第21話 チキンライス

蓮爾 れんじ様、ただ今戻りました」


 落ち着いた雰囲気の室内。

 赤い木肌も美しいアンティークの家具は、恐らく本物のマホガニー製なのだろう。

 それらはまるで、部屋の主人たる蓮爾 れんじ様のセンスの良さを物語っているかの様だ。


 大司教様の部屋とは大違いだ。


 中央に置かれた大きなテーブルの向こうに腰掛ける蓮爾 れんじ様。

 どうやら部屋の中には蓮爾 れんじ様お一人だけの様だが。


 はて、侍女達の姿が見えないな……。


 常に蓮爾 れんじ様に付き添い、彼女の事を甲斐甲斐しくサポートするはずの彼女達。

 何か用事でも頼まれたのだろうか? 今日はその姿が見えない。


 確かにここはでは無く日本である。

 携帯電話をはじめ、各種IT機器が揃っている。

 わざわざ侍女を使って取次を行う事の方が不効率だ。


 そうは言っても、蓮爾 れんじ様の部屋で頂く紅茶は絶品だからなぁ。

 侍女がいないとなると、今日は無理そうだな。


 などと、少々不遜な事を考えていた所で、蓮爾 れんじ様から声を掛けられたんだ。


「早かったな加茂坂かもさか。リーティア司教はお見送り出来たのか?」


「はい。無事東京駅の方までお送り致しました。途中二、三、お土産をご購入された後、ホームにて新幹線に乗車された所まで確認しております」


「そうか、助かった。手間をかけたな」


「いいえ、滅相も御座いません」


 確かにこの手の仕事は、侍女達の範疇なのかもしれない。

 ただ、相手が司教位である事を考えると司祭である自分が同行するのはもっともな話だし、それ以上に本国から連れて来た侍女達では都内の道案内すら心もとない。


「それでは私はこれで……」


 復命が終われば、もう特に用事は無いはずだ。

 俺にはこの後、まだしなければならない事がある。


 そうだ、例の件。

 教団の中では蓮爾 れんじ様の祝福の発動により、敵は殲滅せんめつされたと言う事になっているが……。


 どうしても気にかかる。

 あれは本当に召喚者の仕業だったんだろうか?

 もう一度、特異門ゲートの近くを調べてみなければ。


 俺は一礼の後、静かにその部屋を退出しようとしたんだ。

 しかし。


加茂坂かもさか……もう一つ用事がある」


 ん? 何だ? もう一つの用事とは?


「はい。何で御座いましょう」


 俺は顔を伏せたままの姿勢で、蓮爾 れんじ様の次の言葉を待った。


加茂坂かもさか……先ほどは……助けてやれず……すまなかった。……許せ」


 うつむいた状態の俺からは蓮爾 れんじ様の様子は伺い知れない。

 ただ、言葉を選びながらも、謝罪の意を示そうとする蓮爾 れんじ様の気持ちは十分に伝わって来る。


 なるほどな。

 俺に謝罪の言葉を言う為に、あらかじめ侍女達を下がらせていたと言う訳か。

 三人いる侍女の内、残念ながら二人はエルフだしな。

 司教位である蓮爾 れんじ様が、司祭である俺に謝罪の言葉を述べる。

 そんな事、気位の高いエルフ達には到底我慢できるものでは無い。

 逆に俺の方が逆恨みされる事にもなりかねん。


「何をおっしゃいますやら。先ほどの件は私の落ち度でございまして、それに……」


「いや、分っておる。信者を含め教団内の一部には、司教位に対するがある事もな」


 いや、そのと言うのは、司教位に対するものでは無い。

 蓮爾 れんじ様をはじめ、尊敬に値する司教位の方々は数多い。

 俺が……いや、俺達が気に掛けているのは、あの鼻持ちならないの事だ。


蓮爾 れんじ様……」


 蓮爾 れんじ様も気苦労が多い方だなぁ。

 典型的な日本人気質なんだろう。

 しかしこれは、チャンスなんじゃないか?

