第43話 幕間 片岡まゆゆの憂鬱(前編)

「……いい加減、吐いたらどうなんですか?」


 頼り無げに輝くルームランプ。

 この部屋にはコイツと私の二人だけしかいない。


「いや、……だから……あのぉ……」


 ハッキリしないヤツは嫌い。

 おどおどしたヤツはもっと嫌い。


「……チッ」


いたっ、いたいっ!」


 パンプスのヒールが眼前で正座する男の太ももへと食い込んで行く。

 

「……時間の無駄ですね。早く口を割らないと、もっと痛い目に遭いますよ……」


「痛っ、イタタタッ! ホント、覚えて無いんだって、本当なんだって!」


 若い男ショタはそれなりに利用価値がある。

 だけど、三十代半ば。

 中途半場なこの年代のヤツらはホント、使えない。


「……近藤さん、私は心底しんそこあきれてるんですよ」


 まだ奥様の喪すら明けていないこの時期に、女をホテルに連れ込むだなんて。

 ただその一点だけでも、私の抱いていた尊敬の念が地に落ちるには十分よ。


 私は怒りと憎しみを込めて、踏みつける足へ体重を乗せて行ったわ。


 ――ギリ、ギリギリッ


「あぁっ痛っ!! いや、マジマジマジッ! ホント、覚えて無いんだって!」


 覚えて無いですって?

 そんな訳無い。

 この部屋には誰か居た。

 間違いなく、近藤さん以外の誰かが。


 部屋の中に充満する濃密な魔力。

 洗礼を受けてからと言うもの、このぐらい濃い魔力量であれば自分でも感じ取れる様になって来た。

 経験と鍛錬たんれんの成せる技と言った所かしら。


 いや、それ以上に鼻腔びこうをくすぐるこの甘いのこ……。

 女の匂いだ。

 シャ〇ル? ……ね。

 しかも、なかなかの高級品。


 阿久津あくつさんから聞いた話だと、召喚士の女はJK女子高生ぐらいだって事だけど。

 そんな小娘が遊び半分でつけるたぐいの代物じゃあないわ。


「片岡さんっ、助けてッ! ギブッ、ギブッ!」


 近藤さん豚野郎が何やら鳴いている。

 だけど、私はドリトル先生じゃないから、が何を言っているのかなんて分からないし、聞く気も無い。


 私は豚野郎の太腿からパンプスを引き上げると、今度はヤツの肩口を踏みつけたの。

 もちろん、まずはつま先の方でだけどね。


「……近藤さん、知ってる事は洗いざらい話して下さい。さもないと、今度はヒールの方でアナタの脳天踏みつける事になりますよ」


 豚野郎が顔をしかめたまま、視線を逸らした。


 ん? 何か隠し事があるの?


「……おいっ」


「……」


「……こっちを見ろ」


「……」


 かたくなに目を逸らす豚野郎。


「……こっちを見ろって言ってんだろうがっ!」


「ひぃっ!」


 突然の怒鳴どなり声に驚いたのか、豚野郎がようやく顔を上げる。


「……言いたい事があるなら、言ってみろ」


「あっ、あのぉ……」


「……なんだ?」


「えっ、えぇっとぉ……」


「……早く言えっ!」


 何度目かの逡巡しゅんじゅん

 その後、ようやく豚野郎が話し始めたのよ。


「片岡さん……あのぉ……パンツ。見えますよ」


「……」


 マジ!? って言うか、ウソ、ウソ、嘘!

 この期に及んで……そんな事言う?

 ねぇ、そんな事言うヤツが本当に居ると思う?


 体中の血液が一気に顔面へと集中。

 それがなぜだか口惜くちおしい。


 イカレてんの?

 この豚野郎、イカレまくってんの?

 次からは豚野郎に降格だっ! 


 ――ガッ!


 私はクソ豚野郎を力いっぱい蹴り倒したわ。


 男ってバカ、男ってバカ、男って本当に馬鹿っ!

 あぁ、なんかイライラする。

 前言撤回っ!

 やっぱり、豚野郎からクソ豚野郎に二階級降格よっ!


 床に這いつくばり、驚きの眼差して私の事を見上げる淫乱クソ豚野郎。


 ……チッ!


 淫乱クソ豚野郎に取り乱したと思われるのもなんだかしゃくよね。

 私は乱れた髪をかき上げながら、こう言ってやったのよ。

 

「……いや、80デニールなんで大丈夫です」


 何言ってるの、私!?

 いやいやいや、大体何が大丈夫なの?


