第108話 ボケ老人の壊れた天秤

「そうかそうか、良きかなよきかな。其方の発言を許すとしよう」


 先程までの重く緊迫した空気が一転。

 暗い室内に優し気な老人の声が静かに響く。


「ようやく礼節を解する者と出会えた様じゃな。ところで、其方はまだ幼いようじゃが神官か?」


「いいえ、未だ見習いのため、現在は蓮爾 れんじ司教枢機卿の侍女をしております」


「ふむ、そうかそうか。やはりエルフは優秀じゃのぉ。それに引きかえ、人間のなんと愚かな事よ。あれだけここで『力』を使こうてはならぬと言い含めておったに、いまだワシの言葉を理解できぬとは。早やから千年以上は経つと言うにのぉ……先が思いやられるわい」


 かぶりを振りながら、忌々いまいまし気に溜息をつく老人。

 どうやら、彼の足元でうずくまったまま、ピクリとも動かぬ片岡の事など、既に眼中に無い様子だ。


 どうするかなぁ。

 このまま片岡をほっといても大丈夫だろうか?

 

 あの片岡の倒れ方を見る限り、爺さんの結構良いパンチを脇腹にでも喰らったって感じだったな。

 それに、爺さんの方もどうやら素手のようだし。

 となれば、頑丈な片岡の事だ。

 あばら骨にヒビの一つももらった可能性はあるが、恐らく即死って訳じゃねぇだろう。

 もうしばらく様子を見るかぁ……。

 どうやらそれが一番良さそうだ。


 俺は少し消極的だとは思いつつも、出来るだけ今の空気感を壊さぬよう、老人と藍麗ランリーちゃんとの会話に耳をそばだてる事にしたんだ。


「其方は名は何と言う? それから、其方の仲間はココに居る者たちで全てか?」


「はい、私の名は藍麗ランリーと申します。また、奥で伏せっておりますのが、私の主である蓮爾 れんじ司教枢機卿。そして、パルテニオス神よりご覧になられて右手におりますのが加茂坂かもさか司教。また、現在足元に横たわっておりますのは加茂坂かもさか司教の配下である片岡でございます。ちなみに、加茂坂かもさか司教とその配下については、蓮爾 れんじ司教枢機卿付きの護衛としてまかり越した次第です」


 立て板に水とは正にこの事だ。

 あれだけ口数の少ない藍麗ランリーちゃんだが、こう言う場面ではスラスラと言葉が出て来るみてぇだな。

 いや流石と言うか、何と言うか。

 確かにこの神様爺さんが言う通り、人間なんかよりよほどエルフの方が優れているのだとマジで思う。


「うむうむ、そうか。しかし、部屋の外にはもう一人おるのぉ。アレは其方たちとは関係の無い者か?」


 そう言いながら、老人がおぼろげに入り口の方へと視線を向けた。


「たっ、大変失礼いたしました。申し遅れましたが、入り口付近におりますのは、私の妹である紅麗ホンリーでございます。不審者がこの部屋へと介入せぬ様、私の指示により入り口に待機させておりました。決して他意があっての事ではございません」


 思わぬ所で弱みを突かれたかのように、突然狼狽ろうばいし始める藍麗ランリーちゃん。

 俺からすれば、特に気にする必要も無い事だと思っていたのだが。


「うむ。そうじゃのぉ。ワシからの問い掛けには、正しく答えねばならんのぉ。危うくかの者を消してしまう所じゃったぞ? 以後、気を付ける事じゃ」


「はっ、はい。大変申し訳ございません」


 恐縮した様子の藍麗ランリーちゃんが、更に深々と頭を垂れてみせる。


 消してしまう所だった……ってか?

 マジかコイツ。

 こりゃ、本当に迂闊うかつな事は言えねぇな。


「うむ、分かればよい。時に藍麗ランリーよ。其方と妹は……本当のエルフでは無いようじゃな」


「……!!」


 ほんの一瞬、体を小さく震わせる藍麗ランリーちゃん。


「ふむ、珍しいのぉ……獣人とはのぉ……」


「……」


 しかし、彼女は依然、無言を貫いたままで。

 確かにパルテニオス神の言葉が質問なのか、単なる独り言なのか判断に迷う所ではある。

 これではどう答えれば良いのか、確かに難しい所だろう。


「あぁ、いや。其方が話したくなければそれで良い。単なる爺の戯言ざれごとじゃ。そんな事より、どうしてこの様な仕儀となった? 其方の知っている事を述べてみよ」


「は……はい。それではお話しさせていただきます……」


 その後、気を取り直した藍麗ランリーちゃんが、あくまでも自分の聞き及んだ範囲ではございますが……と前置きした上で、注意深く言葉を選びながら、これまでの事の成り行きについて語り始めたんだ。


