第157話 この気持ちを……今こそ告げるよ

 



「はる、か……ぁ……ああ……! ああああああああああぁぁぁぁぁ……!」


 俺は気付けば、ベッドに縋り付き大粒の涙を流していた。

 

 戻って来てくれた。

 悲惨すぎる破滅の運命から、穏やかな日常へと。


 大切な人が意思を取り戻し、俺の名前を呼んでくれている――ただそれだけで俺の胸はいっぱいになり、涙は止まる事を知らなかった。


「……もう、なきすぎ、です……心一郎くん……」


 泣き暮れる俺の頭をまるで子どもをあやすように撫で、春華が優しく微笑みかけてくる。


 ただそれだけの事が、何よりも貴いと感じる。

 俺の中に蓄積した暗澹たる気持ちは、今眩いばかりの光で照らされていた。


「……春華…………お嬢様……?」


 ふと背後から聞こえた声に振り返ると、部屋の入口に冬泉さんが立っていた。

 

 走っていった俺を追ってきたであろう美人家政婦さんは、喋る春華を見て驚きに目を見開いたまま硬直していた。


「ふゆ、いずみ、さん……」


「あ、ああ……! お、お嬢様! 私の事をわかって……! あ、あああああぁぁぁ……!!」


 春華の回復を目の当たりにした冬泉さんは、俺と同様にその場でボロボロと泣き崩れる。


 それも当然だ。ずっと精神崩壊した春華の介護をしていた分、この家の人間が目の当たりにした絶望は俺よりもなお深いだろう。


「あ……! こ、こうしてはいられません! 旦那様達に一刻も早くお嬢様の回復をお伝えしなくては! それとお医者様も! 新浜様、どうかしばらくお嬢様をお願いします!」


 冬泉さんは涙を拭い、家政婦としての務めを果たすためにその場から急いで去っていった。


 ああ、そうだ。後は秋子さんと時宗さんに春華の回復を伝えれば春華が倒れた事から端を発したこの事態もようやく終わる。


 本当に――本当に良かった……。


「春華、どこか苦しくないか? 驚くかも知れないけど、春華は十日以上も――」


「……ええ、わかっています。私がずっと……心を失っていたことは」


「え……?」


 俯きながら言う春華に、俺は少なからず驚いた。

 まさか自分があの状態になっていた事を理解しているとは……。


「……心一郎君、私……長い夢を見ていました」


「夢……?」


 春華は何故か固い面持ちで語り出した。


 しばらく声を発していなかった喉はようやく発声に慣れてきたのか、少しかすれてはいるが十日間もまともに発声していないとは思えないほど流暢になっていた。


「ずっと苦しみ続けている大人の私と……それを救いに来てくれた大人の心一郎君の夢です」


「!?」


 その言葉に、汗が噴き出した。


 思い出すのは、タイムリープした先で見た奇妙な夢だった。

 あの時教室の夢に出てきた春華は俺の無意識が作り上げたとは思えない振る舞いをしていたので、俺も薄々と『その可能性』は高いと思っていた。


 だがそうすると……今目の前にいる現実の春華は、自分の身に起こっていた事やそれを解決するために俺が超常現象に導かれていた事を殆ど知り得ている……? 


「夢の中で……大人の心一郎君は、『私』を懸命に助けようとしてくれていました。意固地になっている大人の私が冷たい態度を取っても、決して諦めずに」


「それは……」


 語る春華は、それは夢であって夢ではなかったと暗に言っていた。


「未来とか大人の私とか、何もかもが有り得ないことばかりなのに……私にはどうしてもあれが夢だったと思えないんです……! 心一郎君が……へ行っていた事も!」


「……!」


 ベッドの上で感情を高ぶらせ、春華は声のトーンを上げた。

 まさしく夢としか言いようがない程に荒唐無稽ではあっても、そこに登場した自分や俺の苦しみや焦燥は、幻ではないのだと確信している様子で。


「あの教室の夢で会った心一郎君は……心一郎君だったんですね」


「……ああ」


 今の俺達以外の誰が聞いても意味不明であろうその問いに、俺は硬い面持ちで頷いた。できれば、春華には全てを知らないでいて欲しかったが、ここまで覚えているのであればもはや仕方ない。


