第132話 誕生日パーティーin紫条院家(後編)
(うーん美味い……生クリーム一つとっても普通とは違うしスポンジもきめ細かすぎる。きっとお値段とか聞かない方がいいクラスのケーキだなこりゃ)
最初の緊張からすれば図太いもので、俺はリラックスした状態で切り分けられたケーキを口に運んでいた。
なお、春華と秋子さんは今、俺からちょっと離れたところで冬泉さんに母娘の記念撮影をしてもらっている。
そんな訳で俺は少し喧噪から離れた感じなのだが、一人となった訳ではない。
なにせ、俺の正面の席にはこの家の大黒柱である人物が座っているのだから。
「やっぱり女性は写真が好きですよね。記念日ならなおのことですけど」
「貴様ぁぁぁ……この状況で和やかに話しかけてくるとは良い度胸だなオイ!?」
俺の目の前にいる大企業の社長――春華の父親たる紫条院時宗さんは、苦虫を百匹くらい噛み潰したような顔で言った。
この娘ラブな過保護パパは、このパーティーが始まってからしばらくしてプレゼントを抱えて帰宅した。
そんでもって満面の笑顔でこのリビングに入ってきたのだが……そこで俺という異分子を見つけたのだ。
『ぎやぁあああああああああっ!?!? な、なななな、なんで貴様がちゃっかりいるぅぅぅぅ!?』
悲鳴に近い叫びを上げた娘想いのパパに事情を説明したのは、俺ではなくてこの家の女性陣だった。
『お父様お帰りなさい! 心……じゃなくて新浜君は私が招待したお客様です! 失礼な事は言わないでくださいね!』
『時宗さん? 可愛い春華の誕生日なんだから、あんまりギャーギャー言っちゃダメよ?』
と、そんなふうに娘と妻から思いっきり釘を刺され、もの凄く何か言いたそうな顔のまま、時宗さんは今に至るまで沈黙を余儀なくされていたのだが……。
「さっきからリラックスした顔で普通に楽しみおって! そもそもいて当たり前みたいな顔でさらっと我が家のお祝いに出席してるとか、私からすれば軽くホラーなんだがっ!?」
「だから言ったじゃないですか。春華さんから誕生日パーティーに招待されて秋子さんにも許可をもらったんですよ。時宗さんには寝耳に水になって申し訳ありませんでしたけど」
「ぐううう……! ええい、秋子も私に連絡せずに事後承諾で通しおって! 一応ここの家長のつもりなんだがな私は!」
拗ねたような言葉を吐いたかと思うと、時宗さんはグラスの白ワインを一気に呷った。ほのかに薫る豊潤な香りに、そのワインが前世では口にするできなかった高級品だとわかる。
……いいなあ、俺も前世で死ぬまでお高いシャブリとか飲んでみたかった。
「俺も家族団欒をお邪魔してしまったのは申し訳ないと思っています。けど、それでも……春華さんのお招きを断るなんて選択肢が俺の中になかったんです。どうか今日は許してください」
「こいつめ……! 一見殊勝な事を言っているようで自分の恋愛事情を優先しているだけだろうが!?」
即座に返ってきたツッコミに、俺は少しだけ目を逸らす。
ははは、流石社長。実は全くもってその通りです。
「ああもう、まったく……! 春華が成長すれば言い寄る男がワラワラでてくるのは予想していたが、貴様みたいな奴は流石に想定外だよチクショウ!」
「いやぁ、恐縮です」
「褒めてないわアホぉ!」
語気を荒らげる時宗さんだったが、俺としてはその様子は少々以外だった。
誕生日に乱入してきたに等しい俺に対してもっとイライラを見せるかと思ったが、言葉を荒らげながらも刺々しい感じはない。
「…………ふん、君はこの家が怖くないのかね?」
「え……」
時宗さんはふとおふざけを排した表情になり、静かに言葉を発した。
「最初に会った時にも言ったが……春華はこの紫条院家の直系の娘だ。あの娘との〝本気〟とはすなわち将来的な約束という事になり……そうなると名家のしがらみやら資産やらで極めて面倒かつ困難な試練がいくつも立ちはだかるだろう。聡い君ならそれをある程度想像できるはずだ」
それは……確かにそうだろう。
紫条院家がとても理性的で優しい人ばかりだからつい忘れそうになるが、名家というものは様々な重みをその内に秘めている。
「それでも本当に本気なのか? 経験者として言うが一般庶民が乗り越えるには想像以上に大きな壁だぞ」
それは、娘から遠ざけたい故の脅しではなく純粋な心配の言葉だった。
その心遣いに感謝しつつ――俺は俺なりの考えを告げた。
「以前俺は……とてつもない失敗をしました」
「うん?」
「その失敗とは、『何もしなかった』事です。欲しいものも、大切にしたい人も、言うべきだった言葉もありました。けど、辛さや怖さを理由にして問題から逃げ回っていた結果……何もかも全部ダメになりました」
「…………」
俺が犯した前世での過ち。
懺悔のようなそれを、時宗さんは黙って聞いてくれた。
「行動の結果の失敗であれば、まだそこから学ぶ事も自分への納得も得られます。けど、本当に何もしなければ得るものはただ死にたくなるような後悔だけです。だから――俺は自分が本当に望んでいる事から逃げたくないんです。」
言葉を切り、俺はさらに続けた。
「力及ばずに春華さんにフラれるのなら仕方ないです。けど、アレコレと理由をつけて本当に好きになった人を諦める……そんな事は絶対にごめんです」
そうだ、だから俺はここにいる。
前世の自分では無理だった全てに挑むために。
「だから、俺は本気です。そんな気持ちになってしまう程に、春華さんは魅力的な女の子なんですから」
……言い切ってしまってからふと冷静になり、自分の発言がドン引き必死の激烈に重いものだったと気付く。
(し、しまった……前世の事を考えるとつい熱くなって……! 好きな子の父親に何言ってんだ俺!?)
