第68話 狭真不動産

「そう言えばさぁ、クロぉ」


 ほんの一瞬。

 心をぎるはかすかな躊躇ためらいの気持ち。

 それを覆い隠すかの様に、僕は他愛もない会話を口にしてみる。

 だけど……。


『なんだタケシ、緊張しているのか?』


「え? あぁ、いや。別にそう言う訳じゃないんだけどさぁ……。


 思念で通じ合うと言うのは便利な様でいて、不便な事も結構ある。

 何しろ、簡単にその時の気持ちまで共有されてしまうのだから。

 他人には見せたく無い心の部分って、多かれ少なかれ誰にだってある訳で……。


 って言うかさぁ、緊張しない訳無いじゃん。

 良く考えたら……いや、良く考えなくても、僕たちはソコソコ名の通った暴力団事務所に向かっている真っ最中なんだぞ。


 しかも、自分の足で歩いて向かっている訳じゃない。

 僕たちを乗せたエレベータは目的地に向かって絶賛上昇中だ。

 途中で引き返す事だって出来やしない。


 そんな動き出したエレベータの中には僕とクロの二人だけ。 

 とはいえ、クロなんてリュックの中だからな。

 実質、僕一人と言っても過言じゃない。


 これで緊張するなって言う方が無理だろ?!

 大体、僕は人見知りの超インドア派なんだよっ。

 こんな所を出歩くよりは、家でガンプラ作っていたい派なんだよっ!


『まぁ、ガンプラが何なのかは後で聞くとして、お前の言いたかった話はそんな事ではあるまい?』


「え? あぁ、うん、そう。そんな話じゃ無くって、このビルの事なんだけどさぁ」


『うむ。このビルがどうした?』


「確かこのビルって、KF-PARKビル……だったよね」


『うん? そうだったか? ちょっと失念してしまったが』


「いや、KF-PARKビルなんだけどね。このKFってさぁ、良く考えたら狭真きょうしん不動産の略称なのかなぁって」


『あぁ、まぁな。確かにその可能性はあるだろうな。で、それが何か問題でもあるのか?』


「いや、問題って言うかさぁ。って事はこのビル自体が……」


 ――ポーン


 心地よい電子音とともに、体に感じる浮遊感。

 エレベータが十二階に到着したみたいだ。

 僕はここで話の内容を本来の目的へと切り替える。

 ここまで来たら、もう腹をくくるしか方法は無いしな。


「クロ、到着したよ。で、この後はどうする? クロお得意のプランを聞かせてくれよ」


『うむ。まず成すべき事はフロアマップ確認だな。ダンジョン攻略のカギと言えば、フロアマップの把握と相場は決まっている』


 なるほど。確かにその通りだ。

 エレベータホールにはテナント企業のネームプレートやフロアマップが掲示されている事が多い。まずはそれを確認すれば良いだろう。 


『敵の場所を確認したら、次は何食わぬ顔をして入り口付近まで行ってみるぞ。この時、不自然な行動は禁物だ。まずは敵の状況を把握する所から始めるとしよう』


 確かに。

 敵情視察は最重要事項だよな。

 暴力団事務所にいきなり入って行くだなんて、完全に無理ゲーだ。

 元々そんなメンタルなんて持ち合わせちゃいないし。

 まぁ、狭真きょうしん不動産って言うぐらいだからな。

 表向きは普通の会社を装っているんだろうけどもね


『ある程度敵の様子が分かった所で、次に逃走ルートを確保する。前回のホテルの時の様に、屋内外の非常階段を確認するとしよう』


 そうだよな。逃走ルートの確保も必要だ。

 最悪、壱號いちごうあたりをおとりにすれば、無事逃げ切る事だって出来るだろう。


 ふぅぅ……。


 クロの話を聞くうちに、なんだか少し心が落ち着いて来たぞ。


「さすがはクロ先生。修羅場しゅらばれていらっしゃる。今回のプラン完璧ですねぇ」


『ふん、今回のプラン……とは失礼な。今回のプラン完璧に決まっておろうが』


「はは、そうだね。ご主人様は何時だって完璧だよね」


 と、ここで。

 微細な振動をわずかに残し、エレベータのドアが静かに開き始めた。


「そいれじゃあクロ。行きますか!」


『うむ。だがタケシ、あまり気負うな。我々は交渉に来ただけだ。相手がいくら暴力組織だとしても、学生相手にいきなりケンカごしと言う事はあるまい』


「えへへ、確かにそうだね。 慎重に、しんちょ……う……に」


 滑る様に左右へと開くエレベータのドア。

 そして、その向こう。

 最初に目に飛び込んで来たのは鈍い光沢を放つ黒大理石の巨大な壁。


「え?!」


 しかも、その重厚な壁には金箔で彩られた『狭』の代紋だいもんがこれ見よがしに埋め込まれていて……。


 あ……あがっ!