 どうやら事の発端は数か月前。

 大規模な使節団の来訪が切っ掛けとなったようだ。


 あぁ、確かにな。

 二カ月……いや、三ケ月ほど前だったか。

 今年の初め頃。

 蓮爾 れんじ様が急に本国に呼ばれたとかなんとかで、数日ほど東京を不在にした事があったっけ。


 使節団の出所は、アレクシア神殿だった。

 そして、もたらされたのは一通の親書。

 もちろん、詳細については司祭ですらない藍麗ランリーちゃんが知る由も無い。


 あぁ、でも俺ぁ知ってるぞ。

 その親書の中身ってヤツな。

 なにしろ、なったばかりとは言え、俺ぁ司教様だからな。

 あははは、でもまだド新人だけどな。


 確か親書の内容は、アレクシア神は、パルテニオス神との共闘を望んでいるとか、いねぇとか。

 それから、既に何柱かの神様には打診済で、結構な数の神様が大同盟を結成するって言う、そんな感じの話だったはずだ。


 その後、親書の内容に関して、司教たちの間で何度も議論されたらしいが、残念ながら意見の統一を図る事は出来なかったそうだ。

 やがて、本国のヴェニゼロス大司教と、東京教区のニアルコス大司教との間で意見が対立し、互いの派閥同士でいがみ合いが始まった。


 確か、元々仲が悪かったんだよな、あの二人。

 って言うか、枢機卿に任命されておいてなんだが、俺ぁヴェニゼロス大司教の事はあんまり良く知らねぇんだよな。どっちかっちゅうと、ウチの大将であるニアルコス大司教がいつも、本国の大司教であるヴェニゼロスの爺ィの事をボロクソに言ってたからなぁ。あんだけ文句言ってるぐらいだから、恐らくヴェニゼロス大司教だって、ウチの大将の事は大嫌いだったと思うぜ。


 そんでもって今日の話だ。

 アレクシア神殿の方からは、例の息子ビンビンのアゲロス率いるエレトリア大使節団っちゅうか、武装集団が数日前から来てたようだがな。

 話によると、大型の戦闘船を三艘もならべて、圧力外交を展開していたらしい。


 おぉぉ恐ぇ……。

 完全に黒船来襲じゃねぇか。

 まぁ、船が黒いかどうかは、直接見た訳じゃねぇから詳しくは知らねぇけどな。


 その示威行為にビビったヴェニゼロス大司教は、予定通り大同盟を了承する方向で話を進めようとしていたようだが、そこに伏兵が現れたって寸法だ。

 会議の終盤。なんと、蓮爾 れんじ様がウチの大将ニアルコス大司教を裏切ったていで会議室へと居座り、アレクシア神迎合派だけが残った室内で、突然祝福を発動させたって事らしい。


 それって、完全にクーデターじゃんよ。

 蓮爾 れんじ様になんちゅう事をさせんだよっ!

 ウチの大将ニアルコス大司教は鬼畜か何かか?

 って言うか、蓮爾 れんじ様も蓮爾 れんじ様だよっ!

 いくらウチの大将ニアルコス大司教に言われたからっつっても、やって良い事と悪い事があんだろっ!

