第8話 未知との邂逅

「意外と、大きな街だな……」


 の関係で、この沿線は何度も通った事がある。

 しかし、この駅で降りたのは今回が初めてかもしれない。


 どこか見覚えのあるような風景。

 いや、日本の画一的な都市計画が引き起こした虚構……なのかもしれないな。

 そんな感傷にも似た想いを抱く俺の背後から、いかにも気怠けだるそうな声が聞こえて来たんだ。


「ねぇ加茂坂かもさかぁ。言いたくは無いけどさぁ、どうして僕たちまで電車移動なのさぁ」


 ……若造が。

 から派遣されて来たとは言え、まだ若干十八歳だと聞く。

 にも拘わらず、位階は俺より上の司教。

 これだからと言うヤツは……。


 俺は聞こえなかったフリをして、その声を完全にスルー。

 ただ、その隣から別の声が。


「そんな事を言うものでは無いよ、アイスキュロス。加茂坂かもさかにも何か考えがあるんだろう。お前はこの世界に来てまだ間もない。市井しせいの生活を見るには良い機会では無いかな。それに言っておくが、加茂坂は司祭枢機卿だ。大司教様の勅命により動いている。お前もその事を忘れてはいけないよ」


 蓮爾 れんじ司教枢機卿。

 日本人初の司教であり、枢機卿としての役割も合わせ持つ。

 大司教様が本国に戻られた際には、実質国内トップの統括責任者だ。

 しかし、そんなが、なぜ今回同行する気になったのか?

 単なる気まぐれであってくれれば良いのだけれど……。


「はぁ……それはまぁ、そうなんですけどね。それより、ねぇ加茂坂ぁ。本当にキミが見つけたのはグレーハウンドだったんだよね。間違い無いんだよねぇ」


 俺の袖を引くなっ。鬱陶うっとうしい。


「えぇ、間違いございません、アイスキュロス様。報告書にも記載しました通り、特異門ゲートの周辺に残されていた足跡。それを本国の有識者に確認させました所、間違い無くグレーハウンドのものであるとの回答を得ております」


「それじゃあ、どうしてココに来たのさ。調べるなら特異門ゲートの発現場所に行くべきじゃないの?」


 本当にうるさい。

 これだからガキは……。


特異門ゲートの周辺は、教団のメンバーが現在も調査を行っておりますので。それよりも、当時逃亡したグレーハウンドの幼体が一頭、この街に潜伏している可能性がございまして」


「ふぅん。それはどうして分かったの」


「はい、我々の包囲を振り切る際、高速道路を走るトレーラーへと飛び乗る姿が目撃されております。急ぎ、その運送会社に問い合わせた所、ちょうどその目的地がこの街でございましたので」


「なるほどねぇ。でも、そんなペラペラの情報だけじゃ、ここに居るかどうかすら分からない訳でしょ? にも拘わらず、司教を二人も動員するなんてちょっと段取り悪すぎやしない? そもそも、取り逃がしたのだって加茂坂かもさかの不手際って事でしょ? 結局尻ぬぐいじゃん。そんな仕事にこのボクを駆り出すなんて……」


「アイスキュロス。いい加減になさい」


「は~い。申し訳ありません。蓮爾 れんじ様」


 ふぅ……。やはり蓮爾 れんじ様が居て下さって助かった。

 俺一人だと、ガキアイスキュロスの御守りは手に余る。


「それでは加茂坂。どのあたりから調べますか?」


「はい。助祭の話ではこの先に、当該の運送会社があるとの事。まずはそちらの方から……」


「分かりました。それでは参りましょうか。いくら幼体とは言え、グレーハウンドに市街地で暴れられては困りますからね」


 正直。司教二人は俺のボディーガードの様なものだ。

 実際に調べるのは俺一人で十分出来る。


 俺の持つ第二級聖遺物『ソフロニアの手袋』。

 これさえあれば、魔導士や魔獣の足跡を追う事など造作も無い。

 ただ、相手がグレーハウンドとは言え、幼体では漏れ出る魔力量も高が知れている。

 どこまで追い詰める事ができるか……。


「あ、ごめんなさい!」


 その時、突然俺にぶつかって来た若者が一人。

 通路の段差にでもよろめいたのだろうか?

