第118話 get on up(ゲロッパ)

蓮爾 れんじ様、蓮爾 れんじ様……」


「うぅぅ……ん」


 遠慮がちな俺の呼び掛けに反応し、薄紅色の唇がかすかに揺れる。


 淡いオイルランプの光に照らされた彼女の横顔。

 そこに浮かぶのは、教団を統率する司教枢機卿としての気高さではなく、それはまるで生娘の様な愛らしさとあどけなさ。


 チックショウ、マジで色っぺぇなぁ、オイ。

 周りに誰も居なきゃ、一発ぶちゅぅぅっとかましてる所なんだが。

 こんな千載一遇のチャンスに手も足も出せねぇとは。


 何しろお目当ての蓮爾 れんじ様の左右には、藍麗ランリー紅麗ホンリー二人の少女がしがみ付く様に添い寝しており、ふとベッドの下に目を向ければ、片岡のモノと思われる白い太腿が一本はみ出していた。


 まぁ、蓮爾 れんじ様に夜這よばいをかけに来た訳じゃ無ぇからな。

 ここは我慢のしどころってヤツか。

 って言うか、片岡よ……。

 お前ぇ、わざわざそんなヘンな所で寝る事ぁ無ぇだろ?

 まぁ、奴隷の身分って事で、部屋もベッドも用意してもらえなかったってぇのは想像できるが。それにしたって、それなりに部屋は広いしよぉ、窓際には簡易だが、椅子だって置いてある。せめて、そっちで寝るとかって出来なかったもんかねぇ。


「ん? あぁ……加茂坂かもさかか。どうした、何かあったか」


 訝し気な表情でベッドの下を覗き込む俺に、蓮爾 れんじ様が声をかけてきた。


「はい、お休みの所大変申し訳ございません。実は外の方で動きがありまして。御足労ではございますが、少々場所の移動をお願いしたいと考えております」


「そうか、分かった。元々お前に預けた命だ。お前の指示に従おう」

 

 床についてまだ一時間ほども経過してはいない。

 にもかかわらず、文句の一つも無く笑顔で了承してくれる度量の広さ。

 高慢こうまんちきなニアルコス大司教には、是非蓮爾 れんじ様の爪の垢でも飲んでもらいたいもんだ。


 いやまてよ……。

 もしそんな爪の垢がいただけるんなら、俺が欲しいぐらいだな。

 もちろん、本来の意味じゃなくって、どっちかっちゅぅとへき側のニュアンスでだが。


 その後、蓮爾 れんじ様の声掛けにより、他のメンバーも次々と起き出して来る。

 もちろん疲れの色は隠せないものの、ある程度メシも食ったし、短いながらも仮眠が取れたと言う事で、多少ではあるが元気を取り戻した様にも見える。


 ただ一人を除いては……だが。


「片岡ぁ……」


「はい。なんでしょう」


 良くも悪くも、俺の数倍は肉体労働をこなし、つい先ほどまで死んだ魚の様な目をしていた片岡。そんなヤツが、なぜにこうもしてやがんだ?


「お前、やけに元気そうじゃねぇか?」


「はい」


「何かあったのか?」


「はい。……あぁ、いや別に」


 ん? 何か怪しいな。


「なんだ? 言ってみろよ」


「はい」


「どうした? 言えねぇのか?」


「いいえ。そう言う訳では……」


 お? ますます怪しいぞ。


「それじゃ、どう言う訳だよ」


「いえ、ココで言って良いかどうかと思いまして」


 言って良いかどうかだと?

 コイツ、もしかして危ないクスリとかに手ぇ出したんじゃねぇだろうな?

 もしそうだとしたら、この際だからちゃんと言っとかねぇとな。


「いいよ、言えよ。その代わり正直に言えよ」


「はい」


「で、どうしたんだ?」


「はい。先程たらふくご飯を食べまして」


「あぁ……そうだな」


 いやいや、その事じゃねぇよ。

 お前ぇのこのツヤツヤ感はメシだけじゃねぇだろ?


