第119話 奴隷仲間のルーカス

「そうでございますか……」


 いかにも残念そうなエミルハン。

 しかし、商売人はこの程度の事では引き下がらない。


「そうですなぁ、それでは、その祝福を持った御方がどちらに御座おわすのか……。非常に興味のある所でございますな。いいえ、これは私の独り言にございますよ。そこはイオニアですかなぁ? それともグランヴィア? ベルヘルムやラフォスと言う辺境と言う事は御座いますまいが……」


 どうやら蓮爾 れんじ様の顔色を伺いながら、土地や国の名前を順々に取り上げて行くつもりらしい。


「そうですか。となりますと、パルミュラか、エレトリアやメリシアと言う手も……」


 とここで、蓮爾 れんじ様の眉がピクリと動く。


 あぁぁぁ……やっちまった。

 素直だわ。

 この娘、単なる素直だわ。

 ポーカーとか勝負事には絶対に向いてねぇ人だよなぁ。

 まぁ、そう言う所も含めて、ギャップ萌えしちまうんだけど。


「ん? エレトリア……? メリシア……? ほうほう、そうでございますか、そうでございますか。えぇ、えぇ。私は何も伺ってはおりませんので、ご安心ください」


 エミルハンは何度か満足気に頷いた後で、部屋の出口の方を指差し示した。


「私の我儘にお付き合いいただき、ありがとうございます。とんだ時間を食わせてしまいましたな。もうすぐ日も昇りますれば、急ぎ港の方へと参りましょう。さぁ、どうぞこちらへ」


 俺達に先立ち、玄関口の方へと足早に向かうエミルハン。

 既に屋敷中の者たちには周知していたのだろう。

 護衛と思しき多くの兵士達が俺達の事を十重二十重に取り囲んで付いて来る。

 やがてエントランスホールに到着すると、エミルハンは玄関の外を見るようにと促して来た。


「メルフィの兵も流石にバカではございません。恐らく我らの屋敷から出入りする人馬については必ず確認を求めて来るかと存じます。そこで」


 開け放たれた玄関ドア。

 その先には、豪華な馬車が二台に、複数台の荷馬車が用意されていた。


「まずは敵の目を眩ませるため、貴族用の馬車を二台、陸路により隣国へと走らせます。恐らく敵の大半はこの二台の馬車を追いかけて行く事でしょう。その後、多少時間を置いた後、荷馬車の一つに皆様を乗せて、港の方へと向かう算段となっております」


 なるほど、俺達が高貴な身分と思っているヤツらにしてみれば、豪華な馬車こそ怪しいって訳か。

 しかし、その程度の罠で本当に騙されてくれるのか?


「もちろん、荷馬車についても敵の検閲が予想されます。そこで皆様には不本意かとは存じますが、奴隷の体で荷馬車の檻に入っていただきます。他の荷馬車には、南方大陸や近隣より集められた本物の奴隷が入っておりますので、十分な目くらましになるでしょう」


 確かに。

 荷車の上には大きなおりの様なモノがのせられていて、その中にはそれぞれ五、六名程の人間が押し込まれているようだ。


「そこで一つご相談が」


 荷馬車の様子を伺う俺の耳元で、エミルハンが小声で話しかけて来る。


「通常、奴隷の檻と言うものは、男女別々となっているモノにございます」


 まぁ、そうだろうな。


「今回、蓮爾 れんじ様をはじめとする女性の皆様には特別の檻に入っていただく予定なのでございますが、残念ながら檻の数が足りません」


 ほうほう。で、俺にどうしろと?


「と言う事で、加茂坂かもさか猊下げいかには大変申し訳ございませんが、本物の奴隷と一緒の檻に入っていただけませんでしょうか?」


 え? 俺が本物の奴隷と?


 もう一度檻の乗った荷車を見てみれば、少し小綺麗な檻が一つ。ここには誰も入っていないから、恐らくここに蓮爾 れんじ様をはじめとする女性陣を乗せるつもりなんだろう。

 その後ろに更に二台の荷車があるが、こちらの中も女性の奴隷で一杯だ。

 そして、一番最後の檻。この中には、むさ苦しい男の奴隷が十名以上すし詰め状態で放り込まれている。


 おいおいおい!