 マスク姿でキャップを目深に被っているから、人相までは分からない。

 服装は完全に少年の物だが、声は少女の様だったな……。


「あぁ、いえ」


 俺はそんな事を気にも留めず、その場を行き過ぎようとしたんだ。

 しかし、またもや後ろからアイツの声が。


加茂坂かもさかっ!」


 なんだガキめ。まだ俺に用があるのか?

 俺は面倒くさそうにガキアイスキュロスの方へと振り返って見せる。

 すると……。


「ヤバい。アイツ魔獣だ。人間に擬態ぎたいしてる。間違いない」


 緊張に強張るガキアイスキュロスの顔。

 更にその奥。

 既に蓮爾 れんじ司教は少女の後ろを静かに追いかけ始めているでは無いか。


「アイスキュロス様、あの少女が?」


「そうだね。魔力の種類からして魔導士とは考えにくいな。明らかに魔獣のそれだったよ。しかも溢れ出る魔力量が半端無い。ただ、野性ではちょっと考えられ無いな。だってあれだけ魔力が漏れていたら、近くの獲物が全部逃げ出しちゃうよ」


 少年の様に瞳を輝かせながらそう話すアイスキュロス。


 相手は厄災とも言うべきグレーハウンドだそ。怖く無いのか?

 なに目ぇ輝かせてんだよ。なんだよそれ、緊張感足らなさ過ぎだろ!

 少年ガキかよっ! ……ってまぁ少年ガキなんだけどよ。


「おっ、追いましょう」


「当然だねっ。だけどアレを仕留めるとなれば、かなり骨が折れるなぁ。少なくともここで暴れられたら、千人単位の死傷者が出るよ」


 それはマズい。一般市民を巻き込む訳には……。


「アイスキュロス様、ヤツが何処に行こうとしているのかを探りましょう。私が後をつけますので、蓮爾 れんじ様とアイスキュロス様は後方で待機を」


「そうだね。魔獣は勘が鋭いって言うからね。僕たちは後ろからサポートするとしよう。キミは取り逃がさない様にね」


 このガキっ! いつも一言多い。


 ◆◇◆◇◆◇


 丁度、その六時間ほど前。


「おはようございまぁす! 店長ォ、遅れてすみません!」


 僕は休憩室のドアを勢いよく開けると、大声でそう叫んだんだ。

 ランチ前のこの時間、店長はだいたいココに居る事が多いんだよな。


「……え?」


 キツネにでもつままれた様な店長の顔。

 あはははは、変な顔。……って言うか。


「え? ……って、え?」


「いやいや、キミが『え?』って言ってどうするの。そうじゃなくって、キミ、誰? ウチに居たっけ? キミ」


 おぉ、ヤベぇ。そうだった。

 僕はいま、如月さんになったままだったんだよなぁ。


 とにかくシフトに穴を空ける訳には行かないし。

 それに、所詮バイトって言っても皿洗いだしな。

 この姿形でも、何とか仕事はこなせるだろうと踏んだ訳だ。


「あぁ、えぇっとぉ、今日なんですけどぉ、犾守いずもり君がぁ、急に風邪引いたらしくってぇ。それでぇ、私が代わりにぃ、バイトに入ってあげる事にぃ……しよう……かなぁ? なぁんてねっ! うふっ!」


 うひぃ! 女子言葉はずかピー!

 めっちゃ赤面する。めっちゃ顔から火が出るっ!

 それに、なんだよ最後の『うふっ!』って、何だよぉ、何だよそれぇ。

 もう駄目だぁぁぁ。余りの事に『恥ずか死』しそうだぁぁぁ!


「……」


 ほらほらほらぁ!

 店長の目が点になってるじゃん。

 めっちゃ怪しまれてる証拠じゃあぁん!

 こんなの絶対に怪しいよぉ。

 って言うか、怪しさだけだったら、本年度西東京地区、総合第三位ぐらいに入っちゃってるよぉぉぉ!


「いやぁ、急に代役って言われても……ねぇ」


 そりゃそうだよね。全然知らない娘が突然来てさ、急に代役だって言われたって、なかなか普通の大人は『はいそうですか?』とは言えないよね。

 うん。店長。キミは普通の大人だったと言う事だな。

 仕方ない。とりあえず謝るだけ謝った上で……サッサと帰るか。


「あのぉ……突然……ごっ、ごめなさい。なんか……ホントお騒がせしましたっ! 失礼致しますっ!」


 うぅぅん、ちょっと芝居が臭いかなぁ。

 軽く『泣き』の雰囲気も入れてみたんだけど。

 やっぱ傍から見たら、完全に三文芝居だよねぇ。

 まぁ良いか。

 僕に出来る芝居は、これが限界だ。

 それに、一応顔は出したしな。

 もう義理は果たしたって事かな。

 だいたい、僕を追い返したのは店長なんだからな。

 店がてんやわんやになったって、それは店長の責任って事で。


「あっ、あぁ。待ったっ! ちょっと待ったっ! 謝らなくて良いんだよ。大丈夫、全然だいじょうぶだからねっ!! 泣かないで、お願いだから、泣かないでね。犾守いずもり君のお友達で、代役なのね。あぁそう。ウチなら構わないよ。全然構わないからね」


 おぉ?

