第4話 黒い羊効果

「しっかし……昨日のは一体何だったんだ?」


 電車に揺られながら、とりあえず携帯を眺めるフリをする僕。

 何しろ昨日からSNSは絶賛大炎上中。

 既に10Kを超える投稿が飛び交っているんだ。

 とても内容を見る気にすらならない。

 まぁ、ある意味バズってると言えなくも無いんだけど。


 それに、翌朝になれば例のおかしな記憶も、綺麗さっぱり無くなっているはず。

 かと思えばさにあらん。

 それどころか、昨夜は例の『淫夢いんむ』まで見る始末。


 僕ってこんなにエロエロだったっけ?


 まぁ、そこの所は否定はしないまでも、あんな事があった夜である。

 流石にこれはどうなんだろう。

 前回同様、夢の中では美しい獣人娘と化したクロ。

 そんな彼女と、しっかりはしてしまったのだ。

 今更ながらに、少々情けない。


 だって、それは仕方が無いだろう!

 生まれてからまだ二度目だぞ。

 こんなチャンス、逃す訳が無いじゃないか!


「ふぅぅ……」


 それはそれとして。

 昨日部屋に居た如月さん。

 いつの間に居なくなったんだ?

 まぁ、警察が来た時点で流石にヤバいって気付いたんだろうな。

 にしても、何時いつ、どうやって帰ったんだろう。

 まぁ、クロがいつでも出入り出来る様にと、窓の鍵は開けておいたからなぁ……。

 そうは言っても僕の部屋、二階だぞ?

 ……如月さんって、意外とワイルドなんだね。


 あぁ、支離滅裂。

 頭の中がぐちゃぐちゃだ。

 全く考えがまとまらない。


 そして、僕はいつもの駅で電車を降り、いつもの通学路を一人学校へと向かって歩いて行く。

 結局、警察が帰ってしばらくした後、学校から自宅謹慎は不要だって電話があったんだ。

 これで僕は晴れて自由の身。

 だって、それはそうだろう。

 何しろ僕自身、集団レイプ事件とは全く関係が無いのだから。

 まぁ、当の本人は単独犯である、と言う自覚はあるのだけれども。


 そんな中、ふと感じた違和感。

 何かが……いつもと違う。

 どうしてだろう?


 何気に周囲を見渡して見る。

 少し離れた場所には、同じ様に通学する生徒達が普通に歩いてる。

 でも、僕の周りにだけ……誰もいないんだ。

 まるで、僕の事を避けているかの様に。


 まぁ。昨日の今日だからな。

 SNSであそこまで叩かれている僕だもの。

 こう言う反応も仕方の無い事だろう。

 とは言え、人の噂も七十五日。

 そのウチ落ち着くだろ……。


 ――ゴッ!


いたっ!」


 何だよおいっ! いってぇ!

 なぜか後頭部が焼けるように熱い。

 しかも、めちゃめちゃ痛いぞ。

 僕は頭を抱えたまま、その場にうずくまってしまったのさ。


 あれ? なんだ? なんか、ヌルヌルする。

 自分の後頭部を擦った手に変な感触が。

 その手をそっと目の前にかざすと。


「ヤベっ、血だ……」


 後頭部から血が出てる。

 僕は頭を庇いながらも、ゆっくり振り返えってみたんだ。

 すると、足元に血の付いた石が。


 くっそ。誰か僕に石を投げつけたんだな。

 咄嗟に辺りを見回してみるけど、犯人らしき人影は……。


 あぁ……。


 嗤ってる。

 みんなみんな……嗤ってる。

 そうか、そう言う事か。

 全員が共犯……って事……だな。


 涙目になった僕の視線を避けもせず、でも睨み返す訳でも無く。

 適当に距離を取り。

 適当に嘲笑あざわらう。

 中には僕の事を携帯で写す連中まで。


 ちくしょう。またSNSにでも載せようって言うのかよ?


 ――ヒュン


 また石だ!

 まばらな人垣の向こう側から、山なりで石が飛んでくる。


 ――ガコッ!


