第9話 黒のトレンチコート
「それじゃあ、お先に失礼しまーす。あぁ
店長と
時刻は夕方の四時半頃……かな。
しっかし、フロアは楽勝だったな。
この店は、レストランが主体の小洒落たカフェバーって感じ。
普通新人って、メニューを覚えたり接客方法を覚えたり。結構やる事が多くて大変なんだろうけど。
僕自身、皿洗い歴すでに九ケ月。
門前の小僧じゃないけど、メニューは全て頭に入ってる。
それに、なぜかこの体だと気持ちがオープンになるって言うかさ。
人と会話するのも全然苦にならないんだよね。
しかも、少し重い食器やグラスがあれば、他のフロア
おかげで、重労働要素全く無し。
ただまぁ、あえて気になる事と言えば、客の殆ど……あぁ、それも男性だけかなぁ、いやいや、女性も結構いたな。
そんな
これって、見てる方は気付いて無いかもしんないけど、見られてる方はメッチャ気付くよね。もうタダ分かり。
まぁ、この件については僕にも反省点が無くは無いんだけどね。
何しろ女性用の下着……って言うかブラなんて持ってないし、当然付けて来なかった訳だからね。
自分でもヤバいって直ぐに分かったよ。
もう、ちょと歩くだけで、ユッサユッサしちゃって。
いや、ちょっと違うな。僕の歩き方が悪いのかな。
どっちかっちゅーと、ブルンブルンしちゃうんだよなぁ。
途中の休憩時間。
流石に
なんでも、バイト帰りにスポーツジムに行く予定だったみたいでさ、予備のブラ持ってきてたんだって。
しかも、アンダー? ……が僕の場合は先輩より少し小さいみたい。
だから、付ける前よりはマシになったけど、まぁ、目の毒である事は全然変わりがないって感じかな。あははは。
さぁて。バイトも
何か食ってから帰ろうかなぁ。
本当は来週から期末試験もあるし、早く帰った方が良いんだけど。
って、いやいや。ダメ駄目。
そう言えば、クロと待ち合わせしてたんだっけ。
早く行かないと、
僕は小走りで、待ち合わせ場所にしていた城南公園へと向かったんだ。
いわく付きの城南公園。
黒のキャップを目深に被り、マスクをつければ変身完了だ。
あはは。心持ち芸能人にでもなった気分だな。
流石に如月となった僕がこの辺をうろついているのは、何かとマズいだろう。
そんな姿で公園へと向かう途中、ビルの影から飛び出して来たのは。
「あぁ、クロぉ。お帰りなさい」
僕の胸へと、勢いよく飛び込んで来たクロ。僕はそのまま、しっかり抱き留めてあげたのさ。
すると突然いつものヤツが。
――キィィン
『タケシ。お前っ、一体どうしたんだ?』
「いやいや、どうしたもこうしたも。憧れの先輩に化粧してもらってぇ、それからブラまで貸してもらってぇ。もう、今日は興奮して眠れないかも、えへへへへ……」
『そんな事じゃない! お前、魔力が漏れまくってるぞ』
え? 何が漏れてるって?
とりあえずパンツの周りを確認してみたけど、特に何の形跡も?
『はぁ……、別にお前が
『魔力だ、魔力。お前の魔力が体から漏れ出してるぞって事だ。どう言う理由かは分からんが、これでは目立ち過ぎる。とりあえず家に戻って対策を考えよう』
「あっ、あぁ、そうか。そっちの話か。それじゃあ、急いで帰らないとな」
僕はクロに対して背中のリュックに入るよう促すと、急いで駅の方へと走り出したんだ。
「はぁ、はぁ……はぁ」
意外と……って言うか、やっぱり……って言うか。
女子って……体力……無い……よなぁ。
駅まで僅か数百メートル。
最初こそ勢いよく走り出してはみたものの、あっと言う間に体中が悲鳴を上げ始めてしまう。
しかも、自分の体でないせいか、走っている途中で体の軸が全然安定してくれないんだ。
『それは仕方が無い話だ。元々お前の体では無いのだからな』
ようやく駅前へと到着した僕は、痛み出した脇腹を擦りながらも、ヨロヨロとした足取りで混み合う駅舎の中へと入って行ったんだ。
そして、改札近く。
人の流れが複雑に重なり、大きく混雑する場所に差し掛かった所で。
「あ、ごめんなさい!」
さっき無理して走った事が影響したんだろうな。
小さな段差に足を取られて、見ず知らずのオジサンにぶつかってしまったんだ。
少し神経質そうなオジサン。
年の頃なら四十前後……って所かな?
そんな事より、そのコート。
まだ肌寒い日が多いとは言え、黒のトレンチコートって……。
もう春なのに、それってどうなの?
