第110話 イザと言う時
「はぁ、はぁ……よし、ここで一旦小休止にしよう」
俺はここまで抱きかかえていた
自身の荒い吐息が、想像以上に
両腕の筋肉は既にパンパンで、全身も
仮に今この場で敵に見つかったとしても、ただの一メートルすら走りきる事は出来ねぇだろう。
「具合はどうだ? まだ痛むか?」
俺の視線の先には、
それぞれが片目を押え、
チックショウ。
俺は一体何を聞いてるんだ?
そんな事、聞くまでも無ぇ事だろ!?
これを愚問と言わずして、一体何を愚問だと言うんだ?
「くっ!」
そんな負のスパイラルへと崩れ落ちそうになる気持ちを、歯を食いしばって食い止める。
いや、待てまて。
落ち着け、落ち着け俺。
これは
俺は一時的とは言え、この場を取り仕切るリーダだ。
リーダとしては、メンバーの状態把握は必要不可欠な事柄だ。
そうさこれは、肝心な場面で
そうさ、これは必要な問い掛けさ。
そうに違いないっ。
なんて、無理やり自分自身に言い聞かせてみるのだが……。
残念ながら俺の心は
「はい、痛みは先ほどよりだいぶマシになりました。それもこれも、魔力の使用許可を下さった
「はい、姉様の言う通りでございます」
そんな少女二人の
「そうか……。そ、それは良かったな。とは言え、このままと言う訳にも行かねぇ。早くこの場を離れて、必ず二人を病院に連れて行ってやるからな」
とは言ったものの、ここからどうやって脱出すれば良いものか……。
俺には皆目見当も付かない。
それにしても、ここは一体どの辺りなんだ?
例の会議室を出てから、優に一時間以上。
俺達は森の中を
そうだ、一時間。
たった一時間ほど前の話だ。
俺達はパルテニオス神を名乗る怪しい爺ィと取引をした。
そのおかげもあってか。
怪しい爺ィは少女二人の勇気を大層喜び、本来は止血と延命だけをするつもりだったらしい所を、何と二人の傷も含めて完全復活させてくれたんだ。
しっかし、あれは参ったよなぁ。
俺の目の前で、切断された片岡の右腕が徐々にくっついて行く様は、驚きを通り越して、もう笑うしかない様な状況だった。
その後。
あとは我関せずとばかりに、爺ィは俺達を残し、さっさと部屋を出て行っちまったのさ。
しばらく
回廊の南側は未だに兵士達でごった返しているし、聖堂へと続く道も恐らく逃げ惑う人々で一杯なはずだ。残された道は、北方にある司教連中の部屋がある建物を突っ切って、聖堂裏に広がる森へと逃れる方法。
もう、ここしか逃げ場は無ぇ。
もしこの先にまで兵士を配置させてやがんだったら、相手が一枚も二枚も上手だったって事だ。それならそれで、もういっそ
だがせめて万策尽きるまで。
いや、俺の命が尽き果てるまで、
なにしろ俺は
少し休んだ所為だろうか。
俺の心の中で消えかけていた闘争心と言う名の火種。
それが再びくすぶり始めたように思える。
俺は片膝を付けたまま周囲をぐるりと見渡してみる。
しかし、どちらの方向を向いても
唯一の頼りである星明りは、樹齢数百年にも及ぶ木立に遮られ、森の中へは殆ど入り込んで来れないのだろう。
ではどうやってここまでやって来れたのか?
