第159話 取り戻した日常を、恋人になった君と
チュンチュンと小鳥が朝の調べを奏でている中で、俺は自宅の玄関から外へと踏み出す。
この二周目世界にタイムリープしてきた初日は訳もわからぬままに家を出たが、今となってはこの日常に適応してしまっていた。
そしてその日常も、また違った新しい形へと変わっていく。
少なくとも、俺はこんな朝を迎えるのは初めてだ。
「おはようございます! 心一郎君!」
早朝に澄んだ空気に、天使の声が響き渡る。
俺にとって最も大切な想い人である少女は――紫条院春華はそこにいた。
(ああ――)
制服に身を包んだ春華を見るのは約一ヶ月ぶりだが、その変わらぬ姿で笑顔を浮かべる春華を見ただけで心がいっぱいになる。
風に靡く艶やかで長い髪も、白くて柔らかいミルクの肌も、純粋さがそのまま形になったような宝石の瞳も、何もかも綺麗だ。
「おはよう春華。身体の方はもう大丈夫なのか?」
「はい、もうすっかり大丈夫ですよ! そもそも今日はようやく学校に復帰できる日なんですから、とにかく元気が有り余ってるんです!」
言って、春華は両拳を胸の前でギュッと握った。
その可愛いやる気ポーズに、思わず苦笑してしまう。
「その……それに……」
そこで春華は、急にトーンダウンして何やら頬を赤らめる。
「今日一緒に登校できるのを……ドキドキしながらも楽しみにしていましたから……」
「……っ」
恥ずかしそうに言う春華の言葉に、俺も頬を朱に染めてしまう。
思えば、俺は常に恋愛的な意味で仲良くなりたいと思って動いていたが、春華から明確に恋愛的なアプローチをされたのはこれが初めてかもしれない。
俺達の関係は今まさに新スタートを切ったばかりなのに、早くも春華への愛しさが溢れそうになっている。
「では新浜様。私はこれで失礼しますよ」
「へ? か、夏季崎さん!?」
春華を送ってきた高級車の中から顔見知りである運転手さんが顔をのぞかせており、俺は驚きの声を上げてしまった。
い、いかん。春華に集中しすぎて第三者の存在が目に入っていなかった……。
「はは、朝から仲が良くて大変結構です。では車に気を付けて登校されてくださいね」
「「は、はい……」」
どうやら夏季崎さんの存在を忘れていたのは春華も同じようで、俺達は揃って恥ずかしさに俯いてしまう。
「ああそれと、遅ればせながらお祝いを申し上げますよ新浜様。春華お嬢様と交際する事になったと聞いて私や冬泉などの紫条院家の者は大いに盛り上がったものです」
「えと、その……ありがとうございます」
やっぱりもうそれは紫条院家内で広まっているのか……。
うう、当然の事とはいえ、やはりとんでもなく恥ずかしい……。
「まあ、お嬢様からカミングアウトがあったのはつい先日の事なのですがね。いやぁ、その時の紫条院のお屋敷は取り戻しつつあった落ち着きが吹っ飛ぶ程にしっちゃかめっちゃかになりましてな。火山の噴火とクリスマスパーティーが同時に来たようでした」
「えええぇぇ!?」
さらりと語られたその大騒動に俺は小さく悲鳴を上げ、春華は恥ずかしそうに顔を伏せる。
そうかぁ……。
予想の範疇ではあるけど、火山が噴火しちゃったかぁ……!
「ともあれ、私個人としては大いに祝福しますとも。では新浜様、節度を守って楽しい学校生活をお過ごしください」
そこまで言うと、夏季崎さんはハンドルを握って車と共に去って行った。
「やっぱり大騒ぎだったんだな、紫条院のお家は……」
「は、はい……もう何と言うか、お母様や家政婦さん達の興奮しきった歓声とお父様の悲鳴と怒号がエンドレスという感じで……」
その光景が容易に想像できてしまい、俺はどうあがいても近い内に降りかかるであろう試練を予感してちょっとだけ肩が重くなってしまう。
(ま、まあ、その時はその時だ。俺が決して軽い気持ちで告白したんじゃないって事をきちんと説明すればいいさ)
俺はそう切り替えて、努めて平静を装って笑みを浮かべて見せる。
ただ……頬に流れる一条の冷汗だけは流石に隠しようがなかった。
■■■
いつもよりも一時間早い通学路は、同じ学校の生徒の姿はほぼなかった。
俺達が何故こんなに早い時間から待ち合わせ登校をしているのかと言えば、それは学校の奴らの人目を避けるためである。
(今までも春華と一緒に登校や下校はした事はあるけど、家の前で待ち合わせてとなると格段に意味が違ってくるしな……)
いずれは俺達の事も公表しないといけないが、今はまだ春華が学校に復帰したばかりだし、ある程度落ち着くまで要らぬ波風がないように秘密にした方がいいと考えたのだ。
「ああ、本当に久しぶりです……こうやって通学路を歩けるのは……」
冷たい朝の空気を感じていると、隣を歩く春華が感慨深げに言った。
「入院中は私だけが時間の流れから取り残されてしまっていたみたいでしたけど、やっと……やっと戻ってこれました」
「俺も風見原も筆橋も……クラスの皆もずっと待ってたよ。おかえり、春華」
「はいっ! 本当にようやくです!」
本当に嬉しそうに、春華は屈託なく笑う。
こうして普通通りに通学できる事こそが、春華にとって真に日常を取り戻したという事なのだろう。
「あ、春華……入院中にしばらく会えなくてごめんな」
「え? いえ、そんな! あれはウチの家族や親戚が間を置かずに会いに来たせいですから! なんだかよく知らない本家の人達までたくさんやってきて、私も最後の方はちょっと疲れてしまったくらいですし!」
春華は俺にフォローを入れつつ、入院生活を圧迫した親戚達にちょっとだけ文句を言った。
