第104話 聞き取れぬ最後の言葉

「「うわぁぁぁ! うわぁぁぁ!! 助けてくれっ! 助けてくれぇぇ!!」


「「きゃぁぁぁぁ! 助けてッ! きゃぁぁぁぁ!!」」


 交錯こうさくする怒号と悲鳴。

 時折混じる女の声は、回廊奥の居住棟に住む修道女たちだろう。


 ちっ! マズいな。


 いくら広大だとは言え、四方を回廊で囲まれた庭園の中。

 兵や司教連中だけであれば、相応に逃げ場もあるだろうが。

 これ以上人が増え、混乱に拍車が掛かれば、本当に収拾がつかなくなる。


 回廊の出口側へと目をやれば。

 未だ兵達が狭い門へと殺到し、押し合いし合い、揉みくちゃの状態だ。

 中には数人が協力し合い、回廊の塀を乗り越えようとしている兵たちもいるにはいるが、これは訓練された兵だから出来る事。

 俺や司教連中、修道士や修道女たちに、同じ事が出来るとはとても思えない。


「どけっ! 邪魔だぁっ!」


 回廊脇で立ち尽くす俺のすぐ横を、修道士の男が怒鳴り散らしながら走り去って行く。


 おいおい、その言い方はねぇだろ?

 俺ぁこう見えても司教様だぞ。

 いくらなんでも邪魔はねぇだろ、邪魔は。


 俺がまとう司教位の衣も、この状況下では全く効果が無いらしい。


 そう言えば、他の司教位連中はどこ行ったんだ?


 あれだけいたはずのニアルコス派の司教位たちだが、いまや影も形も見当たらない。

 俺が蓮爾 れんじ様の祝福に目を奪われているすきに、てんでバラバラ、逃げ出したのだろうか?


 ひでぇな。

 俺の事は置いてけぼりかよ。

 せめて逃げるんだったら、一声ぐらい掛けて欲しかったぜ。

 ホント。これだから、エルフってヤツぁ……。


 腹立たしい想いは全て「エルフの所為」で片付け、とりあえず溜飲りゅういんを下げる事には成功したが。


 結局、事態はなんも好転してねぇんだよな。


 見上げれば空中に浮かぶ赤黒い玉は、生身の人間の生き血を吸い上げ続ける事で、刻一刻と肥大化している真っ最中だ。

 ややもすれば、庭園内に残る人間は全て赤黒い玉アイツの腹ん中……って事にもなりかねない。


 俺は回廊の壁に身を隠しつつ、己がなすべき事について必死で思案をめぐらせる。


「ちっ! 仕方ねぇ、行くか」


 腹をくくった俺は、ふところにしまい込んでいた第二級聖遺物である『ソフロニアの手袋』を取り出した。

 俺はその手袋を両手にはめ、軽く左右に振ってみせる。

 すると、手の動きに合わせて、淡い黄緑色の粒子が輝いて見えるのだ。


 恐らく、この黄緑色に反応する魔力が、神殿自体の結界って事だろう。

 こんな濃密な結界が張られた中でも蓮爾 れんじ様の祝福が発動するって事は、いまもなお、これを凌駕りょうがする魔力が放出され続けているって事に他ならねぇ。


 俺は右手に相棒であるGlock17のグリップを握りしめ、かつ手袋をはめた左手を前方へと突き出しながら、回廊の壁沿いをゆっくりと元いた会議室へと向かって歩きはじめた。