「私のために……今までもう二度と戻ってこれないかもしれない場所へ行っていたんですか?」


「……そうだよ。俺が自分の意思でそうした」


「――――っ」


 そう答えた瞬間、春華は強い視線を俺へと向けてきた。


「どうして……そんな無茶をしたんですか!?」


 春華は聞かずにはいられない様子で、責めるように問うてきた。


 俺としては瞳を潤ませている春華を見るのは辛かったが、勝手に無茶をした身からすれば甘んじて受け入れなければならない。


 なにせ、最終的に俺の人生二度目のタイムリープへと導いたのは運命という得体の知れない存在だが、そう望んだのは俺だ。

 そしてもちろん、戻ってこれる保証なんてまるでなかった。


「心が壊れてしまった私なんて……放っておけば良かったじゃないですか!」


「な!? 何を言って……!」


「心一郎君は! 優しくて頼りがいがあって本当に素敵な人なんです!」


 春華は、荒ぶる感情を抑えられないという様子で声を張り上げた。 


「そんな素晴らしい人が! 私にとって一番の人の未来が私のせいで潰れてしまったら、例え私が心を取り戻しても何の救いにもならないじゃないですか! 心一郎君がいなくなって、私がその後の人生を笑って生きていけるとでも思っているんですか!?」


 俺のエゴを糾弾するその悲痛な叫びは、俺の胸に深く突き刺さる。


 もし逆の立場だったとして――春華が俺のために自分が犠牲になるかもしれない方法をとれば、俺もまた同じ事を思って同じ事を言うだろう。


「どうして……どうしてそこまでするんですか……どうしたらそこまで強くて優しくなれるんですか……」


 昂ぶりのあまり、春華は瞳に溢れんばかりの涙を溜めていた。

 その姿を見ると本当に心が痛む。


 けれど――


「そんな気持ちにさせてしまったのは、本当にごめん……。でも、俺はきっと何度だって同じ事をするよ。なんせ、そう決めているからな」


「決めて、いる……?」


 春華が不思議そうに俺の言葉を反芻するが、別にそう大した事じゃない。

 俺が今世で掲げた、単なる指標だ。


「ああ、春華も学校の皆も……俺が以前とは別人みたいに力強く変わったって言ってくれるよな。けど、俺の本質なんて未だに根暗で臆病だ。『遠い場所』に行く時だって、もう二度と戻ってこれないかも知れない恐怖で泣きそうだったさ」


 思えば、俺の前世とは心の痛みや恐怖と向き合わない逃げの人生だった。


 怖いから立ち向かわない。

 辛いから続けない。

 面倒だからしない。

 どうせ無理だから最初からやらない。


 そうやって、自分というものを小さくするばかりの日々だった。


「だから、今の俺は以前より強くなった訳じゃない。その違いなんて決めたものがあるかどうかだけだ。『自分が本当に望むもののためには必要な事から逃げない』ってさ」


 それが、前世の俺が手を伸ばしすらしなかったもの。


 嘆くばかりで行動に移さない、他人の都合に逆らわずにただ流される、最善の道を選ばずに考える事をやめる――そんな受け身な社畜から羽化するために、この二周目人生で俺はずっと胸に決意を抱いて走り続けてきた。


「だから今回も本当に望んでいる事のために……俺にとって一番大切な女の子のために俺はやれる事をやったんだ。自分の、本当の気持ちのために」


「心一郎君の……本当の気持ち……?」


 俺の心のままの言葉に、春華の顔が微かに色づく。

 

 遙か昔にこの少女に恋をして、奇跡によって再び俺達は出会った。

 輝かしい日々の中で、俺の気持ちは膨らんでいく一方で――それをずっと言葉にする事を躊躇っていた。


 いつか告げるという決意は本物でも、やはり怖さ故の躊躇はあった。

 想いが膨らんでいく程に、拒絶された時の悲しみは途方もないと知っていたから。


 けれど、俺はもう逃げない。

この気持ちを……今こそ告げるよ。

 


