第69話 知らぬ存ぜぬ

「んだとぉコノヤロウ! もういっぺん言ってみろぉ!」


 くっ……!


 手に汗握る事態……とはこの事か?

 いや、意味合いが少し違うな。

 そう言う感じじゃ無くって……。


 ――バキ、バキバキッ! ドドンッ! 


 ううっ……!

 こっ、これはちょっと流石に……。


 固く閉じていた両目。

 それををほんの少しだけ開けてみる。

 すると僕の目の前には、大理石で造られた大きなテーブルが。

 しかもその上には、プラスチック製の湯呑ゆのみが置かれていて。

 派手な振動で時折カタカタと揺れるその様は、余りにもシュールと言うかミスマッチと言うか……。


 更に僕は誰にも気取られぬよう、細心の注意を払いながら部屋の中を伺ってみたのさ。

 するとそこには各々おのおのが好き勝手に時間を潰しているだけのオッサンたちが数人。

 これだけの暴行がすぐそばで起きているにも関わらず、全く気にする素振りも見せないと言うのは、それはそれである意味流石と言うべきか。


 クロ……。

 聞こえる?

 ねぇ、クロぉ……。


 何度目かの問いかけ。

 だけど、やっぱり返事は帰って来ない。


 持っていた携帯やリュックは最初の時点で取り上げられ、それ以降、クロとも離れ離れになったままだ。


 近頃では有視界であれば数十メートル。

 建物の中であっても隣の部屋ぐらいであれば、十分にクロと思念による意思疎通が出来たはずなのに。


 この部屋に入ってからはどれだけ呼び掛けても反応が無い。

 クロに何かあったのか?

 いや、この部屋自体に何か仕掛けがあるのかも……?


「おい、コルアァ! 手前ぇ、自分が一体何したか分かってんだろうなぁ!」


 ――ドゴッ! ドゴッ! ドゴッ!!


 かぁぁぁ……痛そぅ!


 まさに天下一品。

 極道の基本とも言うべき足蹴あしげの連続技だ。

 しかも、完全に無抵抗の相手にも関わらず、その行為に一ミリの躊躇ためらいも感じられない。


 ちょっとこのオッサン、狂ってるんじゃなかろうか?

 いや、完全に狂ってるわ。

 って言うか、完全に系の人なんだろうな。

 もしかしたら、女教師と良い勝負かも。


 この部屋に入ってから、既に一時間以上が経過。

 僕の座る重厚なソファーのすぐそばでは、いまだに筆舌に尽くしがたいバイオレンスな光景が繰り広げられている。


 幸いな事に、そのバイオレンスな物語の主人公は、僕では無い。

 あぁ、幸いと言っても、不幸中の幸い……程度の意味合いさ。

 何しろ、いつどう言う理由でその暴力が僕に向けられるかは、分かったものではないからな。


 ――プー、プー、プー。 ガチャッ。


「はい。……はい。わかりました。いま確認します。少々お待ち下さい」


 壁際に待機していた男がインターホンで何か話をしている様だ。

 舎弟だろうか? ……だろうな。

 この中では最も若い。

 まぁ、若いと言っても、僕よりは年上だろうけど。


「カシラ、お取込み中失礼します。病院の方から連絡がありまして、確かにまだ生きているそうです。どう言う訳か、前の病院から搬送している最中に息を吹き返したそうで」


「……ほほぉぉ。そうかい? そりゃあ良かったなぁ」


 カシラ……と呼ばれた男は、血まみれでボロ雑巾の様になりつつある胸倉むなぐらから手を離すと、少し残念そうな笑顔を浮かべてそう言ってのけたのさ。


「んだよぉ……生きてるってぇのは本当みてぇだなぁ。佐竹ぇ、これでお前ぇ年少ねんしょうに入らなくても済みそうだなぁ。良かったんじゃねぇのか?。まぁ、お前ぇにとっちゃ、どっちが良かったのかは分からねぇけどもなぁ。佐竹ぇ」


