第37話 紫条院家の敷居を跨いでみた
かつて紫条院さんを送った時に一度だけ見た紫条院家は、こうして明るい太陽の下で見るとその大きさと豪華さがぶっ飛んでいるのがわかる。
デカい……そりゃリアルだから漫画の金持ちの家みたいに城やビル並とはいかないが、一般的な二階建て家屋の3~4倍……いやもっとあるか?
(しかし車の中は嬉しくも悩ましかったな……紫条院さん近すぎだよ……)
俺は頬を紅潮させて回想する。
紫条院家までの道中、俺たちは様々な話で盛り上がった。
『プレイヤーズの第三部始まりましたね! 私嬉しくてベッドの上で飛び跳ねてしまいました!』とか『山平君は期末テストの結果をご両親に見せたらゲームを一日一時間にされちゃったんですか……!? うう、本来同じような運命になるはずだった私には他人事に思えません……』とか色々話したけど……距離がとにかく近かった。
いくらロールスロイスが大きい車だと言ってもバスみたいな長さのあるリムジンみたいに広いわけではない。
そんな中で……ワンピース姿の紫条院さんは後部座席の俺のすぐ隣――ともすれば少女の甘い香りがわかるほどの距離でずっとお喋りしていのだ。
しかも運転手さんは妙にニヤニヤしてたし……。
「さあ入りましょう! もう準備はできてますから!」
先導する紫条院さんに案内されて、俺はアホのように広い庭園を歩く。
とても美しく整備されており、色とりどりに咲く花や、きちんと選定された庭木が客の目を楽しませる。
「ただいま帰りました! 開けてくださーい!」
豪奢な作りの玄関扉の前で紫条院さんが言うと、音声認証なのか守衛さんがカメラチェックでもしてるのか、電子ロックがカチャカチャと開く音がする。セキュリティも万全だ。
そうして俺は――全く未知の世界である紫条院家の敷居を跨ぐ。
(うわああ……これがセレブの豪邸の中か……。天井の高さのおかげで空間が広くて全く個人宅って感じはしないな……)
紫条院家の屋敷に足を踏み入れた俺が見たのは、季節の花が生けられた花瓶、シャンデリア、絨毯などの最低限の調度品のみが適切に配置された上品さを感じる空間だった。
さすが名家と言うべきか、高価な家具や美術品をドカドカと大量に飾る成金スタイルとは無縁で、品の良さと深い余裕を感じさせる。
「ここがリビングです! ささ、座ってください!」
高級ホテルのスイートルームを拡張したような広いリビングに案内されて、俺は緊張した面持ちのまま手触りが怖ろしく良いソファに着席する。
おそらく全ての家具がすごい値段なんだろうなこれ……。
「まあ、いらっしゃいませ! 今日はよく来てくれたわね!」
リビングに入ってきたミドルヘアのとびきり美しい女性から挨拶をされ、俺は目を瞠った。
その女性は紫条院さんに非常に似ていたのだ。
彼女がそのまま成長したような美しい容姿をしている。
「はい、本日はお招き頂きありがとうございます。紫条院さ……いえ、春華さんのクラスメイトの新浜と申します。その……春華さんのお姉さんですか?」
「うふふ、そう言ってもらえるのは嬉しいけどその子の母の秋子です。それにしても……聞いていたとおりとても礼儀正しい子なのね」
お母さんって……いったいいくつで紫条院さんを産んだんだこの人。
20代後半って言われても信じるぞ。
しかし……そうかお母さんか。
家族がいるのは当然のことだけど、やっぱり顔を直に合わせるのは緊張する。
(でもちょっと安心したな。紫条院さんのお母さんは名家生まれの生粋の令嬢のはずだけどすごく優しそうな人……だ……?)