 蓮爾 れんじ様のお気持ちを伺うと言う意味では、またとない機会かも。


 俺は冷静を装いつつも、真剣な表情で蓮爾 れんじ様の顔を見つめた。


蓮爾 れんじ様。一点、お伺いしたい事がございます」


「なんだ、加茂坂かもさか。言ってみろ」


 すこしいぶかし気な表情を浮かべる蓮爾 れんじ司教。


蓮爾 れんじ様は、教団内部の運営を如何お考えでしょうか? 本教団はの平和と繁栄を理念として設立されたと学びました。しかし、実際の運営を司る上層部の殆どは、人外であるエルフにて構成されているのが実情です。このままでは人々の幸せ……と言うよりは、エルフの権威、権力の保持が最優先とされてしまうのでは……」


「……加茂坂かもさか


 静かな、しかし威厳のある一声で、俺の言葉が遮られる。


「お前も司祭であるならば、もっと言葉を選ぶ事だ。エルフとて人類の一部。決して人外では無い。人種、民族、国籍など、全ての垣根を超えた所にこそ、真の平和と繁栄があるのだ。我々はその崇高なる理念を決して忘れてはならん」


 建前だ。

 そんなもの、建前に過ぎん。


 その崇高な理念とやらの為に、いったいどれだけの信者が……そしてその家族が辛い思いをしているのか。この人は本当に分っているのだろうか?

 いや、それは言い過ぎだな。

 確か、蓮爾 れんじ様のお父様も司教位で、本国の争いに巻き込まれ命を落としたと聞いた事がある。

 彼女にとってこの教団は最愛の父への想いを受け継ぐ場所。

 そして、自らの命を賭してでも守るべき存在なのだろう。


蓮爾 れんじ様、大変失礼致しました。凡庸非才の身ゆえ少々言葉が過ぎました。心よりお詫び申し上げます。ただ……最後に一つだけ、一つだけ私にお約束頂きたき儀がございます」