 どこからどう見てもコイツぁ過積載だろぉ。


 荷車を引く馬だかロバだかが可哀そうに思えてくる。

 恐らく、蓮爾 れんじ様たち専用の檻を確保するため、男どもが一つの檻に押し込められた感じだ。


 えぇぇぇ。マジかぁ。


 ちらりと横目で見てみれば、蓮爾 れんじ様たち女性陣一行は、少し小綺麗な荷馬車の方へと既に乗り込み始めた様だ。

 水筒や食料なんかも手渡されている様だが、どうやら俺にはそう言う『特典』すら無いらしい。


 そりゃそうか。

 そんな余計なモノを持って檻の中に入ろうものなら、他の奴隷たちとなんやかんやで揉め事に発展するかもしれねぇ。

 余計なイザコザは起こさず、空気になって港まで行くしか無ぇって訳か。 


 俺は渋々頷くと、むさ苦しい男ばかりの檻の中へと自ら入って行く事に。


 うぇぇぇ……臭ぇぇ……。

 マジで。

 いや、マジで臭ぇ。


 糞尿と汗と得体の知れないナニか。

 それらが綯交ないまぜとなった強烈な刺激臭が目と鼻をこれでもかと直撃する。


 決して檻自体が不潔とかそう言う訳でも無さそうだ。

 少なくとも檻の中に敷き詰められている藁束自体は比較的新しめだし、その辺にウ〇コが転がっている訳でも無ぇ。

 中に乗っているヤツらも死んだ様な目をしてはいるが、健康状態が悪いって訳でも無さそうだ。


 なんだよ、コイツら。

 これで普通だって言いたいのか?

 これだったら、クマ牧場の熊の檻の中の方がどんだけマシな事か。

 しっかし、ヤバいなぁ。

 俺、齢四十を過ぎて、マジに吐きそうだ。


「それでは猊下げいか、私は貴族用の馬車の方同行し、囮となって先行致します。出航までには港に参りますので。いやなに、ほんの一時間程度の辛抱にございます。船にさえ乗ってさえしまえば、後はこちらのモノ。後ほどお迎えに参ります。それでは!」


 エミルハンは過度な装飾が施された葦毛の馬に跨ると、馬車の一台を先導する位置へと駆け寄って行く。


 確かに領事館の主であるエミルハン本人が馬車の先導をするとなれば、囮としての価値は否応なしに上がると言うものだ。

 しかも、もう一台の貴族用馬車を先導するのは、煌びやかな衣装に身を固めたイケイケのエルヴァイン将軍らしい。こちらはこちらで、目立つ事この上無い。


「これより我らは、やんごとなき御方をお守りしつつ、隣国国境へと参るっ! 遅れる者はそのまま捨て置く故、死ぬ気で付いて参れっ! 開門! 開門っ!」


 エルヴァイン将軍の大音声が、夜も明けやらぬ領事館の前庭に響き渡った。

 その声に合わせて早々に開き始めた正門だったが、まだ開きかけている途中にもかかわらず、エルヴァイン将軍率いる数騎の軍馬が我先に門の外へと駆け出して行く。


 いやいや。

 遅れた者は捨て置くって……それってどうなの?