 ただ、今度のは大きく外れて、横の塀に当たっただけ。

 手前のヤツらの所為で、誰が投げているのかまでは全く分からない。

 でも、石の飛んでくる方向からは、何人かの笑い声が聞こえて来る。


 駄目だ。

 このままここにうずくまってたら、良い標的にされてしまう。

 とにかく、校門の近くにまで行けば先生が居る。

 少なくとも石を投げられる事は無いはずだ。


 僕は後頭部を押さえながらも、全速力で走り始めたんだ。

 すると今度は僕の前を行く生徒達が、まるで示し合わせたかの様に左右へと避けて行くのさ。


 なんだよ。コイツら。ちくしょう!


 そうは思うけど、今だけを考えれば、それはそれでありがたい。

 僕の為だけに用意された人垣の間を、僕はただひたすら走り抜けて……。


 ――ガンッ……ズササササ。


「うぅっ!」


 誰か……誰かが足を引っかけやがった……。

 僕はその反動で、大きく前方へと投げ出される様な格好に。


 息が詰まる。胸を打ったのか?

 いや、そんな事以上に胸を圧迫し、鼻の奥へと抜けるこの痛みにも似た感情。

 それは、余りにもみじめな自分に対する嫌悪感なのか、それとも敗北感?

 溢れ出る涙がどうしても止められない。

 僕は嗚咽を漏らしながらも、再びその場にうずくまってしまったんだ。


 そんな時、僕の肩に手が。


「おいっ、犾守いずもり、大丈夫か?」 


「あぁ……飯田ぁ」


「何やってんだよぉ。通学途中でスッ転んで泣いてるなんざ、小学生の所業だぜぇ?」


「……僕は……僕ぅ……」


「いいよ、気にすんなよ。痛かったんだろ? ほら、俺が支えてやるからさぁ。……ん? 転んだ拍子に頭も打ったか? ちょっと血が出てるなぁ。とりあえず保健室行くか」


 飯田のヤツ。

 投げ出された僕の荷物を全部拾ってくれたばかりか、肩まで貸してくれて。

 嬉しいと言うか、恥ずかしいと言うか。


「うぅっ……うぅぅぅ……」


 人間、安心すると逆に涙って止まらなくなるんだな。

 始めて知ったよ。

 その後も僕は飯田に助けられ、何とか保険室へとたどり着く事が出来たんだ。


 しかし、僕への『嫌がらせ』は当然これだけじゃ終わらなかったのさ。


 保健室で軽い手当を受け、自分のクラスへと行ってみれば、僕の机と椅子が持ち主の代わりとばかりに、残酷な仕打ちを受けていたんだ。


 おいおい、これ学校の備品だぞ。少なくとも僕個人の持ち物じゃない。

 それにこんな酷い落書きをするなんて。


 更に机の中にはゴミが詰め込まれ、ロッカーの中からは動物の糞が出て来る始末。 

 流石にこの時は驚きを通り越して呆れてしまった。

 今時、どこからこの糞を持って来たのやら。

 逆にその労力には脱帽する想いだ。


 しかも極め付けが。


「おい、犾守いずもりがこの中に居るんだろ?」


 昼休み時間。

 クラス中の冷たい視線に耐えきれず、僕はトイレの個室に隠れていたのさ。

 そんな僕の耳に、囁く様な声が聞こえて来る。

 誰だ? 聞いた事の無い声だ。


「クククッ、おい、止めとけよぉ。見つかったら叱られるぞぉ」


「大丈夫だって、俺達もう卒業してるし、分んないって」


 卒業? 確かに三年生は先週卒業式が終わったばかりだけど。

 まだ学校に来てるヤツって居るのか?


「え~、これからトイレ掃除を始めまぁす。ご使用中の方は急いで避難してくださぁい」


 え? 何言い出すんだよ。

 昼休み時間にトイレ掃除なんてする訳無いだろ?

 だけど、下手に出て行って、更に絡まれるのも嫌だしなぁ。

 このままシカトか。シカトするか?