「うむ。なんだ」


 常に沈着冷静。

 俺の言葉程度では彼女の気持ちを揺さぶる事など出来やしないだろう。

 だが……。


蓮爾 れんじ様。蓮爾 れんじは人々の…いや、我々人類の味方であるとお約束頂けませんでしょうか?」


「……」


 一瞬の沈黙。


「もちろんだ。私は神に仕える身。それは神がつくりし人々に仕えるも同義である」


 模範解答だな。

 ただ、回答前の一瞬の沈黙。

 それが彼女の想いの全てを物語っている。


 そう……彼女の『想い』は教団の掲げる『理想』とはにあるに違いない。


「承知致しました。蓮爾 れんじ様の心強い言葉に、我が身も引き締まる思いが致します。今後も蓮爾 れんじ様、並びに教団全体のお役に立てる様、尽力して参ります」


「うむ。話は以上だ。下がってよろしい」


「はっ、ありがとうございます。失礼致します」


 今日の所はココまでだな。

 十分な収穫だ。

 俺は身をかがめたまま、後退あとずさる様に蓮爾 れんじ様の部屋を出たんだ。


 ◆◇◆◇◆◇


 教団を出て最寄り駅への道すがら、背後から駆け寄って来る人の気配が。


加茂坂かもさかさん、何かあったんスか? 例の件ですかね?」


「おぉ加藤か。どうした? 今日は休みのはずだろう?」


 俺の教団での階位は司祭枢機卿。

 ざっくり言えば、大司教、司教枢機卿、司教、司祭枢機卿と上から四番目。

 役職としては、政治部特務課の課長さんだ。

 一般的に見れば、そこそこのおエラいさんだと言えなくも無い。


 まぁ肩書は立派だが、直属の部下はこの加藤を入れて五名のみ。

 大司教様からの無理難題をこなす、教団内での『何でも屋』と言うのが実態だ。


「えぇ、今日はミサがあって典礼部の人間が出払ってるもんですから、午前中だけ応援に来てたんですよ」


 あぁ、確かそんな話もあったなぁ。


 教団自体は年中無休だが、俺達の様な事務方は基本月曜から金曜までの通常勤務となっている。

 コイツは俺が蓮爾 れんじ様の部屋から出て来るのを見て、何かあったのかとでも思ったんだろう。


「おぉ、そうだったな。ご苦労さん。俺ぁ太陽神殿からわざわざお越し頂いた司教様の御守りだよ。別にどうと言う事ぁない」


「あぁ、そうでしたかぁ。それはそれはお休みの所、大変ですねぇ。中間管理職は大変だって事っスかね」


 そう言いながら、屈託の無い笑顔を見せる加藤。

 年齢は三十代半ばぐらいだろうか。今年中には助祭から昇格し、司祭になる事が決まっている。


「まぁな。もうじきお前にもこの苦労が分かるよ。それじゃあな」


 俺は片手を上げてその場を立ち去ろうとするのだが。


加茂坂かもさかさん、もう帰られるんですか?」


「あぁ、いや。これからメシ食ってから、もう一度特異門ゲートの近くを調べてみるつもりだ」


「そうですか。それじゃあ、僕もコッチが終わったら合流しますよ」


 ははは。本当に仕事熱心なヤツだな。


「無理するな。現地の人手は足りてるから……」


 あぁ、そうか。思い出した。

 あいつの嫁さん、調査課の職員だっけ。

 今日、特異門ゲートの再調査で現地に行ってるんだったな。


「なんだ加藤、嫁さんと合流するつもりか?」


「えへへへ。バレました? 折角なんで、八王子の方の美味い店で飯食って帰ろうと思ってまして」


 なんと正直なヤツ。

 まぁ、今時の若者はこのぐらいのバイタリティがあって然るべきだとは思うがな。


「好きにしろ! だが、いくら新婚の嫁さんが恋しいからって、典礼部のヘルプも手ぇ抜くなよぉ」


「承知っス! それじゃあ後ほどっ」


 そう言いながら、教団の方へと走り去って行く加藤。


 そうだな。

 被疑者は既に蓮爾 れんじ様の力で死んじまってるし。

 今さら慌てた所で始まらない。

 周辺に散らばってた魔力残滓ざんしの確認が済んだら、今日の所は解散する事にしよう。


 そんな事を思いながら、俺は駅前にあるファミリーレストランへと入って行く。


 レストランは昼時と言う事もあり、かなり混み合っている様だな。

 ただ、俺は顔見知りの店員に一瞥するだけで、いつもの席へと案内してもらえる。


 ボックス席四つ分しか無い喫煙席。

 そのちょうど一番奥。

 二人連れの客がちょうど立ち上がった所の様だ。


「こちらの席へどうぞ」


「あぁ、ありがと。俺ぁ、いつもので……」


「はい、かしこまりました。ただいまお水をお持ちしますので、暫くお待ち下さい」


 ウェイターは手際よく前の客が残したコーヒーカップを片付けると、一礼をして立ち去って行く。

 その後俺は椅子に浅く腰掛け、大きく足を組んでからスポーツ新聞をこれ見よがしに広げてみせたんだ。


 やがて……。


「……先輩。お久しぶりです」


 聞き覚えのある声。

 骨伝導型のイヤホンは、いつにも増して感度良好だ。


「感度良好だ。お前……番号持ちになったのか?」


「えぇ、元々は来年度からだったんですが、諸事情により先週特別辞令がありまして。改めてよろしくお願い致します。また先輩と仕事が出来て嬉しい限りですよ」


「ナナマルフタフタはどうした? いきなり引継ぎと言われて、はいそうですか、とも言えん」


「まぁ、それはそうですよね。ナナマルフタフタは例の事件の際にされました。今日はロクハチキュウナナにフォローで来て頂いてます」


 とそこで、別の声が。


「ロクハチキュウナナだ。引継ぎの件は本当だ。今後はハチヨンヒトフタがお前のバディだ。よろしく頼む」


 マジか……コイツ、昔の俺の部下じゃないか。

 の人材難もここに極まれりだな。


 警察官が公安部に異動すると、個人名及びIDは全て消去。

 その後全ては、通し番号にて管理される事となる。

 個人を特定する通し番号は、それぞれの上位者及び、チームメンバーにしか公開されない。

 ちなみに、このハチヨンヒトフタ。

 通し番号8412番と言う意味だ。


 しっかし、いきなり新人……と言っても若くは無いか……が俺のバディとは。

 だが上からの指図には逆らえん。

 それが宮勤みやづとめの辛い所だ。


「わかった。ハチヨンヒトフタ、よろしく頼む」


「こちらこそよろしくお願い致します。それでは手短に。既にご存じの通り、例の件は落雷による電車事故と言う形で全て収束させる事になりました。ナナヒトフタヨンへの今後の指令ですが、今回と同等もしくはそれ以上の事態が今後も発生しうるのか、またその可能性と頻度について早急に調査して欲しいとの事です」


 そうか。

 やはり電事故扱いで揉み消しやがったかぁ。

 新聞にもSNSにも全く情報が載って無かったしな。

 まぁ、お国もヤる時はヤルってこった。


 大体、お隣の国であれだけの情報統制が行われているって言うのに、この日本でそれが出来ない訳が無い。

 確かサイバー課のヤツが言ってたな。

 日本ほど情報統制のヤりやすい国は無い……って。

 そもそも国民の大半が情報統制されている事すら気付いてねぇ……って言うお国柄だからな。


 情報化、監視化社会? 一億総ジャーナリズム?

