第66話 地下駐車場でのプラン変更(前編)

 それににしても少し……寒いな。


 手に触れるコンクリートの壁はしっかりと硬く、座り込む床からはまるで冷気が立ち上って来るかの様だ。


「で、あの車を見張るんだったよな」


『あぁ、そうだ』


 間髪入れず、クロの自信に満ちあふれた思念が届く。


 ここは薄暗い地下駐車場。

 と言っても不快な暗さでは無く、高級感を出す為にワザと間接照明を駆使している様にも見える。


 渋谷の外れにあるとは言え、さすがは悪夢ナイトメアの入っているビルなだけはある。

 VIPクラスの人間であれば、直接車で乗り付けるヤツらも居るって事だろう。

 地下駐車場の方にも専用の入り口が設けられていて、しっかりとした空調と照明が施されている感じだ。

 でもまぁ、空調の方は少し効きすぎな気もするけど。


『アレはこの前乗った車に間違いない。車崎くるまざきは誰かに佐竹を送らせると言っていたからな。つまり、あの車を尾行すれば、おのずと佐竹の居場所まで行けると言う訳だ』


「ふぅん、なるほどねぇ」


 僕たちの視線の先。

 そこには一台の黒いワンボックスカーが停められている。

 かなり高級感のあるタイプで、確かにビジネスホテルでの一件で僕たちが乗せてもらった車と同じ車種の様だな。 


「だけどさぁクロぉ。良く分かったね、アレがこの前の時の車だって」


『あぁ、間違いない。何しろも全く同じだからな』


「……え?」


『ん? だから間違いないって……』


「いやいや、その後。その後のセリフ」


『え? あぁ、色と形が同じだと言う事か?』


 ……色と形ぃ?

 あれ? ちょっと嫌な予感がするぞ?


「ねぇ、クロぉ……」


『なんだタケシ。少しは静かにしてろ。今はしっかりと車を見張ってだなぁ……』


「いやいや、ちょっと聞くけど、あの車が車崎くるまざきさん達の車だって判断した理由って……色と形以外にもあるん……だよね?」


『何を言っているタケシ。色と形が同じであれば、間違いあるまい? 他に何が必要だと言うんだ?』


「いやいやいや。そう言った見た目じゃなくってさぁ。何かこう、においいとかさぁ、魔獣独特のこう……何て言うの? 波動……って言うか、魔力ぅ? って言うかさぁ。もっと違う雰囲気な感じで、あの車を特定したんでしょ? ね? 本当はそうなんでしょ?」


 床に置かれたリュックの中から顔だけを出し、車の動きをジッと監視していたクロが静かに僕の方へと振り返る。


『何を馬鹿な事を。そんな事分かるものか。我々グレーハンドは確かに鼻が利く。何しろ数キロ離れた先の血の匂いを嗅ぎ分ける事が出来るのだからな。まぁ、逆に言えば人間はその程度の事が分からないくせに、よく道を間違えずに歩けるものだと感心してしまうよ』


 いやいやいや。

 血の匂いはこの際置いておこうよ。


「ごめん、クロ。もう一回だけ確認するけど。あの車、ナンバーとか見た訳じゃなくって、色と形で判断した……って事で良いよね?」


『あぁそうだ。我々は嗅覚は鋭いが、夜目があまり利かん。お前の言うナンバープレートとはあの数字が書いてある板の事なのだろう? あんなもの、夜中に見える訳がない』


 マジかぁ……。

 この娘、マジで言ってるわぁ。

 本気も本気、超本気で言ってるわぁ。


「……あのね、クロぉ」


『なんだ、タケシ』


「えっとぉ、とっても言い辛いんだけどさぁ。あの手の車ってさぁ。めちゃめちゃ同じのが沢山あるんだよねぇ……」


 何しろご主人様だからな。

 できるだけ、できるだけ傷つけない方向で説明しないとだよね。


『ふっ、タケシ。冗談を言え。あれだけのの車、そうそう同じ造形にはなるまい?』


 そう来たか。そう来てしまったかぁ。

 って……。

 まぁ、手作りには違い無いだろうけど。

 クロに機械が作ったっつっても理解できないだろうしなぁ。


『まぁ、心配するな。私の目は節穴では無い。まずはあの車を見張ってさえいれば問題はない』


 すげぇな。クロぉ。

 その自信って、どっから来るんだろう。

 って言うか、さっき……嗅覚は鋭いが、夜目があまり利かん……とか言ってなかったっけ?