 慎重に……慎重に……。


 確か蓮爾 れんじ様の祝福は、彼女の持つ魔力範囲に入り込んだ生物に対して、無差別に攻撃を仕掛けるタイプだったはずだ。

 つまり、彼女の魔力範囲に入り込みさえしなければ、攻撃される事は無いとも言える。

 幸いな事に、俺にはこの『ソフロニアの手袋』がある。

 こうやって、周囲の魔力変化を確認しながら進めば、誤って蓮爾 れんじ様の魔力範囲に入り込む事も無いって訳だ。


「それに……蓮爾 れんじ様だって人の子さ」


 いくら過去に類を見ないほどの魔力量を誇る蓮爾 れんじ様と言えど、無限に魔力を放出できる訳じゃねぇ。

 この濃密な結界のある環境下で、しかもあれだけ大きな祝福を発動させてるんだ、そう長い時間は持たんだろう。

 遅かれ早かれ、魔力自体は必ず枯渇こかつする。


 となれば、祝福を発動した直後の蓮爾 れんじ様は、ほぼ丸腰の状態になっちまうって事だ。

 もし、祝福の収束を見極め、さっきの兵隊たちが舞い戻って来た日にゃ、いくら蓮爾 れんじ様とて、太刀打ちする事は出来ねぇはずだ。


「となれば……行くしかねぇでしょうよ。こちとら護衛の身だぁ。護衛対象まる対守らねぇで、一体どうすんの? って話よ!」


 自分の腹の奥底に置き去りにされ、すっかり冷え切ってしまったと思っていた、青臭い正義感。

 それが、まるで熾火おきびのように、再び熱を帯び始めたのが自分でも良く分かる。


 おいおいおい。

 ナニ、熱くなってんだよ。

 四十も過ぎてよぉ。

 これからは娘の養育費を稼ぐ以外は、安穏と暮らして行くと心に決めてたんじゃねぇのか?

 ったくよぉ……。

 また、別れたカミさんに耳タコになるまで文句を言われそうだぜ。

 でもまぁ、大丈夫か。

 最近じゃすっかり愛想つかされて、電話にすら出てくんねぇからな。ははは。


 なんて思っていた矢先。

 黄緑色に揺らぐ光の密度が、急激に上がった。


「うぉ! ヤベっ!」


 俺は慌てて左手を引っ込めると、そのまま一気に数歩分の距離を飛び退いた。

 恐らく、ここから先が蓮爾 れんじ様の魔力範囲だ


 この後、魔力範囲が徐々に縮小して行くのであれば、蓮爾 れんじ様の祝福も収束に向かっていると言う事になる。

 逆に、この魔力範囲が広がって来れば……。

 

 俺は恐るおそる、再び左手を伸ばしてみる。

 すると……。


「うわっ! もうココまで来てるっ!」


 さっき感じた濃密な魔力反応が、左手を伸ばしたすぐ先にまで迫っているではないか。


「ヤベっ! ヤベェェェ!!」


 誰だよっ!

 遅かれ早かれ、魔力自体は必ず枯渇こかつする! なぁんて、無責任な事言ったヤツぁよぉ!

 全然枯渇こかつして無ぇじゃんよっ!

 って言うか、まだ全然広がって来てんじゃんよぉっ!


「かぁぁ! 出て来いよっ! ホント、マジで一回勝負してヤッからよぉ! って言うか、それ言ったの俺かぁぁぁ!」


 俺は自分自身の浅はかさを呪いつつきびすを返すと、ありったけの全速力で走り出した。


「どけぇ! 退けどけどけえぇぇぇ!」


 ――ドプッ……ドプン……ドプッ……プシュッ……シュルシュルシュル……


 ――バンッ! ババンッ! バンッ!!


 背後からは、逃げ遅れた修道士や修道女の破裂する音が次々と聞こえて来る。


 うわぁ! マジかっ! マジなんかっ!

 って言うか、これだったら蓮爾 れんじ様を守る必要なんて、ぜんぜん無ぇじゃん。

 十分だよっ!

 あの人ぁ、十分一人で強ぇよ!

 ホント、俺なんて、足手まといにしかなんねぇよっ!


 走る、走る、走るっ!

 とにかく回廊沿いにひた走る。


 かぁぁぁ!

 このまま逃げるか?

 そうだよな。逃げるに限るよなっ!

 いや、絶対にその方が良いよな。

 そりゃそうだろ!?

 だって、生身の俺に出来る事なんざ、ナニひとつ残って無ぇっつぅのっ!


 やがて、回廊の先に丁字路が見えて来た。

 右に行けば大聖堂。真っ直ぐ進めば回廊の終点、庭園の出口はすぐソコだ。


 どっちだ? どっちに行く!?

 恐らく、どっちもどっちで、結局は逃げ惑う人たちで渋滞しているに違ぇ無ぇ。

 ただ、大聖堂の更に向こう側には、特異門ゲートの小神殿がある。

 東京に戻る事を考えれば、そっちへ行った方が断然良い。


「よしっ! 右だっ!」


 俺はわき目もふらず、回廊の角を回り込んだのさ。


 ――パンッ!


 突然の閃光せんこうと、けたたましい破裂音が鳴り響く!


「うぉぉ!」


 俺は咄嗟とっさにその場へしゃがみ込むと、右手に握ったGlock17を正面へと向けた。

 

「待てっ! 撃つなっ! 俺は司教の加茂坂かもさかだっ! 誰だお前はっ!」


 と言った所で、自分の矛盾に気が付いた。


 え? 今の音は拳銃の発砲音……だよな?