 ちょっと待って。良く考えて見ましょう。

 まずは、この薄暗い部屋。

 ルームランプなんて、せいぜい百ルーメンから、二百ルーメンと言った所かしら。

 となれば、私のタイトスカートの中の照度なんて、せいぜい一ルクス未満。

 月明かりにさえ及ばないわ。

 80デニールのタイツだったら、私の下着ショーツが見えるはずも無い。

 ヤツ淫乱クソ豚野郎の言っている事はブラフね。

 私をおとしいれようとするブラフに違いないわ。


 よし!

 そう言う意味では、『大丈夫』と言う表現で間違ってはいない。

 えぇ、そうよ。

 私の言う事に間違いは無いわっ。


 ――ガチャ


「おい、片岡」


 背後の扉から誰かが入って来た。


「……はい、なんでしょう」


 振り返るとそこには一人の男性が。

 廊下側から差し込む明かりが逆光となって、人相までは良く分からない。


「非常階段から銃声が聞こえた。お前も来い」


「……はい、分りました」


 私は阿久津あくつさんの指示に従い、足早にその部屋を後にしたの。

 この時点で私の体は既に戦闘モード。

 部屋に残した近藤さん好色淫乱クソ豚野郎の事など、頭の片隅にも無かったわ。


 ……あぁ、やっぱり階級特別降格とした事だけは、付け加えておくわね。


 短めのジャケットにギリ隠れる大きさのショルダーホルスター。

 私は愛銃となるGlockを抜き取ると、反対側のショルダーに入れてあったサプレッサーを取り付けたの。

 フレームやトリガー、プラスチックを多用したフレームは、この大きさの拳銃にしてはかなり軽量だとも言われている。


 だとしても……。


 私の手にし掛かるこの重みとは。

 拳銃自体の重さなのか、それともそれを行使する事に対する責任の重さなのかしら。


 目の前では阿久津あくつさんが非常階段の扉の前で耳をそばだてている。

 そして、なぜか私の後ろには白いローブをまとう小柄な老人が、得体の知れぬ微笑みを浮かべたまま静かにたたずんでいた。


 どこかで見たような……気のせいか?


 しかし、気になった事は直ぐに確認しないと心の安寧あんねいが保てない。

 そう、幼稚園以来のこのくせは、未だ治るどころか年々その呪縛じゅばくを増しているのよ。


 自分が理解するまで、絶対に追求の手は緩めない。

 ちなみに、小学校の時のあだ名は“スッポンのまゆゆ”。 


 だからどうした、文句があるのか?

 だったら一回勝負してやんぞ、コラ。


「……阿久津あくつさん……後ろの爺さん……誰ですか?」


「……」


 珍しく阿久津あくつさんが動揺どうようしている様に見える。


 ……気のせいかしら?


 ちなみに、私は非常に勘の鋭い娘なの。

 どちらかと言うと、場の空気を読む事に長けていると言っても過言では無いわ。

 恐らく、遠慮がちに話した私の声が阿久津あくつさんの耳に届かず、困惑されていると言う事で間違いないわね。


 さもあらん、さもあらん。

 聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥。

 私とした事が……。


 余計な忖度そんたくをしてしまって、折角の質問内容を上手く伝えられなかったと言うのは、正に痛恨の極み。

 阿久津あくつさんに無用の時間を取らせてしまった事は、特に反省すべき点って事になるわね。

 えぇ。次回から改善するとしましょう。


 ……私、同じ過ちは繰り返さないタイプなの。


 よし、今度は腹の底から声を出してみるわ。


「……阿久津あくつさん……後ろの爺さんって誰ですか?」


「……」


 おやぁ?

 更に阿久津あくつさんの動揺どうようが深まった様に見えるわね。

 なにしろ、私は非常に勘の鋭い娘なのだもの。


 と言うか、声をしぼったつもりではあったのだけど、結構な声量になっていたのかしら。

 自分ともあろうものが、緊張していたとでも言うの?

 声の抑制が上手く働いていないと言う事ね。

 まぁ、良いわ。流石にこれだけの声量があれば、十分に私の意図は阿久津あくつさんに伝わった事でしょう。


 良し、よし。

 本来の目的をクリアする事が出来た訳だから、ノープロブレム。全て良しとしましょう。


「……」


 私は阿久津あくつさんと目を合わせたまま、じっとその返答を待ったの。

 でも、その答えは思いもよらない方向から帰って来たわ。


「ほっほっほ。始めてお目にかかるのかのぉ。ワシは司教のリッカルドと申すジジイじゃ。これでも、教団の中ではそこそこ知られた顔だと思っておったのだが、まだまだじゃのぉ」