「それで、部屋に帰って来て」


「おぉ、帰って来て?」


「一本……」


 一本だとっ! やっぱりクスリか? クスリなのかっ!?

 だから、あれほどクスリには手を出すなって言ったのにっ!


「……ヌキました」


「……え?」


 ナニ言ってんの?


「ヌキました」


「ヌイ……た?」


「はい、ヌキました」


 何回言うんだよ。


「ナニを?」


「アレを」


 即答かよっ!

 って言うか、ちょっと食い気味に即答すんなよっ!


「アレってまさか……アレか?」


「アレです」


 だから食い気味に言うなって!


「どっ、どうやって!」


「こう……こうやって……」


 やめろ、ヤメロ!

 具体的な手の形を作るのはヤメロって!

 って言うか、いじるなっ! ソコをイジルなっ!


「マジかよぉ」


「はい」


「ホントにマジか?」


「……」


 何で答えねぇんだよ。


「おい、もう一回聞くぞ。ホントに本当なのか?」


「……すみません」


 なんだよぉ、やっぱり嘘かよぉ!

 って事は、クスリだな、クスリだったんだなっ!?

 どっから持ち込んだんだ?

 まさか、この国て手に入れたのか!?


「良いよ。もうやっちまった事は仕方がねぇ。でも今度こそ本当の事言えよ」


「はい」


「で?」


「二回……」


「二回だと?」


「すみません、本当は……三回です」


「さっ、三回も!?」


「ちっ……ちょっと四回に近い五回の可能性も……」


 そっ、そんなにか!

 マジかコイツっ!


「そ、そんなにヤッて大丈夫か!?」


「はい、大丈夫です」


「マジか」


「はい、日に二、三回は普通なので」


「ちょちょっ、それじゃ体ボロボロになってるんじゃねぇか?」


「いいえ、軽イキ含めてですので、特に支障は……」


 え? 軽イキ?


「ごめん、もう一回聞くわ」


「はい」


「お前、何してたんだ?」


「はい、ヌイてました」


 やっぱ、クスリじゃなくて、ヌイてたのかよっ!


「三回も、四回も?」


「はい、六回に近い五回ぐらい」


 さっきより増えてンじゃねぇか。

 って言うか、それって六回って事だろ?


「どうやって!」


「こう……こうやって……」


 だからやめろ、ヤメロ!

 具体的な手の形を作るのはヤメロって!

 って言うか、またソコをいじるなっ! ソコをイジルなって!!


「マジかよぉ」


「はい」


「くっ! ほっ、ホントにそれだけなんだなっ!」


「はい。それだけです」


「大して寝てねぇのに、ホント大丈夫か?」


「はい。元々ショートスリーパーなので。ご飯さえいただいて、時折ヌイておけば問題ありません」


「そうか……」


 いかん、イカン。

 コイツがまともな人間だと思ってた俺がバカだった。

 マシーンだ、コイツは人の皮を被ったセックスマシーンに違いねぇ。

 ホント、マジでJ・ブラウンに詫びて来いっ!

 ゲロッパ!!


「おや、皆様お揃いの様ですな」


 俺が片岡の暴挙に頭を抱えている最中、エミルハンが何人かの従者を引き連れて部屋へと入って来た。


「あぁいや、エミルハン殿。早々に来ていただいて申し訳ないが、御覧の通り蓮爾 れんじ様にはお目覚めいただいたばかりの所でな、まだ状況を説明出来ておらんのだ」


 俺の申し訳無さそうな言い草を、エミルハンは柔和な微笑みで受け流す。


「承知しております。突然の事でございますので、準備が整うにしても時間が掛かるのは致し方の無い事。ただし、コトは急を要しますれば、ここは私の方からご説明申し上げましょう」