 数々の疑問が頭の中を駆け巡る。

 そんな中。


「かっかっかっ! 加茂坂かもさかさんっ!」


「むぎゅ……」


 突然俺は、弾力のある大きなゴムまり二つに視界を奪われたばかりか、気道までをも塞がれて絶句するハメに。


加茂坂かもさかさんっ! 加茂坂かもさかさんっ! 加茂坂かもさかさんっ!」


 連呼する俺の名前とともに、背中へと回された両腕が、俺の首回りを容赦なく締め上げて行く。

 

「……ぐむむう」


 いや、待てまて。

 ギブギブ。

 いや、マジでギブだから。


 俺が何度か相手の腕をタップしてみせるのだが、一向に相手の手元は緩まない。


 ホントヤバいから。

 いや、ホントマジでヤメて。

 このままだと俺、マジで落ちるから。


 呼吸もさる事ながら、頸動脈けいどうみゃく圧迫による脳への血流低下はいかんともしがたい。


 あぁぁぁぁ、ヤバイヤバイヤバい……おちっ……落ちるうぅぅ……。


「……ってコラァッ! マジで死んじまうだろうガァッ!」


 俺は最後の力を振り絞り、俺の首にしがみ付く、このどうしようもない相手を突き飛ばした。


「ひゃん!」


 突然の事に尻もちをついたが変な声を上げる。


「何が『ひゃん!』だよ、あっ! なんで確認もせず突然撃った!?」


「はっ、はいっ! スミマセン! 出会いがしらで驚いてしまいまして!」


「驚いたぐらいで引き金を引くなっ! こんのバカ野郎っ! それに俺ぁ、いつも言ってんだろっ! 撃つ時は必ず二発っ! そして絶対に外すなってなぁ!」


「もっ、申し訳ございませんっ! 加茂坂かもさかさん。次は必ず仕留めます!」


「バカ野郎っ! って言うか、俺を仕留めようとするなぁ!!」


「はっ、はいぃぃっ!」


 俺に叱られた片岡が尻もちの状態から飛び起きると、急いで正座をしてから、しょんぼりと項垂うなだれ始めた。


 しっかし、いったいどう言う偶然だ!?

 なんで片岡がこんな所に?


加茂坂かもさか様、まずは無事なご様子で何よりでございます。また、いまは緊急事態でもございます。片岡さんへのお説教はまた後ほど……」


 ん? 片岡の背後から聞こえて来たこの声は。


「おぉ、紅麗ホンリーちゃんか。みんな無事だったのか」


「はい、ご心配いただきありがとうございます。藍麗ランリーを含め、わたくしどもは全員無事でございます」


 ふと見れば、紅麗ホンリーちゃんの後ろで金髪碧眼の美少女が静かに頭を垂れている。


 藍麗ランリーちゃんは、紅麗ホンリーちゃんの双子の姉だ。

 顔立ちや体形はそっくりなんだが、髪の色と瞳の色だけが異なっている。

 紅麗ホンリーちゃんに比べると、更に無口で。

 いつも蓮爾 れんじ様の傍から離れようとはせず、彼女自身の声を聞いた事も、数えるほどしか無い。

 俺にとっては、かなり印象の薄い侍女と言う感じだ。


「で? みんなは何処へ行こうとしてたんだ? って聞くのは流石に野暮だな。どうせ蓮爾 れんじ様の所に行こうとしてたんだろ? 俺も蓮爾 れんじ様の所へ駆けつけようとしたんだが、残念ながらまだ祝福の力が拡大してて、全く近寄れねぇんだ。もうしばらく様子を見た方が良いかもしんねぇな」


