第23話 特異門《ゲート》

 時は半月ほど前へとさかのぼる。


 ◆◇◆◇◆◇


「探せっ! 一匹だけとは限らんっ! あの体躯だ。草むらはもとより、物陰や建物の隙間まで、くまなくチェックするんだっ!」


 八王子市郊外の山間部。

 未明の霊園が緊迫した空気に包まれて行く。


 夜半から降り始めた雨は既に峠を越えたとの予報だが。

 未だ霧雨きりさめが続いていて視界が非常に悪い。


 日の出まであと二時間余りか……。

 早く見つけないとヤバいな。


「それから、武器の使用を許可する。繰り返す、武器の使用を許可する。各自スリーマンセルを意識して警戒を怠るなっ! 見つけたら直ぐに連絡しろっ!」


 ……俺ぁ何言ってるんだかな。

 武器っつったって、拳銃を持っているのは俺と俺の部下達だけ。

 他の達が持つ武器と言ったらせいぜい警棒に刺叉さすまたぐらいだ。

 まぁ、何人かは教団の倉庫からクロスボウを持ち出して来てはいる様だが、どこまで使える事やら。


 特異門ゲートが開いたとの第一報がもたらされたのは昨夜十時半頃。

 それを思えば、この短時間でよくこれだけの人数が揃えられたものだ。


加茂坂かもさかさん、コイツは……」


 足元に横たわるの死骸。

 溢れ続ける血は雨に流され、排水溝へと吸い込まれて行く。


「あぁ……成獣のレッサーウルフだな」


 体高は七十センチ程度。体重は四十から五十キロと言った所か。

 レッサーウルフは群れで行動する生き物だ。

 最小単位は二頭のペア。

 それが四頭から十頭程の群れを作って狩りをする。

 前回も一頭見落としたが為に、近くの家畜に被害を出してしまった。


 まぁ、家畜だったから良かった様なものの。

 近隣住民に被害が及べば、只事では済まされない。


「まだ……いますかね」


「あぁ、いるだろうな。前々回は一頭だけだったが、前回は二頭だった。それを思えば、今回もまだ数頭潜んでいると考えるのが自然だな」


 そうは言ってはみたものの、正直考えたくも無い数字だ。

 名前こそ下位レッサーだが、全然劣ってなんかいない。

 どちらかと言えば、この世界に済むウルフと同等、いやそれ以上の知能と力を備えている。


 いま足元で平伏すコイツだって、俺の放った鉛玉を二発も喰らい、それでもなお俺に向かって飛び掛かって来やがったんだ。


 司教クラスを呼んだ方が良いか?


 一瞬その考えが脳裏を過ぎる。

 しかし、司教クラスを動員するとなれば、大司教様の許可が必要だ。

 こんな早朝、日も明けやらぬ時間帯に、大司教様へお目通りするなど出来ようはずも無い。


 仕方が無い。ヤルしか無いな。


 この本国異世界からの招かれざる来訪者たちは、絶対に殲滅しなければならない。

 それは、信者たちにどれだけの犠牲者が出ようとも……だ。


「加藤。お前たちはこの場に残って捜索チームからの連絡を待て。発見次第現場に急行し、必ず魔獣を仕留めるんだ」


「はい、分りました。加茂坂かもさかさんは?」


「俺は特異門ゲートの場所からヤツらの足取りを追う」


「分かりました。お気を付けて」


「あぁ。何かあったら連絡する」


 俺は傘も持たずに、霊園から山間やまあいへと続く林道に分け入って行く。


 今回開いた特異門ゲートは、かなり市街地に近い。

 この山間やまあいに造成された霊園からは、わずか五百メートルほど進んだ場所だ。


 特異門ゲートとは、人為的に作られた本国との玄関口の事だ。

 現在稼働しているのは、神殿と本国を繋ぐ常設特異門ゲートのみ。

 総本山である太陽神殿には三つの特異門ゲートが稼働しているとの話だが、まぁアソコは別格だしな。


 しかし時折、自然発生的に不特定な場所で特異門ゲートが開く事がある。

 その場所は完全に不特定ランダムかと言うと、実はそうでも無い。

 およそ前回の特異門ゲートから半径一キロ圏内で、しかも決まってそれは満月の晩に開くらしい。


 しかし今回は早すぎる。

 前回特異門ゲートが開いてから一週間と経ってはいない。

 しかも特異門ゲートの場所は、前回とほぼ同じ。


 自然発生……と言うよりは、誰かが作為的にこの場所へ特異門ゲートを開こうとしているのではないのか?

