第3話 親告罪規定の削除
2017年。
性犯罪に対する厳罰化を目的とした刑法改正が行われた。
それによると、これまでの『強姦罪』は名称を『強制性交等罪』と変更され、法定刑が引き上げられる事になったのだ。
しかも、これまで付与されていた『親告罪』の規定は削除。
つまり、被害者側からの訴えが無い場合でも犯罪として成立、罰せられる様になったのである。
◆◇◆◇◆◇
「もう一回聞くけど、あの晩、キミは城南公園には近づいていないんだね?」
「しかしね。確かに公園でキミを見た……と言う人が居る訳なんだよ。しかも動画まで残ってる。キミは知らないかもしれないが『強制性交等罪』は『親告罪』では無くなってるんだ。つまり、被害者さんが告訴しなくても、しっかり刑事事件で罪に問えるんだよ。いまここで警察官に対してウソをつくと言うのは、どうかと思うがな?」
ここから始まる地獄の様に長い沈黙の時間。
僕の精神がガシガシと削られて行く。
と言うか、これがこの人のやり方なんだろうな。
あくまでも任意の事情徴収と言う説明で始まったこの会話。
既に玄関先で小一時間は続けられている。
てっきり警察署の方へ連れて行かれるのかとも思っていたけど、どうやらそれは無いらしい。
そう言う意味ではココは自分の
絶対に凌いでみせる。
そう。冤罪の生まれる要因の一つがコレだろう。
結局の所、この無言の圧力に負けたが為に、やってもいない事をヤッたと言ってしまう。
ここは絶対に折れちゃ駄目な所だ。
こっちだって伊達に何年も
無言上等。
なんだったらこのまま、丸一日だって無言で通してやる。
「まぁ、まぁ。そう怖い顔をするもんじゃないよ。そんな聞き方じゃあ、彼も話しづらいでしょう。ねぇ、そうだよねぇ」
横から会話に参加して来たもう一人の警察官。
少し年齢が上なのか。何やら優し気な雰囲気だ。
「怖がらせちゃってごめんねぇ。ちょっと彼は強面なんだけど、決して悪い男では無いんだよ。それにね。もしキミが先程までとは違う話をしたとしても、全然構わないんだからね。人間、誰にだって思い違いや、間違いはある。大変申し訳無いんだけどもう一回だけ、もう一回だけ思い出してはもらえないかなぁ」
そう笑顔で問いかけて来る優し気な警察官。
あぁ……『グッドポリス、バッドポリス』戦術ね。
単なる高校生相手にこんな
って言うか知識としては知ってたけど、マジもんでこれヤラれると、本当に喋っちゃいそうになるな。
国家権力半端ねぇ。
――ガサッ
と、そこで部屋の奥から物音が。
「んん? あぁ、そう言えばここって、キミ一人で暮らしているの?」
優し気な警察官が部屋の奥へと視線を向ける。
その途端、僕の背中に大量の汗が噴き出し始めた。
ヤバい、ヤバい。
非常にヤバい。
部屋の奥には如月さんが居る。
彼女がココに居たとしたら、どういう事になるんだ?
んん? 思わず隠れてもらったけど、良かったのか、悪かったのか?
いや、コレ、失敗か、失敗したのか?
最初っから彼女に出て来てもらいさえすれば、僕の無実は証明されたも同然じゃないのか?
何しろ当事者なんだし。僕とは初対面で……って。
いやいや、待て待て。
正直ベース、僕の部屋に勝手に入り込んだ挙句、僕との『秘め事』を企む様な女だぞ。
しかも、初対面なのに顔見知りを装う『不思議ちゃん』だ。
場合によっては『私、この部屋に連れ込まれたの!』なんて、無い事、無い事、言い出しかねないぞ。
そんな事にでもなったら速攻、現行犯逮捕だよ。
未成年がどうのなんて話は全く通用しない。
言い逃れのしようも無く、少年院送り確定事案発生だ。
どうする? どうすれば良い?