 そう言うが早いか、エミルハンは落ち着いた声で話始めた。

 蓮爾 れんじ様たちが休まれた後メルフィ軍が来た事、更にこのままこの屋敷に留まっていては危険である事、そして次善の策ではあるが輸送船を使って隣国、もしくはエミルハンの祖国であるベルガモン王国への亡命を推奨する事などについての説明がなされた。


 一国の宰相補と言う立場は、伊達では無いのだろう。

 藍麗ランリーちゃんや、紅麗ホンリーちゃんからの質問に対しても卒なくこなし、全くと言って良いほど疑念を抱かせる事が無い。


「うむ、承知した。此度はエミルハン殿や加茂坂かもさかの進言を受け入れるとしよう」


 周囲の皆が納得した様子を受け、最終的に蓮爾 れんじ様がそう宣言する。


「しかしだ、商人への白手形ほど恐ろしいモノは無いと言うからな。今現在エミルハン殿の庇護下にある私がこの様な事を言うのもおこがましいが、私に何か出来る事があるなら申してみよ」


 そんな蓮爾 れんじ様からの言葉に、エミルハンはひざまずきながらも恭しく頭を垂れてみせる。


 一国の宰相補であるエミルハンがこんな簡単に膝を付くなんて。

 やっぱり蓮爾 れんじ様の風格と高貴なオーラは、成り上がり司教の俺なんかとは次元が違うぜ。


「次期大司教の呼び声も高いレンジ猊下げいか。そんな至高の御方よりこの様にお声を掛けていただける事自体、誠に畏れ多き事にございます。ただ、急場しのぎとは言え我らの領事館へお越しいただいたのも何かの縁、はたまた神の思し召しかとは存じます。もしお許しいただけるのであれば、一つだけお伺いしたい事が……」


「うむ。申してみよ」


「風の噂によりますと、数十年ぶり、いや場合によっては数百年ぶりにアナスタシア神の祝福を持つ方が現れたとか。しかも、その御力によりパルテニオス神の司教位が命を救われたと聞き及びました。実は我が王国にもぜひその御力に縋りたき者がおりまして……」


「……」


 エミルハンからの問い掛けに、蓮爾 れんじ様は無言で考え込み始める。


 あぁ、そいつぁアイスキュロスの事だな。

 確か、太陽神殿から来た……えぇっと誰だったか。

 リー……リーティア、あぁ、そうそう。リーティア司教様だ。

 金髪の美しい少女だったっけ。

 まさか、あん時の少女がこんな所で繋がって来るなんて。


 全ての怪我や病気を治癒出来る、医学の神アナスタシア神の祝福を持つ少女。

 確かに全世界の常識を覆す恐るべき力だと感じたのは、今でも良く覚えてる。

 特に一国の宰相補ともなれば、その力を使って助けたい命はいくらでも居るだろう。

 それは国の重要な実力者か、それとも王族の誰かかもしれねぇ。

 場合によっちゃあ、エミルハンの親族と言う事だってありうる。

 どれだけ権力を持とうが、金銀財宝を持っていようが、所詮、ケガと健康だけはどうにもならねぇからな。

 そうか、エミルハンが欲しかったのは、俺達との商売なんて言うチンケな利益じゃなくって、アナスタシア神の祝福を持つあの少女との関係だったと言う訳か。


 そう考えれば、色々な事に合点が行く。

 もともとベルガモン王国の正教は、商売の神であるクリストフォロス神だと聞いた。

 にもかかわらず、そんな異教の信徒が遠路はるばるこのパルテニオス神の神殿へと出向き、わざわざ陳情に並ぶと言うのがどうにも解せなかったんだが、なるほどな。

 って事は、あの陳情客のうちの何人かは、アイスキュロスの噂を聞いて集まって来たヤツらだと言う可能性もある訳だ。


「エミルハンよ」


 ようやく蓮爾 れんじ様が口を開いた。


「その件についてだが、私は神との誓約により一切口外する事が出来ぬ。許せ」


 え? 蓮爾 れんじ様、マジですか。

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