 街を歩けば至る所に監視カメラがあり、個人携帯のカメラ性能も日々向上。

 この世界に死角は無くなった……なぁんて言ってるヤツも居たけどな。


 ははは、聞いて呆れるね。

 

 至極単純な話だ。

 日本国内で利用されている携帯電話の殆どは当然国内仕様。

 そんな固定されたIT機器が安全だってどうして言い切れる?

 そんなもん、バックドアが仕掛けられてるに決まってるじゃないか。

 当然……国家権力でね。


 大体思い出してみろよ。

 地震が来たら、急に携帯が鳴り始めるだろ?

 一人残らず、全員の携帯が鳴るんだぜ?

 メーカー、機種、全く関係無しだ。


 誰か、あの設定やった覚えのあるヤツが居るのか?

 居ないだろ? そうさ、決まってるんだよ。

 この機能を入れておけ……って。

 お国の力でそう決まってるんだって。


 例の件だってそうさ。

 関連する様なつぶやきや画像、全てがインターネット上のAIで監視され、瞬時にロックアウトされてしまう。

 現代に生きる人間は、携帯電話とキー局の新聞・テレビが潰されれば、盲目に等しいんだ。


 誰も知らない。

 聞いた事も、見た事も無い。

 そんな人々は、自分が盲目だと言う事にすら気付きもしない。

 それが現代を生きる人間と言うヤツだ。

 まぁ、世の中知らない方が幸せだ……って事もあるけどな。


「あぁ、分かったよ。午後からも現場検証の続きをヤってくる。また何かわかったら連絡するからよ。あぁ、それから俺の権限は前回同様で良いんだな?」


「はい、前回同様で問題ありません。発砲の事前許諾は不要で、本人の独自判断により銃器の利用が認められています。また、情報開示に伴う事前司法取引により、ナナヒトフタヨンが教団内部で加担した、如何なる違法行為についても罪に問われる事はありません。但し、私利私欲による犯罪と判断された場合は、その限りではありませんのでお気を付けください」


「んな事ぁ、分ってるよ」


 しっかしマニュアル通りだな。

 とはいえ、昔はペーペーだったのに、一端の口利く様になりやがってぇ。


 なぜだろう?

 なんだか少し面はゆい気持ちが込み上げて来て、自然と口角が上がってしまう。


「先輩、蛇足にはなりますが、十分お気を付け下さい。はこの教団を甚大じんだいな脅威とみなし始めています。場合によっては第一種テロ組織に認定される可能性も無くはありません」


 んだよ、それ。

 国内で戦争でもおっぱじめようって気か?


「って事ぁ、もし同じ様な事件が起こったとしたら?」


「はい。国はに対する自衛隊の防衛出動も検討するとの事です」


「……そうか。そうなるわなぁ」


 そんな俺のつぶやきの様な言葉は置いてけぼり。

 重ねて後輩の元気な声が響いて来る。


「連絡は以上となります。それでは先輩気を付けて! 日本国国民の安全の為にっ!」


「あぁ、ありがとよ」


 俺はイヤホンを取り外しスポーツ新聞の間に挟むと、そのままテーブルの端へと追いやってしまう。


 しかしなぁ。蓮爾 れんじ様には人類の為に……なんて言ってた俺だけど、結局の所、俺が守るのは日本国民って事になるんだよなぁ。


 どちらにせよ、自分の手には十分に余る大問題だ。

 余るどころか、俺ごときがそんな重要な任務に就いて良いものなのか?


 いやいや、これを考え始めてもキリがない。

 この任務に就いた当初、嫌と言う程悩みに悩んだじゃないか。

 結局最後は自分が今出来る事を精一杯ヤる……と言う平凡な結論に落ち着くだけなんだから……。


「お客様お待たせしました」


 俺の目の前に置かれた今日のランチ。

 俺の大好物のチキンライスに、シーフードグラタンも付いてる。

 どっちかって言うと、この店では当たりの日だ。


 しかしなぁ……。


 ナナマルフタフタは殉職だって言ってたな。

 例の電車に乗ってたって事だろうなぁ。

 上手く信者のフリをして乗り込んでいたんだろう。


 俺は胸ポケットからしおれた煙草を一本取り出すと、手持ちの百円ライターで静かに火をつけた。


「ふぅぅ……」


 大きく立ち昇る紫煙。

 俺は火の付いたままのタバコを灰皿に入れ、その灰皿をチキンライスの隣に並べてみる。


「お前ツイてるぞ高田ぁ。お前もチキンライス好きだったからなぁ。……もチキンライスだと良いなぁ。なぁ、高田ぁ……」


 灰皿の中でタバコが燃えて行くのを暫く見守った俺は、ランチには一切手をつけず、そのまま静かに店を後にしたんだ。

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