「はっ、はぁ……どうも」


 その何とも煮え切らない返事。

 それは、事もあろうに僕のすぐ隣から聞こえて来た。

 そう、あの佐竹。

 憎き佐竹の野郎が、なぜか同じソファーに並んで座ってやがる。

 何? 何なの? このシチュエーション。


「まぁ、傷害致死は免れたようだが、傷害は傷害だ。しばらくは留置所で寝泊まりする事にはなるだろうな。弁護士は俺達が用意するから安心しろ。それから忘れるなよ、基本は完全黙秘カンモク。ただし、共犯は無しの単独犯で押し通せ。良いな?」


「はい……分かってます」


 佐竹のヤツ……おびえているのか?

 同じロングソファーに腰掛けている所為もあってか、ヤツの心情が微細な振動となって伝わって来る様だ。


「よし、誰か佐竹コイツと一緒に警察に行ってやれ」


「「はいっ」」


 先程まで手持ち無沙汰を絵に描いた様な男たちが、いきなり機敏きびんに動き始めた。


「あぁ、それからお前ぇ、えぇっと、犾守いずもりだっけか?」


「はっ、はいっ!」


 急に名前を呼ばれて、全身に緊張が走る。

 カシラと呼ばれた男は、手に付いた血をハンカチでぬぐい取りながら、横柄な足取りで僕の方へと近付いて来る。


 やべぇ。次は僕か? 僕がターゲットになるのか?


「よっこらしょっと」


 と、思っていたのも束の間。

 カシラは僕の正面にあるソファーへと腰を下ろし、早速舎弟に点けさせたタバコをくゆらせ始めたんだ。


「ふぅぅ……。久しぶりの運動は何かこう……調子が出ねぇなぁ」


 いやいや。貴方。

 あれ、運動って、あれ、運動って言っちゃいます?

 それに十分。

 ほんと、十分なぐらい調子出てましたよ。


「で、犾守いずもり君よぉ、さっきは悪かったなぁ。俺ぁ、てっきりお前が何処かの組の鉄砲玉かと思っちまってよぉ……。まぁ、それもこれも来栖くるすの野郎が余計な電話かけて来やがった所為せいだけどなぁ」


 来栖くるすさんって?

 あぁ、あの七三分けに黒ブチメガネのお兄ちゃんだな。

 僕をこの組事務所に誘導した張本人。

 おかげで、ひどい目にあったよ。


「でもまぁ、お前の言った事が嘘じゃ無かったって事がこれで証明された訳だ。それに、わざわざそれを知らせに来てくれたって訳だからなぁ。本当は感謝しねぇといけねぇんだろうなぁ。……どうだ、お前これから時間あるか? あるなら、メシでも食いに連れて行ってやろうか?」


 うわぁ、めっちゃ人の良い笑顔だわ。

 つい数分前まで、暴力振るいまくりの人とは思えないこの変わり様。

 二重人格? この人二重人格なの?


「あぁ、えぇっと。お気持ちだけで充分です。ぼっ、僕としては、同じ学校の佐竹君が無実の罪になるのを何とか防ぎたかっただけですし」


 うん。その方向で話を進めるのがベストな選択だな。

 いや実は、佐竹に復讐する為に身柄を押さえたかったんですっ! なんて、絶対に言えないしな。


「あははは。いやいやいや、この少年、心にも無い事言うよなぁ。なぁ、おいっ!」


 カシラはソファーに深く腰掛けたまま、未だ床の上に倒れ込むに向かって話しかける。

 もちろん、話し掛けられた方はと言えば、既に虫の息の状態で返事をする見込みすら無いのだが。


 ん? って言うか、心にも無い……ってどう言う事?


「なぁ犾守いずもり君よぉ。本当は何しに来たんだ? お前ぇ、最初来た時に、ウチの親父オヤジに話があるって言ってたじゃねぇか。それに友達想いも流石にここまで来ると度が過ぎてるんじゃねぇか? 今時よぉ、友達の為にヤクザの組事務所に乗り込むなんざ、正気の沙汰じゃねぇぜぇ? お前、他に何を知ってるんだ? 言ってみろよ。もしかして、例の傷害事件、お前ぇ被害者から何か聞いてるんじゃねぇだろうなぁ?」


 ギクッ!


