第112話 Burn them all《全部燃やしてしまえ》

「ここは……どの辺りだ?」


 崖に作られた曲がりくねった階段をようやく下りきると、そこはいくつもの空き家が並び立つ、うらぶれた倉庫街のような場所であった。

 周囲を見渡してみれば、どの建物からも人の気配は全く感じられず、今もなお丘の上で繰り広げられているであろう狂騒がまるで嘘のように静まり返っているだけ。


「どうやらココは街の北の外れ……って所かな」


 建物と建物の間からは、空に輝く星々と漆黒しっこくやみとが一直線に交わる場所が見える。


 ありゃ水平線だなぁ。

 となると、向こう側が海って事になるが……。


 丘の上に微かに見える建物の影や、ポツリ、ポツリと灯る街の明かりなんかを考慮すれば、おのずとココは街の北側と言う判断で間違いは無いと思う。


 俺は暗闇の中、数件の戸口へと近付き、ドアノブの付近にそっと触れてみる。

 指先に感じるのは、堆積して固まったホコリの感触。


 かなり長い間使ってないな……。

 

 朽ち果てた窓から建物の中を覗き込んでみても、そこにはガランとした空間が広がるだけで、特に人が暮らしているような気配はない。


 よし。

 良い感じだ。


 街の中心地からもそう遠くは離れておらず、状況を探りつつ身を隠すには最適の場所と言えるだろう。

 朝になれば流石に人の往来もあるにはあるだろうが、それは仕方あるまい。

 このまま森の中で一夜を過ごすよりはよほど良い。


 なにしろ蓮爾 れんじ様や、藍麗ランリー紅麗ホンリーの二人は既に疲労困憊ひろうこんぱいの様子で、これ以上移動を続ける事自体が難しい状態だ。


 俺は適当な窓から建物の中へ侵入すると、戸口のかんぬきを取り外し、外で待機していた皆を中へと招き入れた。


「どうやらここは長い間使われていない建物のようです。まずはここで身を潜め、夜が明けるのを待ちましょう。朝になれば、もう少し情勢も落ち着いて来るかと思われます」


 とは言ってみたものの。

 情勢が落ち着いたからと言って、実際問題どうなるものでも無いのだが……。


 まず第一に、俺達は例のエロ大好きアゲロスの兵士たちに追われている。


 まぁ、そりゃ、そうなるわな。


 あれだけの司教連中や兵士達を殺した蓮爾 れんじ様は言わずもがな。

 アゲロスは本国の大司教であるヴェニゼロスと繋がっていた訳だから、ニアルコス派だと思われている俺も狙われて当然ではある。


 とは言えだ。

 兵士達全員が蓮爾 れんじ様や俺の顔を知っている訳じゃねぇ。

 何なら、人混みに紛れてしまえば、ヤツらだってそう簡単に俺達を見つけ出す事なんて出来やしねぇだろう。

 この問題については、当面の間、街中に潜伏する事で片は付く。


 では第二の問題。

 どうやって、日本へ帰るのか?