 なんだ? この爺ぃ、自己紹介しやがったぞ。

 しかも、なんだ司教か。

 教団の人間であれば、特に問題は無いはずだけど。


 しかしねぇ……本人の自供だけでは証拠は不十分。

 私は更に念を押す為、阿久津あくつさんに対して確認するような視線を送ったのよ。


「……」


 阿久津あくつさんはまるで何事も無かった様に……いや、何事も無かった事に様に、無言で扉の方へと意識を向けてしまわれたわ。


 えぇ。仕方がありませんね。


 自供において『無言』とは『肯定』であると言いますからね。

 間違いなく、後ろの爺ぃは教団関係者なのでしょう。

 それであれば、特に気兼ねは無用。

 今後起こるであろう『荒事あらごと』において、爺ぃの出る幕は一切ありませんから。


 ただ、司教クラスの人間は何やら不可解な術を使うと聞きますからね。

 何かおかしな事が起こったとして、とりあえず全てはこの司教の所為せいだった……と言う事にしておけば、それはそれで使い道もあると言うもの。

 上に立つ人間は、そうやって使い倒してナンボなのよ。


 やがて、扉の中が何やら騒々しくなって来たみたい。

 連続的に発砲音も聞こえて来る。


「よし、片岡っ、構えろっ!」


「……はいっ」


 阿久津あくつさんがタイミングを見計らい、一気に非常扉を押し開けたのよ。


「ガルルルルッ! キシャァァ!」


 突然の咆哮ほうこう


 ――ダダンッ!


 目の前で銀色に輝く巨体が宙を舞う。


 ――パパン、パンッ! パパン、パンッ! パンッ!


 私は冷静に引き金を引く。

 容赦無く。冷徹れいてつに。

 迷いや焦りは一切無い。


 何故かって?

 それはに『そうしろ』と言われたから。


 阿久津あくつさんも非常扉を押さえ込んだまま、片膝を立てた状態で引き金を引き続ける。


 ――パパン、パンッ! パパン、パンッ!


 ――サッ


 阿久津あくつさんの左手が上がった。

 撃ち方止めの合図だ。


 十発を魔獣と思われる物体に撃ち込んだわ。

 残弾数八。


 マガジンを交換するべきかしら?

 いや、まだ魔獣が潜んでいる可能性も考えられる。

 

 残敵が一頭でも出て来れば、残弾で仕留められなくとも手負いには出来るはず。

 マガジンの交換はその時でも大丈夫ね。

 まずは、周囲の警戒と安全の確保最優先。


 私は拳銃を構えたまま、非常階段の中へと体を滑り込ませて行ったわ。


「……階上クリア。……階下……クリア」


 視認出来る範囲を見渡してみるけど、残敵の気配は一切無い。

 今の戦闘における影響かしら。

 非常階段の中に灯されていたライトのいくつかが破損したみたいね。

 三階の明かりは点いているけど、四階より上の階は暗闇に覆われたまま。


 私の報告を聞いて、阿久津あくつさんが素早く非常階段の中へと入って来る。

 更には階上を探ろうと言うのでしょう。

 いつの間にか持ち出した懐中電灯を片手に、階段を上り始めた様ね。


 となれば、私は下の階へと歩を進める。


 四階と三階の間の踊り場。

 そこには、たった今私がほおむった魔獣が横たわっていたわ。

 体長はおよそ三メートル。

 イメージとしては、銀色に輝くベンガルトラ……と言った感じかしら。


 私も懐中電灯を取り出すと、魔獣の傷跡を丹念に調べてみる。

 左肩、右わき腹、背中にも二発……あぁ、頭部に三発の銃創じゅうそうがあるわね。

 致命傷は恐らくこれね。

 どうやら体に数発撃ちこんでぐらいでは、魔獣コイツの動きを止めるのは至難の業と言わざるを得ない。

 やはり頭部への射撃が肝要。

 積極的に即死を狙って行く必要がありそうだわ。


 私は更に魔獣の頭部を確認する為、その場で屈もうとしたその時。


 ――バシュゥゥゥゥ!


 突然発生した蒸気。


 スプリンクラーか何かが作動したの!?

 いや、違う。

 魔獣本体から発生した蒸気だわ。


 私はポケットからハンカチを取り出すと、その蒸気を直接吸い込まぬよう口元を覆い隠したのよ。


 それからわずか十数秒。

 ようやく収まりつつある蒸気の中から現れたのは、横たわる一人の男性。


 魔獣が変化したの!?


