第40話 自己欺瞞の正当性

 ――バキッ!


「なに勝手に撃ってやがんだよぉっ!」


「すっ、すんませんっ!」


 ふざけんなよこの野郎ッ!

 相手が一般人だったらどうする気だ!

 俺の仕事増やすんじゃねぇってんだよっ!


 ――ボクッ!


 どうにも腹の虫が収まらない俺は、床にうずくまる吉田に向かって追撃となる蹴りをブチ込んでやったのさ。


 そう。ほんの十数分前。


 俺達が待機してから間もなく、阿久津あくつがエレベータで上がって来た。


 無表情の阿久津あくつが連れて来た男。

 覚えているぞ。さっきロビーで会ったな。このホテルの雇われ店長だ。


 まぁ、何があったかは聞かないが、少なくとも店長は左目辺りをハンカチで押えたまま半泣きの状態だ。

 繰り返すが、何があったか聞く気は無い。


「ホント、もう勘弁して下さいよ。ホントに、本当にお願いしますよぉ」


 そう懇願こんがんする店長。


「いやいや、ご迷惑をお掛けして申し訳ございませんね。ほんの少し、ほんの少しだけ、お力添え頂ければ、私共は即座に帰りますので」


 そう言いながら、俺は店長の右手に二万円をつかませてやる。


 始めのうちこそおびえている様子だったが、現金を渡した途端軽く笑みまで浮かべる始末。


 まぁ、詰まるところ……金なんだよな。


 俺達は店長の持ってきたマスターキーを使って、早速部屋の中へ入る事に。

 但し、いきなり部屋の中が地獄絵図では流石に店長も辛いだろう。

 彼にはエレベーターホールで待っていてもらって、俺と阿久津の二人だけで踏み込む事にしたのさ。


 ――スゥー


 いつ何時なんどき魔獣が飛び出してくるかは分からない。

 細心の注意を払いながら俺は部屋の扉を押し開いて行く。


 暗い室内。

 特にこれと言った動きは感じられない。

 一歩、また一歩。

 俺と阿久津は部屋の中へと踏み込んで行く。


 二つ並んだベッド。

 その一つにうつ伏せのまま倒れ込んでいる男が一人。


 息は……ある。


「近藤っ。起きろっ! 近藤っ!」


 俺が首元をつかんで揺さぶると、ようやく近藤が目を覚ました。


「かっ、加茂坂かもさかさん。どど、どうしてここに?」


「どうしてもこうしてもねぇよ。お前こそこんな所でなにしてやがる?」


 近藤の野郎は未だ状況を理解出来ず、ただオロオロと辺りを見回すだけ。


 木偶でくぼうかよお前はっ!


「そんな事より、その汚ぇケツを仕舞え。そして言え。例の少女は何処へ行った?」


「しょ、少女?」


 何の事だかまだ分かって無い様だ。


「少女っつったら少女だよ。お前が酔わせて連れ込んだ女の事だよっ!」


「いっ、いやぁ……俺、ちょっと良く覚えてなくて……」


「覚えてねぇだぁ! 三十も過ぎたオッサンが女子高生相手にBARで酔わせるたぁ、何事だよっ! このクソ野郎、思い出せ、思い出せっつってんだろっ!」


 俺はこれでもかと近藤の頭を小突きまわす。


「いや、加茂坂かもさかさん、マジで、マジで俺が飲んでたのはそんな子供じゃ無いっす。少なくとも二十歳は超えてる女でしたよ」


 何をこのぉ、嫁しか女を知らねぇ童貞野郎が何言ってやがるっ!