 これは難しい。


 俺達がココへとやって来たのは、神殿内にある特異門ゲートと呼ばれる場所からだ。

 どうやらこれが、例の国民的アニメに登場する便利道具よろしく、俺達の日本とこの世界を繋いでいるモノらしい。

 それじゃあ、この特異門ゲートって所に行けば良いじゃねぇか。

 って話になるんだが、事はそう簡単には進まねぇだろう。


 俺達がそれを狙ってるなんて事ぁ本国の大司教であるヴェニゼロスや、場合によっちゃあエロ大好きアゲロスだって分かってるはずだ。

 絶対出入口に兵士を置いて、俺達が現れるのを手ぐすね引いて待ってるに違いねぇ。


 これじゃあ、迂闊うかつに近寄る事すら出来やしねぇだろう。


 唯一勝機があるとすりゃあ、東京教区のニアルコスが乗り込んで来て、ヴェニゼロス派を一掃し、クーデターを完遂させるって流れだが。


 ……でもなぁ。


 俺は腕を組んで更に頭をひねる。


 正直な所。

 俺はニアルコスを信じちゃいねぇ。

 今回の件だってそうだ。

 あれは、完全に蓮爾 れんじ様を捨て駒にしたに違いねぇ。


 考えてもみろ。

 クーデターはクーデターでも、ニアルコスが起こしたクーデターだとした場合、ヴェニゼロス派の信者たちからニアルコス本人が非難されるのは目に見えている。

 なにしろ、司教連中は減ったとは言え、ヴェニゼロス派のヤツラはまだ教団内に大勢いるんだからな。

 そいつらが大合唱でニアルコスの非を訴えりゃあ、教団はそれこそ真っ二つだ。


 そこで考えられるのは、今回のクーデターを蓮爾 れんじ様の単独犯に仕立て上げるって筋書だな。

 そうなりゃ、悪ぃのは全部蓮爾 れんじ様ただ一人って事になるし、ニアルコスはヴェニゼロス派のヤツラもひっくるめて、全員取り込めるって寸法だ。

 正に、明智光秀を討ち取った秀吉ひできちの立場になれるって訳だよなぁ。


 いやいや、待てまて。

 これは全て俺一人の想像でしかない。

 単なるサスペンスドラマの見過ぎって事もあるだろうし。

 やはりもっと情報が必要だ。


 とりあえず教団については、面がほとんど割れてねぇ片岡に探らせればよいだろう。

 そんでもって、藍麗ランリーちゃんや、紅麗ホンリーちゃんには悪ぃが、二人にも町の様子なんかを探ってもらわねぇとだよな。


 しっかし、逃げる前にヴェニゼロスとペイディアスの二人は始末しておくべきだったか?


 いやしかし、それは出来ねぇ相談だ。

 何しろあの二人を助けたのは、例の爺ィの神様だったんだからな。

 すくなくとも、あの時点で爺ィの心象を悪くする訳には行かねぇし……。


 ――ぐぅぅぅ……きゅるるるぅぅぅ


 とここで、聞きなれない不協和音の調べが、俺の思考の邪魔をする。


「片岡ぁ……」


「……はい」


「お前ぇの腹ん中にはさぁ……」


「……はい」


「小学生のバイオリニストか何んかが住んでんのか?」


「……」


「もしさぁ……」


「……はい」


「住んでんならさぁ……」


「……はい」


「夜中に練習すんなって、伝えてくれよ……」


「……はい、わかりました」


 とは言ったものの。

 理系で体力バカの片岡は、昔のアメ車以上に燃費が悪い。

 イザとなった時に働いてもらう為には、コイツにゃある程度喰わせておく必要があるんだよなぁ。


 俺は少ししょげている片岡の頭をワシャワシャと撫でると、戸口の方へと向かって歩き出した。


「おい、片岡」


「はい」


「俺ぁ、これから何か喰いモン探して来るわ。その間、皆の事は頼んだぞ」


「あっ、でも加茂坂かもさかさん、それなら私が……」


 そう言いながら立ち上がろうとする片岡を、俺は片手で制した。


「いや、ただでさえ腹が減ってるお前にそんな事はさせらんねぇし。それに、何かあった時に、皆を守れるのは、俺よりお前の方が適任だ。コイツぁ命令だ。今回は大人しくココで待っとけ」


 俺は小さくうなずく片岡に向かって軽く手を上げると、戸口近くの壁に身を寄せて外の様子を伺い始めた。


 どうやら外に人の気配は無さそうだ。

 後はっと……一応確認だけはしておくか。


 俺は懐の奥にしまってあった手袋をはめると、そっと戸口の周辺にかざして見る。

 すると、手袋の軌跡に合わせて、淡い残光が浮かび上がったではないか。


「チッ! マズいぞ片岡ッ! 藍麗ランリーちゃんと紅麗ホンリーちゃんを起こせっ!」


 よほど疲れていたんだろう。

 幼い二人は蓮爾 れんじ様にもたれ掛かって、愛らしい寝息を立てている。


 しかし、背に腹は替えられねぇ。


 幼女とは言え、二人とも蓮爾 れんじ様が認めた能力者で、貴重な戦力である事に違い無いのだ。


加茂坂かもさか、ここは私がっ!」


 蓮爾 れんじ様が立ち上がろうとするのを、俺は真剣な眼差しで制した。


蓮爾 れんじ様は手出し無用に存じます。なにしろ蓮爾 れんじ様が力を発動させた場合、例の神様がまたしゃしゃり出て来る可能性が非常に高い。あれだけココで力を使うなと言われていたのにまた使ったとあっちゃあ、流石に言い訳が出来ませんからね。それに……」