 こっ、ここ。エレベータホールじゃねぇじゃん!

 エレベータ降りたらいきなり狭真会きょうしんかいって、このビルどうなってんのっ!

 もうガチの、ってか、ガッチガチの暴力団組事務所じゃん!

 不動産屋の面影おもかげが一ミリも残って無いって一体どう言う事っ!?


 そのあまりの威圧感に、僕は目を見開いたまま微動だにする事が出来ない。


『たっ、タケシ! 撤収てっしゅう! 一旦いったん撤収だっ!』


 クロの方も僕の異変いへんにようやく気付いたのだろう。

 リュックの中から激しく僕の背中を蹴り上げて来る。


 わっ、分かった、クロ。一旦、一旦撤収だなっ!


 クロのおかげでようやく我に返った僕は、何事も無かった様に平静を装いながらも、右手はエレベータの《閉じる》ボタンを超高速連打。

 恐らくこの時の僕の素早い指の動きは、フレームレート120を誇るフルHDカメラを持ってしても、その残像すら捉える事は出来なかっただろう。


 何してるんだよぉ!

 くっそぉ! 早く閉まれよぉ!

 このクソエレベータはよぉ!

 

 狭真会きょうしんかいの組事務所がエレベータから直結ってどう言う構造してんだよっ!

 やっぱ、このビルのオーナは狭真会きょうしんかいで間違い無さそうだな。

 そんでもって、自分達の好きな様にビル自体を改修してるって訳かっ!


 そうだよな、やっぱそうなるよな。

 だって、どう考えたって自社ビルなんだもんなぁ!

 わざわざ共用の廊下なんぞ作る意味無いもんなっ!

 って言うかクロの作戦プラン、いきなりの役立たずじゃんよぉ!


 ようやくゆっくりと閉まり始めるドア。

 

 早くッ、早くぅ!


 ドアが閉じるまで、あと三十センチ……。


 急げっ、急げぇっ!


 残りあと二十センチッ!


 なっ、何とかバレずに逃げ切っ……。


 ――ゴッ!


「あっ!」


 とここで、僕のひたいが押し付けられる。

 しかもそれは、エレベータドアの隙間から突如として現れたで。


「おぉっと、動くなよ若人わこうど。俺のチャカは引き金を軽く仕上げてあるからな。ちょっとした振動ですぐに弾が飛び出すぞ」


 ――ゴゥゥン


 隙間すきまからじ込まれたにセンサーが反応し、無情むじょうにもエレベータのドアが再び開き始めた。


 そして、完全に開ききったドアの向こう側。

 そこに立っていたのは、鋭い眼光を持つ痩身の男。

 しかも、その手に握られているのは、鈍色にびいろに輝く金属の……。


「さぁ、ゆっくり両手を上げろ。何処ドコの鉄砲玉かは知らねぇが、たった一人で直接ウチの事務所にカチコミ掛けるなんざ良い度胸だ」


「あぁ、いや。カチコミだなんて……」


「聞きたい事は後で聞く。まずは両手を上げろ。そしてその手を頭の後ろで組むんだ」


 僕は言われた通り、一旦両手を上げて何も持っていない事をアピールしつつ、今度はゆっくりと頭の後ろで両手を組んでみせた。


「よし、そのままゆっくりと腹ばいになれ、ゆっくりだ。ゆっくりだぞ。下手な動きしてみろ、その脳天に風穴が空くからな」


 三流のヤクザ映画であれば、下っ端のチンピラが言う様なセリフだけれど。

 ホンマモンのヤクザが本気で言ってるとなると、その説得力は半端ない。

 僕は否応もなくその場で平伏す事に。


 しかもその途中、僕に銃口を突き付ける男の背後を見てみると、透明な防護盾を構えた数人の男たちが待機しているでは無いか。

 しかもその男たち全員の顔には黒いガスマスクが装着されていて。


 うぅぅわ。完全装備じゃん。

 って言うか、コレ、本当にヤクザの人達なの?

