第117話 固い握手の裏で

猊下げいか……カモサカ猊下げいか?」


「あっ? あぁ……」


 ふと気付けば、目の前には心配そうに俺の様子をうかがうエミルハンの姿が。

 どうやら気が動転して、我を忘れてしまっていたようだ。


「どうされましたかな? カモサカ猊下げいか。あまり顔色がよろしくない様ですが」


「ん? あぁ、いや、別に大したことではないんだ。心配させてすまなかったな。少々飲み過ぎた所為だろう……」


 俺に向けられるエミルハンの穏やかな瞳。

 しかし今の俺にはそれが、俺達の事をおとしいれようとする欺瞞ぎまんに満ちた罠としか感じられない。

 それは単なる俺の思い過ごしで、狭量きょうりょうなアラフォー男の被害妄想でしかないのだろうか?


 そうだな。

 これは思い過ごしさ。

 いや、思い過しであってほしい。


「そうでございましたか。このエミルハン、不躾ぶしつけにも猊下げいかにご無理をさせてしまいました様ですな。今日の所はこの辺りでお開きと致しましょう。別室をご用意致しましたので、そちらでお休み下さい。それに……」


 エミルハンはさも申し訳無さそうな表情で、従者の方へと視線を向ける。


「実はこんな時刻にもかかわらず、来客の知らせがありましてな、ご無礼かとは存じましたが、猊下げいかには中座のご許可をいただこうと思っていた所なのですよ」


「来客……ですか」


 自分達の事は棚に上げ、俺は思わずその事について聞き返してしまう。


「はい、恐らくはメルフィの兵士たちが火災の影響などを確認しているので御座いましょう。しかしご安心下さいませ。先にも申し上げました通り、この敷地内は治外法権が約束されております。しかもこの屋敷はベルガモン本国より招集した精鋭が守っておりますれば、メルフィの雑兵ごときに、万が一にも遅れを取る事などございません」


「そ、そうですか、それは大変心強い」


「ははは、それでは大船にのったつもりで、ごゆるりとお休み下さいませ」


 エミルハンはそれだけを言い残すと、俺の事は従者の一人に委ね、ゆったりとした足取りで部屋を出て行ってしまった。


「ふぅ……」


 俺は小さな溜息ためいきとともにソファーの背にもたれかかると、そっと目を閉じた。


 エミルハンは……どうやら信用出来そうだ。

 少なくとも、商談がまとまるまでは俺達を手放す事は無いだろう。

 来客の件だって、全く隠そうともしなかったし。

 メルフィや教団に対しては、当面知らぬ存ぜぬを貫く感じか?

