第41話 終焉へと向かう逃亡

 ――バシュゥゥ……!


 階上で発生した突然の蒸気。

 白い煙は瞬く間に非常階段の中へと充満して行く。

 俺の横に陣取る吉田も、驚きの眼差しで階上を見上げたままだ。


 この蒸気……時と同じだ。

 ヤツらを召喚したにちげぇねぇ!


「吉田ぁ、気合入れろぉ!」


 俺は階上へとGlockの銃口を向けた。


 そう言えばヤツら、最上階に到着してからなんだかモタモタしてやがったな。

 まさか、屋上に出られなかったってんじゃねぇだろうな。

 となると逆にマズいぞ。

 窮鼠猫きゅうそねこむ。

 ヤツら俺達に向かってきばむいいて来るかもしれねぇ!


「行けっ! らい尽くせっ!」


 狭い非常階段に、突然の声が響く。


 誰だ? 女の声じゃねぇ。

 らい尽くせ……だと?

 ……命令?

 誰が、誰に?


 ――カッカリッ、カッカリッ、カリカリカリッ、ドォォン!


 そんな俺の疑問などお構い無し。

 続けざまに階上から怪しい物音と尋常じゃ無い振動が近づいて来る。


加茂坂かもさかさん、こっ、これって!」


「ビビルな吉田ぁっ! 構えろっ! 来るぞっ!!」


 俺は自分自身に言い聞かせるかの様に、大声を張り上げる。


 ――カリカリカリッ!


 この床を引っく様な乾いた音。

 爪……爪だ。

 爪が床で滑ってるんだ。

 って事ぁ……。


 ――カリカリカリッ……バァァン、バリバリッツ!!


 階上に向けて拳銃を構える二人。

 そんな二人の眼前に、突然転がり落ちて来た銀色の物体。


「キシャァァァァ! グルルルルルルッ!」


 全身を覆うシルバーの体毛。

 体高だけでもゆうに二メートル近くある。


 くっ! やっぱりグレーハウンドか!


 ブラックハウンドを呼び出そうにも、この非常階段では狭すぎる。

 呼び出したが最後、ビル自体に大穴を開けてしまう事にもなりかねない。

 その点、グレーハウンドであればブラックハウンドに比べて幾分小型であり、この狭い非常階段でも小回りが利く。

 もちろん小型と言っても人間よりは遥かに大きく、厄災とも言うべき危険極まりない魔獣である事には違い無いが。


 ――カリカリ、カリカリカリッ! 


 爪が滑って上手く踏ん張りが利かないのだろう。

 方向転換すらままならない様子だ。

 どうやらツルツルと滑るセラミックタイルの床は少々勝手が違うらしい。

 ヤツは姿勢を上手くコントロールする事すら出来ず、都度壁面へと衝突しながらようやくここまで降りて来たに違いない。


 ――メキメキメキッ、バリバリッ!


 すると突然、滑る床面に対して無理やりその鋭い爪を食いこませ始めたではないか。


 なんだよっ! 足場を確保しようってのか。


「グルオォォォ!」


 突然の咆哮ほうこう


「吉田ぁ! 撃てっ、撃てぇ!」


 ――パンパンッ! パンパンッ!!


 続けざまに四発!

 俺は魔獣のデカい体へと鉛玉をブチ込んでやったのさ!


「キシャァァァァ! キシャァァァァ!」


 断末魔の叫びを上げる魔獣。


 効いている。

 間違いなくGlockの放つ9mmパラベラム弾 は、魔獣に対しても効果がある。


 って言うか、吉田ぁ!

 なぜ撃たねぇんだよっ!

 余計な所で撃つクセに、何で今撃たねぇんだよっ!


 横目で吉田馬鹿野郎の様子をうかがってみれば、ヤツぁ大きく目を見開いたままで、ガチガチに硬直してるじゃねぇか!


「チッ! 手前てめぇは死にてぇのかっ! 吉田ぁ、撃て、撃て、撃てぇ!」


 俺は罵声ばせいとともに、ヤツの左脇腹を蹴りつけてやった。


「グハッ! あ、あぁ、はっ、はいっ! うっ、撃ちますっ!」


 ――パン、パンッ、パンッ!


 突然我に返った吉田。

 ヤツは未だもがき続ける魔獣に向けて、続けざまに三発の銃弾を撃ち込んでみせた。


 ――ビシッ、ビシッ! 