理由は簡単だ。
俺は
すると、ほんの短い時間ではあるが、地べたの上に人が行き交った足跡のようなものが浮かび上がった。
第二級聖遺物『ソフロニアの手袋』。
これさえあれば、魔導士や魔獣の足跡を追う事など造作も無ぇ。
とは言え、この足跡は魔獣のものじゃね無ぇな。
まさかこんな所で『なまぐさ坊主』の淫行に助けられるとは思わなかったが。
まぁ良い。
「おい、片岡」
「はい」
「お前、まだ行けるか?」
「えぇ、大丈夫です」
流石の
とは言え、
となれば、このメンバーの中で無理を承知で頼めるのはコイツぐらいのモンだ。
「よし、分かった。ほら、俺の手袋を貸してやるから、この先、どのぐらい先まで森が続いているのか見て来てくれ。あとそれから、敵を見つけても仕掛けなくて良い。まずは情報が欲しい」
「わかりました」
いつもながらの無感情な返答。
だが、いまこの状況下では、かえってそれが心地よい。
俺は足取りも軽く森の中へ分け入って行く片岡の背中を見送ると、近くに座り込んでいる
「
そんな俺の励ましの言葉にも、
どうするか……。
俺は一瞬、話をここで終わらせようかとも考えた。
だがしかし、全体の状況を把握しておかなければ、正確な判断は下せない。
ここは心を鬼にしてでも、確認すべき所ではなかろうか。
「
ただ、それは結果的な了承であると勝手に判断。
「
「……」
長い、長い
やはり俺に話す事は出来ないのか?
「あれは……クーデター……であった」
「クーデター……ですか?」
「あぁ……そうだ。ニアルコス大司教による、東京教区の自主独立の野望が裏に……ある」
おいおいおい。
ヤベェ話になって来たぞ。
薄々はニアルコスの爺さんが、裏で糸引いてんだろうなぁ? とは思っちゃいたが、自主独立ってまた、どえらい事考えてやがったな。
「元はと言えば、ヴェニゼロス大司教が受け取った密書が事の発端であった」
ヴェニゼロス大司教って言えば、本国の大司教だよな。
「密書の差出人はアレクシア神殿で、手紙の中にはこう書かれてあった。『共闘せよ』と」
「共闘? でございますか。それはいったい誰と戦うつもりで?」
問題はそこだ。
アレクシア神殿のヤツらは、一体誰と戦おうとしてるんだ?
「神々が手を組み、戦う相手など一つしかあるまい」
一つ……つったって、俺はコッチの人間じゃ無ぇからな。
どんな強敵が他に居るのかすらも知らんし。
「大変申し訳ございません、
とここで、
「我ら……だ」
「……え?」
どう言う事だ?
まぁ、確かに
だが、そうは言っても所詮一人の人間だ。
なんだったら寝込みを襲えば、あっと言う間に肩が付く。
それに、神様と言えば、切り離された人の手を簡単にくっ付ける事が出来るぐらいのヤツらなんだぞ?
そんなヤツらがわざわざ徒党を組んで、
俺の頭の中は、いくつもの疑問であっと言う間に一杯となって行く。
そんな俺の様子を見ていた
「『我々』と言っても、私やお前の事では無い。ましてや、東京教区と言う意味ですらない」
「と言うと……」
「この『我々』と言うのは、私たちが住んでいる世界。そうだな、日本であり、世界各国であり……有り体に言えば、地球……と言い換えても良いだろう」
「地球……でございますか」
なんじゃそりゃ。
いきなりワールドワイドな話になって来やがったぞ。
コイツら全員で協力して、日本を……って言うか、地球自体を乗っ取ろうって計画立ててやがったって事か?
ん? いやいや、待て待て。
ここって、地球じゃないのか?
どっか、南国的な国じゃなくて?
別世界って事? そこの住民……って言うか、神様が日本へ……って言うか、地球に攻めて来るって事なのか!?
おいおいおいっ!!
聞いてねぇぞっ!
俺ぁ元々、公安から潜入捜査で入って来た身だが、その真の目的はこの教団がどこか海外のテロリストたちとグルんなって、何か日本でやらかさない様にと目を光らせる事にあった。
それがなんだ?
繋がってた先が海外じゃなくて、別世界で?
しかも、攻めて来る相手がテロリストじゃなくて、常識はずれの神様たちってか!?
ヤベぇ、やべえ!
こりゃ死んでも本庁に戻って報告しねぇと、マジヤベぇ!