 そうやって時間を稼いでいるうちに、俺たちから有利な交渉条件を引き出そうって魂胆だな。

 まぁ、それはそれで有難いっちゃあ、ありがたい話だが。


「しかしなぁ……」


 そうは言っても一抹の不安は残る。

 あんな風に言っておきながら、あっさりと裏切る可能性だって無くはない。


 やっぱり、確かめる必要があるな……。


 俺はソファーに深く腰掛けたままの格好で、片手を上げて入り口付近で控えていた従者を呼び寄せた。


「あぁ、キミキミ」


「はい、猊下げいか。お部屋の方へご案内致しますか?」


「あぁ、いや。そんな事より、実はキミにお願いしたい事があってね」


「はい、どの様な事でございましょうか?」


 俺の目の前でひざまずき、うやうやしくお辞儀を披露する一人の青年。


 青年とは言っても、歳の頃で言えば三十代半ばぐらいか。

 既に良い大人だと言って良い。

 着ているモノは簡素な造りのトゥニカと呼ばれるチュニックだけだが、決してみすぼらしいものでは無い。

 ダークブラウンの髪にヘーゼルの瞳。

 朴訥ぼくとつとした雰囲気は、至極まじめな田舎者と言った感じだ。


「うむ、実はな。この屋敷に来た際に、この魔道具と同じ物をどうやら庭園の中に落としてしまったらしいんだ」


「えっ!? 魔道具でございますかっ!」


 俺が拳銃を指し示しながら青年に説明をすると、彼は血相を変えて驚きの声を上げる。

 やはり一般の人間にしてみれば、魔道具と言う言葉だけでもかなりのインパクトがあるようだ。


「しっ、しー! 声が高いよ、キミぃ」


「たっ、大変申し訳ございません。でもっ、そっ、それは一大事ではありませんか。直ぐに衛兵へと連絡し、庭園内を虱潰しらみつぶしに捜索して……」


「あぁいやいや、待ちたまえ。この事は教団の機密に関わる事でもあるし、もし紛失と言う事にでもなれば、キミ達の主人にもそれなりのるいが及ぶ事になるだろう」


 ――ゴクリ


 緊張のあまり、固唾かたずをのみ込む従者の青年。


「そこで相談なんだがね。ぜひキミにこの魔道具を探し出してもらいたいのだよ。もちろん、内密にね」


「わっ、私がでございますかっ?!」


「あぁ、そうだ。是非キミにお願いしたい。何しろキミはあの英邁えいまいなエミルハン殿に見込まれるほどの若者だ。しかも、司教である私と対等に話が出来るほど、神語にも精通している。それにだねぇ……」


 俺は青年の手を取り上げ、まるで祈るような仕草で優しく包み込む。


「どうやらキミには類稀たぐいまれなる魔法の才がある様なんだよ」


「わっ、私に魔法の才がですかっ!?」


「あぁ、そうだよ。教団の司教である私が言うのだから間違いは無い。もしキミが、この大役をやり遂げて、そしてキミが望むのであれば、我が教団はそれ相応の地位と待遇を約束しようじゃないか」


「ほっ、本当でございますかっ!」


「あぁ、本当だ。教団幹部の私に二言は無い」


 明らかな興奮状態の青年を後目しりめに、俺はさも当然とばかりにうなずいてみせる。


 うんうん。

 いいね、いいねぇ。

 純朴な若者って、ホント良いよねぇ。


「あっ、ああっ! ありがとうございます! わかりましたっ、わたくしがこの身命に掛けて猊下げいかの魔道具を探し出して御覧に入れます!」


「あぁ、頼んだよ。魔道具と言うモノはとても貴重な上に、魔力を持つ者にしか取り扱う事が出来ないと言う困った代物だ。つまり、この屋敷においては、キミにしか頼む事が出来ないと言う訳なのだよ。しかも、他の誰かに知られれば、奪われてしまう可能性だって当然ありうる話だからね。この事は決して他の誰にも話してはいけないよ」


「かっ、畏まりました。それでは早速探してまいりますが、大体どのあたりかの見当はございますでしょうか?」


「あぁ、ある。あるぞぉ。これも恐らくキミにしか見えないだろうが、西側の庭園の奥に、両手を広げた人が二人並んだほどの幅で、塀の色が変わっている箇所がある。恐らくその近くに魔道具が落ちているはずだ。さぁ、急げ青年よ。他の誰かの手によって持ち去られる前に必ず見つけ出すのだ。そして、キミの輝かしい未来をその手に掴むが良いっ!」


「はっ、はいっ! ありがとうございますっ! 行ってまいりますっ!」


 頬を紅潮させ、勢いよく部屋を後にする従者の青年。

 その後ろ姿を見送りながら、俺はニンマリとした笑みを浮かべてみせる。


 うん……。

 純粋は純粋でも、純粋なバカは扱いが簡単だな。

 しっかし、俺もあくどいよなぁ。

 あんな純朴な若者を罠にハメるなんてなぁ。

 これじゃあまるで、ウチのニアルコス大司教とやってる事が大して変わらんな。

 ホント、人間歳を取るといらぬ知恵が付いて困る。


 俺は彼の足音が十分に聞こえなくなった事を確認してから、そっと部屋を抜け出して行く。

 行き先はもちろん、エントランスホールだ。


 俺のいた『饗応の間』は、玄関からさして遠くは無かったように記憶している。

 それはそうだろう。

 外部から来た賓客をもてなすのに、わざわざ玄関から遠い場所に『饗応の間』を設けるはずが無い。


 人の気配の無い通路を、俺は足音を忍ばせながら慎重に進んで行く。

 幸いな事に廊下の辻々には小さなオイルランプが置かれていて、歩くのに困る事は殆どない。

 そして、周囲を警戒しながら二つ目の角を曲がった所で、ようやく目的の場所にたどり着く事が出来たようだ。


 向こうで何か話声が聞こえる。


 俺は廊下の角に置かれた植木鉢の後ろに身を隠すと、廊下の先にあるエントランスホールの様子を伺い始めた。


「なるほど、なるほど。話しは十分に理解した。しかし、誠に残念ながら、其方の話にあるような不審人物が当屋敷内に入り込んだと言う報告は受けておらん。もし急ぎであるならば、早々に他の屋敷を当たられたがよろしかろう」


