第59話 今度こそ妹の笑顔を裏切らない①
「どうしてあんな会社辞めてくれなかったの……?」
葬儀場の一室で、俺は呆然と妹の言葉を浴びた。
だが俺は何の反応も返せない。
目の前の長方形の箱――棺桶に母さんが納められているという事実が受け入れられず、悪い夢でも見ている心地だった。
死因は心筋梗塞。
担当した医者は、慢性的なストレスにより心臓が弱っていたのだろうと言った。
「ママはいつもいつも言ってたよ。あんたがどんどん痩せ細って身体を壊してきているって、いつ連絡してもとんでもなく忙しそうで心配でたまらないって」
泣きはらした目をこちらに向けて、香奈子が言う。
ずっと胸に溜っていたであろう怒りとともに。
「そうやって心配ばかりしていたせいで、ここ十年近くママの顔には笑顔がなかったよ。特にこの数年は身体もどんどん弱っていって……どのお医者さんもストレスの影響が大きいって言ってたけど……私だってそうとしか思えない……!」
黒い喪服を着た香奈子は、美しく成長したその姿で俺の罪を語る。
決して許されない俺の愚かしさを。
「私は何度も何度も言ったよね!? あんな酷い会社辞めてって! これ以上ママに心配をかけないでって! でもあんたは聞かなかった! 自分の会社がゴミだってわかっていたクセに、現状を変えることが辛くて何もしなかった!」
何もかも図星だった。
自分の勤め先がおかしいことにはずっと前から気付いていた。
なのに、何もしなかった。
そのために思考力や活動力を捻出するのが、とてつもない苦痛だったから。
「どうしてそんななの!? 昔っからそう! 暗くてウジウジしていて、大切なものに手を伸ばさずに何もしない! 何も考えずに他人の都合で使い潰されているのがそんなに楽なの!?」
叫ぶ妹の瞳から溢れた涙が葬儀場の床を濡らす。
そして、俺はあいつの言葉に一言も返せない。
返す資格がない。
「ママの寿命を縮めて自分の人生をゴミ会社に捧げて……一体何がしたいの!? あんたがどこかで行動を起こすだけで、ママはこんなに早く死ぬことはなかったかもしれないのに……!」
怨嗟の声をただ受け入れる。
妹の涙が零れるたびに、俺の心が罪の重さに切り裂かれていく。
「……どうして……そんなにも馬鹿なの……!」
それが――前世における香奈子との最後の記憶。
家族がバラバラになり、新浜家というものが完全に消えてしまった瞬間だった。
「あっちぃ……夏だなあ」
「うん、夏だね……日焼け対策にお金がかかる季節だー……」
一学期が終わり、俺の学校が夏休みに突入して少し経ったその日。
熱せられたアスファルトの上に陽炎ができるほどの気温の中、俺と香奈子は揃って街中を歩いていた。
俺は安い半袖シャツと綿パンという出で立ちだが、香奈子の奴はボーダー柄の肩が露出したTシャツにデニムのショートパンツという中学生ギャルっぽい格好だった。
兄としてはいくら夏とは言え肩出し&脚出しはどうかと思ったが、「えー? 妹の『可愛い』を邪魔しないでよ兄貴ー。女の子はお洒落を止められると死んじゃうんだよ?」と言われれば何とも言えない。
まあ……実際可愛いし似合っているのは認める。
「しかしいきなり『出かけるから付き合ってー!』とか言うから何事かと思ったら買い物の荷物持ちかよ……」
「いいじゃん。どうせ夏休みでヒマしてたんでしょ? こんな可愛い妹と一緒に街を歩くほど有意義なことはないって」
髪をツインテールにした妹がえへへーと笑う姿は確かに小悪魔的に可愛い。
なるほど学校で男子にモテモテなのも納得だ。
「まったく……まあ、とりあえず女の買い物が長いことは再確認できたかもな」
今日は何件ものブティックを回ったのだが、妹はあれも可愛いこれも可愛いと移り気であり、とにかく品定めに凄まじい時間を費やしていたのだ。
そのくせ結局買わずに店を出ることもしばしばで、費やした時間の割には俺が手に提げている今日の『戦果』はまだ紙袋一つ分だ。
「あー、それNGワードだよ! というか兄貴はもうちょっと女の子の買い物に対する情熱を理解するべきだって!」
「じょ、情熱……?」
「そう! 買い物は女の子の楽しみなの! それも男と違って悩む時間こそが楽しいの! 『あれ可愛いねー』とか『これ高ーい!』とか買い物をネタにしてキャッキャするのも大好き! それは永遠不変の女の子の生態なんだから、男の子はどれだけつまらなくても笑顔で見守ってないとダメ!」
「お、おう……」
いつもの香奈子大先生の指導に俺はただ頷く。
『永遠不変の女の子の生態』などというパワーワードまでぶち込むからには本当にそうなんだろう。
「それとさっき私が『これどっちが似合うかな?』って聞いた時の反応も40点!『こっちの方が香奈子のイメージに合ってるかな』って台詞自体は悪くないけど、あれを聞く女の子が欲しいのは“共感”なの! どっちが似合うか男の子にも悩んで欲しいんだから、もうちょっと考える時間を長くして本気で悩んでる感を出さないとダメだって!」
「な……そ、そんな隠しポイントがあるのか……?」
俺としては直感的に香奈子に似合いそうな方を答えたつもりなんだが……。
即断すると真剣に考えていないように見えるってことか?
