第57話 あの子へメッセージを②
その日の夕方――俺の家の自室。
布団の上に横たわり、俺は携帯電話を凝視して苦悶していた。
「う、うううううううううう……」
甘かった。
なんという目算の甘さだ。
何が最大の難関は突破しただ。
入社面接をパスした程度で浮かれ、入社後の大変さを想像していない新入社員のようだ。
「どうする……どうすればいい……?」
俺はアホだ。
紫条院さんのアドレスを聞き出しておきながら、当然その先にある難題を失念していたのだ。
「女の子に送る最初のメールって何を書けばいいんだ……!?」
もう延々1時間以上も悩んでいるが、どうにも決まらない。
プライベートで異性にメールを送った経験なんて俺にはないのだ。
「よし……ここは無心だ。何も考えずに素直にやってみよう」
『紫条院様、新浜心一郞です。いつもお世話になっております。先日はアドレス及び電話番号を交換して頂きありがとうございました。ついては当方より最初のメールを作成しましたので送付いたします。ご多忙のことと存じますがお目通し頂ければ幸いです』
「業務メールかああああああっ!!」
親しみの欠片もない文面を削除して携帯を枕に叩きつける。
畜生が……! 無心で何かするとすぐ社畜の呪いが出ちまう!
どうする? こういうことは香奈子に相談するか?
いやけど……服とかそういうことはともかくメールの文面くらい自分で考えたほうがいいような……。
しかし本当にどんな内容を送るべきだ?
短く簡素に? 長くガッツリ?
軽く行くのがいいのか、それとも真面目な感じにすべきか……。
ああでもない、こうでもないと悶々として布団の上を転がる。
いくつも候補は挙がるが、どれも最適解とは言いがたい。
「けど送る時間があんまり遅くなるのもどうかと思うし……さっきまで考えた候補を継ぎ接ぎしてとにかく送ってみよう」
『こんばんわ。新浜だけど初メールを送ってみた。どうかな?ちゃんと届いてるかな?何かおかしかったらごめんな』
本当にこれでいいのかと何度も逡巡し、ドキドキしながら送信ボタンを押す。
そして――ぼんやりと携帯を見つめたままゆっくりと時間が過ぎる。
5分、10分、20分……。
たったそれだけの時間が、とてつもなく長く感じる。
(いや……何で携帯を凝視してずっと返信を待ってるんだ俺……? 重たい彼女じゃあるまいし……)
まだ30分も経ってないのだから返信がこなくても当たり前。
理性はそう言っているのに、心は全然落ち着かない。
待てば待つほど不安が胸に満ちていく。
返信が来ないのは、自分のメールが紫条院さんを不愉快にさせたからじゃ?
やっぱりあの文面じゃ固すぎたか? いや逆に軽すぎた?
送る時間帯が遅すぎた? 普通すぎてセンスが足らなかった?
そんなメールにおける童貞思考のようなものが頭の中をグルグルと回り、俺が泥沼の中であえいでいるような気分でいると――携帯の着信メロディが鳴った。
「き、来た……!?」
慌てて新着メールを開くと――
『メールありがとうございまーす!ちゃんと届いてますよ!なんだか家で新浜君のメッセージを見るのは不思議な気分になりますね(*´∀`*)』
「……ははっ……」
たった数行の文面なのに、その文面を見るだけでつい顔がほろこんだ。
文字というのは不思議だ。
掲示板やSNSでもそうだが、誰かが自分に向けて書いたものはとにかく嬉しい。
そしてそれが、この世で一番好きな女の子によるものならなおさらだ。
(すぐに返信したいけど……昔読んだ雑誌に『男女間のメッセージはすぐ返信すると重たい奴と思われるのでNG!』って書いてあったし……ちょっと間を空けるか)
どれくらい待つべきなのかはよくわからなかったが、さしあたり15分ほど待って返信を打ってみる。
『俺も家で紫条院さんとやりとりできるのが不思議な感じだよ。文字だといつも話す時と違ってちょっと緊張してるかも』
すると――3分と経たずに返信がやってきた。
『よかったです・・返信が来てすごくホッとしました』
「え……?」
『メールの文面がなかなか決まらなくて、何度も書いたり消したりして送ったんですけど・・どこか内容が変で、そのせいで返信を送ってくれないかもって、とても心配でした。でも返信が来ると嬉しいですね(^-^)本当にいつも話す時と違ってメールは緊張します(>_<)』
「…………」
その文面を見て、俺は想像した。
俺と同じように自宅で携帯を眺めながら、どんな文面にするかうんうん悩んでいる紫条院さんの姿を。
(天真爛漫な紫条院さんのことだからメールを送るのに緊張しないだろうって思っていたけど……俺と同じだったんだな)
俺と同様の緊張と難しさを感じてくれていたんだと思うと、携帯の向こう側にいる彼女をさらに身近に感じられたような気がする。
そしてそんな気持ちも、メールにまとめるには凄く難しい。
『実は俺も何度もメールを書き直したよ。だから紫条院さんから返信があってすごくホッとしたし・・・なんだか嬉しかった。ところでつかぬ事を聞くけど、紫条院さんは顔文字好きなの(・ω・)?』
返信はさっきよりも早かった。
『そうだったんですか!こんなに何度も書き直したりするのは私だけかと思っていたのでなんだか安心しました!(^_^)はい、筆橋さんがよく顔文字を使うので私も使ってみているんですけど・・その顔文字すごく可愛いです!使わせてもらっていいですか!?』
緊張がどんどんほぐれてきて、俺たちのメールは加速していく。
『俺もすごく共感して安心した。顔文字は俺のものじゃないしどんどん使ってくれ。しかし筆橋さんの影響なのか。女子ってどんなことをメールしあうのか全然想像がつかないな』
『ありがとうございます!そうですね。普段風見原さんや筆橋さんとのメールではですね――』
相手からの返信を告げる着信音が鳴ると、心が躍る。
文面を悩むのは相変わらずだが、それも慣れてくると楽しいと思えるようになってくる。
(未来でチャットアプリがあれだけ流行っていた理由も今ならわかるな……。こうやって返事が嬉しくてメッセージの応酬が早くなるのと、メールだとちょっともどかしさを感じちゃうもんな)
そうして――夜はふけていくにも関わらず、俺たちは覚えたてのメール交換の楽しさに夢中になり、何度も何度も電子の文をしたためた。
(俺のメールに紫条院さんがすぐに返信してくれるのが幸せすぎる……ああ、生きていて良かった……いや一回死んだけど……)
止めどきがわからないメール交換が続き、俺は大好きな人からの返信がくるたびに心を躍らせてただ幸福感に浸った。
なので――その清いメール交換の裏で一人の父親が血涙を流す勢いで歯ぎしりし、俺に親馬鹿由来の怨念を燃やしているなどという事実は、この時の俺には知るよしもなかったのである。
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