 何か知らんけど、店長納得しちゃったぞ。

 店長、マジチョロいな。

 こんなだから、奥さんに逃げられるんだよなぁ。

 やっぱ駄目な大人だわ。


「これからランチ時間どきで、猫の手も借りたいぐらいだからねぇ。あははは。にしても、面白い娘だねぇ。なになにぃ? 犾守いずもり君の彼女かなんかなのぉ?」


 うぅぅわぁぁ。

 店長ったら、エロエロな顔してる。

 このおっさん、めっちゃエロエロな顔してるわぁ。

 これが有名な『セクハラ』ってヤツだな。

 女子になってみて初めて分かったわ。

 ゾワゾワする。背中がなんだか、ゾワゾワするもの。

 これは訴えたくもなる、っちゅーもんだなぁ。

 ただまぁ、ここは話を合わせておくかぁ。


「いえいえ。そんなぁ。全然違いますよぉ。単なる友達で、えぇっと、ちょっと代役を頼まれただけでしてぇ……」


「ほぉんとぉ? 怪しいなぁ。おじさん、が鋭いんだぞぉ。えへへへ。これは一回ヤっやっちゃった感じかな?」


 おいおい。って、一体どういう勘なんだよっ!

 って言うか、本当に勘が鋭いな。

 確かに一回ヤっちゃってるけど、どうして分かったんだ?

 って言うか、キモイ。本気でこのオヤジ、素でキモイ。


「もぉぉ! 店長さんったら、何言ってるんですかぁ。怒っちゃいますよぉ。プンプン!」


「おほほほ。良いねぇ。キミ、本当に良い娘だねぇ。犾守いずもり君の彼女にしておくのは惜しいよぉ」


 んだと? この野郎。今度一回勝負してやっかんなっ!

 でもまぁ、今は時間が無い。

 そんな事より早く厨房に行かなきゃ、副料理長が怒りだすからな。

 副料理長、めっちゃ怖いんだよなぁ。


「それじゃあ、お許しを頂けた様なので、早速着替えて来ますね!」


「あぁ、ちょっと待って。犾守いずもり君の彼女ぉ」


 なんだよぉ。まだ何かあるのかよぉ。


「キミの名前は? それから、女子のロッカールームは右だから」


 うおっ! 名前っ!?

 どうする? そのまま名乗るか? いや、そのまま名乗るのは流石にマズいな。


「あぁ、私如月きさらぎ……如月結香きさらぎゆいかと申します。よろしくお願い致します。それから厨房着でしたら犾守いずもり君のを借りますから大丈夫ですよ?」


「あぁ、結香ゆいかちゃんね。よろしくねぇ。それから、今日は厨房入らなくても良いわ。フロアからヘルプ入れるから」


「え? それじゃあ私は?」


「うん、折角だからフロアに入ってもらおうかな」


「えぇ! いやいや、私、今日は全然化粧もして無いし、それに髪の毛だって……」


 うわぁ。マジか。それ、マジで言ってんのか?

 この男はホント、デリカシーねぇなぁ!

 マジ、勘弁してくれよぉ。

 僕は皿洗いで十分なんだよぉ。目立つ所になんて出たくねぇぇんだよぉ!

 って言うかさぁ、って言うかさぁぁ。『スッピン』だと、何処にも出たく無いんだよぉぉぉ!


 いま分かった。

 たったいま、女子の気持ちを完全に理解したわ。

 スッピンで表に出るぐらいなら、いっそココで殺してくれぇぇ! いやだぁぁぁ。絶対にいやだぁぁぁ!

 そう言う事、そう言う事なんだよねっ!


「店長ぉ なに騒いでるんですか? もうすぐランチ始まりますよぉ」


「おぉ、良い所に来てくれた! 香丸こうまるちゃんさぁ、ちょっとこの娘、説得してよぉ」


 うわっ、香丸こうまる先輩まで来ちゃった。

 今日も綺麗だぜ、先輩っ!