 ……と言う事は流石に無いわね。

 単に魔獣の下敷きになっていただけみたい。


 何しろ、その男性には見覚えがあるわ。


「……加茂坂かもさかさん」


 渋い黒のトレンチコートに、オールバックの髪型。

 目尻に刻み込まれたいくつものシワは、これまで積み重ねて来た経験と実績を表す男の勲章に他ならない。


「……加茂坂かもさかさん、大丈夫ですか?」


 まさか、加茂坂様マイダーリンがこんな所に倒れておられるとは。

 となると、加茂坂様マイダーリンをお助けしたのは、まごう事無き私と言う事になるわね。


 まさかの幸運、まさに僥倖ぎょうこう

 憧れの人物をこの私めがお助けする。

 そんな嬉しい日がこんなに早く訪れようとは。

 ともすれば、この一世一代の好機チャンスを逃す事など考えられないわ。


 あぁ、さもありなん、さもありなん。


 となると、どの様な『戦術』を採択すべきかしら……。


 うぅうむ。


 世には『逆ナイチンゲール症候群』なる言葉があると聞くわね。

 正確にはオーストリアの精神科医であるフロイトの言う所の転移性恋愛てんいせいれんあいの事なのだろうけど、まぁ『逆ナイチンゲール症候群』と言った方が通りが良かしら。


 つまり、患者は治療者に対して恋愛感情を抱くことが往々にしてある……と言う事よ。

 これを活用しない手は……無いわ。


 死に直面した状態の加茂坂様マイダーリン

 更に、それを助ける美しい部下。

 それだけでも、十分なシチュではあるけれど、ここはやはりもう一押しブッコんでおきたい所よね。


 ふぅぅむ。

 根本的に私は回りくどい事が嫌いなの。

 そうよね。

 ここは殿方の大好きなチチに触れさせると言うのが、もっとも手頃で、かつ効果が高いと判断すべきだわね。


 では如何にして、自然にチチに触れさせるべきかしら。

 それには大義名分たいぎめいぶんが必要となるわね。


 うむうむ。

 大義名分たいぎめいぶんね、大義名分たいぎめいぶん

 それさえあれば、局所的で低俗と取られがちなエロも、大局的には人生を豊かにする壮大なジグソーパズルのワンピースとして輝く事が出来るはずよ。

 

「……加茂坂かもさかさん、つかまって下さい」


「あぁ……悪ぃな」


 私は加茂坂様マイダーリンを助け起こすをして、そっと彼の手を私の胸元へといざなって行く。


「……」


 おや? 無言かえ?

 何の反応も無いのかぇ……?


 って……ひゃん!


 はうはうはう!

 加茂坂様マイダーリン、そこはっ……そそそっ、ソコをそう何度も掴み直されてはっ……。


 この片岡っ、その刺激には耐えられませぬぞ。


 彼氏いない歴イコール実年齢の私にとって、この刺激はとても耐えられるモノでございっ……。


「……くぅっ」


 あんっ、ヤバ!

 変な声出ちゃった。

 加茂坂様マイダーリン御前ごぜんで、なんとはしたないっ!


「おい、どうなってやがんだ? 明かりはねぇのか、明かりは?」


 何とっ!

 加茂坂様マイダーリンは、この状況下において、私に明かりを点けよと申されるのかっ?


 なっ、何とご無体なっ!


 いやいや、そのプレイはまだ生娘おぼこである私めには、少々早いかもしれませぬぞ。

 やはり、『初めて』においては隠匿を是とすべきで、色々と、あのぉ……そのぉ……だって……恥ずかしいんですものっ!


「……はぁ、はぁ、はぁ」


 でも……。


 加茂坂様マイダーリンが望むのであれば、致し方ありませんわね。

 これからは、度重なるご要望にお応えして行かねばならぬこの身。

 こんな所でつまずいていて良い訳がありません。

 私、ここは清水の舞台から飛び降りる覚悟にて、点灯させて頂く所存にございます。


 ……って、あっ、あれ?

 力が入りませんよ。


 どうしましょう、懐中電灯氏。

 答えて下され、懐中電灯氏。


 指が……、指が震えて……。

 だって仕方が無いじゃないですかぁ。

 聞いて下さいよ、懐中電灯氏。


 生まれてこのかた二十数年。一度だって殿方と触れ合った事など……。


 ……あぁ、嘘ウソ。

 中学校の時にフォークダンスで手を繋いだ事がありましたね。

 えぇと、ありました。ありました。

 となると、殿方と触れ合ったのは、およそ十五年ほど前。

 その頃から見れば、倍の年月を生きて来た事になる訳でありんす。

 うんうん。

 そう思えば感慨深いものがありますなぁ。

 ねぇ、懐中電灯氏。


 ってあれ? 私、何で懐中電灯を擬人化して話し掛けてるんだろ?

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