ふと気付くと、秋子さんがやたらとキラキラした興味深そうな目をしているのに気付いた。何故か俺を色んな角度から眺めており、ごく小さく「はぁぁ……」「ほぉぉ……」と呟いている。
「あ、あの……?」
「あ、ああ、ジロジロとごめんなさいね! ウチには息子がいないから男の子が家にいるのがなんだか嬉しくて!」
「そ、そうでしたか……」
嬉しいというのは嘘じゃなさそうだけど……今の様子はどっちかと言えば、もの凄く面白いことを見つけた子どものような……。
「ふふ、君とはたくさんお話したいことがあるけど……とりあえずそれは後回しね。それじゃあ春華、上手くやりなさいね!」
「はい! 下ごしらえはしっかりやりましたし大丈夫です!」
「うーん、そっちじゃないのだけど……我が娘ながら天然でピュアねぇ……」
秋子さんはやや困ったようにそう言うと「それじゃ一度失礼するわ。春華がんばってねー」とだけ言葉を残してリビングから去って行った。
ちょっと変わった人だったけど……あの口ぶりからすると俺の来訪を歓迎してくれているらしい。そこは素直にありがたい。
「ふふ、まずはお茶をどうぞ」
俺が秋子さんと挨拶していた間に用意していたらしきティーポットで、紫条院さんは俺の目の前に置いたカップに香りの良い紅茶を淹れる。
「ああ、ありがとう……なんか本当に新鮮な体験だな。俺、女の子の家に呼ばれるなんて今までなかったし、同級生にお茶を淹れてもらうのも初めてだ」
「お茶だけじゃないですよ! 今日のおもてなしは全部私が腕を振るいます!」
「おお……やっぱりそうなんだな……」
むふーっ!とばかりに気合いを入れて胸を張る紫条院さんを見て、俺はこの状況がいよいよ現実なのだと実感して感嘆の声をもらした。
(憧れ続けた大好きな子が……どうあっても手の届かない天上の天使だと思っていた紫条院さんが俺のために手料理を作ってくれるなんて……やばい、感動で涙が出そうだ……)
「あ、新浜君のその顔……もしかして私が料理なんて本当にできるのか思っていましたか? ふふっ、大丈夫ですよ。お母様やうちに来て貰ってるプロの料理人の方に指導してもらいましたし」
「え!? い、いや、そんなこと思ってないって! というかやっぱりコックさんが来てるの!?」
「はい、正確に言うと料理代行サービスの人ですね。お母様も料理好きなんですけど、お父様の秘書みたいな仕事もしていて時間がない時も多いので、たびたびお世話になっています」
ほええ……。
そういうサービスを日常的に利用している家庭って実在するんだな……
「私の料理なんかじゃなくて、本職のプロが作った料理をご馳走したほうがいいかなとは何度も思ったんですけど……それじゃ意味がないとも思ったんです」
角砂糖が入った小皿を俺の前に置きながら、紫条院さんは続けた。
「新浜君があの勉強会でしてくれたことの全てに私がどれだけ感謝しているか……それを伝えるためには私が頑張って作ったものじゃないといけないなって」
「紫条院さん……」
本当の意味でのおもてなしの想いを口にする少女は、どこまでも純真だ。
春風のように穏やかな笑顔でそう告げてくる紫条院さんは、清楚なワンピース姿も相まって本物の天使に見えてきた。
「そういうことで拙い手作り料理なんですけど……もしかしてプロの味を期待させてしまっていましたか……? もしそうなら申し訳なかったです……」
「え……っ!? ち、違うって! そんなこと一切考えてないし! プロの味とか要らないからっ! 俺は断然紫条院さんが作ったものを食べたい! 絶対食べたい……! むしろそっちじゃないと嫌だ!」
紫条院さんのしゅんとした声を聞き、俺は自分がつい反射的に本音をぶちまけてしまったことに気付いて赤面した。
それはほぼ無意識の叫びだったが、俺がどれだけ紫条院さんの手料理を尊く思っているのか、衝動のままに口に出さずにはいられなかったのだ。
「え、ええ!? そ、その……ありがとうございます……そんなに熱烈に言ってもらえるとちょっと照れくさいですけど……」
いつもぽわぽわしている紫条院さんだが、ストレートに自分の料理を熱望されたのは流石に効いたのか、ちょっと頬が赤い。
そして……流れるのは妙に恥ずかしい沈黙。
俺たちはこれから一緒に食事をするだけのはずなのに、何故かその前段階からお互いの頬が羞恥で朱に染まっている。
「あ、いや、うん……ともかく楽しみにしてるから!」
「は、はい……! さっそく取りかかりますから楽しみにしていてくださいね!」
お互いの照れを誤魔化すように、俺たちは声を大にして言った。
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