 お、この声はエミルハン殿だ。


「その様な事を申されて本当に大丈夫ですかな? 一度吐いた言葉は二度と口には戻りませぬぞ。なにせ我らメルフィ正規軍には、少々手荒な者も多くおりますれば……」


 コイツが来客の代表か、やっぱりメルフィ正規軍の様だな。


「ほほぉ……それは一体どう言う意味であろうか? まさか、当領事館に力尽くで押し入ると申されるか? できるものならやってみるが良い! 一人残らず返り討ちにしてくれようぞっ!」


 よしよし、良いぞ、良いぞぉ!

 この横から割って入って来たイケイケのオッサンは、エルヴァイン将軍だな。

 流石、飲み会の席上で自分の武勇伝を語り倒してただけの事はある。


「まぁまぁ、皆一旦落ち着こうではありませんか。この様な些事些末さじさまつな事柄により、これまでつちかわれて来た両国間の信頼関係に影を落とすは愚の骨頂と言うもの。如何かな。どうしても私と話がしたいと申されるのであれば、ここは外務担当者を通じて正式にご依頼いただくと言うのが筋ではござらぬか?」


「ぐぬぅ! そうまで申されるのであれば是非もなし。確かにエミルハン殿のお言葉は承った。明朝、改めて出直して参るゆえ、そのつもりで。では失礼するっ!」


 ふぅ……どうやら上手く追い返してくれた様だな。

 やっぱり思った通りだ。

 どうやら俺達はメルフィの国軍からも追われていたらしい。

 メルフィの王城へ逃げ込まなくてホント正解だったぜぇ。


 俺はエントランスホールが安堵の雰囲気に包まれ始めたのを感じ取った所で、いま来た通路を足早に戻り始めた。


 流石に盗み聞きしていた事がバレる訳には行かねぇからな。


 そして、何事も無かったかのように元の部屋に戻ると、そこには例の従者の姿が。


「あっ! カモサカ猊下げいか! どちらに行っておられたのですか? 心配致しました!」


「あぁ、いやなに。ちょっとかわやを探しになぁ……」


 あっぶねぇ!

 従者の野郎、意外と早めに切り上げて来やがったなぁ。

 俺からの密命って事で、もう少し時間が稼げると思っていたんだが。 

 ホント、これだから今時の若いヤツは辛根性が足りねぇって言われるんだぜ。


「あぁ、大変申し訳ございません。私の説明不足によりご迷惑をお掛けしました。何卒ご容赦願います」


「いやなに、気にする事はない。そ、そんな事より、例の件はどうなったかな?」


「はい、ご教示いただきました通り、確かに西側の庭園奥には壁の色が変わった箇所が御座いました。しかし、残念ながらその周囲は当家の衛兵により立ち入り禁止の区画として既に包囲されておりましたものですから、私の力では如何ともしがたく、早々に立ち戻った次第にございます。カモサカ猊下げいかには何と申し上げて良いやら、本当に、本当に申し訳ございません!」


 深く頭を垂れながら、何度も謝罪の言葉を口にする従者の青年。


 そうか、あの辺りはいま、そんな状態になってやがったのか

 これは想定外だったぜ。


「おやおや、どうされましたか? 私の従者が何か無作法でも?」


 俺がどうやってこの場を収めようかと思案している所に、ちょうどエミルハンが戻って来た。


「いやなに、私がやれ飲み物が欲しいだの、厠に行きたいだのと我儘を言っていただけの事、従者殿には何の落ち度もございませんのでご安心下され。それよりもエミルハン殿、来客の方は如何でしたかな?」