 まぁ、もちろん。蓮爾 れんじ様がどんな立場になろうが、俺ぁ付いて行くつもりだけどよ。


 しっかし、だいたい結界が張られたこのエリアで、蓮爾 れんじ様の力が使えるかどうかもわかんねぇのに、良くやったよなぁ。

 って言うか、それぐらいは当然分ってたのか。そりゃそうだよな。

 蓮爾 れんじ様だってバカじゃねぇし、少なくとも俺よりは賢い人だかんな。

 でも確かに蓮爾 れんじ様の魔力量は半端無ぇらしいからな。

 人間の中でずば抜けてるとかってレベルじゃなくて、エルフを含めた全司教の中でもダントツの一位だって話らしい。

 そんなこんなもあってか、エルフ第一主義であるアイスキュロスも、蓮爾 れんじ様にだけは逆らわねぇし、尊敬もしてるって言ってたっけ。


 んでもって、蓮爾 れんじ様が発動した祝福によって、アレクシア神迎合派の司教連中は完全に粛清されたって訳かぁ。

 恐ぇ……。


 でも、なるほどな。

 ウチの大将ニアルコス大司教がやけにこの場を離れたがってた訳がようやく分かったぞ。

 そりゃそうだよな。

 蓮爾 れんじ様の祝福が発動するって分かってりゃ、そんな危ねぇ所からはサッサと逃げ出したいに違いねぇわな。

 そんでもって、事が落ち着いた所で、またこの場所へと舞い戻って来りゃあ、教団は自分の思いのままって寸法かぁ。

 あくどいよなぁ。ホントあくどいヤツだわ。

 自分は全く手を汚さずに、自分の部下にクーデターを実行させるなんてよぉ。


 とここで、俺がウチの大将ニアルコス大司教の非道さ加減に呆れかえっていた矢先。

 パルテニオス神と呼ばれている老人が右手を挙げて、藍麗ランリーちゃんの言葉を打ち切った。


「始末に関する説明はもう良い。おおよその内容は理解した。しかも其方の言動には嘘偽りが無い事は明白じゃ」


 無事説明する事が出来て、少し安心したのだろうか。

 藍麗ランリーちゃんが静かに頷いている様子が見て取れる。

 話を聞いた老人の方はと言えば、あごに手をあて、何やら思案を続けている様子だが。

 やがて、老人はその格好を維持したままで、俺の方へと視線を向けた。


「そこな司教よ。其方の名前は……何だったか……えぇっと」


「はっ、はい。私は加茂坂かもさかと申します。くわえるのに、は、草木がしげるのしげ、そして坂は、上り坂、下り坂の坂でございます」


「そんな事はどうでも良い。ワシは日本語は分かるが、漢字はよう知らん」


 なんだよっ。

 漢字わかんねぇのかよ。

 だったら聞くなよ。

 説明して損したぜ。


「それでは、其方に申し伝えておく事がある」


 しかも、結局其方そなた呼びかよ。

 名前呼ばねぇんだったら、聞くなよ。

 ホントによぉ。

 めんどくせぇ爺ィだぜ。


 なんて言うグダグタな俺の心を読み取ってしまったのか。

 藍麗ランリーちゃんが哀願する様な目で俺の事を見つめて来る。


 え? なんだって?

 そんな不敬な事を思うなって?

 まぁ、そうなんだろうけどさ。

 でも、突っ込み処満載だぜ、この爺ィ。


 たた、幸いな事にこの老人の方はと言えば、神様のくせに人の心が読めると言う訳でも無さそうだ。

 もしくは、神様クラスともなれば、人間ごときの思いなんて、どうでも良いぐらいに考えているのかもしれんがな。


「今回の件については、ワシが介入すべき事案では無さそうじゃ。それに……」


 老人は急にきびすを返すと、壁際に積みあがっていた大理石の瓦礫がれきを無造作にはねのけ始めたのだ。


 どんな怪力してやがんだよ。

 神様ってヤツは、みんなこんな力持ちばっかりって事なのか?


 やがて老人は瓦礫がれきの奥から、大きな布袋のようなモノを二つほど引っ張り出すと、俺の目の前へ放り投げて寄越した。


「ほれ、見てみよ」


「こっ、これはヴェニゼロス大司教に、ペイディアス大司教!」


 布袋だと思っていたのは、なんと、大司教の二人ではないか。

 しかも微かに肩が動いている。これは息をしている証拠だ。

 まだ死んじゃいない。


「本来であれば、お前達があやめようとしていたのは、この二人の事であったのだろう? しかしなぁ。申し訳ないが、この二人については前回ワシが眠る前から司教をしておってな。ついつい顔見知りであったがゆえ、思わず助けてしもうた。この二人については、其方に引き渡すゆえ、後は煮るなり、焼くなり、好きにすれば良かろう。また、司教の蓮爾 れんじとやらがこの神聖な領域において力を発動させた件については、ワシがその二人を助けてしもうた事と相殺し、不問としよう。そしてもう一度だけ伝えおく。この神聖な領域においては、決して力を発動させる事まかりならん。もし今後、同じ様な事があった場合には、人間と言う種族全てを根絶やしにする事もいとわんでのぉ。よくよく周知するのじゃぞ」


 この老人はいったい何がしたいんだ?

 折角助けた司教ふたりを俺に引き渡すなんてよぉ。

 神様だったら、人の命を救うのが仕事なんじゃねぇのか?

 そんな泥棒に財布渡す様なマネして、ホントに大丈夫なのか?