「お返事が無い様なので、誰もいないんですねぇ。居ないなら、居ないと返事をしてくださぁい」


「あっはははは。誰も居なかったら、誰も返事しないっつーの」


 くだらねぇ……。

 この三年生、くだらなさすぎる。


 ――ジョボボボ、シャァァァァ


 あっ! マジか! コイツら、トイレの上から水掛けて来やがった。


「どうやらこの個室から淫乱な臭いがしますねぇ。よぉく洗わないといけないので、もっと水を掛けますよぉ」


 え? ちょっと、ヤメロよ。って言うか、ヤメテ、お願いっ!


 ――シャババババァァァァ


 掛けられる水は更に勢いを増すばかり。


「あっ! ちょっと、入ってます。入ってまーす」


 我慢しきれず、思わず声を上げてしまった僕。

 だけど、今思えばそれが逆効果に。


「おぉ! 何か声がするぞぉ。こりゃ、ここにバイキンが居るに違いないっ! 水だけでは退治できない様だ。総員発砲を許可する。発砲を許可するぅ! あっはははは!」


 ――ガン、ゴン、ガラガラッツ


 その掛け声を受け、今度は『たわし』や『ほうき』、更にはトイレに設置されているゴミ箱までが上から投げ込まれ始めたんだ。


「うわっ! 止めて、ヤメテ下さい!」


「あはははは! コイツ、ヤメテってほざいてるぞぉ! お前だって、ヤメテって言ってる女子相手に、酷い事したんだろぉ? 当然の報いだよ。今更何言ってんだよ。なぁ?」


「あははは! 正にその通り。鬼畜にはそれなりのお仕置きがあるって事だよなぁ!」


 もうコイツらとは会話が成り立たない。

 何を言ってもダメだ。

 とにかく僕はトイレの鍵を開け、外へと飛び出したのさ。

 すると……。


 ――ボクッ!


 突然、鳩尾みぞおちに走る鈍い痛み。

 人間って急所を殴られると、本当マジに息が止まる。

 その上、思考まで停止して一ミリも動けなくなるんだ。


「おぉぉいぃ。何勝手に出て来てるんだよぉ。バイキンはバイキンらしく、トイレに流れて行かなきゃだろぉ?」


 手にホースを持つ男がそう脅しを掛けて来る。

 目の前に居たのは、私服姿の三人組の男達。

 男達と言っても、恐らく今年卒業した三年生で……。

 あ……この人達見た事ある。

 去年まで生徒会の役員やってた人達だ。確か『A特』に居た……。


「何ジロジロ見てんだよ」


 リーダーっぽい一人が、僕の濡れた髪の毛を掴み上げる。


「お前さぁ。如月ちゃんに手を出そうとしたんだって? まぁ、今回は未遂だったって聞いたけどさぁ。ホント、お前バカなんじゃねぇの?」


「いや、僕は何もっ!」


「なに口答えしてんだよぉ。『ダメ特』のクセしてよぉ。お前みたいな中途半端なヤツが中途半端な事するから、俺達にまで迷惑が掛かんだっつーの!」


 ――ボクッ!


 再び鳩尾みぞおちに鈍い痛み。


「卒業生の身にもなってみろよぉ。一生肩身の狭い思いをするのは俺達なんだからなぁ。謝れよ。今直ぐ土下座して謝れよぉ!」


 後ろの二人が動画撮ってる。

 こうやって、自分たちより弱い立場の者をいじめる。

 そう言う方法でしか、自分達の存在立ち位置を確認する事が出来ない最低なヤツら。


「ごっ、ごめん……なさい」


 僕はトイレの床にひざまずき、言われた通りに頭を下げたんだ。

 だって仕方が無いだろう。

 一対一ですら勝てるかどうか分からないのに、相手は三人。

 一瞬大声を出そうかとも思ったけど、朝の状況を考えればここは完全にアウェーだ。

 大体、この昼休み時間に、誰もトイレに来ないなんておかしいじゃないか。

 絶対この三年生たちに気兼ねして、みんな入って来ようとしないだけなんだ。


「誠意が感じられねぇなぁ。おら、ちゃんと床に額をこすりつけて謝ってもらわないと、全然伝わってこねぇよ」


 そう言うなり、その男は僕の後頭部を踏みつける。


 ――ズキン!


