第46話 老獪か老練か
「グワァオロロロ! キシャァァァ!!」
振り下ろす
決して殺すな……。
そう命じてはみたものの、
魔獣はただただ本能に従い、目の前にある獲物を全力で狩る。
それ以上でも、それ以下でもない。
僕が出来る事と言えば、その許可を与える事だけ。
このコンマ数秒後に繰り広げられるであろう血の
その絶望に
……けど。
――ブンッ、ブオンッ! ズササササッ!
「え!?」
恐怖に顔を
そんな彼らに振り下ろされる鋭爪は、無情にも彼らの体を素通りして行く。
「何だっ、どう言う事だ!?」
その時、
「フフッ……フフフフッ!」
笑ってる。
明らかに
「
「ンんだと、この野郎ッ!」
その間にも矢継ぎ早に繰り出される魔獣たちの攻撃。
しかし、そのどれ一つを取ってみても、
「チッ!」
やがて、
「
掛け声と同時に司教の腕が振り下ろされた。
――フォン!
「グギャアァァ!」
突然、
なっ、何だあの攻撃はっ!?
全く見当違いの方向へと振り下ろされたヤツの腕。
にも
「グギャアァァ! キシャァァ!」
脇腹に深手を負い、それでもなお敵へと挑み掛かろうとする
「もう良い、戻れ
僕は
「
これ以上攻撃を繰り返しても、例の
ここは一旦引いて、体勢を立て直さないと。
「正面を固めろっ!」
「キシャァァァ!!」「グワァオロロロッ!」
怖ろし気な
更なる追撃に備え、守りの体勢を整えた僕たちに対し、なぜか
理由は分からない。
だけど
しめたっ! このまま
そう思った矢先。
今度は
今度は何だ!?
ユラユラ……ゆらゆら。
やがて、その姿は完全に消え失せてしまった。
チクショウ!
全く人影の無い屋上。
あえて言うなら、その中央部分には
しかも、その静けさは不気味なぐらいで、吹き抜ける風は強まっているはずなのに、なぜだか市中の
くっそぉ……
「Boot
――バシュッ……!!
いつもはもっと勢いよく噴き出すはずの蒸気。
それが、今回は吹き抜ける強い風に押し流されて、あっと言う間に
しかも、肝心の
何だっ……どうし……たっ!?
――ミシッ、ミシミシッ
「グウッ!!」
今度は突然、僕自身の体が悲鳴を上げ始める。
全身を襲う途方も無い
まるで自分の体重がいきなり百倍にでもなったかの様な恐ろしい感覚。
足元はフラつき、立っている事すら叶わない。
「あぁっ、クッソ! 一体、何がどうしたって言うんだ!」
思わず両手を地に付け、体は四つん
「ガハッ……ハァ、ハァ!」
息をする事すらままならない。
しかも、横目で見れば
ヤバい! マジヤバい。
これって
だとしたら、早くっ、早く逃げなきゃ。
僕は
「クロッ! クロォ! 起きてくれクロッ! ヤバいんだ、マジヤバいっ! とにかくクロッ! 早く起きてくれっ! クロォォ!」
――フォォンッ! キィィィィン!
「今度は何だっ!」
突然、頭上から聞こえる風切り音。
しかもその後には神経を逆なでするかの様な金属音がたて続けに響く。
僕はクロを
――ギギッ……ギギギギッツ!!
「あぁっ! うわぁぁぁぁ!」
屋上の壁際に設置された巨大な電装看板。
その太い支柱が不気味な
「うおぉぉぉ!」
生身の僕に巨大看板の
今の僕に出来る事と言えば、とにかく先輩と綾香の上に
「クッソォ!!」
――ギギッギギギギッツ!! ドドォォン! ギシギシギシッ!
◆◇◆◇◆◇
「おいおい、ヒデェなぁ……おい」
コレが俺の第一声だ。
屋上一面に散らばる電飾や金属片。
恐らくビルの上に設置されていた看板が横倒しになった時に四散したんだろう。
表現は悪いが、どこの戦場かと思っちまったぜ。
俺達は九階までエレベータで移動。
そこから屋内の非常階段を経由して最上階の機械室へ。
更にそこから屋上へと出て来た所だ。
本当は九階の外非常階段を通って屋上に出るつもりだったんだが。
これさえあれば、どこにでも入れるっちゃ入れるんだが……チッ、余計な手間掛けさせやがって。
「
「まぁな……」
何しろ看板の支柱がスッパリと切断されてやがる。
よくも悪くも、魔獣の攻撃は
こんな人智を超える様な振る舞いは、司教連中の
「ホントによぉ……どっちが
「はい?