 なぁんて言ってるけど、僕自身、一度も会話した事無いんだよねぇ。

 完全に高値の花。この店の超看板娘!


 都内の有名大学に通うお嬢様らしいけど。

 あと知っている情報って言えば……かなりのナイスバディって事……ぐらいかな。

 あはは。そんなの見たら分かるよね。


「あら、如月きさらぎちゃんじゃない? どうしたの?」


 えぇ? ヤバっ! どうして僕の事……って言うか、如月さんの事を知ってるんだ!?


「へぇぇ。香丸こうまるちゃんさぁ、この娘知ってるの?」


「えぇ、知ってるも何も。読者モデル読モでそこそこ有名ですよ。店長知らないんですか? 確か、如月……綾香ちゃん……だよね?」


 あぁ、そっちね。そっちで知ってるって事ね。

 別に友達って訳じゃ無いのね。良かったぁ。


「あぁ、いえ。あのぉ。私……その妹の結香ゆいか……と申します」


「うわぁ、そうなの? 妹さんなんだぁ。って言うか、メッチャ似てるねぇ。あぁ、双子かぁ。凄いなぁ。こんな可愛い娘が世の中に二人も居るなんてねぇ。うふふふ」


 いえいえ、先輩の方が綺麗ですよ。

 間違い無く、先輩の方が数段上です。


「でね。犾守いずもり君が風邪引いたからって、今日は彼女が代役に来てくれたんだけどさぁ。これだけカワイイからフロアやってもらおうと思うんだけど、化粧もしてないからヤダって言って聞かないんだよねぇ。香丸こうまるちゃんさぁ、何とか説得してもらえないかなぁ?」


「ふぅぅん、そう? 犾守いずもり君お休みなんだぁ。残念だなぁ。今日はシフト一緒だから、楽しみにしてたのになぁ」


 え?


「店長、分りました。私に任せて下さいな。それじゃあ、ちょっとロッカールームに行きますねぇ」


香丸こうまるちゃん、頼んだよっ! もう時間無いから、急いでね!」


 そんな店長を休憩室に残し、僕は香丸こうまる先輩に促されるまま女子ロッカールームへと。


 うぅぅわぁぁぁ。

 女子のロッカールームに初めて入ったぁ!

 緊張するぅ、めっちゃ緊張するぅ!

 メイクコーナーとかまであるし、何気に広いぞ?

 そうか、女子って人数少ないから、ロッカー自体が少ないのか。


「ねぇ如月さんってさぁ……」


 なに? 部屋に入るなり、香丸先輩ったらちょっと雰囲気変わった。


「最近SNSで結構騒がれてた……よねぇ」


「えぇっとぉ。姉の事なんで、ちょっと……」


 香丸先輩……目が……目がちょっと……怖い。


「って言うかさぁ、妹さんと犾守いずもり君がお友達ってねぇ。なるほどねぇ。だからSNSであんな騒がれ方してたんだぁ。そりゃヤッカミも入るよねぇ」


「えぇっとぉ……」


「で? 単刀直入に聞くけど、貴女達あなたたちのどっちが、犾守いずもり君と付き合ってるの?」


 うぉっ!

 香丸先輩ったら、めっちゃ食いついてる、ソコ、めっちゃ食いついてる!


「いいえ、付き合ってません。あのぉ。姉が不良の人達に襲われそうになった時に、犾守いずもり君が助けてくれたそうで。それで知り合いになって。それで、今日お礼に行ったら風邪を引いてて、それでもバイトに行くって言うから、私が代わりましょうかって……」


「ふぅん、そう? って事は付き合って無いって事で良いのかな?」


「え? はい。もちろんです。はい。え? はい、?」


「うふふ。それじゃぁ、ちゃんとって事で、正々堂々と頑張りましょ! 約束よっ!」


「はい。えぇ? えぇぇぇ?」


 って言うか、えぇぇぇぇ!?


「さて、この話はまた今度って事で、早速準備に取り掛かりましょうか。うふふ」


 その後は香丸先輩の言葉がずっと頭の中でリフレインしたまま、一体何がどうなったのかさっぱり覚えて無いんだ。


 ただ準備が整い、僕がフロアに出たとたん、フロア中に軽いどよめきが沸き起った事だけは確からしいな。

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