 感じた痛みは後頭部の傷痕か、それとも僕の心のキズか。


「うわぁ、汚ねぇなぁ、あははは。んでもって、もう良いんじゃね? それに俺のバッシュが濡れるの、もう嫌なんだけどぉ」


 後ろで動画を撮ってる一人が突然そう言い出し始める。


「そうだな。このぐらいで止めとくか。優しい先輩で良かったなぁ犾守いずもりィ。これで許してくれるってよぉ。それじゃあな。絶対に先生に言うなよ。もしバレたら、お前の家に火つけるからな。覚悟しとけよぉ」


 ――ペッ!


 ヤツらは土下座姿の僕に唾を吐きかけると、まるで何事も無かったかの様にトイレを後にしたのさ。


 もう……限界だ。

 と言うより、既に全身ずぶ濡れ。

 僕は教室に置いてあった自分の鞄を鷲掴むと、そのまま何も言わずに教室を飛び出したんだ。


 ただ……。

 教室を出る時に見た、僕をさげすむような女子達の視線。

 そして、明らかに僕を見下す男子達の目。


《アイツ、小学校の卒業文集で将来の夢、医者にしてたんだって……》

《えぇぇ、じゃあなんで私立文系コースに居るのぉ?》

《あははは、そんなん、バカだからに決まってるじゃん》

《って言うか、ああ言う中途半場なバカが困るんだよなぁ》

《だよねぇ、頭の中では何考えてるかわかんないし》

《そうそう、アイツだったらヤリそうだよね》

《だからヲタクって怖いのよね》

《まぁ、俺達には分からない人種だよな》

《あんなヤツいなくなれば良いのに》

《必要ないよなぁ》

《まったくだ》

《ホントね》


「うっ……うわぁぁぁ!」


 突然の咆哮、魂の叫び。

 一様に無関心を装いながらも、心の中では完全に僕の事を嘲笑あざわらってる。

 そうか。そう言う事か。

 僕はこの領域学校における、『黒い羊』になっていたんだ。


 異端を迫害する事により得られる優越感。

 誰かを『仲間外れ』にする事でのみ生み出される一体感。

 そして、次の標的は自分なのでは? ……と言う恐怖感。

 そんな腐りきった感情だけが、ヤツらの行動原理behavioral principle


「コロス、殺す、コロス……」


 僕は帰る道すがら、延々と呪詛の言葉を吐き続けたのさ。


「コロス、アイツら全員、絶対に、一人残らず……殺す」


 そう言葉を発するたびに、悲しさや悔しさ、更に痛みまでもが全て『怒り』に変換されて行く様な気がする。

 人間、『怒り』こそが究極の『パワー』だ。

 だけど、どうする? どうやって復讐する?

 良いアイデアは全く浮かばない。

 ただ、今にも崩れ去りそうな自分の自尊心プライドを保つ為には、パワーが……。そう、どんな理由でも良い、僕には『怒りパワー』が必要なんだ。 


「コロス、殺す、コロス……ゼッタイニ、コロス……」


 何処をどうやって辿りついたのかは、全く覚えていない。

 気付けば僕は自分の家アパートのドアの前に立っていたのさ。


 ――ガチャッ


「鍵が……開いてる?」


 怒りに震える手で静かに玄関ドアを開けると、そこには……。


「おぉ、今日は早かったな。私もちょうど今帰った所だ」


「おっ……お帰り、なさい」


「はっはっは。お前が帰って来ておきながら、『お帰りなさい』は変だろう。そこは『ただいま』と言う所じゃないのか? 流石の私にもそのぐらいの事は分るぞ。それになんだ? 辛気臭い顔をして。早く部屋に入れ。そんな所に突っ立ってたら風邪を引くぞ」


 そう。満面の笑みで僕を迎え入れてくれた人。


如月きさらぎ……さん、どうして……ここに?」


 彼女の顔を見た途端。

 これまで起きた全ての厄災が、ホントどうでも良い事の様に思えて来る。


 ただ……。


 どうして……?


 って言うか。


 どうして彼女……全裸なんだろう……。

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