 ヤクザって言うより、完全に機動隊じゃん。完全武装の機動隊の人達じゃん。


「ほぉ? 後ろのヤツらが気になるか? 最近じゃあよぉ、おめぇみてぇな良く分かんねぇやからが鉄砲玉として送られて来る事が多くてよぉ。派手に殴り込んで来るかと思えば、爆発物持って来たり、催涙弾さいるいだん隠し持ってたりでよぉ。コッチはこっちで色々と準備してんだわ」


 あぁ、そう言う事ですか。

 ヤクザ屋さん達も大変なんですねぇ……。

 って言うか、普通に不動産屋のお客様だったらどうするつもりだったんですかねぇ。不動産屋に来たお客様にまで、こんなむごい仕打ちをするって事は流石に……。


 と、ここまで考えた所で、ようやく気が付いた。


 あ、ボク、だまされてたのか。

 そうか、そう言う事か。

 不動産屋の方じゃなくって、いきなり組事務所の方を教えられたって訳か。

 チクショウ! さっきの黒服の野郎かぁ!

 アイツ、グルだったって事!?

 優しそうなおにいちゃんだったから、すっかりだまされちまったぜぇ!


 って言うか……。あれ?

 あの人、元々悪夢ナイトメアの人間だもんな。

 仲間グルで当たり前かぁ。

 かぁぁぁ! あんなヤツ信用するんじゃ無かったぁ!


「おいっ、コイツの体調べろ。身分証になるものは全部取り上げろ。それから携帯電話も忘れんなよ」


「「はっ」」


 いかつい男たちの手で全身くまなくまさぐられた上に、リュックサックまで取り上げられて。


「カシラ。こいつリュックの中にネコなんぞ入れてやがりましたぜ。しかもそれ以外は女モノの洋服ぐらいで、危なそうなモノは特に見当たりません」


「ネコに女モノの洋服だとぉ? あぁん? おめぇまだわけぇのに、よくそんな変態に育ったなぁ。ちょっと親の顔が見てみたいもんだぜ」


 親は関係無いだろ、親は!


「しっかし、何の武器も持たずにカチコミに来るたぁ良い度胸だよなぁ。で、お前の名前は何っぅんだ? 名前が分からなくちゃ、話もしづれぇしよぉ」


「……えぇっと、僕の名前は、犾守いずもり……です」


「ほぉ、イズモリ君ねぇ。で? そのイズモリ君はぁ、今日は組事務所に何用があって来たのかな? 話の内容によっちゃあ、俺が聞いてやらねぇでもないぞ」


「あ、えぇっと。実は……」


 うわぁ、これ正直に言って良いのかな。

 ここは正直に言う方が良いパターンなのかな?

 判断に迷うぅぅ!


『タケシ、ここは正直に言った方が良いだろう』


 と、ここで肯定的な意見の思念こえが聞こえて来た。


 え? クロ? クロも捕まったんじゃないの?

 なんだか、思念に余裕が感じられるんだけど?


 僕は地面に寝転んだままの状態で、上目遣いに男の様子を伺ってみる。

 するとその男の腕には、首元を撫でられてゴロゴロと喉を鳴らすクロの姿がっ!


 クロぉ! 何めっちゃリラックスしてんのさぁ!

 って言うか、ヤクザ者に抱かれて喉鳴らしてるって、完全に裏切ったの?

 僕の事、完全に見捨てちゃったって事なのぉ!


『いやいや、この男、なかなかに見込みのある男でなぁ。うん。ちょうど良い頃合いの所を撫でて来るのだ。これがまた気持ちが良くてなぁ……なんと言うか、そのぉ……まぁ、気持ちが良いのだ。うん、そう。気持ちがな』


 もぉ! 何だよそれぇ!

 自分の奴隷より、ヤクザの男が良いって言うの!

 私のっ! 私の事は遊びだったって言う事なのねっ!