 ねぇクロ? あなたのそのカワイイおメメは節穴なんじゃないの?

 ねぇ本当に節穴なんじゃないのぉ?


 などと思っていた矢先。


「あのぉ……スミマセン」


「うぉ! ビックリしたぁ!」


 突然、背後からかけられた声。


 言葉尻は丁寧だったけど、余りの驚きに思わず心の声が口をついて出ちゃったじゃないかっ!

 そんな腹立たしさをぐっとこらえて、恐るおそるふりかえってみれば、そこには高級そうなブラックスーツを着込む若者おにいさんの姿が。


「あぁ、驚かせてしまってすみません」


「あぁ……いえ、大丈夫です」


 なんだこの人。

 ブラックスーツ着てる所を見ると、悪夢ナイトメアの黒服さんかな?


「私、すぐソコの店の者なんですけど、すみません、もうすぐ開店なので、ここから移動して頂きたいんですが……えぇっと、何かお困りごとですかね? 何か落とし物でもなさいましたか?」


 思いっきりな七三分けに黒ブチメガネ。

 スーツを着ていると言うよりは、スーツに着られている感が否めない。

 雰囲気だけで言えば、上京したての大学生と言った所だろう。

 この様子では、間違い無くバイト君に違い無い。


「あぁ、えぇっと……じっ、実は自転車……えぇ、そう。自転車のカギを落っことしまして、たぶんこの辺りで落としたんじゃ無いかなぁ……って。あはははは」


「あぁ、そうですか。それはお困りでしょう。ちょっとそのまま、そこでお待ち下さいね」


 黒服のおにいさんは何やらポケットをまさぐりながら、僕たちの前を素通りして例の車の方へ。


『タケシ、今の若い男、あの車に乗り込むぞ。やっぱりあの車は悪夢ナイトメアの物だったんだ。ほらみろ! 私の言った事は間違い無かっただろうが!』


 クロの思念がめちゃめちゃ嬉しそう。

 あれだけ自信満々な感じだったけど、内心ドキドキしていたのかもしれないな。

 まぁ、そこがまたクロの可愛い所ではあるのだけれど。


 ――グルォォオン!


 ちょうどその時。

 例の黒いワンボックスカーから野太い咆哮エンジン音が。


 え? あの黒服のおにいさん。

 急にエンジンなんか掛けちゃって。

 車でどこかに行っちゃうのかな?


 と思ったのも束の間。


 ――キキィィ!! ブウゥオォォォ!

 

 突然動き始めた黒塗りのワンボックスカー。

 それがタイヤをきしませ、轟音を上げながら僕たちのいる場所へと爆走して来たでは無いかっ!


 って……オイオイっ! おいオイオイオイッ!!


 ヤバいっ! バレてた!

 あの車を監視してた事がバレてたんだ!

 殺されるっ! これマジで僕たちの事をき殺すつもりだっ!!


 僕は無我夢中でクロの入ったリュックを持ち上げると、力の限り横の方へと飛び退ったのさ。


 ――キキキィィ!


 いや、マジかっ、マジなのかっ!


 そんな僕の行動をまるで予見でもしていたかの様に車は方向を変え、僕たちが倒れ込んだ場所へと正確に突っ込んで来た。


 駄目だっ! かれるっ!


『タケシィッ!』


 クロの悲鳴!


 チクショウ! イチかバチかっ! 車を殴り倒してでも止めるっ!


「うぅぅおぉぉぉぉ!」


 僕はクロの入ったリュックを後方へ放り投げると、片膝を付いたままの格好で、正拳突きの構えを取った。


 来いっ! 来るなら来いっ!

 こんな短い距離での加速なんて大した事無いっ!

 僕だったら! 僕だったら止められるっ!