 しかし、その内の二発は魔獣本体から大きく外れ、壁や天井に小さな穴を空けたのみ。


 んだよ、この吉田のクソ野郎!

 撃ったら、撃ったで外すのかよっ!

 役立たずかお前はっ!


 俺は吉田の援護には期待せず、更に片足立ちのまま魔獣の頭部へと狙いを定めた。


 死ねっ!


 ――パン、パンッ!


 必殺の二連射。


 最初の四発でヤツの動きが鈍っていたのも幸いだった。

 俺が慎重に放った二発の弾丸は、魔獣の顔面を的確に捉えたのだ。


「キシャァァ……ギッ!」


 その直後。

 銀色に輝く魔獣は眉間から鮮血をまき散らしながら、壁にもたれ掛かる様に崩れ落ちて行く。


 やった! ってやった。

 この俺様がってやったんだ。

 文明の利器、舐めんなよっ! この魔獣原始生物めぇっ!

 人間様に盾突たてつこうなんざ、百万年はえぇっつってんだよぉ!


「はは、あははっ!」


 心の底から湧き起こる感動。

 恐怖とそれを上回る安堵あんど感。

 更に勝者としての優越感と、一つまみの罪悪感を足した複雑な想い。

 居ても立っても居られない。

 とにかく叫び出したい衝動に駆られた俺は、両手を大きく突き上げて叫んだんだ。


「うぉおぉ! ……」


「ヒィヤァァァァッ、ハァァァァッ! ウキィイィィ!」


 あ、あれ?!


 俺の雄叫おたけびをもき消す奇声きせい


「おっ、おい。吉田……」


 俺の隣で縮こまっていたはずの吉田。

 そんな男が狂った様に跳びねながら、魔獣の元へと駆け寄って行く。


「あ、危ないぞ、まだ生きてるかもしれんっ」


 俺の忠告など聞く耳を持たない。

 ヤツは奇声きせいを張り上げたまま、今度は魔獣のむくろに蹴りを入れ始めたのだ。


「ヒャハハハハ! コイツッ、コイツめぇぇぇ! 脅かしやがってぇ、何だよ拳銃で撃ったら死んじまうんじゃねぇかぁ、マジビビッて損したぜぇぇぇ、ヒャハハハハ!」


 執拗しつように……ただ執拗しつように魔獣の死骸しがいを蹴り続ける吉田。


「吉田っ、そのぐらいにしておけっ、おい、吉田ぁ、聞いてるのかっ!?」


 ――カリ……


 え?


 ……


 今、音がしなかったか?

 吉田の叫び声がうるさくて、良く聞こえなかったが……。


 ――カリカリ……


 やっぱり聞こえるっ!


「吉田っ、吉田ぁ!」


 吉田あのバカは未だ狂ったように獣を足蹴あしげにし続けている。

 そんな吉田バカを取り押さえようと、俺が階段を上ろうとした次の瞬間。


 ――バタバタバタッ、ドドン、ドドォォン!


 文字通り、目の前に降って湧いた二つの巨塊。


「「グルルルルルルッ!」」


「アガッ……あっ……あぁぁぁ」


 言葉が……出ない。

 いや、口は開いているはずなのに。

 空気が喉を通って出て行かない。


 俺は大きく目を見開いたまま、ゆっくりと後退あとずさってしまう。

 吉田の野郎に至っては完全にその動きを止め、ただその銀色の巨体を見上げる事しか出来ない。


「まっ、まだ居やがった……のか……」


 そうだ。

 誰が魔獣は一頭だけ……と言ったんだ?

 高架橋の時だって最初はグレーハウンド、その後にブラックハウンドが召喚されてたじゃねぇか。


 召喚士は空間を捻じ曲げ、自身子飼いの魔獣を異界から呼び出すと言う。

 その召喚に使われる魔力量は膨大で、しかもその呼び出す魔獣の質量に応じて指数関数しすうかんすう的に必要となる魔力量は膨れ上がって行く。


 そんな事情もあってか、一度に呼び出せる魔獣はせいぜい一頭。

 グレーハウンドレベルの質量であれば、複数の召喚士が協力してようやく実現できるレベルのはずだ。

 更にブラックハウンドを呼び出すとなれば、常識では考えられ無い程の召喚士が必要となる。


 あぁっ! そうか。

 さっきのヤツ……さっ、三人居やがったっ!

 全員が全員、召喚士だったって訳かっ!


