第41話 圧迫面接、開始


 どうしてこうなった?


 俺の胸中を占めているのは、ただその一言だけだった。


 何せ俺は今、紫条院家の書斎で紫条院さんの父親である時宗さんとテーブルを挟んで向かい合っているのだ。


(くそぉ……急速に胃が痛くなってきやがった……! 俺を悪い虫と見ている父親と対面とかどんな拷問だよおおおおおおお……!)


「新浜君だったか。ゆっくりしているところにこんなおっさんが呼び出してすまないな」


「い、いえ……」


 その穏やかな表情と口調が逆に怖い。


「まずは自己紹介だな。私は紫条院時宗――春華の父親だ。知っているかもしれないが千秋楽書店の社長をやっている」


「……春華さんのクラスメイトの新浜心一郎です。時宗さんのことは今日お会いする前から存じ……知っていました。一代で書店チェーンを作った有名な方ですし」


「ほう、そうか。君みたいな若者にも知って貰えているとは光栄だな。それで私からの話なのだが――」


 俺はごくりと唾を飲み込む。

 こええ……もう一秒もここにいたくない……。


「まずは父親として感謝を伝えたい」


「え……?」


「今回の春華の成績の上昇は劇的で、その要因は君に勉強を教えてもらったことにあるのは明らかだ。これだけの成果を収めるのは非常に困難であり、君の手腕と尽力には親として感謝しかない」


「い、いえ……そんな大したことは……」


 意外なことに、時宗さんは本気で俺に感謝を告げてきた。

 どうやら紫条院さんの勉強の先生をやったことについては本当にありがたく思っているらしい。


「しかも自分の勉強も怠らずにテストは1位だったとか……相当の努力家だな。遊びたい盛りだろうによく頑張れる」


「いえ、母子家庭ですし……俺はビビりなので今できることをやっておかないと将来が不安なんです」


「いい向上心だ。そういった正しい怖れは大切だからな」


 時宗さんは驚くほどに俺を褒めてくれる。

 てっきりズケズケと色々言ってくるものかと思っていたら……これは取り越し苦労か?


「それで――だ」


「――――!?」


 空気が一変する。


 理知的で穏やかな紳士が、他者を圧倒するオーラを纏う。


(この、感じ……っ! 久しぶりに味わった……!)


 社畜時代にも何度か目にする機会があった強者の威圧感。

 大企業の社長や大物政治家などが放つプレッシャーだ。


 政治やビジネスで闘争に明け暮れている彼らは戦国武将もかくやという迫力を持ち、ただ相対するだけで凡人たちの心臓を鷲掴みにする。


「君は春華のただの友達なんだよな?」


「それ、は……」


「私の娘に下心なんて抱いていないよな? ただ純粋な善意によって春華を助けてくれただけで、恋愛感情なんてない……そうなんだな?」


 時宗さんが俺の目を覗き込む。

 

 魑魅魍魎が跋扈する世界で功成り名を遂げた英傑が、その傲慢なほどに強大な自負をそのまま叩きつけてくる。


(言ってることはただの過保護な父親の親バカ台詞なのに……ちょっとした声音と視線だけでこれかよ……! くそ、汗が止まらない!)


 交渉や面接において、視線は極めて重要な要素だ。


 なにせ瞳には全てが表れる。

 その人物が味わった辛酸、果てしない後悔、修羅場を潜って得た胆力、何ものにも拠らない比類なき覇気。


 目を合わせるという行為は、そういった人間として強さの蓄積を比べ合うことにも等しく――当然弱い方は消し飛ばされる。


(っ……! ヤバい、呑まれるな……!)


 今すぐ目を逸らしたい衝動に駆られるが、そうすればその瞬間に全ては終わる。 

 目を逸らして精神的な敗北を認めてしまえば、もはやその後は戦いにならず……俺はただ相手の言葉に怯えるだけの存在になり果てる。


「どうなんだね? 答えたまえ新浜君」


 楽になりたいなら嘘をつけばいい。

 俺は娘さんに下心なんかありませんと言えば、時宗さんはすぐに威圧感を消して笑顔すら浮かべるだろう。


(んなことできるか……っ! ここで誤魔化すなんて死んでもごめんだ!) 