 そして、回を重ねる毎に、その精度を上げて来ているとしたら?

 だとすると一体誰が……。


 俺は雨で泥濘ぬかるみ滑りやすくなった山肌を、ひとり黙々と目的地に向かって突き進んで行く。

 やがて、木々の間隔が広くなり、少し開けた場所へと到達したんだ。


 そこには、一本の朽ち果てた大木と、その周りには無数の足跡が。


「獣の足跡……。ここだな、間違いない」


 俺はトレンチコートの胸ポケットから一双の手袋を取り出すと、そっと自分の指を滑り込ませた。


 第二級聖遺物『ソフロニアの手袋』

 残念ながら神々の祝福を受ける事が出来なかった我が身だが、聖遺物があればそれと同等の力を行使する事が出来る。


 知恵と勉学、そして氷の女神であるソフロニア。

 そんなソフロニア神の権能の一つに、この魔力探知能力がある。


 俺はその場にしゃがみ込むと、足跡の上へそっと手をかざしてみる。

 すると、地表に残された複数の足跡が、薄っすらと輝き始めたでは無いか。

 いや、足跡が光っている訳ではない。

 それは地表に残された、魔力の残滓ざんしが輝いているのだ。


「……不自然過ぎる」


 肉眼でも視認出来る程の足跡に、こぼれ落ちた大量の魔力。

 これでは、わざわざ痕跡こんせきを追ってくれ……とでも言わんばかりでは無いか。

 そんな魔力の跡は、自分が今登って来た林道へと続いている様だ。


「目くらましの為か……それとも、個体数を多く見せる為のブラフか……」


 俺は細心の注意を払いながら、魔獣たちが残した魔力の跡をゆっくりと辿って行っく。……すると。


 ――ターン、ターン! ターン、ターン!


「四発っ!」


 山間やまあい木霊こだまする銃声。

 俺は追跡を中断し、急ぎ林道を駆け戻って行く。


 ――プルルル プルルル!


 ポケットに入れていた携帯の鳴動。


「俺だっ、どうした? 見つけたか?」


加茂坂かもさかさん、加藤です! 見つけました。レッサーウルフが三頭。先ほどの場所から南南東方向、霊園の端ぐらいです」


「よし、直ぐに行くから絶対に逃がすな」


「分かりましたっ!」


 マズい……。

 南南東方向には市街地がある。

 何とか霊園内で片を付けないと。


 俺は半ば転げ落ちる様にして山中を駆け抜けて行く。

 