 これで理屈が通った。


 三人とも並外れた魔力量を持つ召喚士だったに違いない。

 召喚士の少女がどうして不死身の体を持つのかはとりあえず置いておいたとして、グレーハウンドを呼び出した後、続けざまにブラックハウンドを呼び出せた事も、これである程度納得が出来る。

 ただでさえまれな召喚士だが、三人居るのであれば、今ここでのグレーハウンドを召喚したとしても、驚くべき事では無い。


 しかし、あと二頭はキツイ。

 一頭仕留められたのは、単なるラッキーだった。

 もしここで二頭同時に飛び掛かられたら、間違いなく喰い殺されるに違いない。


 俺は魔獣に気取られぬ様、細心の注意を払いながら、更にゆっくりと後退あとずさり始めたんだ。

 事に、新たに表れたグレーハウンド二頭は、吉田の事をにらみ付けたまま動かない。

 時折後ろの一頭が既にむくろとなった魔獣仲間グレーハウンドの臭いを嗅いではいたが、暫くするとまた吉田の方へと視線を戻してしまった。


 例えば猫の狩猟本能をくすぐる解発因かいはついんは音や動きだ。

 恐らくグレーハウンドもそれに近い本能を持っているに違いない。

 吉田もその事が分かっているのか、それとも単にビビっているだけなのか。

 魔獣二頭の前にたち尽くしたまま、微動だにしていない。


 暫くすると、魔獣たちは怖ろしい形相のまま、吉田の体の臭いを嗅ぎ始めたではないか。

 書物によれば、確かグレーハウンドは視覚よりも、聴覚と嗅覚が発達していたはずだ。

 ヤツらはヤツらなりに、吉田が危険かどうかを判断しようとしているのだろう。


 どうする? どうする?

 このまま吉田を見殺しにするか?

 それとも……。

 いや、そんな事言ったって、どうしようもねぇだろ。

 今、ここから俺が出来る事は何もねぇ。


 魔獣目掛けてGlockをぶっ放すか?

 いや、そんな事をしようものなら、二頭は俺目掛けて殺到して来るに違い無い。

 しかも、手前の吉田が助かると言う保証はどこにも無い。


 それじゃあ、逆に俺がこのままそっと逃げるって言うのはどうだ?

 そうさ、俺がこのままゆっくりと後退あとずさり、ある程度距離の離れた所で物音を立てる。

 そうすりゃ、二頭の魔獣は吉田の事なんざ放っておいて、俺の事を追って来るに違いねぇ。もしかしたら吉田のヤツだって助かるかもしれねぇって寸法だ。


 あぁ、そうさ。

 これはれっきとした作戦なんだ。

 決して吉田を見捨てるんじゃねぇ。

 俺も逃げて、吉田も助かる。

 二人とも助かるのは、この方法しかねぇんだっ!


 俺は確信をもって吉田に対しうなずいてみせる。


 吉田ぁ、待ってろよ。俺は決してお前を見捨てねぇぞ。

 大丈夫だ。安心しろ、吉田ぁ。


 しかし、吉田は視線だけ俺の方を向いたまま、唇を噛みしめ、ただひたすらに涙をこらえている様だ。


 大丈夫だ、吉田、俺を、俺を信じろっ!


 俺は再びうなずくと、魔獣の注意を引かぬ様、ゆっくり、ゆっくりと距離を取って行った……のだが。


「かっ、加茂坂かもさかさんっ! おっ、俺を置いて逃げるんスかあっ!!」


 あっ、馬鹿野郎っ!


「キシャァァァァ!」


 吉田の声に反応した一頭が横一線に前足を振り抜いた。


 ――バシュゥゥ! グシャッ!


「ぐわあぁっぁあ!!」


 魔獣により払いのけられた吉田の左足。

 それが何故か数メートル先の壁に激突して落ちる。


「うわぁ、うわぁぁぁ! 足がっ、足がぁぁぁぁ!」


 吉田は大声を張り上げ、魔獣と自身の血潮にまみれながら、踊り場を転げまわった。

 

「キシャァァァァ! キシャァァァァ!!」


 魔獣の方も突然暴れ出した吉田に向かって、その鋭い爪を何度も振り下ろし始める。


「ぎゃぁぁぁ! 助けてっ! 加茂坂かもさかさんっ助けてぇ!」


 魔獣が続けざまに振り下ろす前足。

 それを両手で辛くも防ぎながら、吉田が俺に助けを求めて来る。


 無理だっ! 吉田、もう無理だ。

 何でお前、あんな所で叫んだりしたんだよっ!