 ついさっきまでガチで逃げ出そうと思っていた事などすっかり棚に上げ、あたかも戦略的撤退である事を臆面もなくアピールする俺。

 まぁ、よわい四十年も重ねれば、この程度の事は俺にだって出来るさ。


「そうですか。いつも蓮爾 れんじ様への優しいお心遣い、主になりかわりまして、感謝申し上げます」


 そう言いながら、深々を頭を下げる紅麗ホンリーちゃんと藍麗ランリーちゃん。


 いやいや、そこまで言われると照れると言うか、申し訳ないと言うか。

 繰り返すけど、さっきまで逃げる気満々だったからな、俺。

 まぁ、もちろんそんな事は言わんけど。


「しっかし、よくここまで来れたな。途中は兵隊なんかで一杯だったろ?」


 この神殿エリア全体には、魔法を制限する結界が張られている。

 蓮爾 れんじ様ほどの並外れた魔力があれば、どうやらその結界すら破れるみたいだが、紅麗ホンリーちゃんと藍麗ランリーちゃんでは、さすがにそうも行くまい。


 魔力を封じられたとなれば、紅麗ホンリーちゃんや藍麗ランリーちゃんなど、単なる非力で可愛い少女でしかない。

 どうやってあの兵隊の中を突っ切って来たのか、非常に気になる所ではある。


「はい。その際には、片岡さんに助けていただきました」


「片岡が?」


 ふと片岡の方を見てみれば、いつもの無表情の顔立ちにもかかわらず、口角だけが二ミリほど上がっているのが見て取れた。


 あぁ、確かに笑ってやがんな。


 片岡コイツとの付き合いも結構長くなって来たからな。

 阿久津あくつほどじゃあ無いが、ある程度片岡コイツの表情も読めるようにはなって来た。


「はい。魔法の使えない私たち姉妹の代わりに、片岡さんに兵士達を制圧いただきまして」


 制圧ってなにそれ。

 どう言う事だよ?


 俺がもう一度片岡の方へ視線を向けると、彼女が軽く左腕を見せてくれた。


 え? ナニそれ。

 そうそう。

 それ。

 うん。それそれ。

 血まみれのナニかを握ってるよね。


 ちょっと良く見せて。

 うんうん。


 あぁぁ。ナックルね。

 ナックルダスターってヤツだ。

 一般的にはメリケンサックってヤツだね。

 俺達の時代だと、カイザーナックルとか言ってたかなぁ。

 あぁ、懐かしいなぁ。


 でも昔のはもっと華奢きゃしゃで簡素な造りだったけどね。

 うんうん。

 だって、こんな所にドクロのマークとか入って無かったし。

 それに結構ゴツイね。

 片岡お前は力が強いから、このぐらい頑丈なヤツでも大丈夫なんだろうね。

 うんうん。


 なんだか嬉しそうにナックルダスターを見せびらかす片岡の背後には、ついいましがた殴り倒されて動けなくなってる兵士たちに交じって、修道士や修道女の姿も散見される。


 うぅぅん。

 片岡お前はホント見境みさかいが無いね。

 男も女も容赦なしかい?


 あぁ、そう。

 うんうん。


 差別はいけないって?

 確かにね。

 差別は良くないよね。

 今のご時世ね。

 ホント、差別は良くないよ。うん駄目ダメ。絶対にダメ。

 でもさぁ、ちょっと手加減とかってあるんじゃない?


 え? 死んではいないって?

 うん、まぁね。

 うんうん。

 それが片岡キミの最大限の譲歩だったんだね。

 うんうん。

 わかるよ。うん、良く分かる。

 今になって分かるよ。

 阿久津あくつが時々片岡キミにビビっていた理由が良く分かったよ。


 片岡キミ、確か理系だったよね。

 格闘技もやってたの?


 あぁ、そう。

 か弱い女性だから?

 護身用に?

 あぁぁ。そう……。


 だよねぇ。

 そうだよね。

 護身用に武術って良いよねぇ。

 うんうん。分かるよ。分かる。

 でもね。

 すでに『か弱く』……は、なくなっちゃってるかなぁ……。


 どっちかって言うと、もう強者つわものの域だよね。

 うんうん。

 良いんだよ、別に。

 それはそれで。

 あとは、過剰防衛にならない様にだけ、気を付けてくれればね。

 うんうん。


 確かに。

 この国の人間は、比較的背丈も低い。

 男性でも平均で百六十五センチ程度あるかないか?

 女性で言えば、百五十五センチほどだろうか。

 もちろん突出して大柄な人間も居るにはいるが、非常に稀だと言える。


 そう考えれば、俺と同じ百七十センチほどの背丈がある片岡ともなれば、完全にこっちの国では怪力自慢の大女……と言う印象だろう。


 武闘家気取りのこんな女と殴り合う事になった兵士や修道士の皆さんには、本当に申し訳ない気持ちで一杯だが……まぁ、仕方ないな。

 緊急事態だし。


「で、どうする? もうしばらくここで様子を見るか?」


 いまだ庭園の出口の方では多くの兵士や修道士たちでかなり混乱している様だ。

 それに引きかえ、庭園の奥では既に一人の生者もなく、大量の人間の体液を吸い上げ尽くした赤黒い玉が、依然ブヨブヨと伸縮を繰り返している。


蓮爾 れんじ様の祝福が収束しなければ、流石に私たちも近寄る事はできません。しかし、祝福が収束した時点と言うのが、もっとも無防備な状態であるとも言えます。なんとか祝福の収束に合わせて、できるだけ近付いて行ければと考えております」