流れ落ちる冷や汗を止める事すら叶わず、僕は警察官の胸ポケットをただひたすら凝視し続ける事しか出来ない。
そんな僕の様子を、百戦錬磨の警察官が見逃すはずも無く……。
「どうしたのかなぁ? 気分でも悪いのかな? あぁ、立ち話もなんだね。部屋の方で少し休むかい? どうだろう、手を貸そうか?」
そう、にっこりと微笑む優し気な警察官。
「あっ、あぁ……えぇっと」
駄目だ、ダメだ! 耐えろ、耐えるんだ!
大丈夫。断れ、断るんだ。
「ほらほら、凄い汗だよ。きっと体調がすぐれないんだね。どうだい? 手を貸そうか。ほら、私に任せてくれれば大丈夫だから、安心して。ねっ」
「いやっ……あのぉ」
さっきまで黙り続けていた事も災いし、思う様に言葉が出て来ない。
「ささ、手を出して。大丈夫。大丈夫。直ぐに救急車を呼ぶからね」
「あぁっ……」
そして、思わず僕が手を差し出そうとしたその時。
「ミィー……」
「「ん?」」
部屋の奥から子猫の鳴き声が。
三人の視線が一斉に部屋の方へと注がれる。
そんな中、部屋へと通じる引き戸を器用にこじ開けながら、一匹の子猫が僕の方へと駆け寄ってきたではないか。
「あぁ……ネコが居るんだねぇ」
「えっ、えぇ。実はこのアパート
うぅぅん、
と、ここでクロが僕の腕の中へと飛び乗って来たんだ。
しかも、何を思ったのか急に僕の頬を舐め始めて……。
「あぁ、クロぉ、くすぐったいよぉ」
と、その瞬間。
――キィィィン……
僕の脳内に濁流の如く流れ込む大量の情報。
「さて、どうするかな? 少しは良くなった様には見えるけど、やっぱり救急車呼んでおこうか?」
優し気な警察官が再びそう語り掛けて来る。
「あぁ、いえ。大丈夫です。と言うか、当時の事をようやく思い出しました。確かに昨日の夜九時頃。あの近所にある本屋から帰る途中で、何か揉めている様な声を聞きまして。確か女性が高校生数人に絡まれていた様でしたね」
「ほうほう。確かにそうだね。でもどうして今までそれを話してくれなかったのかな?」
「いや、後からその高校生たちが同じ高校に通う人達だって聞いたもので……。もし僕が余計な事を話したりしたら、後で何をされるのか分からないですから」
「ふうぅん。そうなの。そうだよねぇ。同じ学校って事になると、キミも何かと言いづらいよねぇ」
優し気な警察官は何やら得心のいった様に頷いている。
「それにしてもキミすごいねぇ。よくそんな不良グループの所に行ったよねぇ。腕に自信でもあった?」
「いいえ……。女性の声も聞こえたので、その時は無我夢中で……。今思うと、どうしてそんな事をしたのか、実は良く覚えていないんです」
流石にこのくだりには無理があるかな。
優し気な警察官の方ですら、少し首をかしげている様子だ。
「それじゃあ、最後にもう一つだけ。キミは彼女と何か会話をしたかな?」
「えぇ。確か『助けてくれてありがとう』って言ってもらいました。でもそのあと駅の近くまで送っただけで、特に会話と言う会話は……」
「あぁ、良いんだ。それだけ聞ければ。うん、ありがとう。状況は分ったよ。勇気を持って話してくれて助かったよ」
「あのぉ、この話は僕がしたって事は……」
「はいはい。大丈夫、だいじょうぶ。警察はそう言う所はしっかりしてるからね。キミに教えてもらった事は誰にも話さないから安心してね。それじゃあ、長い時間おじゃまして本当に悪かったね。そろそろ失礼するよ」
警察官はそれだけを言い残すと、何事も無かったかのように帰って行ってしまったんだ。
「ふぅぅぅ。ヤバかったぁ。って言うか、どう言う事だ?」
僕は驚きの眼差しで腕の中のクロを見つめる。
クロの方も、アンバーの瞳をクリクリと輝かせて僕の事を見つめている様だ。
「なぁ、クロ。さっきのヤツ、一体どうやったんだ? 何かこう、ブワーっと記憶が流れ込んで来たって言うかさぁ」
クロに頬を舐められた瞬間。
今まで見た事も無いはずの風景が、一気に頭の中で広がった様な気がしたんだ。
間違いない。それは僕の記憶。
僕の視線の先。
そこには男子高校生に取り囲まれ、乱暴されかけている彼女の姿が。
普段ならそのまま見て見ぬふりを決め込むはずが、なぜか僕の足は彼女の方へと。
相手は同じ高校に通う生徒らしい。
それにしてもアイツら、一体どれだけ馬鹿なんだろう。
学校の制服を着たまんまでレイプ事件を起こすなんて。
まぁそんな事より。
その記憶の中では、僕がまるで正義のヒーローにでもなったかのごとく、大勢の不良相手に大立ち回りを演じ……てないなぁ。
あぁ、あぁ。
めっちゃ、踏まれたり蹴られたり。もう、フルボッコ状態。
全然彼女の事、助けて無いじゃん。
まぁ、そりゃそうか。
今まで喧嘩なんて一度だってした事無いし。
あ痛たたぁ。
いい加減、気の毒なぐらいに殴られてるなぁ。
……って、おろろ。
どうした? 自分。どうしたんだ? 急に立ち上がったぞ?