「あ、それとね。実を言うと『どっちがいい?』って聞く時点で、女の子はもうどっちにするか決めてるケースが多いよ」
「はあ!? ならどうして男に聞くんだ!?」
「それはさっきも言ったとおり『彼氏にも悩んで欲しいから』が一番の理由で、後は『背中を押す一言』が欲しい場合もあるね。本当はAに決めてる。けど安い買い物じゃないしどうしても踏ん切りがつかない……だから誰かに『Aがいいんじゃない?』って言ってもらいたいってことなの。ちなみに見事に当てると好感度ボーナスが入ります!」
「ええ……なんだそれ、男にエスパーになれってことか?」
正解の選択肢がランダムとかギャルゲーならユーザー激怒ものだぞ。
「これは色んな対応法があるけど……『君の中で第一候補はどっち?』とかで聞き出して『うん、俺もこっちが似合うと思うよ!』で背中を押すコンボがオススメかな。一応どっちの服に熱い視線を注いでいたかとかでガチ推理もできるけど」
「たかが買い物でそこまでチェック項目があるのかよ……」
女の買い物って怖い……。
デートしているカップルってただキャッキャウフフの桃色空間を堪能しているだけかと思っていたんだが、裏ではそんな試験が行われていたのか……?
「まあ、真面目に答えさえすればそんなに気にすることはないんだけどねー。どっちが似合ってるクイズを外したくらいで不機嫌になる子は、私もちょっとどうかと思うし」
「それを聞いてちょっと安心した……っとさすがにお互い汗がすごいな。ちょっと喫茶店でも入るか?」
ランニングを続けている成果かまだ俺には余裕があるが、香奈子はちょっと疲れが見える。熱中症になったら大変だ。
「入る入る! そうそう、基本はそうやって気遣いを見せることだよ兄貴! 何だかかんだ言って優しいっていうのは一番強いし! あ、ここで女の子にパフェ奢ったら好感度上がりまくりだから早速実践してみて!」
「それはお前が食べたいだけだろうが!?」
人を荷物持ちで連れ回した上にタカろうとするんじゃない!
「ち、バレた! でもいーじゃん! 兄貴にはこんなにも可愛い妹の兄をやらせてもらっている対価としてパフェを奢る義務があるの!」
「メチャクチャ言うなこの肩出し中学生! そもそもお前最近昼飯も夕飯もガツガツ食ってるだろ! パフェとか食ったら太るぞ!」
「ちょ、それ言っちゃう!? 女の子に対する最大の禁句言う!? そもそも兄貴が夏休みでちょっと余裕があるからってイタリア風カツレツとかビーフストロガノフとかメチャ美味しいの作るのが悪いじゃん!」
「毎回ごはんおかわりしておいて責任転嫁するなアホぉ!」
周囲の目もはばからずに喧嘩を始めた俺たちは、天下の往来でやいのやいのと言い合った。
そしてそれはお互いが服に重みを感じるほど汗びっしょりになり、『このクソ熱い中で二人して何やってるんだろう……』という空しい悟りを得るまで続いたのであった。
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