 あのまま黙ってりゃ、助かったのによぉ!

 お前の所為だ。

 お前が勝手にヤッちまった事なんだよ。


 って言うか、俺の方を見るなっ!

 見るなっつってんだろっ!

 俺まで見つかっちまうだろぅがっ!

 俺を道ずれにするなっ!!


 ――パン、パンッ! パン、パンッ! パン、パンッ!


 吉田は魔獣を牽制けんせいしようと闇雲やみくもにGlockを撃ち続ける。しかし、逆にその音が魔獣をより一層刺激する羽目に。


「キシャァァァァ! グオォォォ! キシャァァァァ!!」


 やがて吉田は、左足をがれた上に右足をつぶされ、全身血だらけの状態で壁際にうすくまってしまった。


「グルルルルルルッ!」


 突然動かなくなる吉田。

 魔獣の方も警戒したのか、少し距離を取ったままその様子を眺めているようだ。


 馬鹿野郎……吉田ぁ。馬鹿野郎……馬鹿野郎っ!


 結局俺は何の手出しも出来ぬまま、吉田が魔獣二頭に甚振いたぶられ続けるのを見ている事しか出来なかった。


 吉田ぁ……クソ……吉田ぁ、馬鹿野郎ぉ!


 やがて吉田は壁際にうずくまったままの姿で、まるでつぶやく様にこう言ったんだ。


加茂坂かもさかさん……ホント、アンタ……最低だな……」


 吉田ぁッ!!


 吉田ヤツはそれだけを言い残し、Glockの銃口を自分の口にくわえ込んだ。


 ――パンッ! びちゃ。


「「ガルルルルッ! キシャァァ!」」


 射撃音に反応した魔獣たちが、既に動かなくなった吉田に対して更に襲い掛かる。

 噛み、砕き、引き千切り、咀嚼そしゃゃくする。


 吉田が、吉田としての原型を留めなくなるまで、そう長い時間は掛からないだろう。


 吉田っ、吉田ぁぁ!


 俺はこのタイミングでそっと階段の死角へと体を滑り込ませた。

 心の中では何度も、何度も吉田の名前を叫びながら。


「「ガルルルルッ! キシャァァ!」」


 魔獣たちは未だ、血の狂乱に明け暮れている様だ。

 この間にヤツらとの距離を取らなければっ!


 俺は多少の音が出るのも覚悟の上で、数段飛ばしで階段を飛び降りて行く。


「はぁ、はぁっ、はぁっ!」


 六階から六階の踊り場へ、そして五階、更には五階の踊り場へ。


 その頃になると、ヤツらの獰猛な声はもう聞こえない。

 恐らくヤツらはもう俺に気付いた頃だろう。


 走れ、走れ、走れっ!

 絶対に振り向いちゃ駄目だ。

 とにかく一センチでも、一ミリでも遠くに離れるんだっ! 


「はぁ、はぁっ、はぁっ!」


 肺が爆発しようとも。

 足の筋肉がどれだけ悲鳴を上げようとも関係無い。


 ふざけんな、死ぬよりマシだろっ!

 とにかく逃げろっ、逃げるんだっ!


 ――カッカリ、カッカリ、カッカリ、……


 背後から迫り来る乾いた爪の音。


 ヤバい、追いつかれるっ!

 四階!

 ここでフロアに出るかっ?! 


「キシャァァァァ!!」


 俺の頭上をかすめる。


 駄目だっ! もう背後に居る。

 ここでドアを開ける為に立ち止まるなんて絶対に無理だっ!


 俺は四階にある非常ドアの前をスルー。

 更に四階と三階の間にある踊り場に向かって、一足飛びにジャンプして見せたのさ。


「うぉぉぉぉ!」


 ――ダダンッ!


 足裏に走る激痛!

 これまでの無理が、ここで一気に表面化した。

 俺は自重を支える事すら出来ずに倒れ込み、そのままの勢いで壁へとぶち当たったんだ。


「グハッ!」


 両足の痛みに加え、しこたま打ち付けた背中の痛みが脳髄のうずいを痺れさせる。


 チクショウ! ヤツは、ヤツはっ!


 踊り場に横たわったまま階上を見上げてみれば、両足を大きく広げる魔獣ヤツの姿が。


 そして、ヤツの巨体が軽々と空中に舞う。


 もちろん……俺を目掛けて。

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