 俺は蓮爾 れんじ様の手をとって、彼女の目の前でそっとひざまく。


蓮爾 れんじ様はついさきほど魔力の殆どを使い果しておられます。正直な所、まだ魔力は回復していないのではございませんか? もしこの状態で無理をされては、必ずやお体に障る事にもなりましょう。ここは護衛であるこの加茂坂かもさかにお任せいただけないでしょうか? 必ずや、この加茂坂かもさか蓮爾 れんじ様をお守りいたします。ですから、このままココで心安らかに、お待ちいただければと存じます」


「かっ、加茂坂かもさか……」


 吐息交じりの彼女の声。


蓮爾 れんじ様……」


 俺は半ば懇願するかのような表情で、蓮爾 れんじ様の手を自らの額へと押しいただこうとした……のだが。


 ――カチ


 こめかみに感じる、冷たい感触。


 ……冷たい……感触?


 ……冷たい?


「って、またかよっ! 片岡っ! なんで俺のこめかみに、Glockがあたってんだよっ!?」


「いえ、なんとなく」


「なんとなくで、銃口を人に向けんなよ!」


「大丈夫です。イザとなったら、二発撃ちますから」


「いやいやいや、何が大丈夫なのかわかんねぇよ!」


「大丈夫ですって、天丼てんどん※ですから」


「天丼かよっ! この緊迫した状況でお前っ、天丼ブッコんで来んのかよっ!」


「いや、この緊迫した状況にもかかわらず、ほんのりエロいシチュエーションをガッツリ挟んで来る加茂坂かもさかさんに言われたくないです」


「そっ……そうか」


「えぇ……そうです」


 なぁんて、片岡とどうでも良い問答をしてる間に、未だ寝ぼけ眼の紅麗ホンリーちゃんの横から、既に臨戦態勢へと移行済の藍麗ランリーちゃんが起き上がって来た。


加茂坂かもさか様、敵……ですね。この魔力の濃淡からすると……まだ囲まれてはいないように思います。恐らく、私たちの事を探しているのでしょう」


「探すって……ヤツらはどうやって俺達の事を探せるんだ?」


「魔力の乱れを探しているのだと思います。恐らく敵は蓮爾 れんじ様や加茂坂かもさか様が司教位である事を知っていて、何らかの反撃の際に起こるであろう、魔力反応を感知しようとしているのでしょう。結界を張るのではなく、感知するだけであれば、薄く広く魔力を広げるだけですので、比較的低位の神官でも対応する事が出来ますから」


「なるほど。しっかし、低位とは言え神官が出て来るって事ぁ、完全に教団も敵に回ったって事か。となればなおの事、こっちは魔力は使っちゃならねぇって訳だよな」


「えぇ、そうなると……思います」


 そう告げる藍麗ランリーちゃんの表情に、幾ばくかの悔しさのようなものが垣間見える。

 それはそうだろう。

 これまで教団に仕え、蓮爾 れんじ様に仕えて来た藍麗ランリーちゃんとしては、いくら覚悟をしていたとは言え、自分の身内から裏切者とのそしりを受けているのとほぼ同義だ。

 流石にこれでは居たたまれまい。


 俺は片膝をついたままの格好で、今度は藍麗ランリーちゃんを自分の胸へと抱き寄せた。


「大丈夫だ、安心しな藍麗ランリーちゃんよぉ。あんなヤツらなんざ気にする事ぁねぇ。俺達が真に仕えるべき主は蓮爾 れんじ様ただお一人さ。それに、蓮爾 れんじ様はニアルコス大司教の指示に従ったまでの事。少なくとも東京の教団は俺達の味方だよ」


 そんな俺の慰めに、胸の中の藍麗ランリーちゃんが、小さくうなずいているのが分かる。


 とは言え、今の状況を見る限り、東京のニアルコス大司教も限りなくに近ぇんだけどなぁ……。


加茂坂かもさか様は、お優しいのですね」


「まっ、まぁな! おっ、俺の事ぁどうでも良いとしてよぉ。それより今後どうするかの方が問題だよな。正直、今時点でヤツらに俺達の居場所が知られてねぇならチャンスだ。だったらこのままココでジッとしてるってぇのが得策って事じゃねぇのか? しかし待てよぉ。完全に包囲されちまって結界が張られちまっちゃあ、折角の藍麗ランリーちゃん達の能力も使えねぇって事だよなぁ。かぁぁ、痛しかゆしって所か」


