第57話 犯人の手掛かり

 妖し気なレースのカーテンで仕切られたその部屋は、店全体の雰囲気からすると少々異質いしつとも感じられるほどに落ち着いたデザインで統一されていた。


 黒い本革のソファーに、クリスタルのテーブル。

 部屋の隅に飾られた身の丈程もある大きな花瓶には、生花を用いたフラワーアレンジメントが施されている。


 当然僕レベルでは物の良し悪しは分からない。

 ただ、その装飾に投入された費用が生半可な額で無い事だけは、容易に想像が付く。


「おっ、久しぶりだなぁ……えぇっと、誰だっけ? お前」


 久しぶりだなぁ……って言っておいて、誰だっけ? は無いでしょうに。


「あぁ、はい。犾守いずもりです。先日は大変お世話になりまして」


 僕は部屋の端の方で深々をお辞儀じぎをしてみせる。


 学校の帰り。

 今日は飯田の所へお見舞いに行く予定だったんだけど、その前に僕は渋谷にある悪夢ナイトメアへと足を運んだのさ。


「おぉ、犾守いずもりだったな。そうだった、そうだった。ところで、今日はおっぱいのデカいねーちゃんと、ネコミミ娘は連れて来なかったのか?」


 あぁ……前回来た時は香丸こうまる先輩とクロを連れて来てたんだったな。

 流石にもう一度この店に香丸こうまる先輩を連れて来る気は無いし、クロの方は魔力の回復中と言う事で、子猫の姿で僕のリュックに入ったままだ。


「えぇ、今日は別の用事がある様なので、僕一人で来ました」


 完全にウソだけどな。

 香丸こうまる先輩だったら誘えば来ただろうけど、わざわざ先輩を危険な目に合わせる必要が無い。


「そうかぁ。それじゃあ二人に伝えておいてくれ。仕事が欲しくなったらいつでも俺に連絡しろってな。良い働き口を紹介してやるよ。まぁ、あのおっぱいのデカいねーちゃんだったら、俺の女にしてやっても良い。俺はふところの広い男だからよぉ、男が誰だとか、余計な詮索せんさくはしない主義だ。それに、俺に一度抱かれりゃ、前の男なんざ直ぐに忘れられるから安心しろってな」


「は、はぁ……」


 って言うか、そんな戯言ざれごと伝える訳ねぇだろ?

 それに、昔の男って何だよ。僕の事か? 僕の事を言っているのか?


「で、今日は何の用だ」


「はい、先日は危ない所を助けて頂きまして、そのお礼に伺いました」


 例のビジネスホテルでの一件。

 最終的に死を覚悟した場面で僕たちの事を助けてくれたのは、ブラッディマリーこと真瀬美里さなせみさと先生だった。

 実際問題、先生が個人的に助けてくれたと言うよりは、車崎くるまざきさんをはじめとする悪夢ナイトメアの人達が協力して助けてくれたと言っても過言では無い。

 それはつまり、北条くんが指示を出した……もしくは許可をしたと言う事に他ならないだろう。


 とここで北条くんが車崎くるまざきさんに視線を送る。

 車崎くるまざきさんの方も軽くうなずき返した様だけど。


「いや、お前が気にする事は無い。俺にとっちゃ、単なるビジネスだ」


「ビジネス?」


「そうさ、ビジネスだ。将来的にラグナロクで活躍してくれるであろう選手を育成するのは、プロモーターとしては正当な投資って訳さ」


 育成って……。


「だからまぁ、気にするな……とまでは言わないが、それを恩に感じると言うのなら、時々神々の終焉ラグナロクの方へ参戦してくれ。そろそろ、ブラッディマリーで引っ張るのも限界だからなぁ」


「限界……ですか?」


「あぁ、そうだ。限界さ。人々はヒーロー、ヒロインを求める。絶対的な正義。絶対的な力。そういった崇高すうこうなるものにこそ、人々はあこがれと称賛しょうさんを送るモンだ。しかしなぁ……」


 とここで北条くんの表情が曇る。


「ブラッディマリーはなぁ……強すぎんだよ」


「あ、あぁ……」


「子供向けのヒーローモノを見て見ろ。いや老人向けの番組だって構わない。ほら、最後に印籠いんろうを出すご長寿番組。アレだって同じだ。最初から悪をらしめるんじゃない。ヒーロー、ヒロインは、必ず一度は危機にひんする。その上で悪を退治たいじしてこそ、人々は快感カタルシスを得るんだ」


 なるほどぉ。

 確かにそう言うものかもしれない。 


「まぁ、そんなこんなで、色々と趣向しゅこうらしてショーアップしているが、それもそろそろ限界だ。観衆はブラッディマリーが手を抜いてるんじゃないかと疑い始めている。その疑いはブラッディマリーの強さへの疑いに変わり、やがて神々の終焉ラグナロク自体の信用を揺るがす事にもなりかねん」


