任せて、こうして奴隷として売られて行く事にしたと言う訳じゃな」


 マジか、この神様爺さんそんな事考えてやがったのか。

 確かに同じゲームを何度も遊んでたら飽きるからな。

 何とか縛りを付けたくなるのも分からないでは無いが……。


「でも、そんな事して、危ない目にあったらどうする気だったんだ?」


「いや別に問題は無いな。単に肉体が滅ぶだけじゃからのぉ。また最初からやり直せば良いだけじゃ。とまぁ、ソコの所がゆるゆるなモノじゃから、せめて縛りをしっかりしておかんと、面白さも半減と言うものよ」


 あぁ、コイツらにとって、ホントマジでこの世界はゲーム感覚なんだ。

 肉体が滅ぶだけ……って言う事は、自分は何度でもよみがえるって事だもんな。

 確かにこの爺さん、一回片岡に撃たれてたし。

 実際にあれから復活してる所を見ると、本当に肉体が滅びても何の問題も無いんだろう。


「なぁ爺さん。一つ聞きたいんだが」


「なんじゃ?」


「もし、俺が死んじまったとして、それを復活させる事って出来るのか?」


 アイスキュロスや片岡は瀕死ひんしの重傷を負っていたのに助かった。

 少なくとも自分自身が復活できるなら、他人だって復活出来るに違いない。


「無理じゃな」


 即答かよ。


「ワシの様に永遠の時を過ごすには『神』にならねばならん」


「えぇぇ。それじゃあ、どうやったら『神』になれるんだ?」


「そうさのぉ。霊山にこもりて千年ほども修行を積んだ後に、ドラゴンを倒してその生き血をすすり……」


「マジか! やっぱそう言うヤツがいるの!?」


 うぇぇ。そんな簡単に神にはなれんと言う事か。

 って言うか、それだけ修行を積んだ割には、俗物ぞくぶつすぎるぞこの爺さん。

 って言うか、ドラゴン居るんだ! うわぁ! ファンタジー!!


「ウソじゃ」


 ウソかよっ!


「そうさのぉ、直接太陽神に会って頼んでみると良いんじゃないか? ワシが前に居た頃はエレトリアの近くにある太陽神殿に住んでおったから、行けば会えるだろうよ」


「え? そんなんで良いのか?」


「まぁ、あヤツがどう言うかは分からんが、案外面白がって神にしてくれるかもしれんな。ただ、行くなら手土産は忘れるなよ」


「手土産がいるのか?」


 神様への手土産ってなんだ?

 奉納する系のナニかって事だよな。


「そうだなぁ。一般的には、金に酒に女か……」


 メチャメチャ俗物じゃねぇか。

 って言うか、爺さんと同じ穴のムジナじゃねぇか。


「金に酒は……まぁわからんでも無いが、女って……生贄いけにえか何かにするのか?」


 まさか、神になる為の儀式か何かで、生娘の生き血が必要とか言うんじゃねぇだろうな。流石にそんなもん、用意なんて出来ねぇぞ。


「今時生贄いけにえなんぞあるかい。あヤツも若い女子おなごが大好きじゃからなぁ。JDぐらいの女子と合コンでも開いてやれば、大概の願いは叶うと思うぞ」


 JDて……JDって。


「まぁ、あヤツもそろそろ歳だし、JKでは若すぎるな。まぁ、嫌いでは無さそうじゃが。とりあえずストライクゾーンとしてはJDからアラサーくらいの間で、丸の内のOL的な感じがどっちかって言うとドンピシャかもしれんな」


 まさか、奴隷の入る檻の中で神様から丸の内OLとの合コンの話を聞かされる日が来ようとは、流石の俺にも想像出来なかったぜ。

 でもまぁ、この騒動が収束した暁には、一回その太陽神だとか言う人……神? にも会ってみたいものではあるな。


「で? その太陽神殿って言うのは、エレトリアとか言う街のどのあたりに……」


 ――ギィィ……ガタン。


 俺が更に情報を聞き出そうと身を乗り出した所で、突然荷馬車がその動きを止めた。


『〇△……$#%……××……』


 遠くの方で何やら話し声がする。


 何かあったのか?


「検問じゃな」


「検問?」


「なんじゃ、歳食っとる様に見えるが、お前、検問も知らんのか?」


「いや、検問の意味ぐらい分かるが、何の検問だ?」


「何の検問もなにも、ワシらは元々ベルガモン王国に売られて行く奴隷ドナドナの身じゃからな」


 爺さんはそうかもしれんが、俺達は違うからな。


「港の入り口で検問を受けるぐらいは、当たり前の事じゃろう。とは言えじゃ……」


 とは言え?


「ちと様子が変じゃのぉ」


 爺さんは細くしなびた自分の右手を目の前で広げると、数回軽く振ってみせる。


「どっ、どう変なんだ?」


「結界が……」


 結界だと!?


「結界が張られておるのぉ。こんな事が出来るのは上位の神官か、それともある程度熟練した魔導士か……」


「なぁ爺さん。検問で結界が張られるのは珍しい事なのか?」


「そうじゃなぁ。普通、港の検問において結界を張るなんて事は無いじゃろうな。大体、神官や魔導士なんぞこの世界ではほんの一握りの者たちじゃ。市井しせいの者たちは一生魔法なんぞに関わる事なく生きておる。にもかかわらず結界を張ると言う事は……よほど積み荷に何かマズいモノでもあるんじゃろうて」


 あるよ、あるさ、大ありだよっ!!

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