 今直ぐ逃げるか。

 それとも、このまま敵をやり過ごすか……。


 いや、今は動くべきじゃねぇ。

 下手に動いて追いかけまわされるぐらいなら、今の内に休めるだけ休んでおいた方が良いに決まってる。

 今は少しでも時間を稼ぐべきだ。

 

「よし、このままやり過ごす事にしよう。どうせ戸口にはかんぬきが掛かっててヤツらは入って来れねぇんだ。後は出来るだけ窓側の死角になる場所へと移動しておけば、簡単に見つかる事もねぇはずさ。それから片岡、今はGlockも無しだ。銃声が響けばヤツラをおびき寄せかねねぇからな」


 そんな俺の言葉に、一同全員が小さくうなずき返してくれる。


 ――カシャ……カシャ……


 それから暫くもしないうちに、窓の外から金属のこすれ合うような音が聞こえ始めた。

 ソフロニアの手袋を軽く振ってみても、魔力の濃度に大きな変化は見受けられない。

 と言う事は、近付いて来たのは神官や魔導士と呼ばれる能力者ではなく、巡回する兵士達か何かか?


 ――ガッシャ……ガッシャ……ガッシャ……


 だんだんと大きくなる音。

 一人か? 二人か?

 扉の無い窓からは篝火かがりびのようなオレンジ色の光が差し込み始める。

 少なくとも数人単位のグループで間違いないようだ。


『お前は向こうの建物から始めろ。お前とお前は、その奥の建物だ。どうせ燃えそうなモノなど大して残されてはいないだろうが、天井やドアぐらいなら簡単に燃えるはずだ。Burn them all全部燃やしてしまえ!』


 窓の外から聞こえて来たのは、日本語では無く英語だった。

 そう言えば、この国に来てから普通に日本語が通じるもんだから、あまり気にして無かったが、こっちの公用語は英語だって紅麗ホンリーちゃんが言ってたっけ。


 職業柄、俺も日常会話ぐらいであれば十分聞き取る事ができる。

 俺の話す英語は所詮、日本語英語って感じだが、片岡の話す英語は完全にネイティブで、理系にもかかわらず、英語を含む数ケ国語に堪能らしい。

 まぁ、元々帰国子女らしいからな。

 当然と言えば当然か?


 いやいやいや、問題はそこじゃなくてだなっ!

 Burn them all全部燃やしてしまえだと?

 この辺りの建物を全部燃やすって言ってんのか?


 俺は危険を承知で、窓からそっと顔を覗かせてみる。

 すると、数人の兵士達が手に手に松明を持って、周囲に散らばって行く様子が見て取れた。


 ヤベェな。

 まさか本気で火を放つとは思わなかったぜ。


 俺は部屋の中をもう一度見回す事で、今更ながらにのがれられそうな場所を探し求める。しかし、見えるのはかんぬきの掛かった戸口とその両側に窓が二つだけ。

 勝手口のようなモノは見当たらず、天井は腐りかけた丸太状のハリが数本残すのみ。


 駄目だっ。

 正面の入り口を押えられたら、もう逃げ場がねぇ。

 どうする? どうするっ!?


 オロオロしているうちに、窓から差し込む光が、次第に強く、大きくなって行くのが分かった。

 さっきの兵士がこの建物へと近付いて来ている証拠だ。


 頼むっ! 頼むから、この建物だけは見逃してくれっ!


 そんな俺の願いも空しく。

 突然一人の兵士が部屋の中を覗き込んで来やがったのさ!


「ひっ!」


 思わず声を上げそうになる紅麗ホンリーちゃん。

 俺は彼女の口元を慌てて塞ぐと、そのまま背後へと押し込める。


『ん? 誰か居るのか? おいっ、居るんだったら出て来いっ!』



補記:天丼てんどん※とは……漫才やコントなどにおいて、同じことを2度またはそれ以上繰り返すことで滑稽な効果をもたらすこと(ウィキペディアより抜粋)

  :「」は日本語、『』は英語での会話を表しています。

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