第49話 救世主、筆橋


「いや、その……筆橋さんこそどうしてこんなところに?」


 休日の公園でクラスメイトに会うとはまるで予想していなかった俺は、ややどもりながらショートカットの少女に問いかけた。


「え? だってここって私にとっていつものランニングコースだもん。部活がない日はこうやって走ってないと落ち着かなくてさー」


「そ、そっか……筆橋さんは陸上部だったな」


 よく見たら筆橋はうっすらと汗で濡れており、夏用のスポーツTシャツがぴったりと身体に張り付いていた。……少し目のやり場に困る。


「それでさ、一体何をしていたの? 遠くから見えてたけど、ボールを上に投げては下に落ちるまで追っかけて見守る遊び?」


「んなわけあるかああああああ!」


 どんだけ寂しい奴だ俺はっ!?


「休日の昼間っから一人でそんなことするか! 球技大会のソフトボールに備えてキャッチの練習をしてたんだよ!」


「キャッチの練習……? え、でも真上に上がったフライなんて普通にグローブを出せば取れるよね?」


「ぐっ……捕れないんだよ! 何度やっても上手くいかないんだ!」


「………………???」


「何を言ってるかわからないみたいな顔をするのはやめろぉ! 俺が心底可哀想な生き物みたいじゃないか!?」


 くそぉ……筆橋が俺を煽っているわけではなく、本気でこちらの言っていることを理解できていないのが運動センスの格差を感じる……!


「……その反応からすると筆橋さんはソフトは得意なのか?」


「え? うんまあ、中学の時はソフトボール部だったし、そこそこは出来るよ?」


 元ソフトボール部……! マジか!


「なら、ランニング中に悪いけど、ちょっと遠くから投げるボールのキャッチを実演してもらっていいか? ちょっと手詰まりで……」


 この時代じゃスマホでソフトボールの参考動画を見ることもできないし、上手い人に是非手本を見せて欲しい。


「私なんか特に凄く上手い訳じゃないけど……ま、それくらいお安いご用だよ! じゃ、ちょっとグローブ借りるね!」


 笑顔で快諾してくれた筆橋はグローブをはめ、ボールを持った俺からバッターとライトの間ほどの距離を取る。


「よし……じゃあ行くぞ!」


 宣言して、天高くボールを投げる。

 大きいフライをイメージしたコースだが……。


(あ、やべ、山なりになりすぎた……)


 このままじゃ筆橋の頭上を越えていく――そう思った時、少女は走り出した。


 慌てた様子のない冷静なダッシュで大きく後ろに下がり、ボールが落ちてくる地点で正確に止まったかと思えば――


 パシッと小気味よい音が響き、ボールは当たり前のようにグローブに収まった。


「………………」


 思わず真顔になってしまった俺に筆橋から「次いーよー!」と返球があり、俺は無言で第二投を放つ。模したのは、筆橋の右手を抜ける勢いのあるゴロ。

 

 だがそれも筆橋はささっとその方向に駆けつけて、ゴロの行く手を遮るようにしてあっさり捕球。その後ファーストに投げるマネさえやって見せる。


 また返球してもらい、今度は筆橋の左手に勢いのあるライナーを模した球を投げてみるが――スポーツ少女はすっと左へスライドして、それも簡単に捕まえる。


「ふう、こんな感じだけど参考になったー? ってあれ? ど、どうしてそんな真剣な顔で近づいてくるのぉ!?」


「筆橋さん……」


 ズンズンと真顔で近づく俺に筆橋がちょっと狼狽するが、それに構わずに俺は彼女へ接近し――


「頼むっっ! どうか俺にキャッチのコツを教えてくれ!」


 膝と頭をくっつける勢いで深々と頭を下げた。


「えっ、ちょっ、頭なんか下げないでよ! わわ、なんだか散歩とかしてる人たちにめっちゃ見られてるしー!?」


「どうか頼む! 俺にはどうしても筆橋さんが必要なんだ……!」


「わああああ!? なんか恥ずかしいけど悪い気がしないこと言い出したー!?」


 俺は必死だった。

 おそらくこれ以上一人で練習しても目覚ましい進歩は得られない。

 短時間で上達するには、今偶然にもこの場に現れた筆橋の助力を得るしか可能性はないのだ。


「タダでとは言わない……! 今後は俺のノートを最優先で貸す!」


「え……本当!? 新浜君が学年1位を取ってからみんなが奪い合いを始めちゃったあの完璧ノートを!?」


「ああ、それだけじゃない! 今度の中間テストが近づいたら予想をまとめた対策ノートも貸すぞ! 俺が期末テストで1位取る要因になった実績つきだ!」


「な、なにそれすごい……! 欲しいなんてレベルじゃない!」


 授業中の居眠りが多い筆橋は目を輝かせる。期末テストの時は株で財産を溶かしたみたいな顔になっていただけあり、この提案は効果覿面のようだ。


「よぉしわかったよ……! どうせ今日は予定なんてなかったし、この私が責任を持って新浜君を一人前のソフト選手にしてあげる!」


「おおおおお! 恩に着る……! 筆橋さんマジ救世主!」


 俺が心から歓喜の表情を浮かべると、筆橋さんはむっふーっ!と得意気に胸を張った。頼られることはまんざらでもないらしい。


「あ、でも勘違いしないでよ? 別に本当にノートに釣られて引き受けたわけじゃないからね」


「え……?」


「新浜君は文化祭であのタコ焼き地獄を一緒に突破した仲だし……普段から尊敬できる友達だから力を貸してあげたいの! ノートのことがなくても返事はおっけーしかなかったから!」


「筆橋さん……」


 まっすぐにそう言える少女の心に、俺は少なからず畏敬の念を抱いた。

 そういうことを、素直にさっと口に出して言えるんだな。


「ありがとう……なんていうか、いい女なんだな筆橋さん……」


「んんっ……! そんな風にしみじみと褒めて貰った後でなんだけど……」


「ん?」


「そのー……それはそれとして完璧ノートとかテスト対策ノートの優先権は普通に欲しいなーって……次の中間テストが赤点だと割と本気でヤバいの……」


 カッコいいセリフの後にその『報酬をくれるのならめっちゃ貰いたい』発言はやや恥ずかしかったのか、明後日の方向を見ながら筆橋さんが言う。


「いや、それはもちろんいいんだけど……普段から勉強しておかないと、俺のノートを見てもそれだけで高得点を取れたりはしないからな?」


「わ、わかってるから……! 正論でイジメないでー!」


 ライフスタイルを完全にスポーツに傾かせている少女は、すごく耳が痛そうに言った。

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