 北条くんは目の前に置かれたグラスから、琥珀色こはくいろの液体を口へと流し込む。


「ふうぅ……まぁ、そんな事の前に、ブラッディマリーが人をこわし過ぎる事の方が大問題だがな……あははは、そうだろう車崎くるまざき


 北条くんの後ろに立つ車崎くるまざきさんも苦笑いだ。


「って事で、Bobyボビィとあれだけヤリ合ったにもかかわらず、ピンピンした状態でこの場に現れるお前は貴重な選手だと言う事さ。是非俺のリングに来て、俺をうるおしてくれ」


 北条くんの真意は理解した。

 確かに神々の終焉ラグナロクに出場すれば格闘の経験も積めるし、北条くんへの恩返しにもなる。

 ここは出場しておいても損は無いだろう。


「はい。そう言う事であれば、是非参加させて頂きます。ただ、今も学校に通っておりますので、そう頻繁ひんぱんに出場する訳には……」


「あぁ、構わない。神々の終焉ラグナロク自体も、そう頻繁ひんぱんに開催している訳じゃあない。ある程度スケジュールは決まってるから、後で車崎くるまざきから連絡させるとしよう。それでどうだ?」


「はい、分りました。よろしくお願い致します」


 しかし……。

 数か月前では考えられ無い決断だよな。

 あの頃は人をい殴るどころか、人からまともに殴られた事すら無かった。

 暴力なんて嫌いだったし、それを振りかざすヤツはもっと嫌いだった。


 ……あぁ、そうさ。嫌い……だった。


 しかし、今はどうだ?

 人は『力』を手に入れた途端。

 それを使いたい……と言う欲求に駆られる。

 しかも、その『力』が強大であればなおさらだ。


 よく聞く話で。

 ヒーローは自分の『力』を正義と平和の為に使いたい……と。

 いやいや。

 そんなの単なる言い訳さ。


 ヒーローは。

 強大な『力』を持ったヒーローやヒロインは。

 己が『力』を使う……ただその場を欲しているだけなんだ。


 人助け?

 はんっ!

 そんなの後付けの理由に過ぎない。

 強い相手が欲しい。

 いやいや、ヒーローだって、自分の『力』を完全に凌駕りょうがする相手なんて欲しちゃいない。

 

 ただ、自分が全力を出せる。

 そして、最終的に勝てる。

 そんな場が欲しい。

 ……ただそれだけ。


 至ってシンプル。

 至って我儘わがまま

 至って、自己中心的な考え。

 それしか無いのさ。


 所詮、人なんて。

 人なんて、そんなもんだ。


『えらく達観たっかんしたものだな』


 脳へと直接響くクロからの思念。


 あぁ、達観たっかんも何も。


 僕は単純に、自分の欲求に従ったまでだ。

 今までも、これからも。

 単に、いままで出来なかった事が出来る様になり、

 出来る様になった事を実際に行う。

 ただそれだけ。


 子供が自転車を手に入れて、遠くへ遊びに行きたくなる様に。

 少しだけアルバイトをして金を手に入れたら、いつもより良いモノが欲しくなる。

 そんな話だ。


 僕は手に入れた『力』……それを使ってみたい。それだけさ。


『まぁな、分からんでは無いが、無益な殺生はヤメておけよ。同族殺しは本能に刻まれたルールに反する。本能に反すれば、その影響はいずれ、お前の魂をむしばむ事になるだろう。あるじとして伝えておく。持てる者には、持てる者の覚悟かくごと言うものが必要だ。決して忘れるでないぞ』


 あぁ……覚えておくよ。


 後から思えば……。

 この時の僕は、その言葉の持つ本当の意味を全く理解出来ていなかったと言えるだろう。……いや、理解しようともしていなかった……と言った方が正解かな。

 それはまるで教科書に並んだ無機質な活字の様に、僕の目の中へと飛び込んで来たとしても、貴重な生きる為の教訓として脳内に刻み込まれるには、余りにも薄っぺらい内容モノの様に感じられて仕方が無かったのさ。