「ほっほっほ。この神様は一体何を言っているのか? と言う顔をしておるな。そんな其方にもう少しだけ良い事を教えてやろう。ワシらのような神は……いや、一部の神は……と言った方が良いかのぉ。基本的に全能神の御心に沿う事を第一義としておる。全能神はおっしゃられた。人間はかならずやいつの日か、ワシらを超えて行く事になるだろうと。その間には立つ事もあれば、転ぶ事もあろう。しかし、われら神々はそれに手を貸してはならんと言う事じゃ。常に人の思いに任せ、過ちや苦労の中から学び、己が手で掴み取った先にこそ、本当の未来がある。とな。どうじゃ、良い話じゃろう?」


 うわぁ……何言ってんの? コイツ。

 初めて見た。

 俺、ドヤ顔の神様って、初めて見たよ。


「と言う事で、この二人をワシが助けた事実は、無かった事とする。あとは其方が好きにすると良い。それから……蓮爾 れんじ司教……であったか。その者を殴り倒したは、どうやらワシのようじゃ。の話では、発動する『力』を止めるため、やむなくワシが殴り倒した様じゃからの。これについては、そのぉ……だれだったか……ほら、この女。お前の配下の女なのじゃろう? この女がワシを拳銃で撃った事とで相殺する事としよう。これはこれで不問とする」

 

 え? いやに太っ腹だな。

 こっちは神様撃ち殺してんのに?

 それと相殺で良いなんて。

 この爺ィの中の賞罰の天秤っちゅうか、基準ってヤツが、ぶっ壊れてんじゃねぇだろうな。ちょっとボケてんのか?

 って言うか、やっぱ神様って、良いなのかもしれんな?

 あぁ、って言うのはオカシイか。あはははは。一応神様だしな。


 などと、どうでも良い事を考えている横で、神様と呼ばれる老人が部屋の隅の方にある暗がりへとゆっくり手を伸ばし始めた。


 ――ズブ……ズブズブ……


 床に散らばる複数の血だまり。

 それらがまるで生き物のように、掲げた手の下あたりへと集まり始める。


 ――ゴポポポ……


 やがて、寄せ集められた大きな血だまりの中から、薄い板状の物体が屹立きつりつして行くではないか。


 おいおい、今度は何だ?

 何が始まるって言うんだ?

 あの床部分に何か仕掛けでもあんのか?


 暗がりの中。

 何度も目を凝らして見てみるのだが、そこにあるのは大きくまとまった血だまりが一つだけ。


 いや……何かが下からせり上がって来てんじゃねぇ。

 アレは集められた血その物だ。

 それが寄せ集まって、ゆっくりと立ち上がってやがるんだ。


 その証拠に薄い板が高く伸びるに従って、床に大きく広がっていたはずの血だまりが小さく縮小して行くのが分かる。

 やがて、薄い板状の物体は、丁度老人の手の高さまで伸び上がった時点で、そのゆるやかな動きを止めたのさ。

 

 ――ドプン……ドプン……


 淡い星明かりの反射を受け、ぬめぬめとまだらに光る液状の赤黒い板。

 老人は躊躇ためらう事なく手を伸ばし、板の先端部分へと逆手で触れる。

 すると突然。


 ――シャキン 


 液状の板が硬質化。

 気付けば老人の手には、鈍色に輝く金属製の長剣が収まっていた。


「うむ。しばらく寝ていた割には、問題無く『力』も使えるようじゃのぉ」


 老人は手にした長剣の具合を確かめるように、数回大きく振り抜いてみせる。 


 うぅぅわ、ヤベぇ。

 コイツ、マジもんだ。

 確かにアイスキュロスだって手品みてぇに武器をひょこひょこ出して来やがるっちゃ、来やがるが。

 何て言うかなぁ……。

 それとこれとは話が違うって言うか、格が違うっちゅうか……。

 とにかくっ!

 コイツのバケモノ具合が半端ねぇ! 


 やがて老人は両手で持った長剣の剣先を下に向け、大きく振り上げると、勢いを付けて床面へと打ち付けたのだ。


「うわぁぁぁぁぁ!!」


 突然の絶叫っ!


「かっ! 片岡ッ!」


「ほっほっほっ。一度目の銃撃は許したが、二度にわたってワシに歯向かい、しかも殴り掛かって来るとは言語道断。その右腕一本もらい受ける事としよう。これで、この件についても不問とする」


「うわっ、うわぁぁぁぁぁ!!」


 剣先に貫かれ、切り落とされた右腕を押えたまま、激痛に悶え、床の上を転げまわる片岡。

 そんな彼女の事など全く意に介さず、黄ばんだ歯を覗かせながら、俺に向かって先程にも増したドヤ顔を披露するボケ老人。


 ヤベぇ! マジヤベぇ!!

 この……この爺ィ……マジで狂ってやがるっ!

 こんなヤツ、絶対に神様なんかじゃねぇっ!!

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