「あぁ、いえ」
おっ、意外に冷静な反応。
この手のオジサンって、結構面倒な事が多いんだけど。
良かった。
急にキレられるんじゃないかと思って、ちょっと心配しちゃったわ。
『タケシッ、タケシッ!』
その時。
脳内に響く、クロの叫び声にも似た思念。
「なんだよクロ? どうしたのさ?」
僕は背中のリュックを胸へと抱きかかえる風を装いながら、中のクロへと小声で話し掛けたんだ。
『タケシッ、マズい。神官だ。神官に見つかったっ!』
「え? 何? 誰に見つかったって?」
詳しく話を聞こうと、通路脇で足を止めようとしたんだけど。
『止まるなっ! 歩き続けろ。ヤツら追って来てる。それから振り返るな。絶対に気取られては駄目だ。平静を装え』
「あっ、あぁ……分かった」
僕は
『家に帰るか? いや、家がバレるのはマズい。人の多い所。出来るだけ人の多い所に移動しろ』
「人の多い所って、都心の方で良いかな?」
『私には土地勘が無い、場所はお前に任せる。最悪は周りの人間を
「肉の壁って……えぇ? クロ? お前っ、何
僕は都心方面行きの電車を待ちながら、そっとリュックの中を覗き込んでみたのさ。
ほの暗いリュックの中に浮かび上がる、アンバーに輝く妖しい
『聞け、タケシ。私は元の世界で
「え? 急に何をっ……そっ、その根絶やしにする相手……って?」
『
「神々ぃ?」
『いまのヤツらはその
「そんなヤツらが何をしに来たのさ?」
『私を探しているんだ』
「なっ、何のために?」
『当然、私を消す為だ』
「え? マジ。クロ、殺されちゃうの」
『愚問だ。
「プロピュライア? 神界?」
『私は神界において、お前の様な洗礼を受けた者を探しているのだ。そして仲間に引き入れ、いずれは神々を……殺す』
「こっ、コロス?」
『そうだ。全員な』
「クロ、やっぱりわかんないよ、なぜキミがそんな事をして……」
――新宿行き、快速列車が到着します……危ないので白線の内側まで……
都心方面行きの電車がホーム内へと入って来た。
『今は時間が無い。二人で戦おう』
「二人って、それでどうにかなるの? 相手は何人?」
『相手は……少なくとも二人。場合によっては三人以上居るかもしれん』
「大丈夫なの? 僕たち二人で勝てるのかな?」
僕は込み合う電車に急いで乗り込むと、無理やりドア付近の角スペースをゲット。
『まず……無理だろう』
「えぇっ! 無理なの?」
『恐らく向こうには司教クラスが二人居る』
「いや、それならこっちだって二人だ」
『ははは、頼もしいな。ただなぁ、お前が百人束になっても、司教に勝つ事は出来んだろう』
「マジか? 司教ってそんなに強いの?」
『あぁ、強い。どの様な能力を持っているかは分からんが、その力は山を崩し、森を焼き払うと言われている。通常、司教と対峙した際、取るべき行動はたった一つ』
「……」
『逃げる事……それだけだ』
「マジかぁ……。じっ、じゃあさ。逃げよう、クロ。このまま人混みに紛れて逃げちゃおうよ」
『恐らく、それは無理だろう。人混みに紛れているとは言え、今現在もお前の魔力は漏れ続けている。その跡を辿られれば、逃げ切るのは困難だ』
「それじゃあ、一体どうすれば……」
『ふぅ……。やはり戦うのは無理だな。お前の能力を剥奪した上で、奴隷から解放しよう。そうすれば、もはやお前は洗礼を受けているとは言え一般人だ』
「それで、クロは? クロは一体どうする気なの?」
『私は一人でも戦う。勝てる可能性は低いかもしれないが、ヤツらひとりだけでも良い、黄泉の国へと道連れにしてやるつもりだ』
リュックの中から覗くクロの瞳からは、固い決意が感じられる。
「僕は……僕は……」
少なくとも今まで……そう、今まで一度だってクロは嘘を言った事が無い。
となると、今回の話もマジって事で間違いないだろう。
だとしたら、今から戦うか?
それはつまり、命のやり取りをするって事だよな。
無理だ。僕にそんな勇気は無い。
物語のヒーローはこう言う時、率先して自分の命を投げ出すんだろうけど。
そんな事、出来る訳が無いじゃないか?
僕が他人を殺す? 無理ムリ、そんな事、出来る訳が無い。
他人に僕が殺される? もっと無理! 絶対に嫌だ。
逃げる? 逃げる? 逃げたい。逃げたいっ!
正直、ここでクロと別れて、僕一人で降伏するのが正解だよな?
残念だけど、クロがどうなろうと知った事じゃない。
でもそれって、僕が卑怯な人間って事か?
いや、そんな事無い。普通の人間の、普通の判断だ。
僕が自分の命を投げ出してまでクロを助ける理由なんて、これっぽっちもありはしないんだから。
能力を剥奪されるのはチョット勿体ないけど、自分の命には代えられない。
――まもなく新宿、新宿。お降りになる方は……なお、この列車は折り返し八王子方面行きとなりますので……
「クロ……それじゃあ」
『あぁ、まずは人目の付かない場所で元に戻るんだ。恐らく魔力はもう十分に溜まっているはずだ』
「……分かった」
――プシュー
電車のドアが開いた途端、僕はホームへと駆け出して……。
「おっと。ドコに行くんだい、少年」
え? 突然誰かが僕の右腕を掴む。
振り返るとそこには、神経質そうな男の顔が。
「あぁ、少年では無く女の子だったかな? 言葉……分かるよね。
春先にも関わらず黒のトレンチコート。
「さぁ、もう一度電車に乗ろうじゃないか。少し話も聞きたいしね」
僕は黒いトレンチコートの男に腕を掴まれたまま、再び電車の中へと連れ戻される事に。
『クロ……クロ? 聞こえる? 僕の声が聞こえるっ!?』
精一杯の力で僕もクロへと思念を送ってみる。
少なくともクロの思念を受けられると言う事は、クロであれば、僕の思念を受け取る事だって出来るはずだ。
『あぁ、感じるぞ、タケシ。言葉での会話はもう無理だ。お前の魔力は多少消費するかもしれないが、このまま思念により会話を続けよう』
リュックの中からクロの身動ぎする様子が伝わって来る。
僕たちは……拉致されたんだ。
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