 ――グオォォン フィィィィ!!


 しかし、エンジン音をき消さんばかりにうなり声を上げる甲高いモーター音。

 ハイブリッド四駆と思われるワンボックスカーは尋常じんじょうでは無い加速力をもって迫り来る。


 流石に無理かっ! 二トン近い車がガチでぶつかって来るなんてっ!

 チクショウ! えぇぇい! ままよっ!


「ハァァァァ! セエェェイッ!!」


 僕は歯を食いしばりつつ、猛然と迫り来るワンボックスカーに向かって渾身こんしんの正拳突きを繰り出したのさっ!!


 ――ビシィィッ! キキィィィィィ!


 ……


 広い地下駐車場に立ち込める白煙とタイヤの焼ける匂い。


 ――ガチャッ……


 白煙の向こう側で、ドアの開く音が。


「あぁ、キミ、大丈夫かい?」


 僕に向かって差し出された手。

 でも僕の体は渾身の正拳突きを繰り出した格好のまま、全く動こうとしない。


「いやぁ、ごめんね。僕、免許取ったばっかりでさぁ。アクセル踏んだら、急に車が走り出しちゃってねぇ。どうやら前の人がサイドブレーキ引いて無かったみたいなんだよねぇ」


 いや……。ごめんねって。

 いやいやいや。ごめんねってどういう事?

 って言うか、サイドブレーキと急発進って何か関係があるの?

 僕、免許持ってないけど、その言い訳って何かちがく無い?


 結局の所、黒塗りのワンボックスカーは僕の正拳突きの一歩手前で見事に停車。

 その結果、完全に空振った僕の腕には尋常じんじょうでは無い負担が掛かって……。


「いっ……痛い……」


 右腕の筋と言う筋から発する激痛と、無事生きていると言う安堵感あんどかんから、思わず大粒の涙がこぼれ出て来る。


「あわわわ、泣いちゃった? 本当にゴメンよ。でもさぁ、僕の車に向かってパンチする姿はなかなか格好良かったよ。本当だよ! 何て言うかさぁ、ちょっと戦隊モノのヒーローみたくってさぁ。いやぁ、良いねぇ。キミ高校生? 僕も戦隊モノ大好きでさぁ。もし良かったら、今度一緒に新大久保に行ってみない? とっても良いフィギュアのお店があってさぁ」


 戦隊モノって……戦隊モノって……。

 僕、本気で死を覚悟したのにぃ……。


 その余りの言い草に、痛さと安堵感あんどかん、更には言い様の無い悔しさが涙の中に加えられて行く。


「あぁ、本当に泣き止んでよぉ。この駐車場って暗いからさぁ。ちょっと車のライトで照らしてあげようって思っただけなんだよ。それに、キミも最初の場所に居てくれればこんな危ない目には合わなかったんだよ?」


 え? このおにいさん、何言ってるの?

 僕が悪いって言いたいの?

 ねぇ、僕が車を避けたのが、逆にダメだったって言いたいのね?

 それって、僕の所為? 僕の所為なの?


 そんな僕の心を知ってか知らずか。

 なぜか天真爛漫てんしんらんまんな笑みを浮かべ続けるおにいさん。


 いいぃぃや、いやいや。

 違うっしょ!? ねぇ、それは違うっしょ!

 元はと言えば……って言うか、全部、ぜぇぇんぶ、アンタの運転が下手だって事が原因なんでしょ! ライトで照らすぅ?! いらねえよ。そんなもん、一回も頼んだ事ねぇっつぅのぉ!


「はっ、ははは。いえ、もう……良いです。大丈夫です。ちょっと……ちょっとだけ驚いただけなんで。えぇ、本当にもう、僕の事は構わないで下さい」


「いや、でも自転車のカギ見つからないと困るでしょ?」


「いえ、ホント、もう……大丈夫っす。ホント大丈夫なんで、これで……これでもう勘弁して下さい。もう、ホントここから移動しますんで。はい、すんません。ホント、すんません」


 世の中に怖いものがあるとすれば、善意と天然のかけ合わせだな。

 こればっかりは救い様がないな……。


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