俺の
片岡が俺の背後から声を掛けて来る。
コイツ頭は良いはずなんだが、時々空気が読めねぇんだよなぁ。
まぁ、三流私大卒の俺には関係の無い話だ。
「いや、独り言だ。気にするな。そんな事より
「「はいっ」」
二人は短い返事を返すと、身を低くしたまま扉の外へと走り出して行く。
俺はと言えば、壁際から拳銃を構えたまま二人の援護だ。
「右クリア……」
「左クリアです……」
先行する二人の声が聞こえて来る。
どうやら屋上に魔獣の気配は無い様だ。
「ほっほっほ。
背後から聞こえる間延びした声。
いやいやいや、
俺達ゃ
しかも、これからデイサービスで風呂に入れてもらえる訳でも無いんだぞ。
もう少し緊張感を持って欲しいもんだぜ。
これだから
「はい。どうやら屋上に魔獣は見受けられない模様です」
俺は礼節を持った口調で返答をする。
心の中ではどう思っていたとしても、俺の言葉使いがブレる事はねぇ。
伊達に二十年以上宮仕えして来た訳じゃねぇからな。
中間管理職舐めんなよ。
「ほほぉ、魔獣は居らんか?」
「既に何処かへ逃げ去った可能性も……」
ほれ見ろぉ。
お陰で魔獣は逃げるし、バジーリオは看板壊すし。
ホントマジで踏んだり蹴ったりだぜ。
「いや、そんな事は無いぞ。
「はっ……はぁ」
仕方が無い。
俺は
「おいっ、
背後から俺の事を制止する声。
司教の
人間離れした耳に甘いマスク。
チッ! これだからエルフってヤツぁ。
「はぁ。申し訳ございません。出過ぎたマネを致しました」
俺は素直に
すると。
「リッカルド様……」
マジかっ! コイツ何処に
「おぉ、バジーリオ司教か。んん? もう一人の侍従はどうした?」
「はっ、残念ながらカルロは魔獣の手によりプロピュライアを越えました」
「そうか……それは残念な事をしたのぉ。ワシがもう少し早く到着しておれば」
いかにも残念そうな様子の
とは言え、刻まれた
って言うか
突然バジーリオが出て来た事についてはノーリアクションかよ。
まぁ、バジーリオの
年取ると何事にも驚かなくなるって言うのは、どうやら本当みたいだな。
「いいえ、カルロの修行不足。ひいては師たる私の責任でございます」
「いやいや。そう気に病む事は無い。相手はあの厄災とも言うべきグレーハウンド。侍従の身には少々過ぎた魔獣よ。うむ。
「はっ、ありがたきお言葉に存じます」
「うむうむ。それで、魔獣どもは何処に?」
「はっ、奥に見えます看板の下敷きとなったまま動きが御座いません。恐らくリッカルド様の結界により魔力が途絶えた所為かと思われます」
なるほどな。
召喚士を含め、
この『精霊の力』ってヤツは外界に広く存在しているらしいが、俺達
しかし
ただ、この魔力。
人は
つまり、超常的な現象を引き起こす為には、都度外界にある『精霊の力』を寄せ集める必要があるって事だ。
そこで出て来るのが『結界』だ。
『結界』は『精霊の力』が外部から術者へと流入するのを阻害する見えない壁だ。
より強い『魔力』を持つ者が結界を張れば、それよりも下位の術者は外界から『精霊の力』を呼び集める事が出来なくなる。
そうなれば、おのずと魔力も
通常複数の術者が共同で結界を張るんだが、まぁ
「リッカルド司教様。この通り私は侍従の一人を失いました。どうやら私の手に余る魔獣と言う事でございましょう。ご面倒をお掛けしますが、是非この魔獣に最後の
「うむうむ。そうか、そうか」
へっ! バジーリオの野郎もおべっかが上手くなったもんだな。
お前の
魔獣の息の根を止めて、召喚士を捕らえる。
その手柄を
はぁぁ、ヤダヤダ。
偉いヤツらの権力争いってヤツには
「バジーリオ司教。
「はっ、ありがたき幸せ。必ずや私めが召喚士ともども仕留めて御覧にいれます」
はいはいはい。
出来レースもここに極まれりだな。
もう、どっちでも良いから、早く始末してくれっ!
