第70話 まるで私がブラコンみたいじゃん!


「そんなことになっていたとは……」


 俺、紫条院さん、香奈子の三人は新浜家の居間でテーブルを囲んでいた。

 

 洗面所の騒動の後、着替え終わった紫条院さんと香奈子を連れ立って居間へ移動し――今ようやく事情説明を聞き終えたのだ。


「香奈子のために雨の中走ってくれたなんて……本当にありがとう紫条院さん。ほら香奈子、お前ももう一回お礼を言え」


「うん、勿論! 春華ちゃんありがとう!」


「わ、わわ……! 二人とも頭なんか下げないでください! 本当にただお財布を拾っただけですから!」


 俺たち兄妹が頭を垂れて感謝を告げると、紫条院さんはわたわたと慌てた。

 しかし香奈子……お前今日初めて会った相手に『春華ちゃん』って……そりゃ紫条院さんは全然気にしてないみたいだけどさあ……。


「それとその……さっきの洗面所でのことは本当に悪かった……。俺と香奈子の不注意でとんでもないことを……」


「い、いえ、単なる事故ですし……ええと、その、お見苦しいものを見せてしまってすみません……」


 紫条院さんの恥じらいの言葉に、俺の脳裏にさっきの洗面所での光景がフラッシュバックする。

 真っ白な紫条院さんの肌。

 この世で一番好きな女の子が、薄い肌着だけを身につけた姿は興奮するよりも女神かと思えるほどにただ美しくて――まぶたの裏に焼き付いて中々消えそうにない。


(しかも……紫条院さんが今着ているのは俺のシャツなんだよな……)


 さっきの“事故”を思い出したようで、紫条院さんは頬を赤く染めていた。

 そんな恥じらいを見せる彼女が俺のシャツを着て自分の肩をぎゅっと抱いている。その姿は俺の中で何か熱いものをかき立ててしまう。


 湯上がりで肌に赤みがさした紫条院さんの素肌と俺のシャツが触れていると思うと、どうしようもなくドギマギしてしまう。


 香奈子が『ふふふ、スカートはママので間に合ったけど、胸の大きさ的に上着は兄貴のシャツを貸すしかないでしょ~?』とニタニタ顔で言っていたのは、俺のこの童貞的な動揺を見越してのことなら、めっちゃ効いてるよチクショウと言わざるを得ない。


「いや、その……とにかくごめんな……」

 

「うん、本当にごめんね春華ちゃん。……でもお見苦しいどころか春華ちゃんの素肌とか値千金だよね。普通は拝むだけで3万円は取れそう」


「生々しい金額を言うなアホぉぉぉ!」


 人が思っても言わなかったことをあっさり口にするな!

 お客さんの前なんだからちょっとはいつものノリを引っ込めろ!


「もう、そのことはいいですよ。それにしても……ちょっとホっとしました」


「え……」


 香奈子が淹れたお茶(お茶っ葉が混ざっていたので俺が茶こしで濾過した)を一口飲み、紫条院さんが言った。


「思いもしなかった形ですけど……こうして久しぶりに新浜君に会えてとても嬉しいです。ちょうど会いたいと思っていたので……」


「ふぁ!?」


 紫条院さんの微笑みながらの言葉に、何故か香奈子が目をむいて驚く。

 ん? どうしたんだお前?


「ああ、俺も会いたいと思ってから、こうして久しぶりに紫条院さんの顔が見れて嬉しいよ。ここんとこ、ずっとメールだけだったからな」


「ほぁぁ!?」


 こうして顔を合わせると、明らかに自分の心が喜んでいるのがわかる。

 枯渇しかかっていた紫条院さん分(紫条院さんに接触すると摂取できる万能エネルギー)が俺の心に満ちていくのがわかる。

 

 ……しかしさっきからどうした香奈子。


「ちょ、ちょっと兄貴……!」


「ん? お前本当にどうし――ぐえ!?」


 香奈子が俺の肩を掴んでぐいっと回転させるように回し、俺の対面に座る紫条院さんの視線から外す。そして、自分の顔を近づけて何やらボソボソと小声で言い始める。


(な、なんなの今の!? お互いナチュラルに『会いたかった』とか言ってたけど、あんなの完全に恋人同士のやり取りじゃん! いつの間に紫条院さんを完全攻略したの!?)


(あー……いや、俺もちょっと感覚が麻痺してたけど、紫条院さんのあの言葉は純粋にそう思っているだけで、ラブ成分があるわけじゃないんだ)


(は!? マジ!? あ、あれが友達感覚の台詞なの……!? 天然とは聞いていたけど限度があるでしょ!?)


(ああ、アレを言ってもらえる男子は今のところ近い距離にいる俺だけで、そういう意味では特別ではあるけど……残念ながらハートマークはついていない)


 この天然さこそが紫条院さんを今まで数多の男子を退けた防壁であり、俺もまだ攻略途中だ。確実に距離は縮まっているはずなので、焦ってはならない。


(ちなみに、俺が紫条院さんに発する言葉には常にハートマークが付きまくってる)


(知ってるよ! そんな嫌ってほど知ってる情報要らないって!)


