第50話 特訓開始!
「それじゃあ筆橋コーチ! どうかよろしくお願いします!」
「うん、まかせておいて! 引き受けたからにはガッツリやるから!」
俺が一礼すると筆橋は胸を反らして機嫌良く言った。
コーチという呼び方もまんざらでもないらしい。
「それじゃあ、早速新浜君の現状を見せてもらうね! ボールをどんどん投げるからキャッチしてみて!」
「わかった! 俺の捕れなさっぷりは恥ずかしいけどしっかり見てくれ!」
気合いを込めて答え、俺は筆橋からダッシュで距離を取った。
お礼はするとはいえ筆橋に骨を折らせることになったのだし、せめて真剣具合くらいは態度に出しておきたい。
「それじゃ行くよー!」
筆橋がアンダースローで投げたボールが、俺の頭上へと上昇する。
よし……さっきの筆橋の華麗なキャッチを参考にして――
(そこだ……!)
気合いは十分だったが、現実は甘くない。
落下してくるボールは俺が構えたグローブにかすりもせずに、情け容赦なく地面でバウンドする。
「んん……? 捕ろうとしても捕れてない……? ま、まあ、気にしない気にしない! 次行こう!」
筆橋の明るい声に促されるままに、俺は「ああ! もういっちょ頼む!」と答えてボールを転がすようにして返球する。
そうして――
俺たちはフライ捕りの練習を何度も何度も繰り返した。
最初は明るかった筆橋の顔が、回数を数えるたびに何かを悟っていくかのように深い沈痛を湛えるものになっていき――
「ごめんなさい新浜君……私、知らなかったの……」
とうとう15回目が失敗した時、筆橋は自分の無知を恥じるかのように重苦しく口を開いた。
「ボールをキャッチするのって、ドアノブを開けるくらいに当たり前な人類標準搭載の機能だと思っていたの……! こんなに……クレーンゲームのゆるゆるなアームみたいにキャッチができない人がいるなんて……」
「悪意ゼロで人をディスるのやめてくれよ!?」
ショックのあまり、自分がめっちゃ失礼なことを言っている自覚がゼロになっている筆橋に俺はもの申した。
「俺だけじゃなくて運動音痴なんて大体こんなもんだよ。バレーでレシーブしようとしたら腕の側面に当たって床にボールが転がるし、テニスでサーブを打とうとすれば半分くらいの確率で空振りする」
「そ、そういうものなんだ……」
まるで異世界の常識を聞いたかのように筆橋がゴクリと唾を飲む。
やはり運動センスがある人間には、こういう運動弱者の感覚が理解し難いようだ。
「ま、まあ、でも一応改善点は見えてきたよ。動きとかフォームとか色々と」
「え、マジか! さすが元ソフトボール部!」
「そうだね……まずどうしたらいいのかと言うと――新浜君って最初っから全部ピーンって感じじゃない?」
「うん?」
「しかも腕をバっとしちゃうからバタバタになってるし、ボールのギュイーンが見えてないの。ボールを捕る時もグイっ、バシっじゃなくてシュっ、バシっでいったほうが全然――」
「なんて??」
説明言語が感覚派すぎない?
「あーうん……確かにちょっと今のはわかりにくかったね。もうちょっと私の感覚に頼らない言葉にすると……」
ごほんっ、と咳払いして筆橋は続けた。
「腰をドンっとして身体はピンとして、動く時に腕は出さずにボールがシュイーンって来るところをピンポイントでグローブをバっとするの。けどボールがグレープフルーツだから開き方はグワっと!」
「結局擬音が半分くらい占めてるじゃんかっ!?」
「うぐ……っ、ご、ごめん! 実を言えばいつもこんな説明になっちゃって後輩の子たちからも今の新浜君と同じような顔をされちゃうの……!」
自覚があったらしい筆橋が頭を抱えるが、まあ確かにわかりにくい。某レジェンドな元プロ野球監督もびっくりの擬音率だ。
だがこれくらいなら――
「ええと……『構えている時は腰を低くしつつ上半身は真っ直ぐで、腕はボールの落下地点に移動するまで出さない。そしてボールの落下する軌跡を見極めて捕るんだけど、ソフトボールはグレープフルーツみたいに大きいからグローブをしっかり広げる』……で合ってるか?」
「そ、そうそう、それそれ! 自分で言うのもなんだけど、よくわかったね!?」
「まあ、ちょっとな……」
その『ちょっと』とはもちろん社畜時代の経験である。
世の中にはこっちの理解を置いてきぼりにして好き勝手に話す人間も多く、俺は電話口や商談などでたびたび苦しめられた。
そう例えば――
「このマターは十分なアジェンダを練って結果にコミット」みたいな『ビジネス用語使いまくり系』。
「俺はアレでそっちでちょっとコレやって向こうでアレコレして……!」みたいな『代名詞だらけ系』。
「A社のB商品にですねっ! Cの要素を入れてDの計画の後にEの販売方式でゆくゆくはFの目標にっ!」という『言葉の洪水系』。
他にも『早口すぎて何言ってるかわからない系』『話がふわっとしすぎ系』とかあるが、そういった意味不明な話を整理・翻訳するのは社会人の必須スキルだ。
今の筆橋みたいな『擬音連発系』なんて可愛いものである。
「よし、じゃあとりあえずそれを意識してやってみる……!」
「うん! あ、あとボールから目を離さないでね! 球技って本当にそれに尽きるから!」
「ああ! それじゃ再チャレンジだ!」
やはり一人でやみくもに練習するよりも、デキる人間と一緒にやると解決への道が開きやすい。
親身になってくれる少女に対する礼儀として、せめて気合いを入れなければなるまいと俺はグローブを手に取り気炎を上げた。
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