 俺の手の中にはGlock17。

 装填弾数は十七プラスワン。

 さっきのレッサーウルフに四発使ったから残りは十四発。


「やれる。大丈夫だ。問題無い」


 の時には訓練以外で引き金トリガーを引いた事など一度も無かった俺だが、教団に入ってからは『ここは日本なのか?』と疑いたくなるぐらいに使い込んでいる。

 その実戦での経験が、俺に大きな自信を与えてくれる。


 ただ、寄る年波には勝てないと言う事だろうか。

 山道を抜け霊園内の平地に出たにもかかわらず、逆に小さな段差で転びそうになってしまう。

 全く不甲斐ない限りだ。


「えぇいっ! しっかりしろ、このバカ足っ!」


 俺は自分の太腿を拳で数回殴りつけながらも、とにかく霊園内をひた走った。


「そっちだ! そっちに行ったぞ!」

「潰せ、クロスボウ! クロスボウは何をしてる」

「射線に入るなっ! 同士討ちに気をつけろ」


 街灯一つ無い暗闇の中、信者たちの叫び声が聞こえて来た。


「加藤っ! 加藤っ!」


「はいっ、加茂坂かもさかさん、私はココにっ!」


 自分と同じGlock17を片手に、獣狩りの指揮をする加藤が駆け寄って来た。


「何頭倒した? 残りはっ?」


「手前に一頭、奥に二頭います。手前のレッサーウルフには俺が二発撃ちこみました。かなり弱ってると思います。奥の二頭には吉田が二発撃ちましたが外れた様です」


 いくら性能の良い銃でも、射手が素人では当たるものも当たらない。


「手前のヤツは他の信者に任せて奥の二頭を追うぞ。市街地に行かせる訳には行かない」


「はいっ」


 俺と加藤は血だるまになったレッサーウルフの脇を迂回すると、更に霊園端に陣取る二頭の元へ。


「ゆっくり取り囲め」

「武器を持っていない者は後方へ!」

「クロスボウ! 遠くから射かけるんだ!」


 こちらでは霊園端の林を背に、二頭のレッサーウルフとの睨み合いが続いている様だ。


「ヤツらも疲れているのかもしれませんね。向こうから襲い掛かっては来ない様ですし」


「うぅぅむ」


 いや、何かおかしい。

 レッサーウルフは単なるけものでは無い。

 下位とは言え魔獣だ。

 ある程度だが、知性もある。

 そんなレッサーウルフが林を背にして立ち塞がり、俺達を迎え討つなどと言う事を本当にするものだろうか?

 逃げようと思えば逃げられるはずなのに。


 時間稼ぎ……?


「加藤っ! この場はお前に任せた。俺は迂回してヤツらの後ろに回る。無理に仕掛けようとするな。こちらからの攻撃は、体勢が整ってからだ」


「はい、分りました」


 俺は墓石の影に身を隠しつつ、ヤツらの後方へと回り込んで行く。


「やはり……」


 ヤツら二頭の後ろには、コンクリートで舗装された小さい脇道が見える。

 俺は二頭のレッサーウルフに気付かれぬ様、雑木林の中へと踏み込んで行ったんだ。


 暗い。

 何も見えない。

 ただでさえ雨でぬかるんだ地盤が、足にまとわりついて来る。 

 しかしここでライトを付ける訳には行かない。

 重く垂れこめた雨雲が街の光で照らされて、逆に雑木林の中にまで僅かではあるが光が届いている事だけが頼りだ。


 ――ブォォン、ゴォォォ!


 自動車の音。

 中央自動車道か?


 俺は這いつくばる様にして音のする方へと移動して行く。

 ようやく抜けた雑木林。

 するとそこには、高速道路と並行して走るメンテナンス用の道路が。


「よし、いいぞ」


 中央道はこの時間帯でもそこそこの交通量がある。

 自動車のヘッドライトに照らされた道路上は、ある程度の視界が確保できそうだ。


 俺は先ほどの脇道を探し当てると、早速地面へと手袋をかざしたんだ。


 薄紫に光り輝く魔力反応。

 明らかにレッサーウルフとは異なる強靭な魔力。


「コイツぁ一体……」


 そのまま魔力の痕跡に導かれ、道路を歩き始めたわずかか数秒後。


「あぁ……居やがった。アイツだ。今回のはアイツに違いねぇ」


 高速道路に掛かる陸橋を、今まさにわたり始めようとする大きな影。

 全身を覆うシルバーの体毛。

 体高だけでも二メートル近くはあろうか。


「グレーハウンド……か」


 史上最高、最恐の魔獣。

 一頭だけで城塞都市一つを壊滅させると噂される。

 いや噂だけじゃない。

 本国の方では未だに被害報告が後を絶たないらしい。


「ヤベェ。怖ぇ……震えが止まらねぇ」


 四十を過ぎた男が言う言葉じゃねぇな。


 公安警察時代を含め、数々の修羅場を乗り越えて来たと言う自負が俺にはある。

 しかし、今思えばそれらは全て、人との闘争に過ぎない。


 だが今回は違う。

 相手は異形の魔獣だ。

 

 血も涙も無い?