「バジーリオ司教よ。
「はい、その様にお願い致します」
「うむうむ。それでは頼んだぞ、バジーリオ司教」
「はっ」
バジーリオの野郎はそれだけを言い残すと、出て来た時と同様、闇へと溶け出すかの様に消え失せてしまった。
へっ!
もう驚かねぇ。
あぁ、もう驚かねぇぞ。二回目だからな。
……って言うか、片岡。
なんだその表情は。
口を閉じろ、口を。
突然出て来やがったんだから、突然消えたって不思議はねぇだろ?
ほら、
アイツもちょっと驚いてたけど、今はすっかり冷静な顔してんぞ。
俺はマーライオンの様な表情の片岡を放置して、早速
本来、
しかし、これから
まぁ、あえて言うなら、この場で一番安全なのはこの
と、その時。
「一つ……二つ……三つ……」
何だ?
何を数えてやがる?
辺りを見回してみるが、特に何か動きがある訳でもない。
「四つ……五っ」
――フォォォォンッ!!
うおぉっ?!
――ピシッ!! バキッ、バキバキバキッ!
しっ、信じられない。
目の前に広がるその光景。
これは、本当に現実なのか?!
風切り音が聞こえたその直後。
横倒しとなっていたスチール製の大看板もろとも、屋上に四散していた金属片全てが上空へと舞い上げられたのだ。
――バリバリバリィィィィ! バリバリバリィィィィ!!
しかも巻き上げられた物体は突然の竜巻に
「あっ……あぁ……あぁっぁぁ……」
まさに
俺は拳銃を構えたままの姿で、その無残な光景をただ眺めている事しか出来ない。
そして、局所的な暴風がようやく収まった頃。
屋上に残された物はと言えば、切り刻まれ、原型を無くした支柱と思われる太い鉄骨が数本だけ。
やっ、ヤベェなぁ。
コイツら、相当にヤベェ。
コイツら全員、ヤベェヤツのオンパレードだぜ。
綺麗さっぱり、全て吹き飛んじまった屋上。
これじゃあ、あの最恐を誇るグレーハウンドだって、ひとたまりもねぇだろう。
まぁ、これなら後片づけは簡単だよな。
いやまて。
周囲に散らばった看板の
そんな、どうでも良い事が頭の片隅を過ぎる。
何しろ、そのぐらい
「はっ……はは、はははは。りっ、リッカルド司教様。こここ、これはまた
「……」
ん? どうしたんだ、この
なんで無言なんだよ。
もう良いよ。
魔獣だって消し飛んじまったし。
これ以上、こんな危ないヤツらと一緒に居る俺の身にもなってくれ。
「リッカルド司教様? リッカルド……」
「シッ! 静かにせんかっ!」
――シュゥゥゥ……
この時点で、ようやく俺もその
隣のビルとの境目。
ビルの外周に設けられた、コンクリート製の
なにやら
銀色?
いや、銀色と言うには限りなく黒に近い。
ともすれば闇夜に溶け込んでしまう程の
「ほほぉ……あの暴風の中を
しかし、その言葉の意味は割とすぐに判明する事となる。
――バキバキバキッ! メリメリ……メリメリメリッ!!
その
いや、動き出したんじゃない。
立ち上がったんだ。
己が力で。
己が意思で。
己が鋭い爪をコンクリート製の床にめり込ませて。
「グォロロロロ……」
野太い
決して他者を
ただ単に、自身の存在を。
自身がこの場に居る事を周囲に知らしめているだけ。
それはそうだろう。
ヤツには
なぜなら、
生態系の頂点に君臨する者なのだから……。
「ブッ……ブラック……ハウンド……」
コイツは……駄目だ。
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