 いかに過保護な親馬鹿マインドだろうと、娘の親として時宗さんは真剣だ。

 お前の意思を示せと俺に答えを迫っている。


(嘘やその場しのぎはなしだ! 100%俺の本音を返さなきゃ……!)


 俺の身体は依然硬直していた。 

 ビジネスの世界に生きる傑物の威圧に、全身が震えている。


 全身から汗が噴き出し、胃が捻れるような痛みを訴えている。

 

 けれど――


 


 


 俺は左右それぞれの親指を、残る四本の指で潰さんばかりに強く握った。

 それが社畜時代からの俺の儀式。


 期限が差し迫った大量の仕事や、譲歩しようのない交渉の場、あまりにも無理な注文をつけるクライアント――

  

 どうあっても退けない案件と相対した時、自分を切り替えるスイッチだった。




 私は紫条院時宗。


 私は今、自宅の書斎で新浜心一郎という少年と相対し『お前は娘をどう思っているのか』という問いを突きつけていた。


(さあ、どうする新浜君)


 彼は春華が連れてきた『友人』ということだが、その正体は飢えた狼であり娘を狙って舌なめずりしていることは明らかだった。


(不埒者めが……)


 娘に勉強を教えてくれたことは感謝するし、その成果は大きく評価する。

 だがそれとこれとは話が別だ。


(春華はあのとおり男を惹き付ける天使であり、同時に世間知らずで純粋すぎる。悪い虫の餌食とならないように私が徹底的に選別しなければな……!)


 社長としての威圧感を解放した私を前にして、新浜少年は全身から汗を噴き出し、重圧に五体を支配されていた。


 当然だ。

 この私が培ってきた社長としての胆力を叩きつけているのだ。


 ある程度手加減しているが、交渉慣れした屈強なビジネスマンとて冷や汗でパンツまでぐっしょりになるほどの威圧だ。

 その辺の高校生に耐えられるものではない。

 

(さあ、君の答えを聞かせろ。この圧迫に屈さずに想いを口にすることができない者に春華に近づく資格はない……!)


 まあ、そんなことは土台無理だがな。

 

 苦しいだろう? さあ白旗を揚げたまえ。

 そして自分の想いがその程度だと思い知るがいい。


 (ん……?)


 なんだ、自分の指を握って……?


(あれは……まさかルーティンか?)


 ルーティンとは精神集中や意識の切り替えを行う時に行う一定の動作だ。

 ごく簡単なメンタルコントロールだが、一流のスポーツ選手や著名な企業家でもこれを定めている者は多い。


(なんだ? 新浜君の雰囲気が……)


 答えに窮していたはずの新浜君が、私の視線をブレずに受け止めている。


 その表情から萎縮が払拭され、決然とした意志が宿っていく。


「時宗さんの質問に答えます」


 よどみなく新浜君が口を開く。

 言葉には確かな力があった。


「俺は娘さんが――春華さんが好きです。この想いは誰にも負けないと自負しています」


(なぁあっ……!?)


 言った。


 大企業の社長であり、紫条院家の次期当主であるこの紫条院時宗を前にして、お前の娘が欲しいと真正面から告げてきた。

 この圧迫感に満ちた空気の中で……!

 

(そ、そんな馬鹿な……っ!? ただの高校生が私の威圧に屈さずに――真っ向から言葉を叩きつけてきただと!?)


 まれにひどく脳天気で生来緊張とは無縁という人間は確かにいる。

 そういった者であれば誰がどれだけ威圧しようが効果は薄い。


(だがそういうケースとは違う……この少年に威圧はしっかり効いている。臓腑を締め付けられるような重圧を感じているのに、それを真正面から耐えている!?)


 そこで、私はふと気付いた。

 彼の瞳の奥にあるものを。


 目は口ほどにものを言うという言葉があるが、私はその時の感情のみならず人の目にはその人間の精神的な背景が表れると思っている。

 

 そして彼の目からは、深い苦悩と悲痛が見えた気がした。

 深く刻まれた夥しい数の傷と、その痛みによって悲しいほどに強靱になった心が。


(なんだこれは……どうして20年も生きていない高校生からそんなものを感じる?)


 見た目はただのどこにでもいる少年だ。

 だが現実に、そんな彼が私から一歩も引かずに組み合うようにして相対している。  

(一体何なんだこの少年は……!?)

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