「そうだな、俺も紅麗ホンリーちゃんの意見に賛成だ。だが、どうやって祝福の収束を判断するんだ? 何か方法でもあるのか?」


 そんな俺からの問に、いままで黙っていた藍麗ランリーちゃんが話し始めた。


蓮爾 れんじ様の祝福はパルテニオス神の祝福でございます。人体より抽出された体液は全て一か所へと集められ、その後、新たな生命を育むククリとして活用されるのです」


「ククリ……? 何だそれは?」


 藍麗ランリーちゃんの澄んだ青い瞳が俺へと向けられる。


「私にはこれ以上お話しする事は出来ません。ただ、今回蓮爾 れんじ様はククリとしての活用をお考えになられてはいないはず……。ある程度育った所で、今度は少しずつ大地へ返して行かれるものと思います」


 なるほど。

 確かにそうかもしれねぇな。

 前回東京でこの祝福が発現した際も、集められた人間の体液は全て高架の雨どいなんかを通じて、下水や地下へと流されてたっけ。


「って事はだ。あのでかい血の玉が、少しずつ地面へと吸い込まれて行って、小さくなって行きさえすれば、俺達も近づいて行っても大丈夫。って事だな?」


 見れば、藍麗ランリーちゃんが静かに頷き返してくれている。

 なるほど、慌てる事なんか無かったんだ。

 その段階まで待っておけば、安全に蓮爾 れんじ様の所まで辿り付けるって訳か。


「よし、話は分かった。それじゃあ、もう少しここで様子を見て……って、オイ、オイ、オイ! マジかマジかっ! ちょちょちょっ、ちょっと待ったぁ!」


 俺は慌てて目の前にいた藍麗ランリーちゃんを抱きかかえ、全速力で回廊の奥へと向かって走り出した。

 片岡も同様。

 俺にならって、自分のすぐ横に居た紅麗ホンリーちゃんを担ぎ上げたかと思うと、俺を追い越すぐらいの勢いで走り始めたのだ。


「「うわうわうわぁぁ!」」


 俺と片岡の叫び声が重なる中。


 ――バッシャァァァ!!!


 庭園側の回廊の壁を乗り越え、真っ赤に染まった濁流が、俺達の背中へと襲い掛かって来た!


「がぁぁ! しくったぁぁぁぁ! ちきしょう! 赤い血に触れちまったぁぁぁ!」


 幸いな事に、紅麗ホンリーちゃんや、藍麗ランリーちゃんは俺と片岡に担ぎ上げられていて、赤い血自体には触れていないようだ。


 くっそ! どのぐらいで体が弾けるんだ!?

 さっきの様子だと、残された時間はかなり短いぞっ!

 まだ持つか!? まだ持つのかっ!?


 横目でみれば、背中に盛大に血を浴びた片岡が、涙目になったまま、気丈にも走り続けているではないか。


「片岡ぁ!」


「はいぃっ!」


「絶対に紅麗ホンリーちゃんを落とすなよぉ!」


「はいぃっ!」


「このまま、一歩でも遠くに離れるぞっ!」


「はいぃっ!」


「絶対にぃぃぃっ!」


「はいぃっ!」


「この二人だけはぁぁぁ!」


「はいぃっ!」


「助けるからなぁぁぁ!!」


「はいぃぃぃっ!!」


 短い返事にもかかわらず、彼女の悲壮な覚悟が伝わって来る。


 もうすぐ、俺と片岡は血反吐を吐いて弾け飛ぶ。

 ただ、弾けた直後の人間の血を浴びたとしても、いきなり次の人間が弾ける様な事は無かったはずだ。

 だとすれば、一歩でも、二歩でも良い。

 この二人を少しでも安全な所まで連れて行く。

 それが大人の死に方ってモンだろぉ!

 

 走るっ、走るっ、走るっ!

 とにかく走るっ!


加茂坂かもさかさんっ!」


「なんだ、片岡っ!」


「私っ! 私っ!」


 片岡の荒い息遣いが聞こえて来る。

 一秒か、三秒か、十秒か。

 俺たちに残された時間は、いったいどれだけあるんだっ!? 


「なんだ、片岡っ! もうへばったのかっ!」

 

加茂坂かもさかさん私っ、加茂坂かもさかさんの事がっ! 加茂坂かもさかさんの事がぁぁぁっ!」


「あぁ!? なんだっ? なんだってぇ!?」


 片岡の言葉が上手く聞き取れず。

 思わずもう一度聞き返した、丁度その時だった。


 ――ズシャァァァ!!


「かっ、片岡ぁぁぁぁぁ!!!」

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