「……ふん、なんとも口が回るな。だがまあ……言葉の全てが本気だったのはわかったさ。相変わらず十代とは思えんマグマみたいな情念だな」
――まったく、だからこそ根負けしそうになるだろうが――
「え……?」
言葉の後に微かな呟きが聞こえた気がしたが、それを確かめる前に時宗さんは俺へと空のグラスを差し出してきた。
その意味がわからず俺は困惑の表情でそれを受け取るが――
「ほれ飲め。もちろんノンアルコールだ」
「え……あ、は、はいっ!」
シャンパンのボトルが傾けられ、グラスに注がれた液体がシュワシュワと音を立てて弾ける。
そして、俺は突然のお酌に慌てながらも時宗さんと同時にグラスの中身を呷った。
シャンパンは前世ぶりだが……なんかやたらと美味く感じる。
「ふぅ…………まあ、なんだ。来てしまったものは仕方がない。春華が望んだ事なら仕方ないし、今日はせっかくだから食べるだけ食べて楽しんでいくがいいさ」
「は、はい……!」
バツが悪そうに目がやや逸れている社長の言葉に、俺は驚きの声を漏らした。
この親馬鹿パパの怨嗟がもっと全開になると思っていたのだが……。
(もしかして……俺の事をちょっとは認めてくれたとか? ……いやいや、そりゃちょっと自惚れすぎか)
と、そう思った時――
「あ、ずるいです新浜君! お酌し合っての乾杯とか、そういう大人っぽい事は私ともしてください!」
ドレス姿での写真撮影会を終えたらしき春華が、俺の隣に立っていた。
どうも場酔いしているようでその頬は紅潮しており、いつにも増して笑顔全開で超ご機嫌状態である。
「ああ、そりゃもちろん。それじゃ俺から注ぐぞ?」
「はい、お願いしますね!」
笑顔満面の春華と俺はお互いのグラスへシャンパンのボトルを交互に傾けて、乾杯を唱和した。
「え、いや、春華……順番違わないか? 普通父親と乾杯するのが先では?」
そんな俺達に視線を注ぎながら時宗さんが救いを求めるように言うが、テンションの上がっている春華の耳には届いていないようだった。
そしてグラスを飲み干すと、春華はさらに笑顔を深めた。
「ああ、本当にいい気分です! 家族だけの誕生日ももちろんいいものですけど、やっぱり友達が来てくれると特別ですね!」
「いやいや、そう言ってくれるのはありがたいけど、さっきから俺ってメシ食って座っているだけで何も特別な事はしてないぞ」
「もう、何を言っているんです? 誕生日に一番嬉しいものを贈ってくれたじゃないですか」
言って、春華はちらりとテーブルの端に置いてある紙袋へと視線を送る。
俺が拙いなりに選んで贈った、春華へのプレゼントを。
「私にとって、涙が出るくらいに嬉しい事だったんですよ! おかげで今もこうしてとってもウキウキなんです!」
高貴なドレス姿に身を包んだ麗しき少女は、子どものように無垢な笑みを浮かべる。今この時に感じている幸福は、余すところなくその眩しい表情に表われていた。
「本当にありがとうございます心一郎君! おかげで最高の夜です!」
「そこまで言われると照れるけど……まあ春華がそう思ってくれたのなら俺も選んだ甲斐はあったよ……ん?」
ふとその場が急に静まりかえる。
不思議に思って周囲を見ると、何故か大人達は揃って硬直していた。
冬泉さんは口元を抑えて目を見開いており、秋子さんは頬に手を当てて湧き上がるような歓喜を抑えきれない様子で言葉を失っている。
な、なんだ……? 何をそんなに驚いて……?
「…………なあ、新浜君よ」
静寂を破った時宗さんの声が、宴席へ響く。
そのこめかみには血管が浮き出ており、憤怒がこみ上げているかのようにちょっと震えている。
「今……春華と君が名前で呼び合っていたように聞こえたが……? ふ、ふふ、私の聞き間違いかなぁ……?」
「「あ……」」
その指摘に、俺と春華は揃って迂闊を悟った声を漏らす。
し、しまった!
春華に名前を呼ばれてつい俺もサラッと……!
筆橋と風見原にバレた時といい、やっぱり習慣化しているのを完全に隠すのは難しすぎる……!
「なんだその『あ、ヤベ、バレた』みたいな顔は!? どういう事か説明しろ! い、いったい何があってお前達はどうなってるんだ今……!」
「ええ、これはまったくもって説明が必要だわ! あ、冬泉さん! これからじっくりしっかりお話しないといけないから人数分のお茶を淹れて頂戴! きゃああああ最高! こんなサプライズをとっておくなんて新浜君も人が悪いわね!」
動揺と怒りで微妙に呂律が回っていない時宗さんと、お目々キラキラで詰め寄る秋子さん。
全くベクトルが違う感情で問い詰めてくる夫婦に、俺はダラダラと冷や汗を流す。
(いや、なんか普通に仲が深まってそうなっただけなんだだが、二人とも絶対に『何か』があったと思い込んでる……! こ、これは……一体どういう説明をしたら二人とも納得してくれるんだよ!?)
娘への愛に溢れた夫婦に迫られながら、俺は苦笑いを浮かべつつ胸中で悲鳴を上げた。
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