 これじゃあ馬車自体が置いてかれちまうよ。

 そんな事になったら、本末転倒じゃねぇか。


 しかし、エルヴァイン将軍の鬼気迫る先駆けは、領事館の前に屯してたメルフィの兵士達を慌てさせるには十分な効果があったようだ。

 正門が再び閉じるまでの間だけでも、既にかなりの数の騎馬兵がエルヴァイン将軍率いる馬車の後を追いかけて行った様に見える。


「よし、それでは我らも続くとしよう。我らは裏門から出るぞ!」


 今度はエミルハン宰相補率いる馬車の一団である。

 こちらは先ほどの陣容よりも重厚で、歩兵を含む一団となっていた。

 エルヴァイン将軍の様に駆け出す訳でもなく、どちらかと言えばお忍びに近い静かさで、裏門の方からしずしずと繰り出して行く。


 確かにあの陣容では、敵の方もそう簡単に手出しは出来まい。

 となると、遠巻きに様子を見ながら、本体に救援を求める事にもなるだろうし、敵を引き付けると言う意味では、非常に有効な策と言えるだろう。


 正門と裏門。

 それぞれの喧噪が落ち着いて来た頃を見計らって、俺達の出番がやって来たようだ。

 俺達の荷馬車を統括するのは、エミルハンの従者をしていた例の青年。

 もちろん、特別気炎を上げる訳でもなく、単なる荷物の運搬と言う体で、淡々と裏口の方から屋敷の外へと出て行くつもりらしい。


「檻にはむしろを掛けよ」


 青年の指示に合わせて、荷車全体に麻で雑に編まれたむしろが掛けられる。


 奴隷とは言え、犯罪者と言う訳じゃなし。

 どちらかと言えば奴隷は労働力であり、財産だと言って良いはずだ。

 となれば、市井の目にさらすのではなく、有価物として隠して運ぶのはごく普通の事だからな。しかもその一団を兵士が護衛していたとしても、何ら不思議は無いと言える。

 まぁ、現金輸送車とガードマンの様なもんだと思えば良いか。


 外が見えなくなった俺は特にする事も無い。

 やれる事はと言えば、狭い檻の中に陣取って、エミルハンの迎えを待つ事ぐらいだ。


 まぁ、さっきメシは食ったし、少し安心したら眠くなって来やがったな。

 それに、人間ってぇのはスゲェな。

 あの強烈な刺激臭にも、次第に慣れ始めている自分自身にはビックリだ。


 はぁ……折角の機会だ。

 少し休ませてもらうとしよう。


 そう思い、檻の柱に背中を預けた所で、誰かが俺の袖を引くのが分かった。


「ん? なんだよ。俺ぁ、あんまり英語得意じゃねぇから、何か聞かれても答えらんねぇぞ。それに、俺ぁ、もう眠いんだ。あんまり話し掛けるんじゃねぇよ!」


 どうせ相手は奴隷の一人だ。

 わざわざ英語で話してやる必要など無い。

 それならばいっそ、相手が分からない日本語でまくし立てた方が、相手も大人しくなるに違いない……などと言う目算は、早々に打ち砕かれる事となる。


「そうつれない事を申すな。折角同じ奴隷となった身じゃ、仲良くしようでは無いか」


 え? 日本語?


 俺は慌てて隣に座る爺ィの顔を覗き込んだ。


「ほっほっほ。もうワシの顔を忘れたのか?」


「あがっ! ……おまっ、お前はっ!」


 痩せぎすの体に、仙人の様な白い髭。

 その飄々ひょうひょうとしたたたずまいには見覚えがある。


 いや、見おぼえがあるなんてもんじゃねぇ。


 忘れたくても忘れられない。

 二度と会うものか! と誓ってから、まだ半日と経ってはいない。


「パッ! 神っ!」


「しっ! しーっ! 声がデカいのぉ。幸い神語を解する者はこの近くにおらんから良いようなものを、その名を公然と言うヤツがおるか! ほんに困ったヤツじゃのぉ」


「し、しかし……」


「そうさのぉ、皆はワシの事をいにしえの英雄、ルーカスと呼んでいるそうじゃからなぁ。この時代でもワシはこの名前で行く事に決めた。ヌシもそのつもりでいるが良い。ちなみに、ルーカスの名前の由来じゃが、アメリカの有名な映画監督の名前からもらったんじゃ。お前、知っとるか?」


「あががっ、あがっ……」


 もう、どこからどうツッコめば良いのやら。

 いやいや、だって、コイツ神様だろ?

 ここでツッコんで良いのか? 本当にツッコんで問題無いのかぁ!?


補記:ちなみにエミルハンやエルヴァイン将軍、それにこのルーカス爺さんは、姉妹小説の「プロピュライア祖父が創造主の異世界でとりあえず短期留学希望」の方にも出て参りますw あ、ちなみに奴隷の一団を率いる青年はゲオルグさんで、この方もプロピュライアの方でちょっとだけ出て来ますねw ちなみに「第264話 侵略者側の思惑」あたり前後でしょうか。その後もエルヴァイン将軍は結構活躍されてますですよ。いや、マジでw。

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