 『耳にタコができてるよ!』と言わんばかりの顔で、香奈子が小声で器用にツッコミを入れる。……ちょっと普段から紫条院さんへの想いを聞かせ過ぎていたようだ。


「あはは、内緒話してごめんね春華ちゃん! ちょっと兄貴に『いつも兄貴が紫条院さんの話をしていること言っちゃった♪』ってゴメンナサイしてたの!」


 ちょ、ええええええええ!?

 お前、俺の家での発言をどこまでバラした!?

 しかも全然悪びれてないくせに何がゴメンナサイだ!


「ええ、私も香奈子ちゃんにそれを聞いた時は嬉しいやら恥ずかしいやらで……その、新浜君?」


「は、はい!?」


「あんまり私の恥ずかしいことは香奈子ちゃんに教えないでくださいね? 笑われるかもしれませんけど……私は頼れるお姉さんとして見て貰いたいんです!」


 ええと……どの部分の話だ!? 

 正直紫条院さんの話は香奈子に言いまくってるから『恥ずかしいこと』が一体どのエピソードなのか全然特定できない……!


「まあ、私も家では新浜君の話はしょっちゅうしているので、人のことを言える筋合いはないんですけど……」


「おお、そうなの!? 兄貴のどんなことを話してるの!?」


「ふふ、それはもう沢山です! 新浜君の凄いところ、助けてもらったこと、今日はどういう話をしたとか言い尽くせません!」


 興味津々の顔でグイっと身を乗り出す香奈子に、紫条院さんは何故か上機嫌で話の内容を語る。

 本当に短時間でめっちゃ仲良くなったなこの二人……。


「ただ……私が新浜君の話をするとそのたびにお父様が何故か苦虫を潰したような顔になって、何かをこらえるみたいにプルプルし始めるんですけど」


 いつかの予想通り、俺の話題が出るたびに時宗さんのムカつきメーターが上昇してるうううううう!?

 やめてくれ! 俺の事を話してくれるのは嬉しいけど、これ以上時宗さんの噴火ゲージを貯めないでくれ!


「あはははははははははは! 春華ちゃんのパパ面白すぎぃ! めっちゃピキピキしているみたいだけど頑張ってね兄貴ー!」


「笑いすぎだこんにゃろう!」


 完全に面白がりやがって……! こっちはあの心臓がパンクしそうな圧迫面接を思い出して笑えないっての!


「それにしても、香奈子ちゃんはお兄さんが大好きなんですね」


「へ!?」


 紫条院さんが微笑ましそうに笑みを浮かべ、馬鹿笑いしていた香奈子は完全に虚を突かれた様子で固まった。


「さっきから、兄妹で触れ合うたびにすごく嬉しそうです。本当にお兄さんと仲がいいんだなってわかります」


「な、な、な……!」


 一切の他意なく見たままの感想を述べる紫条院さんに、香奈子は珍しく言葉を詰まらせて動揺していた。

 こいつのこんな顔は本当に珍しい。


「そ、そんなわけないし! というかそれじゃまるで私がブラコンみたいじゃん!」


「そうですか? さっきお風呂で新浜君の話をしている時もすごく生き生きとしていましたけど……」


 声を上ずらせて否定する香奈子に、ふわふわした言葉の追撃が決まる。

 その効果は抜群であり、みるみるうちに香奈子の顔が赤く染まっていく。


「~~~~~~っ! あーもー! この話終わりー! 終わりったら終わりー!」


 腕をブンブン振って香奈子が強引に話を打ち切る。

 顔をプイっと背けるのがちょっと可愛い。


(す、すごい……あの香奈子が顔を真っ赤にして黙るなんて……)


 俺は紫条院さんの純粋さや天然さに改めて感心していた。

 からかう意図などなくただ感じたままを純粋に告げる天使の言葉は、対話する人間の心を写す鏡となってしまうため反論できないのだ。

 

「ふふ、恥ずかしがっている香奈子ちゃんがすっごく可愛いです。本当に新浜君が羨ましいですね」


「だろ? ちょっと兄を敬う気持ちは足りないけど、自慢の妹なんだ」


 ちょっぴり拗ねてしまった香奈子を見て、俺と紫条院さんは思わず顔をほころばせた。妹がこうして顔を朱に染めているなんてレアなので、ことさらにこの状態を可愛いと思ってしまう。


「ちょおおおおお!? どさくさに紛れて何言ってんの馬鹿兄貴!?」


「なんだよ、自慢の妹だってのはマジで思ってるんだぞ?」


「く、くやしい……! 兄貴ににんまり顔で見られるなんて……!」


 ははは、いっつもお前が占有しているポジションをちょっと間借りするくらい許せよ。


「ま、まあ、兄妹だし仲良くできればいいとは思ってるけど、別に私が兄貴にかまってもらいたいとかそういうことはないんだからね!? ちょっ、二人してそんな微笑ましそうな顔やめてったらー!」


 未だに顔の紅潮が引かない香奈子が可愛く声を荒げて文句を言うが、それを聞いた俺と紫条院さんは、ほっこりとした笑みをますます深めてしまう。


 外は未だに凄まじい雨だが――新浜家の居間はひとまず平和だった。

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