「俺は――春華が好きだ。ずっとずっと、好きだった」



 ずっと言いたかった言葉。


 昔から心に秘め続けた想い。


 やっと……やっと言えた――


 感慨深く思えたのもそこまでで、予想通り俺は頭からつま先まで火が付いたような熱が膨れ上がり、肌着が重たくなるほどの汗をかいていた。


「え、えと……ごめんな。本当はこんな病み上がりの直後じゃなくて落ち着いてから言うつもりだったんだけど……」


 俺の告白に対し、春華は目を見開いたまましばし放心していた。

 果たして彼女にもたらされたショックがどういう方向性なのかわからぬままに、俺は頬に冷汗を流しながら見守るが――


「え!? は、春華!?」


 俺は血相を変えて叫んでしまった。

 何故なら、春華は驚きに固まった顔のまま……瞳からボロボロと大粒の涙を流し始めたのだ。


「……ぅ……ぁ……わ、たしは……」


 頬を濡らす少女は、必死に感情を整理するかのように言葉を紡ぐ。

 俺はそれを、ただじっと待つ。


「私は……恋というものがわかりませんでした……人を好きになるというのがどんなことか知らなかったから……」


 さらに涙を零しながら、春華は自分の心中を開示するかのように言う。


「皆は私の事を子どもっぽいと言いますけど……恋に憧れていなかった訳じゃありません。ただ夜空の星みたいに、綺麗だと知っているけれど自分の遠くにあるものだと……そう思っていました」


 沈む夕日に照らされる部屋の中で、春華はさらに続けた。


「けれど今は……今までよくわからなかった感情に名前と色がついていくみたいな感じです。いつも感じていた事に……」


「いつも……感じていた事?」


 春華は瞳を潤ませたままに、ゆっくりと続きを口にする。


「心一郎君の側にいるととても安心します。一緒にお喋りすると、心がどんどん弾んでいきます。心一郎君の事を考えると、いつも心がフワフワと心地良くなっていって……心が幸せになっていました」


「え……」


「その時の気持ちも、今私の胸から溢れ返ってしまいそうなこの喜びも……本当の意味で理解できました。心一郎君への想いがずっと止まらないんです……!」


 心が浮き上がっていくような様子で述べ続ける春華の言葉を、俺は夢心地で聞いていた。

 

 これは……本当に現実なのか?

 俺の都合のいい妄想ではなく?

 

「私も……言います。言わせてください……」


 涙を頬に伝わせたまま、春華が俺を真っ直ぐに見る。



「心一郎君……貴方が好きです。本当に本当に……大好きです」



 その衝撃を、なんと言おう。


 表現できない。何も考えられない。


 俺の中の全てが――どこまでも晴れ渡った青空となった。

 俺という存在の一切合切が、余さず救われていくような心地だった。


「どうか私を……貴方の恋人にしてくださ……きゃっ!」


 気付けば、俺は身を乗り出してベッド上の春華を抱き締めていた。

 

 ただただ彼女が愛しくて、どうしようもなかった。


「もう……ふふ……」


 顔を赤らめていた春華だったが、間近にある俺の顔を見て静かに笑った。

 

 ああうん、自分でもわかる。

 きっと今俺は、涙と激情でさぞ滅茶苦茶な顔になっているだろう。


「……ずっとずっと側にいます」


 全身で触れ合いながら、白魚のような指が俺の頭を撫でた


「不束者ですけど……どうかよろしくお願いします」


 そうして、春華は太陽のように微笑んで見せた。


 彼女の美しく純粋な心がそのまま咲いたようなその笑顔に、俺は感極まって何も言葉が紡げなくなる。


 青春リベンジの果てに勝ちとったもの。


 この世で一番大切なものは――今確かに俺の腕の中にあった。 

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