『あははは、まぁまぁ、タケシ。ふざけるのはそのぐらいにしておけ、とりあえずこの男は聞く耳を持っている様ではある。まずは正直に話しをしてみて、その上で出方を考えよう』


 えぇぇぇぇ。

 クロは気持ち良さげでいいけど、僕は銃口を突き付けられたままなんだよぉ。

 ねぇ、クロぉ。

 もう一回だけ確認するけど、即死の場合って確か復活出来ないんだよね。


『あぁ、そうだ。魔獣の復元力は本人の生存が大前提となる。即死の場合は復活出来ん』


 かぁぁ……ですよねぇ。


 一瞬、参號さんごうぐらいをBootして、全員を血祭に上げてやろうかとも考えたけど。その前に脳天ぶち抜かれでもしようものなら、それでお終いだ。

 仕方が無い、ここはもう一回だけクロの言う事を信じて見るか。


「あぁ、えぇっと。スミマセン。実は僕、北条君の知り合いでして、あのぉ、ちょっと組長さんに耳よりな情報をお届けしようと思って馳せ参じた次第でして……」


 とここで僕はもう一度床に額をこすりつけながら、恭順きょうじゅんの意を体全体で表現してみせる。

 すると……。


「ほぉ、オヤジに合わせろねぇ。お前、歳はいくつだ? 高校生ぐらいか? 高校生ぐらいだったら、世の中の事だってある程度は分かってるだろう? お前みてぇな子供をオヤジに会わせる訳がねぇだろ? そんな事しようもんなら、俺が叱られちまわぁ。なぁ、普通に考えてもそのぐらい分かるってもんじゃねぇか? なぁ?」


「あぁ、えぇっとそうですね。あのぉ……お会いできるとは思っておりませんでしたので、あのぉ、もしよろしければ、ご伝言頂くと言う事では如何でしょうか?」


 ヤッベ。

 空気の読める僕には分かる。

 完全に気分を害していらっしゃる。

 この眼光鋭いお方は、少々気分を害していらっしゃいますよ。

 ここは穏便おんびんに、超穏便に事を進めなければっ!


『タケシ、伝言ではちゃんと親分に伝わるかどうかが怪しい。ここはやはり親分を呼んでもらってだなぁ……』


 あぁぁ! もう! クロはちょっと黙っててっ!

 今はそんな事言える立場じゃないのっ!

 クロは首元撫でられて嬉しそうだけど、僕は銃口頭に突き付けられてて、全然そんな状態じゃ無いのっ!


 そんな僕とクロの会話など目の前の男が知る由もなく。

 僕が譲歩じょうほした所為もあってか、少しではあるけど機嫌きげんも直りつつある様で。


「ほほぉ、そうかい。話の内容に寄っちゃあ、伝言してやっても良いぞ。それじゃあ早く話してみろよ。ちなみに、俺はいま結構忙しくてよぉ。あんまり話が長ぇと、お前の頭弾き飛ばしちゃうかもしれんぞぉ」


 ――ゴツッ、ゴリゴリゴリッ!


 固い金属の感触が後頭部に何度も押し付けられて来る。


「いや、ハイ! お時間は取らせません。いやなに、北条君の話ですと、確か佐竹ってヤツが人を殺したとか何かで組事務所に呼び出しされていると聞きまして、えぇっと、でもその殺した相手と言うのは生きておりまして、全然大丈夫で、ピンピンしておりますので、だから、佐竹を殺す必要は無くって、えぇっとだから……そのぉ」


「おいおいおい。コロスだなんて物騒だなぁ。おい君よぉ。お前、そんな話、何処で聞いたんだ? それ、本当に北条から聞いた話か?」


 突然声のトーンが二段階ほど急降下。

 ヤバいっ!

 殺す、殺されるってセリフは禁句だったか。


 って言うか、そんな事より僕の名前は犾守いずもりでして、決してヤモリでは無い訳でして……。


 いやいやいや。

 名前なんて、この際どうでも良いんだよ。

 それよりこの窮地きゅうちをどうやって乗り切るのかが最優先でっ! 


 まさに支離滅裂しりめつれつ

 あまりの事態に、僕の思考が右往左往していたちょうどその時。


 ――ポーン


 軽い電子音とともに、再び背後でエレベータドアの開く音が。

 すると突然、目の前の男が何やら親し気に話し始めたではないか。


「おぉ、佐竹じゃねぇかぁ。見た通りちょっと立て込んでてよぉ。オヤジが待ってるからお前は早く奥の部屋に行けや。俺もコイツ片付けたら行くから」


 ……え? 佐竹? って、あの佐竹? どうしてヤツがココに!?

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