 知ってるも何も。

 僕は被害者である飯田の記憶を持っている。

 当然、犯人だって丸わかりだ。

 どちらかと言うと、ここに居る誰よりもその時の経緯について詳しいとも言える。


「いっ、いいえ何も」


「本当かぁ?」


「えっ、えぇ。僕が病院に行った頃には既に意識不明の重体でして……」


「だが、さっきの話じゃあ息を吹き返したって言うじゃねぇか。もしかしたら少し意識が戻って、お前に何か話したんじゃねぇのかぁ!?」


 ――ダァァン!


 カシラの右足が大理石のテーブルへと勢いよく振り下ろされた。


 うぉぉぉぉ! 恐ぇぇぇぇ!

 これ、テーブルが大理石じゃなかったら、絶対真っ二つに割れてる所だわっ。

 って言うか、これを想定して大理石のテーブルになってるのかもな。

 いや、それ以外に考えられんっ!


「あっ……あぁ、いや……あのぉ……」


 余りの恐怖に、一瞬"あるコト無いコト"、全部まとめて洗いざらい話してしまおうか? とも思い始めた矢先。


「ふぅぅ……。ま、そんな事ぁ、どうでも良いかぁ……」


 え? 良いの?

 マジ、え、マジなの?


「なぁ犾守いずもり君よぉ」


「はっ、はいっ!?」


 ちょっと声が裏返ってしまったのはご愛敬あいきょうだ。


「とりあえずさぁ、もし警察に何か聞かれたとしても、今回の件は知らぬ存ぜぬ。何も話さないで欲しい訳よ」


 とにかく僕は無言のまま、勢いよく何度も頷いてみせる。


「うんうん。犾守いずもり君は物分かりの良い子だねぇ。この先、もしキミの友人が目覚めたとしても、そしてその友人から、何か聞かされたとしても、キミは何も知らない……聞いて無い……と言う事で、良いよねぇ?」


「はっ、はい。ぼぼっ、僕は何も聞きませんし、何も知りませんっ!」


「よし、それじゃあ、犾守いずもり君はもう帰って良いよ」


 まっ、マジかぁ! 助かったぁぁ!

 いやぁ一時はホント、どうなる事かと思ったけれど、何とか生き延びたわぁぁ!

 でも何で佐竹がノコノコ組事務所にやって来たのかも、どうしてが床でボロ雑巾になってるのかも、そんでもって、このカシラは一体僕に何を口止めしようとしてたのかも、全部、ぜぇんぶ分かんないけど、そんな事はどうだって良い。とにかく今は無傷で生きて帰る事が最優先だっ!


 と言う想いが僕の行動に現れていたのだろう。

 カシラは僕の視線を追う様にして、床に這いつくばったままのへと注意を向けた。


「なんだ? 犾守いずもりはコイツが気になるのか?」


「あぁ、いえ……いや、そのぉ。北条君は僕が神々の終焉ラグナロクに出る切っ掛けを作ってくれた人なので……ちょっと」


「まぁ、これも見なかった事にしておけ。それがお前の為だ。ここからは大人の世界の話だ。大人の世界に子供が口を出しても良い事は一つも無いぞ?」


 たっ、確かに。

 元はと言えば、北条君がカシラの指示に従わず、佐竹を逃がそうとした事が原因なのだろう。ヤクザの世界ではメンツが最優先。

 自分の命令を無視する様なヤツは、見せしめの為にも、酷い目にあうのは仕方が無いに違いない。


「はっ、はい。この事も含めて、一切誰にも話しません!」


「よし、分かったなら帰れ。おい、誰かこの少年をビルの外まで出してやれ」


「「はっ」」


 ヤクザに軟禁されてからおよそ二時間。

 何がなんやらさっぱり状況が呑み込めないまま、僕は狭真会きょうしんかいの組事務所を追い出される様な形で、脱出する事に成功したのさ。

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