 ……と言おうと思ったが、流石にそれはヤめた。

 コイツの事はどうでも良いが、嫁さんの事を悪く言うつもりはねぇ。

 一応、俺はそう言う心遣いは出来る男なんだ。


「それじゃあ、この部屋に充満する魔力は一体なんなんだよ。お前が連れ込んだのは、メスのブラックハウンドだったとでも言うのかよぉ!」


「ブッ、ブラック……」


 そう言ったっきり、このクソ野郎はまたもや固まってフリーズしてしまう。


 ダメだなこりゃ。

 マジで酔い潰れてたらしい。

 これ以上、コイツを怒鳴っても情報は出て来やしねぇだろう。


 俺は手袋をはめた手で、床一面を這うようになぞってみる。


 いや、床だけじゃない。

 壁にも天井にも。

 この部屋の隅々にまで広がる魔力残滓まりょくざんし


 何だよ、オイオイオイ。

 この部屋で一体何があったんだ。

 まるで部屋の中で、魔力が入ったバケツでもひっくり返した様な惨状だな。


「チッ! 阿久津アクツ、玄関前には誰か居るか?」


「はい、片岡が張ってます」


「よし。お前、玄関に行って片岡と交代しろ。もうじき司教二人と警備課の連中が到着するはずだ。到着したら、すぐ俺に連知らせるんだ。それから、警備課の連中にはこのホテル全体を結界で囲う様に指示をしておけ」


「わかりました」


「あぁ、それから片岡にはこの近藤淫行野郎の御守りをさせておけ。その上で、コイツが便所に行った回数まで、とにかく全部思い出させるんだ。いいなっ!」


「承知しました」


 阿久津あくつはそれだけを言い残すと、足早に部屋を出て行ってしまう。


「おい、吉田」


「はい」


「お前は俺と一緒に来いっ!」


 俺はもう一度廊下に戻ると、床や壁など手あたり次第に手をかざして行く。

 そう。廊下や壁に付着する魔力残滓まりょくざんしを探す為だ。

 これだけ強い魔力だ。

 そう時間が経っているとは思えない。

 絶対ヤツら、このホテルの何処かに隠れているに違いない。


 四階フロアを調べるぐらいなら、ものの数分で完了だ。


 しかし……おかしい。

 このフロア全ての部屋の取っ手には魔力残滓まりょくざんしは見受けられない。

 しかも、四階のエレベータに至っては、ボタンを押した形跡も……無い。


 どう言う事だ、どこへ消えたんだ。

 用意周到に手袋でもはめてやがったのか?

 いや、それだったら部屋のドアノブに魔力残滓まりょくざんしを残して行くはずがない。

 それとも、アイツの能力は空間転移か何かなのか?

 まぁ、召喚士だったらありえなくは無いが。

 いや待て。

 もしそれが出来るぐらいなら、例の高架橋の時も簡単に逃げられたはずだ。


 何か他に方法が……。


「あっ……」


 エレベータの隣。

 目立たないよう、少し奥まった所に金属製の扉が設置されていた。

 その中央にはげかけたグリーンの文字が浮かぶ。


「非常階段……屋内用か……」


 普通、屋内用の階段には扉など無いものだが、このホテルには防火扉が付いていると言う訳か。

 そう言えば廊下の端、ガラスドアの向こう側には、屋外用の非常階段も設置されていたはず。もちろん、屋外用の方は確認済だ。


 俺は高鳴る鼓動こどうを感じつつ、非常階段の扉へと手をかざしたんだ。

 そこには、薄紫に光り輝く魔力反応が。

 先ほど部屋で見た魔力残滓まりょくざんしと明らかに同じ物だ。


「吉田ぁ、銃を構えろ。それから、サプレッサーを忘れるな」


「はっ、はい」


 吉田は俺に言われた通り、ジャンパーのポケットから、かなり長いバレルとなった拳銃を取り出しつつ、先端部分を丹念に確かめている。


 サプレッサーとは、拳銃の先端に取り付ける『抑制器』の事だ。

 『消音』では無く、あくまでも『抑制』である。

 スパイ映画かなんかで、横で女が寝ているにも関わらず、このサプレッサー付きの拳銃でターゲットを撃つ場面を見た事があるが、あんなのは嘘っぱちだ。

 多少破裂音の高音域がカットされはするものの、拳銃を撃った音の大きさ自体は普通に撃った場合と、そう大差無い。

 つまり、いくらサプレッサー付きの拳銃だろうと、寝てる隣で発砲された日にゃ、絶対に目が覚める。

 もし目覚めないとしたら、ソイツ自身も既に死んでいるに違いない。


 まぁ、ここは東京のど真ん中。

 しかも寝静まった深夜に発砲するかもしれないんだ。

 多少とは言え、気遣いは必要だろう。

 何しろ、俺は気遣いが出来る渋い大人だからな。


 俺は非常階段の扉をあけ、ゆっくりと中へ進んで行く。

 後に続くのは吉田ただ一人。


 上か、下か。……どっちだ?


 俺は再び非常階段の手すりに向かって手をかざしてみた。


 ほほぉ。……上か。


 上階へと向かう手すりが薄っすらと輝いて見える。

 どうやら、外へ逃げた訳では無さそうだ。

 ホテルの何処かに潜んでいるのか。

 それとも、一般客に紛れて、普通に宿泊しているのか。


 よし。

 この後は一階ずつ丹念に調べて行けば良い。

 焦る事は無い。

 もうじき司教や警備課の連中も到着する。

 ホテル全域を結界で覆ってしまえば、そう簡単に魔獣を召喚する事も出来なくなるだろう。


 ただまぁ、この結界だけは前回の高架橋の時に失敗しているからな。

 あまり期待は出来ないが、やらないよりはマシだ。


 ……魔法。

 神の祝福とも呼ばれるこの力は、地上に満たされている精霊の力により行使されると考えられている。

 つまり、結界を張り、外界と結界内を遮断してしまう事が出来れば、精霊の力を活用する事が出来ず、結果的に魔力も使えなくなると言う寸法だ。

 例えばビル火災なんかの時に、部屋を二酸化炭素や窒素で充満させれば、結果的に酸素か減り、火が消えるのと同じ様な原理だと言って良いだろう。


 俺達は四階から五階へと上って行く。

 五階の非常口の取っ手を調べてみたが、魔力残滓まりょくざんしは確認されなかった。


 つまりヤツらは六階より上って事か。

 このビジネスホテルは九階建てだ。

 残り四フロア。

 なんだ、楽勝じゃねぇか。

 これなら、ほぼ確実に追い詰められる。


 俺達が更に階段を上ろうとした、丁度その時。

 上の階の方で扉の開く気配が。


 俺は吉田に目配せしつつ、上階を見上げながら銃を構え直した。


 薄暗い非常階段。

 七階……いや、八階か。

 俺は手すりの影に隠れながら、上階の動きを探る。


 人影が見える。

 一人、二人、三人。……三人か?

 ん? 三人目。

 顔は良く見えないが、あの背格好……もしかして……。


 俺が断定を躊躇ためらった一瞬のすきに、吉田が俺の前へと躍り出やがった。


 ――パン、パンッ!


 突然、目の前で炸裂するGlock。


 ふざけんなよこの野郎ッ!

 なんで発砲しやがったんだっ!


 俺は勝手な行動をした吉田を殴り飛ばしただけでは飽き足らず、更に蹴りを一発お見舞いする。


 相手が一般人だったらどうする気なんだよっ!

 もし本物だとしても、これで俺達の事がバレちまったじゃねぇか。

 まだ司教連中は到着してない。

 現有戦力は俺と吉田が持つGlock二丁のみ。


 ヤベぇ、ヤべぇよっ!


 こんなもん、絶対に勝てる訳がねぇ。

 俺達はヤツらを追い詰めればそれで良かったんだよ。

 わざわざ戦う必要なんて無かったんだ。

 そんな危ねぇ仕事は司教連中にやらしときゃ良いんだよ。

 何しろ、ヤツらは俺達より全然高い給料もらってんだからよ。

 もらった分は働いて返してもらうっつーのが、社会の仕組みってもんだろっ!

 分かってんのか、この青二才!

 ふざけんなよ、吉田のクソ野郎がっ!


 ◆◇◆◇◆◇


「なっ、何だ!」


 非常階段に響き渡る炸裂音。

 音が反響するから、一体何処で何があったのかを正確に把握する事すら出来ない。


 振り返れば香丸こうまる先輩と綾香あやかが壁際でへたり込み、互いに抱き合いながら不安そうに天井を見上げているではないか。


 上? 上か?


『タケシ! 人だ。しかも下だ。下に居る』


 僕は手すりの間から、階下を見下ろしてみる。

 すると。


 居る。二人っ。


 薄暗くて人相は分からない。

 だけど、間違いなく一人は黒トレンチコート男だ! 教団の連中に間違いない。


「下はダメだ。屋上、屋上に逃げよう」


 不安そうな表情の先輩と綾香あやか

 そんな二人も僕の指示に無言でうなずいてくれる。


 しかし、マジか。

 あれ、絶対に発砲音だよな。

 あいつらろくに確認もせず、イキなり撃って来やがったぞ!


 僕たちはなるべる非常階段の壁側に沿いながら、階段を駆け上って行ったんだ。

 男達は……追って来る。

 とは言え、特に距離を詰めると言う訳でも無く、僕たちの動きに合わせて一定の距離を保っていると言った感じだ。


 上る、上る、上る。

 九階を過ぎ、更に屋上に向かって階段を駆け上る。

 わずか二階分しか無いはずなのに。

 緊張と急激な運動により、簡単に肺が悲鳴を上げ始めた。


「はぁ、はぁ……っはぁ!」


 ようやく屋上だ。

 香丸こうまる先輩が扉の前で待ってくれている。


犾守いずもり君!』


 先輩からの思念。

 んん? その思念にはなぜか悲壮感が漂う。


『どうしました? 早く外へ!』


『開かないの。扉が開かないっ!』


 え? 扉が開かない?


 非常階段最上階の踊り場。

 その正面にある金属製の扉は、鍵が掛かっていて開ける事が出来ない。

 そして、扉の表面に書かれている文字は。


「機械……室」


 そうか、このホテルの屋上は一般客が出入り出来ないんだ。

 隣がエレベータだし、その機械室への出入り口になってるって訳かっ。

 ヤバい、逃げ場が無いぞっ。


『タケシ、どうする? この場は私が……』


 クロからの思念には決死の覚悟が感じられる。

 自分を犠牲にしてでも、僕たちを助けようって言うのか!?


『いや、ダメだ。それだけは絶対にダメだ!』


『だがタケシ、ならばどうする?』


 どうする? どうする?

 ヤツらは人殺しなんて、何とも思っちゃいない。

 それに、あの黒トレンチコートの男。

 結香ゆいかを殺した金髪野郎の片割かたわれだ。


 ヤバい、ヤバい、ヤバい。


 殺される。

 僕たち全員、問答無用で殺される。

 腕をもがれ、足を引き千切られ、バラバラな肉片となって血の海に沈むんだ。

 あの結香ゆいかと同じ様に……。


 僕も、クロも、先輩も、そして綾香あやかも……。

 全員がなぶられ、痛めつけられ。

 どれだけ泣き叫んでも、どれだけ慈悲じひを乞うても許してなんてもらえない。


 僕らはヤツらの敵。

 そして、ヤツらは僕らの……敵。


 ……


 あんなヤツら……死ねば良いんだ。


 そうさ、そうなんだ。

 アイツらは死んで当然のヤツらなんだ。

 そんなヤツらを殺したって、僕はちっとも悪く無い。

 しかも、ある意味これは正当防衛だとも言える。

 まさに一石二鳥。

 自分の身を守りながら、悪人人殺しを退治出来るんだからっ!


 正義を守るのは僕だ。

 そうさ、僕が正義の味方、正義のヒーローなんだ。

 僕が正義を守らないで、一体だれが守るって言うんだよ。

 僕の行為は絶対に正しい。

 絶対に絶対に、絶対に間違ってなんか無いっ!

 殺す、コロス、殺す。ヤツらを殺すっ!


『タケシ……』


「ふぅぅ……大丈夫。僕に……任せて」

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