第129話 心を込めて君に贈る


「あ、ところで心一郎君はアルバイト代を何に使ったんですか? 私と違って何か欲しいものがあったみたいな感じでしたけど……」


「あ、いや……それは……」 


 その素朴な疑問に、俺は言葉を詰まらせた。

 その答えは今日春華に一緒に帰ろうと誘った理由と同じであり、本日における俺の重要なミッションに係る事だったからだ。


(いや、頃合いだろ俺。どんなタイミングでもどうせ心臓はバクバクするんだ……! なら水を向けてくれた今こそ切り出すべきだろ!)


 自分を叱咤し、俺は春華へ向き直る。

 

 やはりというか、俺の童貞マインドは緊張に悲鳴を上げ汗がダラダラと身体中に流れ始める。先ほど春華がああまで距離が近くなったと言ってくれたのに、本性がビビりの俺はご覧のザマである。


 だが、そんな弱さは知った事ではない。

 俺のビビりを消す事は永久にできないかもしれないが、それを超越して実行に移せる程の熱量が、今の俺にはあるのだから。


「その、実は……これがバイト代の使い道なんだ」


 言って、俺はカバンから小さな紙袋を取り出す。

 そして、そんな俺を不思議そうに見ている春華にそれを突き出し――


「……誕生日おめでとう、春華」


「え……」


 頬を熱くしながら告げたその言葉に、春華は完全に虚を突かれた表情を見せる。


「これ、誕生日プレゼントだ。もしよければ……受け取ってほしい」


「あ、え……」


 驚きの表情のまま、春華は俺から手渡された紙袋を受け取る。

 自分の手の中にあるものが、まだ実感できないという様子で。


「あ、その、開けて、みても……?」


「ああ、もちろんだ」


 俺が促すと、春華はゆっくりと紙袋を開く。

 そうして、俺が贈ったプレゼントはとうとう想い人の目に晒される。


「え……!? こ、これって『プレイヤーズ!』一巻のサイン本!? それにこっちは……わぁ! とっても素敵なブックカバーとしおりのセットです!」


 その好感触な声を聞いて、俺はようやく少しだけホッとした。

 どうやら、チョイスが最悪という事態は避けられたらしい。


「で、でも、どうして……あっ! も、もしかして、この間私が電話で誕生日の事を言ったからですか……!?」


「ああ、そうなんだ」


 事の始まりは、先月の春華との電話の最中に『来月は家族と誕生日パーティーがある』と聞いた事だった。


 モテない人生を歩んできた俺だが、誕生日に物を贈るのは恋愛アプローチにおいてテンプレートと言っていいほどに効果のある事だとは知っている。


 だからこそ妹の香奈子にも相談して密かに『春華ちゃんに贈る誕生日プレゼント大作戦』(命名:香奈子)を発動させていたのである。


「このサイン本は私が欲しがっていたのを覚えていて……!? あ、でもこれって限定品で今だと手に入らなかったような……」


「ああ、ネットオークションで探したんだ。ただそれだけだとちょっと物足りなかったから、文庫本用のハードカバーと栞のセットも付けたんだ。本当に大したもんじゃないけど……」


「と、とんでもないです! け、けれど……これ、さっきアルバイト代で買ったって言っていませんでしたか? も、もしかして凄く高いものだったり……」


 感情を激しく揺さぶられている様子の春華が、心配気にこちらを見た。

 

「あ、いや、そんな事はないって。確かにそれらはバイト代で買ったけど、そんなに高かった訳じゃないから安心してくれ」


 そう、俺がアルバイトを始めた理由こそが、春華に誕生日プレゼントを贈るお金を稼ぐためだったのだ。


 だが……今春華に言ったようにサイン本やブックカバーセットはお小遣いでも十分購入できるものであり、アルバイト代を注ぎ込まないと買えない程に高価だった訳じゃない。


 では、何故俺はわざわざアルバイトなんて始めたのか。

 実を言えばそこに大層な理由などなく……単なる俺の自己満足のためだ。


「まあ、くだらないこだわりだよ。春華へのプレゼントは親からもらう小遣いより……自分が働いたお金で買いたかったんだ」


「――――」


 俺がそう告げると、春華はプレゼントの入った紙袋を抱いて何やら衝撃を受けたような表情を見せた。


 ……実際、それは本当にくだらないこだわりだ。


 今の俺は学生なのだから、女の子に贈るプレゼントを小遣いで買っても全く問題はない。高校生が誰かにプレゼントを贈る場合、ほとんどがそうだろう。


 だが、俺はまがりなりにもかつては大人をやっていた身だ。

 そんな俺の感覚からすれば、親からもらった小遣いで好きな少女へのプレゼントを買うのはいささか抵抗があったのだ。


 だからこそ、俺は前世ぶりに労働を決意してバイトに勤しんだ。

 完全に自分の力で稼いだお金で、本当に気持ち良くプレゼントを渡すために。


「まあ、ブックカバーとかはあまり好みじゃなかったら別に無理して使わなくても……ん? どうしたんだ春華?」


 想い人にプレゼントを贈った気恥ずかしさに頬を赤らめていた俺だが、何やら春華の様子がおかしい事に気付く。


 春華は紙袋をギュッと抱き締めたまま、顔を隠すように俯いている。

 その表情は見えないが、微かに身体を震わせており何か激しい感情を抱いているようにも見える。  


 な、なんだ? 

 や、やっぱり付き合ってもいない女の子に誕生日プレゼントを贈るなんて、ありえない行動だったか――って、え!?


「ちょ、わ、ひゃっ……!? は、春華!?」


 俺は思わず、天下の公道で素っ頓狂な声を上げてしまった。


 一体何を思ったのか――肩を震わせていた春華は、突然俺に近づいてきたかと思うと自分の頭を俺の胸に押しつけたのだ。


 そしてそのまま、少女は何度も俺の胸に額を打ち付ける。

 まるで、感情を表現する手段に乏しい子どもがそうするように。


「ちょ、えっ!? な、なにしているんだ!?」


「わかりません……っ! わかないんです……!」


 ようやく俺の胸から顔を離した春華は、瞳にうっすらと涙を溜めていた。

 感情の昂ぶりから顔が赤くなっており、辛うじて涙声を紡いでいる。


「っ、く……自分の事なのに全然わかりません……! 嬉しい気持ちしかないはずなのに、とても幸せな気持ちなのに……胸と頭がいっぱいになって、感情がパンクしちゃってるんです……!」


 一息にそう言って荒い息を吐く春華を、俺は驚きと共に見ていた。

 海で酔っ払ってしまった時を除けば、ここまで感情が乱れた春華を見るのは初めてかもしれない。


「え、ええと、まず落ち着いてくれ。ほらティッシュ使うか?」


「ふぁい……」


 俺がカバンからポケットティッシュを取りだして差し出すと、春華は顔を赤くしたままそれを受け取り、俺に背を向けて涙でぐしゃぐしゃになった顔を拭う。

 

「ふぅ…………すみません、みっともないところを見せてしまいました……」


「あ、いや、別に全然平気だけど……」


 なんとか落ち着きを取り戻した春華が、申し訳なさそうに言うが、俺としてはまたしてもこの少女の知らない顔を見れてとても得した気分ですらある。


「……心一郎君は、ちょっとずるいです」


「えっ!?」


「あのお店のアルバイトはお洒落な雰囲気とは裏腹に、とっても大変だって私は身をもってわかっています。それなのに、それで稼いだお給料で私の誕生日プレゼントを買ったなんて言うから……」


 珍しくちょっとだけむくれたような表情を見せて、春華は続けた。


「ただでさえ嬉しい気持ちが、どこまでも舞い上がって訳がわからないくらいになって……こんなにもあっさりと私の心を溢れさせてしまうなんて、なんだか不公平です……」


 頬を染めながら「むー……」と拗ねたように告げてくる少女に、俺の頬もまた熱を帯びる。俺の事をずるいなどと言うが、そんなにも男心を締め付けるような表情の方が相当にずるい。


「……でも……本当にありがとうございます」


 今だに頬は赤いが、昂ぶった感情が少し落ち着いたらしい春華が、俺へと一歩近づく。

 その腕に中にある俺からのプレゼントを、さらに強く抱き締めて。

 

「家族以外の誰かから誕生日プレゼントをもらうなんて初めてなんですけど……こんなにも嬉しいものだとは想像できていませんでした。本当に……なんだか胸がいっぱいになっちゃっています」


 感情の荒ぶりを微かに引きずりつつ、春華は万感の思いを込めるように言う。

 

「やっぱり……心一郞君は特別みたいです」


「え……」


 直後にさらりと告げられた言葉に、俺は目を剥いてしまった。

 今なんだか、ストレートすぎる事を言わなかったか?


「心一郞君が私の誕生日を覚えていてくれて、プレゼントを贈ってくれて……今私は信じられないくらいに満たされています。きっと他の誰から贈られるものよりもずっと嬉しいんだと……そう思ってしまいました」


 自惚れではなく、春華の中で俺が一定の大きさを持つ存在になったという自信はそれなりにあった。

 だがそれでも、春華が口にした『特別』という言葉はあまりにも強烈で、一瞬目眩がするほどだった。


「だから……ありがとうございます」


 春華の声は、穏やかな幸福がこもっていた。

 心が欲するものが、全て満たされているかのように。


「心一郞君が今こうやって私の隣にいてくれる事が、ただ幸せです。今まで生きてきて……最高の誕生日です」


 その色彩の中で、春華ははにかむように微笑む。


 俺からのプレゼントを大切そうに抱き、胸に溢れる歓喜が抑えられないかのように美しく上気した顔で。


(ああ、もう、本当に……何度好きになれば……)


 暮れる夕日によって、世界はオレンジ色に染まっていた。

 その中で、春華は少しだけ頬に赤みをさした笑顔を、唯一俺だけに向けてくれてくれていた。


 天使と見まごう何よりも綺麗な笑みが――そこにはあった。

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