 いいや。そんな簡単な話じゃねぇ。

 生きとし生ける者、全ての食物連鎖において、頂点に君臨するであろう相手だ。


 恐怖……などと言う『理性的』な怖さとは全然違う。

 動物として、いや生き物の一人として。

 絶対コイツに近寄ってはイケない……と言う本能の叫びが聞こえて来る様だ。


「ははっ……はは。コイツぁ、とんでもねぇヤツが出て来やがったぜぇ。そりゃあ、レッサーウルフたちも死に物狂いで頑張る訳だ」


 俺はコートの裾で汗にまみれた右手を一度だけ拭うと、再びGlock17を力強く握りしめる。

 そして、射線を確保する為、回り込む様にしてヤツの背後へと近づいて行こうとするのだが、震える足腰が全く言う事を聞いてくれない。

 たった一歩。

 足を前に踏み出すだけで、精神がガシガシと音を立てて削られて行くのが分かる。


「しかしなぁ……。お前は日本ココに居ちゃいけねぇんだよ。誰にそそのかされたのかは知らねぇが、お前のむくろは俺が責任を持って埋めてやるからよ」


 グレーハウンドを見たのは今回が初めてだ。

 しかし、あまりにも有名なために、その知識は豊富にある。

 確か夜目は利かず、嗅覚と聴覚が頼りだったはず。

 幸いにも高速道路を走る車の騒音や、降りしきる霧雨が俺の存在を隠してくれるに違い無い。


 俺はそう自分に言い聞かせながら、少し小高い高速道路脇の林の中に身を隠すと、片膝を付いてヤツに照準を合わせたんだ。


 ヤツは陸橋のちょうど中央付近。

 高速道路の道幅は二車線でおよそ七メートル。

 陸橋の端となるここから狙うとすれば、およそ十五メートル程か。

 ハンドガンでも十分狙える距離だ。


「スウゥゥ……ハァァァァ」


 俺は一度だけ深呼吸すると、拳銃の引き金に指を掛けたんだ。


 ――パンパン! パンパン! パンパン!


 二連射三回、合計六発。

 頭部を狙って即死させる方法も考えはしたが、外した場合のリスクが高い。

 まずは最大のまとである胴体。

 次に逃走を阻止する為に後ろ足を。

 最後の二発は頭部を狙ったが、どうやらこれは外れた様だ。


「キシャァァァァ! グルルルルルルッ!」


 魔獣が雄叫びを上げる。


 ここから出て戦うか、それとも留まって撃ち続けるか?

 一瞬の逡巡。


 しかし、その判断の遅れがマズかった。

 ヤツは俺の事を一瞥すると、そのまま陸橋から高速道路へとダイブしやがったんだ。


 ヤバいっ!


 あんなデカいヤツが高速道路に落ちれば、大惨事になりかねない。

 とどめを刺し損ねたっ!


 俺は急いで林の中から飛び出すと、更に二発。


 ――パンパン!  

 

 いや、これ以上はダメだ。

 他の車にまで危険が及ぶっ!


 俺は高速道路脇の鉄柵に駆け寄ると、慌てて中を覗き込んだのさ。


 ――ブシュゥゥ!


 突然、真っ白な蒸気が吹き上がる。


 何だっ、何が起こった?

 

 白い蒸気は折からの風と雨で、瞬く間に消え失せてしまう。


「魔獣は……グレーハウンドは何処に……」


 そんな俺の視線の先。

 都心方面へと進む大型トレーラーの上には、後続車のヘッドライトに照らされた黒い動物の影が揺らいで見えたんだ。


 あっ、アイツ!

 グレーハウンドの幼体かっ!


 母体となるであろうグレーハウンドが突然雲散霧消うんさんむしょうした原因は分からない。

 しかし、間違い無くトレーラーの上に居たのはグレーハウンドの幼体に違い無い。


「クソッ! 逃げられた」


 しかし焦るな。

 ヤツは幼体だ。

 幼体の状態で、いきなり街中で暴れると言う事は無いだろう。


 走り去るトレーラーのナンバープレートは流石に見えない。

 しかし、トレーラー背面に書かれた社名とトレーラー番号を、何とか確認する事が出来たのは幸いだった。


 大丈夫だ。まだ手掛かりは消えちゃいねぇ。

 チクショウ。

 あの野郎、徹底的に追い詰めてヤル。

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