なんでも春華は紫条院家当主である『お爺様』から相当に可愛がられているようで、そのせいで親戚達は春華の回復に際してこぞってお祝いを言いに行ったという事らしい。
「でも、その……あれからそうやって間が空いてしまったので、ど、どうしても確かめたい事あるんですけど……」
「ん?」
そこで、春華は急に顔を赤くして恥ずかしそうな声を出した。
なんだか、やたらと言いにくそうだが……。
「そ、その……! し、心一郎君と恋人同士になれたのは……私の夢だったりしませんよね!?」
「はぁ!?」
「いえ、だって! 入院してから冷静に考えたらそんな都合のいい事があるのかって不安だったんです! 心一郎君にあんなふうに告白してもらって恋人関係になるなんて嬉しすぎる事だからこそ不安になって……!」
「いやいやいや! 夢だったら俺が泣くから! 恐ろしい事を言わないでくれ!」
春華はその可能性に本気で怯えているようだが、都合のいい夢かと危惧していたのはむしろこっちである。
「そんなに不安なら何度だって言うよ! 俺は春華が好きだ! これは夢でも幻でもないし、何が起ころうと絶対に撤回しない!」
「ふ、ふぁぁ!?」
その全てを口にしてしまってから、俺は天下の往来で死ぬほど恥ずかしい事を叫んでいた事に気付き、茹でタコのように赤くなる。
そして、それを聞かされた春華もまた同様だ。
人通りが殆どない歩道の上で、俺達はしばし羞恥のあまり足を止めてしまう。
「し、心臓が爆発しそうになりましたけど……改めてそう言ってもらえて良かったです……」
熱を冷ますように僅かな沈黙を挟んだ後、春華はおずおずと言った。
「もし夢だったらと思うと、震えてしまう程怖くなって……メールや電話だとなかなか聞いてしまう勇気が出なかったものですから……」
「春華……」
そんな不安を抱かせていたとは気付いていなかった俺は、心から申し訳なく想った。俺の告白を、そこまで大切に受け止めてくれているだなんて……。
「いつから……だったんでしょうか……」
「え……」
「ずっと好きだったと言ってくれましたけど、心一郎君はいつからそんなふうに想っていてくれたんですか……」
顔を赤くしままで、春華はおずおずと尋ねてきた。
対して、その質問を受けた俺は少しだけ苦笑してしまう。
「その、本格的に燃え上がったのは文化祭辺りからだけど……実を言えば最初に出会った時からずっとそういう気持ちはあったよ」
「そ、そうなんですか……?」
春華は意外そうな顔で驚きの声を上げる。
まあ確かに出会った当時の俺はボソボソ声の陰キャだし、春華は恋愛感情に疎すぎる天然なので、全く気付かれていないのは知ってたが。
「これまでも何度か言ったけど……春華は天使みたいに綺麗で心から優しさが溢れていて、太陽みたいな笑顔で周囲を晴々とした気持ちにさせてたからな。一目見た時から、もう心が鷲掴みにされていたよ」
「ひゃ、ひゃあぁぁ……!? も、もう、そんなに褒め殺しをしないでくださいー! 今日はただでさえ心が一杯なのに、頭から煙が出ちゃいますー!」
俺としては事実として好きになった経緯を伝えたつもりだったが、春華は赤くなるのもそろそろ限界みたいな状態で抗議してきた。
(俺としては今まで全部は言えなかった事が言えてすっきりだ……。好きな子に君はこういうところが素敵だから好きって言えるのは、本当にいい)
「……でも……そうやって強い言葉を貰ったら、心が軽くなってポカポカしてきました」
未だに顔は赤いものの、春華は胸に手を当ててゆっくりと口を開いた。
「私……好きだと言って貰えた事が本当に鮮烈で幸せで……入院中も心一郎君の事を考えてベッドの上でジタバタしすぎて、看護士さんに怒られちゃったりして……」
もじもじと恥じらいながら告げられたその言葉は、想像するだけで俺の胸をいっぱいにしてくれた。
そっか……入院中もずっと俺の事の考えてくれて……。
「恋愛なんてした事がなかったので何もわからなくて……けれど、とにかく一緒にいて言葉を交したいって気持ちがどんどん膨らんでいって……」
胸に手を当てて、さらに春華は言葉を続けた。
「だから、今朝は一緒に登校しようって提案したんです……。どうしようもなく、心一郎君と一緒にいたかったから……」
「春華……」
春華はとろんと潤んだ瞳になっており、気付けば俺と肩が触れ合うほどに近くにいた。彼女の髪からシャンプーの匂いがして、頭の芯がブレそうな程にクラクラしてしまう。
朝の清澄な空気の中で――俺達はしばし視線を通わせる。
お互いが側にいるだけで、どんどん幸せが蓄積していく。
「あ……」
俺は見つめ合ったままに、春華の白くてしなやかな手を握る。
そうしたいという気持ちのままに。
そして春華もそれを拒まずに、むしろ指を俺の手へとゆっくり絡めてくる。
お互いの体温が、まるで融け合うように共有されていく。
「その……俺も女の子と付き合うのなんて初めてで、色々至らない事もあるかもしれないけど……」
だけど、君を想う気持ちは誰にも負けないという自負はある。
それだけは、自信を持って言える。
「これからずっと一緒にいたいと思ってる。だから……これからは彼氏としてよろしく頼むな春華」
「――はいっ!」
俺の言葉に、春華は満面の笑みで応えてくれた。
そうして――俺達は秋から冬へと移る季節の中で新しいスタートを切った。
これまでとは違ってなにもかもが輝いて見える、その甘い季節へと。
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