「でっ、でも、ソレと
俺の素朴な疑問に、
「いや、単純な話だ。エルフ至上主義であり神界征服を企む本国のヴェニゼロスに対し、異世界分離を望む東京教区のニアルコス大司教が反旗を
なるほど。そうか、分かったぞ。
司教会として全員が集まった所でニアルコス大司教が自分の派閥だけを引き連れてその場を退席。その後、残った
「いやしかし待ってください。ニアルコス大司教もエルフ至上主義者ですよ。それにあの御方は、どちらかと言えば
確かに今回の計画であればヴェニゼロス派は一掃されるに違い無いだろうし、神様連合の話も上手く行けば潰せるかもしれない。だが、問題はそれで終わりじゃない。実際問題、
そんなドス黒い想いが腹の奥底の方でグルグルと
「確かに私は
そんな
それに気づいた
「すまんな、
「私一人が罪を背負い、幾ばくかの司教連中を道連れにして黄泉の国へと旅立つだけで、幾千、幾万もの罪も無い人々の命が救われるのだ。この機会を座して見過ごせば、私は更に大きな罪を背負う事になるだろう。神に仕える身として、それは断じて受け入れることは出来んのだよ」
そう、寂しそうに語る
そして、そんな小さな肩に手を伸ばした俺は、何度目かの
「い、いいえ。
「いや、しかしそれでは……」
「何をおっしゃいます
何とか場の空気を和ませたい。
何とか
そんな想いを抱いての冗談もダダ滑りで。
そりゃそうか。
言ってる本人が号泣の上に、鼻水ズルズルの状態じゃあ、何の格好も付きゃしない。
ホント、四十を過ぎた男のヤル事じゃねぇよなぁ。
って言うか、齢四十を過ぎると涙腺が弱くなっていけねぇやな。
そうだよ。歳のせい。これ全部歳のせいだかんな。
いつもはクールでダンディ。
何をするにも抜かりのねぇ。
シチィボーイの
そんな後悔の念に囚われていた俺に対し、なんと、あの
微かな星明りに照らされて。
潤んだ瞳に、濡れた唇。
更に彼女の手がそっと俺の頬へと近付いて来る。
一瞬、俺の無精ひげに触れて
軽く手を引っ込める仕草をしたかと思うと、今度は意を決したように、もっとしっかりと俺の頬へ触れて来た。
「
吐息交じりの彼女の声。
やがて、彼女の顔が俺の方へと近付いて来た。
ここからは大人の時間だ。
それを察したのか、
うん、良い判断だ。
お子様には少々刺激が強いからな。
本当は耳も塞いで欲しい所だが、まぁこの際だ、仕方が無かろう。
ここは情操教育の一環として、大目に見てもらうしか方法はあるまい。
更に距離は縮まり、互いに目を閉じる二人。
何も見えない、何も聞こえない。
ただあるのは、わずか数秒後に感じるであろう、柔らかな唇への期待。
そして、ついにその時は訪れた。
――カチ
こめかみに感じる、冷たい感触。
……冷たい……感触?
……冷たい?
……え?
「
「はぇ?」
俺は越えのする方へと視線を向けた。
「
「おっ……おおぅ。そうかそうか。よし、でかしたぞ片岡」
俺は何事も無かったかのように取り繕ってみせたのだが、こめかみに押し付けられた何某かの金属の物体は、依然微動だにしない。
「あのなぁ……片岡……」
「はい」
「なんだ? これは?」
「Glockです」
即答かよ。
「で、なんで俺のこめかみに、Glockがあたってんだ?」
「いえ、なんとなく」
「なんとなくで、銃口を人に向けんなよ」
「大丈夫です。イザとなったら、二発撃ちますから」
「いやいやいや、何が大丈夫なのかわかんねぇよ。しかも、イザってなんだよ、イザってよぉ!」
「大丈夫と言うのは、
いやいやいや。
俺、一回もお前のモノになった事無いよね。
だよね。そうだよね。
「最初からお前のモノじゃ無いのに、どこでどうやったら、お前のモノじゃなくなる時が来るんだ?」
「簡単です。現状誰のモノでも無い状態から、他人のモノになった瞬間に、私のモノではなくなります」
あぁぁ……。
そゆこと。そう言う考えね。
なるほどねぇ。
流石に理系。筋が通ってる。
って言うか、気付けば
「いや……うん、まぁ、なんだな。ホント、良くやったぞ、片岡。よく脱出経路を見つけ出してくれたな。そそそ、それじゃあ、もう十分休んだ事だし。そろそろ……行くか?」
なぜにここで疑問形?
そんなリーダーとしてあるまじき
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