全身ズタボロなのに、急に立ち上がって?
どうする? どうするんだ? 反撃すんのか?
『にゃー! 助けてぇぇぇぇー!』
おぉぉ! 叫んだ。自分、大声で叫んでるわ。
そりゃそうだよな。自分でどうしようもなくなりゃ、誰か助けを呼ぶわな。
って言うか、最初の『にゃー』は無いだろう『にゃー』は。
あ、人が集まり出した。
最初の『にゃー』が効いてるのかも。
あははは。不良連中ビビってる。ビビってる。
なるほどぉ。確かにこれだと目撃者が多いよなぁ。
確か動画取られてるって、お巡りさん言ってたし。
そりゃこれだけ面白そうだったら、動画の一つも取るわなぁ。
でも、この動画、僕見て無いな。
って言うか、SNS炎上してて、それどころじゃ無かったもんなぁ。
それにしても、やけにリアルな記憶だなぁ。
何て言うんだろう……リアルはリアルなんだけど、全然実感が湧いて来ないって言うかさぁ。
イメージとしては……。
そう、自分自身が第三者的な視点でその光景を見ている様な。
うぅぅん。もう少し具体的に言うと、映画館で自分の記録映像を見ている……って言った方が近いかなぁ。
そして更に記憶を
あぁ、不良たちから解放された後、僕めっちゃ彼女から感謝されてるわぁ。
確かに『助けてくれてありがとう』って言われてる、言われてる。
うんうん、間違いない。
僕って何て良いヤツなんだろう。
あぁ、そうそう。
結局そのあと、ちゃんと彼女を駅まで送って行ったんだよねぇ。
偉いエライ、自分エライぞぉ。
……って、あれ?
僕、何処に行こうとしてるの?
駅はそっちじゃないでしょ?
おいおい。って言うか……おいおいおいっ!
何やってるんだよ! 急に彼女をビルの影になんか連れ込んだりしてっ。
って言うか、なんだよこれ?
僕、一体何やってるの?
そんなっ、彼女に対して? 壁に手を付けって?
急に何を言い出して……って……あぁ、あぁ、あぁぁぁあ!
――(R18)
「……」
……ヤッたよ。
ヤッちまったよ。
って言うか、ヤッちゃってるじゃん。完全に。
結構泣き叫んでたよね。……彼女。
まぁ、後半静かになったけど……。
いやいやいや、そんな事は問題じゃ無いよ。
これ、僕の記憶なの? まったくそんな覚え無いんだけど。
って言うか、逆にめっちゃ覚えてる。めっちゃ覚えてるわ、この事。
えぇぇぇえ?
どう言う事、これ。一体どう言う事なの?
ド犯人やん。僕、本気の真犯人やん。
なんだったら不良グループ全く関係ないやん。
僕一人の単独犯やん。
……えぇぇぇぇぇ。
現実と記憶の狭間で混乱状態の僕を後目に、クロは僕の腕を振りほどく様にして床へと飛び降りて行く。
「おい、クロ……何処へ行くんだよ? おいっ、クロぉ!」
「ミィー……」
クロはアンバーの瞳を妖しく輝かせながらも、そのまま部屋の奥へと行ってしまったのさ。
玄関に取り残された僕は、
「一体……どういう事なんだ……」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます