第104話 夏の終わり、新たな季節の始まり
学校の中庭で、紫条院さんはかつて見たことのない状態になっていた。
真っ赤になった顔を両手で覆った状態で膝を折ってしゃがみ込んでおり、羞恥に耐えかねてプルプルと全身をさかんに震わせている。
だがそんな有様も、原因を知った今では無理もないと思う。
一昨日の海での酔っ払い紫条院さんはなんかもう凄い感じだったし、アレを全部思い出してしまったのであれば真面目な彼女は悶絶するしかない。
「あー……その、紫条院さん? 海で酔った時の事を憶えているって言っていたけど、それってどのくらい……」
なんと声をかけてよいか悩んだ末に、まずは現状確認をすべく俺はおずおずと尋ねた。
恥ずかしい記憶がピンポイントで済んでいるのならまだ……。
「…………んぶです……」
「え?」
「全部です……! ふざけて抱きついたことも、浜辺でおいかけっこを希望したことも、他人行儀だとか新浜君に文句をつけたのも余さず覚えてるんです……! うわああああああああああん!」
「それは……その……うん……」
ヤケクソ気味に叫んで悲嘆の叫びを上げる紫条院さんに、俺はフォローの言葉が見つけれらなかった。
そっかぁ……全部かぁ。
「だから今朝から新浜君に会わせる顔がなかったんです……! 学校をズル休みするか真剣に考えたのは今までの人生で今朝が初めてですよ!」
穴があったら入りたいとばかりに、涙目の紫条院さんは嘆きまくる。
この真面目な少女からズル休みなんて言葉が出てくるあたり、どれほど俺と顔を合わせづらかったのか察するにあまりある。
「ま、まあそんなに気にするなって。銀次たちも酔っててあの時の記憶は朧気らしいし、そもそもあんな酔い方可愛いものだって。俺の知ってる酔っ払いなんて、上司のハゲ頭を撫で回して『驚きのツルピカ具合ッスね課長! 次のオリンピックはここをカーリング会場にしましょうよ!』とか叫んじゃう奴とかもいたぞ?」
酒による社会人やらかしエピソードを山ほど知っている俺としては、正直あんな程度の事は醜態とも呼べないと思う。
電柱を抱き締めてセミのような体勢で動けなくなった奴もいたし、自分の家と勘違いして他人の家に突撃したり、居酒屋の皿やグラスを破壊し出すなどの警察の世話になる系の案件も大変だった。
天下の往来で『びっくりするほどユートピアアアアアアアア!』などと謎の言葉を叫びつつパンツ一丁で自分のケツを叩き続けた奴もいたなぁ。
「うう……そんな特殊なほどにダメな大人の例じゃ気持ちが軽くなりません……!
新浜君だって優しいから言わないだけで、私の事をとっても恥ずかしい子だと思っているに決まってますー!」
(決して特殊な例じゃなくて大人って大体ダメな生き物なんだが……まあそれはいいや)
相当にテンパっているようで、紫条院さんはそれこそ酔っ払ったような口調で涙目の言葉を発した。
醜態(と本人は思っている)による自己嫌悪の念は相当に強いらしい。
「あー、その……俺はむしろ嬉しかったよ」
「え……?」
これを言うのは気恥ずかしかったが、俺は頭をポリポリとかきつつ偽らざる本心を告げる。
そして、その言葉の意図を図りかねたのか、紫条院さんは自分の顔を覆う手から見せた目を瞬かせた。
「いやさ、あの時『他人行儀すぎます!』って言ってくれただろ? あれがもし本心ならつまり……今よりもっと気軽に接してもいいんだってことだし」
「あ……」
自分が海で俺を叱るようにそう言った時のことを思い浮かべてか、紫条院さんの顔がますます赤くなる。それが自分の酔っ払いムーブを思い出したせいなのか、それ以外の何かがあるのかは、俺にはわからない。
「紫条院さんとしては思い出したくないはっちゃけ具合だったかもだけど……酔っ払って心が解放されている時の言葉だからこそ、俺は嬉しかったんだよ」
酒は心を解きほぐして本心を露わにする。
そんな状態の中で、紫条院さんは言葉こそ酔ってふにゃふにゃだったが、ずっと俺への好意を見せてくれていた。
それが嬉しくなかった訳がない。
「……本当、ですか? 本当に私の事を酔っ払い醜態やらかし女とは思っていないんですか……?」
紫条院さんは涙で潤んだ瞳で上目遣いに俺を見て、子どもが親に『怒ってない?』と問うかのような面持ちを見せた。
そんな愛らしい仕草に俺の男心は完全に撃ち抜かれるが、それを大人由来の精神力で顔に出さずに力強く頷いてみせる。
「あ、ああ、絶対に絶対だ! 嘘ついていたら針千本でも飲むし百連勤でも何でもするぞ!」
「ヒャクレンキン……? で、でも、そうですか……新浜君がそう言ってくれるのなら……はい、信じます」
言って、紫条院さんはよろよろと立ち上がった。
羞恥による精神的ダメージは未だに残留しているようで頬は赤いままだが、少なくとも一応の区切りはついたらしい。
「うう、すみません……避けるような真似をして謝るのは私の方なのに、逆にフォローしてもらって……。今日はただひたすらに拗ねた子どもみたいに面倒臭かったですね私……」
紫条院さんはそう言うが、様々なタイプの『面倒臭い人』を知っている俺としては今日も紫条院さんはいつも通り可愛いとしか言いようがない。
「でも……おかげですっきりしました。今ようやくわかりましたけど……私ってあんな醜態見せてしまって、新浜君に嫌われていないか怖かったんですね」
いつもの調子を取り戻して微笑む紫条院さんが、俺の前へと一歩距離を詰めた。
飲酒は純然たる事故だったが、それは図らずとも飲み会の効能――リラックス状態での交流により心理的な接近がもたらされたように思える。
「その、恥ずかしいですけど……確かにあの時に言った事は全部本音です。新浜君はいつも私にとっても気遣ってくれていますけど……もう少し友達っぽく気安く話したっていいんですよ?」
「あ、ああ……その、努力する」
おずおずとそう言ってくる紫条院さんの可愛さにどう反応してよいかわからず、どもった声でようやくそう返事する。
さっきまで羞恥で縮こまっていたのはあっちだったのに、今は俺のほうがドギマギしているのは何故なのか。
「こんな私ですけど――これからもよろしくお願いしますね心一郎君」
「――っ!?」
耳元で囁くように呼ばれた自分の名前に、目を見開いてしまう。
見れば、紫条院さんは傍らで穏やかに微笑んでいた。
ただ真摯な好意だけを込めて俺の名前を口にした少女の顔は、あの海での一幕は本心からのものだと語るように、ほんの少しだけ照れくさそうで――けれど自分が口の上で転がした響きを好ましく思うかのように、静かな笑みが浮かんでいる。
(ああ、そっか、そうだったな……)
好意を示すことに躊躇いがないのがこの天然お嬢様の持ち味だったな。
俺としては、あの浜辺でのことはお酒がもたらした一時のことだと思っていたけど……。
「あ、う……その、まあ、俺こそ……」
暑気が少しだけ和らいだ空の下で、俺はあの時と同じく言い淀む。
俺は紫条院さんと違って煩悩が大きい……つまり恋愛を意識しまくっているため、その一言は簡単には出てこない。
けれど――紫条院さんとの関係をステップアップさせたいという願いが、気持ちに勢いをもたらしてくれた。
「……その、俺こそ……」
紫条院さんが口を開く俺を見ている。
その瞳に少なからず期待の色が見えているのは……俺の勘違いでないと思いたい。
「俺こそ……これからもよろしくな。春華」
「……っ! はいっ!」
目を輝かせた春華が力強く頷き、喜びも露わに満面の笑顔を咲かせた。
それは熱い夏の日に咲く向日葵よりもなお綺麗で活力に満ちていて――本当に眩い太陽そのものの輝きだった
【作者より】
お久しぶりで申し訳ありません。
これでようやく夏編終了です。
社畜しながらの更新はなかなか難しいですがコツコツやっていきます。
なお6月1日に陰リベ(本作のことです)の2巻が出ます!
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