「あぁ、それからもう一つお聞きしたい事が」


「ん? 何だ、言ってみろ」


 もう話は終わりだとでも言わんばかりに、半ば腰を浮かせかけていた北条くん。

 彼は僕の声を聞いて、もう一度ソファーへと座り直した。


「いえ、実は僕が入院していた病院で小耳にはさんだのですが、僕の友人が大怪我をしたって……何かご存じないでしょうか?」


 北条くんは真顔のまま僕の顔を数秒にらみつけた後、車崎くるまざきさんの方へと視線を投げる。

 車崎くるまざきさんの方はそんな北条くんからの視線を分かっていながら、微動びどうだにしない。


「いや……知らんな」


「そうですか……ご存じありませんか……」


 背中のリュックからクロが身動みじろぎする様子が伝わって来た。


『タケシ、どうする? あれは北条の手の者の仕業だと思うがな』


 いや、ここで北条くんがシラを切るのであれば、これ以上問いつめても無駄だろう。

 元々、ちょっと特殊な性格だとは言え、あまり裏表の無い人だと思う。

 もしかしたら、本当に知らない可能性もあるし。

 それに……証拠を掴む方法が他に無い訳でもない。


『たとえば?』


 記憶を探るのさ。

 飯田の記憶。

 確かにクロからもらったこの力では、飯田の体を元に戻す事は出来ない。

 ただ、一度隷従れいじゅうさせてから『CORE』を手に入れられれば、飯田の記憶を見る事が出来る。

 そうすれば、きっと犯人も……。


『なるほどな。となると、お前は寝たきりとなってる重篤患者じゅうとくかんじゃに、闇の洗礼を施すと言うのだな?』


あぁ……問題はそこだよ。

なぁ、クロ……それしか方法は無い……んだよなぁ。


『そうだな……無いな。残念だがお前のアイデアを形にするには、それしか私は方法を知らん』


「はぁ……良いアイデアだと思ったんだけどなぁ」


『いや、アイデア自体は悪くない。最終的にお前の気持ち次第と言う事だな』


 あぁ、そうだな……。


 それから僕たちは悪夢ナイトメアを後にして、飯田が入院している病院へと向かったのさ。


 その途中、思案に暮れる僕に向かって、クロが話しかけて来たんだ。


『どうした、タケシ。まだ悩んでいるのか? 犯人に報復するには、確かにお前の言う方法は有効だと思うぞ』


 あぁ、そうだね。クロ。

 でも、本当に大丈夫かな。

 飯田は意識不明の重体。

 そんな友人に闇の洗礼なんかしちゃって。


『まぁな。ただ、闇の洗礼自体は特に体に害がある訳では無いし、お前が手早く済ませれば、相手の負担もそう大きなものでは無いと思うがなぁ』


 いやいや。

 手早く済ませれば……って。なんだよそれ。


 でもなぁ、クロォ。

 手早く済ませる為にも、いつものヤツ……お願い出来るかなぁ。


『あぁ、そうだな。今回は人助けでもあるしな。主たる私がひとはだがぬ訳にも行くまい。で、誰を希望する?』


 うぅぅん。またこの選択かぁ。

 前回も忖度そんたくしちまったからなぁ。

 それに僕が迂闊うかつ綾香あやかを使うと、金取られるしなぁ。


 でも今は固定費になったんだっけ?

 しかし、何だよエロのサブスクって!

 ……あぁ、普通にあるかぁ。

 にしても、ホント、ガメツイ女だよなぁ。


『ん? どうした、誰にするんだ?』


 えぇっと、それじゃあ、今回はあや……


『ん?』


 あや……あやしげな魅力を持つ、クロ様でお願い出来ますでしょうか?

 やはり、この様な場面では、クロ様のあやしげな、そう、妖艶ようえんなる魅力ナシでは、私の愚息も反応しないと言うもの、えぇ、もちろんクロ様、一択でございます。


『ん? そうかそうか。仕方が無いなぁ。それじゃ、今回も私、自ら対応してやろう。しかし、たまには、如月きさらぎ香丸こうまるでも構わんのだぞ』


 あぁ、そっか!

 香丸こうまる先輩って言う手もあったのか?

 しまったなぁ。


『どうする? タケシ』


 えぇっと、それじゃあ!


『それじゃあ?』


 え? えぇっと、それじゃあ……まるで、僕が誰でも良いと思ってるみたいじゃないですか。いえいえ、トンでもありませんよ。僕が反応するのは、常に、常にお美しい、クロ様をおいて他にありません。えぇ、クロ様に比べれば、他の女性陣などゴミ同然ですよ。


『あっははは。そうかそうか。いやいや、そこまで言うな。流石にゴミは無いだろうゴミは。あっははは。まぁ、ゴミは勘弁してやれ。精々虫程度……かのぉ、虫じゃムシ。あっははははは! よし、気分が良いぞ。こうなったら、前回お前が泣いて喜んだを許してやる事にしよう。今回は特別だぞ。なんと、二回まで許してやる。どうだ嬉しいだろう、二回だぞ、二回。だから十分に感謝しろ! あっははははは!』


 はっ、はぁ……。


 って言うか、前回、僕が泣いて喜んだって言うのは、何なの?

 めっちゃ気になるんだけど。

 しかも二回って? ねぇ、そう言う回数的な感じの事なの?

 ねぇ、それってどう言う事? ねぇ! それってどう言う事ぉ!

 はうはうはう!


『あはは、あっははははは!』


 その後も悶々もんもんと苦悩する僕を後目に、クロの甲高かんだかい笑い声が止む事は無かったのさ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る