 俺はエミルハンへ話を振る事で従者の件をウヤムヤにしつつも、エミルハン本人の反応を伺う事に。


 まさに一石二鳥。

 我ながらナイスアイデアだ。


「そうでございましたか。従者の方へは今後も何なりとお申し付け下さいませ。それから、来客の件ですが……」


 ここでエミルハンはそっと俺の耳元へ顔を寄せて来る。


「相手はやはりメルフィの国軍でございました。当初は近隣の火事について聞き込みを……との事だった様なのですが、その内に不審者が屋敷内に紛れ込んでいるのではないか? との話になりまして。しかも、そんな不躾な事を申すものですから、当家のエルヴァイン将軍が怒りだしましてなぁ。一触即発、あのままでは一悶着ひともんちゃくある所でございました。いやはや、カモサカ猊下げいかにもお見せしたかった、わっはっはっは!」


 いやいや、俺その現場に居たからね。

 ちゃんとエルヴァイン将軍が暴れてる所も聞いてるし。


 どうやらエミルハンの言っている事に噓偽りは無い様だ。

 明日からの交渉次第でどう転ぶかはわかりゃしねぇが、当面は俺達の味方って事で間違いは無さそうだ。


 俺は高笑いするエミルハンを横目で見ながら、心底安堵のため息を付いた。


「とは言え……でございます」


「とは言え?」


「はい、此度は大人しく帰らせる事に成功しましたが、恐らく明朝、正式な使者を立ててもう一度やって来るのは必定。そうなれば、当方としましても、屋敷内にメルフィの使節団を招き入れぬ訳にも参りません」


「それは困るな」


「えぇ、そうなのです。広大な土地を持つ領事館とは言え、屋敷自体はそう大きな建物では御座いません。ましてや、何らかの理由で猊下げいからの事が露見した場合、この平城ひらじろの様な領事館では、流石にメルフィの国軍を迎え撃つには、少々荷が重うございます」


「そ、それで?」


「ここは一旦、姿を隠すのが上策かと」


「しかし、姿を隠すと言っても、一体どこへ? エミルハン殿は何か良い方策をお持ちであろうか?」


「えぇ、もちろん」


 なにやら自慢げな笑みを浮かべるエミルハン。


 この領事館内にどれ程の兵が居るのかは知らんが、流石にこの国の軍隊と真っ向勝負する訳には行くまい。

 となれば、ここはエミルハンの策に頼るしかねぇ。


「して、その方策とは?」


「はい、我らはもとより交易を生業なりわいとする国家にございます。もちろん陸路による交易も頻繁ひんぱんに行っておりますが、実は船による海上輸送が交易の大半を占めているのでございます。事実、メルフィの港には我が国の高速輸送船が数多く停泊しておりましてな。例えばそのうちの一艘に紛れ込み、とりあえず隣国にまで移動してしまえば、メルフィ国軍と言えども追って来る事など出来ますまい。後は洋上にて釣りを楽しむも良し、ご希望であれば、我が国へお越しいただくも良し……」


「な、なるほどぉ」


「もし我が国へお越しいただけると言う事であれば、ちょうどこの国での仕事がひと段落付いた所ゆえ、私もお供させていただく所存にございます」


「そ、それは心強い」


 これは正に『渡りに船』ってヤツじゃねぇのか?

 最初はこの国のどこかに潜伏するつもりだったが、国軍が相手となれば、どうしたってジリ貧になるのは明白だ。

 この後、ほとぼりが冷めるまでどのぐらい時間が掛かるかなんて、分かったもんじゃねぇからな。確かにエミルハンの言う通り、一旦、彼らの国に亡命するって言うのも手っちゃあ、手だわな。

 って言うか、それ以外に上手い方法なんて思いつかねぇし。


 えぇい! ままよっ!

 ココが勝負時に違いねぇ!


「エミルハン殿。もしよろしければ、その方策にてお願いしたいのだが?」


「えぇ、もちろんでございます。後の事はこのエミルハンに全てお任せ下され。決して悪いようには致しませぬ。商いは双方ともに利があってこその商いにございます。つまり、カモサカ猊下げいかの利こそが、私の利なのでございます」


「そ、そうか。それでは、よろしく頼む。エミルハン殿」


 エミルハンがトガの間から差し出す右手を、俺は力強く握り返した。

 そんな二人で交わした固い握手の中には、表面上の友好の気持ちはもちろんの事、その裏ではドロドロとした打算と思惑までもが握り込まれているに違いなかった。

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