第16話 理由なんて一つだけ
クラス全員から注目されている中でタコ焼きを頬張ることを躊躇しないのが、子どものような純真さを持つ紫条院春華という少女だった。
「はふっ、はふっ、ほおぁ……美味しいです! こっちの普通のタコ入りはもちろん、ベーコンキムチはピリっと辛くて食べ応えあっていいですね! あれ? こっちのソースがかかっていないものは何ですか?」
「ああ、それはタコ焼きよりふわふわな明石焼きだよ。こっちの出汁汁をつけて食べてくれ」
「わぁ、そんなのもあるんですね!」
心から美味しそうに、紫条院さんは笑顔でタコ焼きをパクつく。
完全に食レポモードだ。
そして……その美味しそうな食べっぷりに腹を空かせた健全な高校生たちが耐えられるわけもなく――
「うわあ、美味しそう……」
「俺……ちょっともらってくるわ」
「あ、なら俺も……」
「ちょ、抜け駆けずりぃぞ! 俺だって腹減ってんだ!」
「え、みんな食べるなら私も食べたいよー!」
かくしてクラスメイトたちはタコ焼きを求めて教卓へ殺到する。
クラスで最大級の存在感を誇る紫条院さんが動いたことが引き金になり、あっという間に俺の周囲はタコ焼きパーティー会場と化してしまった。
「お、結構カリっとしてるな! うまっ!」
「わっ、これアンコ入り!? ミニ回転焼きって感じ!」
「えー? それを言うならミニ今川焼きでしょ?」
「これが明石焼きなんだねー、初めて食べたよー」
「俺タコ焼きはソースよりポン酢が好きなんだけど……」
「えっ、何だそれ餃子的な扱いなん?」
「ちょっ、みんなこれ試食だからな!? そんなに数用意してないからな!?」
焼いた端からバクバク食べていくクラスメイトたちの食欲にはビビったが、状況は完全に狙い通りだ。
ワイワイとタコ焼き談義をしながら、和やかな空気でこの完全無許可の試食会を楽しんでいる。
硬直した状況は打破され、完全に『空気』は形成された。
「ごあああああああああ!? ちょ、うべっ! なんだごれ!?」
「あ、銀次。それ大ハズレだ。さっき説明した限界までワサビ入れた奴な」
「ちょっ、おばえ……! じしょぐにぞんなぼん入れんなよ……!」
涙目の銀次に皆がこらえきれない様子で楽しそうに爆笑する。
よし……これでもういけるだろう。
「さて、いきなりあれこれ言い出して悪かったけど、これが俺からの提案だ! みんな賛成してくれるかどうか聞かせてくれ!」
満を持して俺が決を取ると――
「異議無し!」「さんせー!」「俺は気に入った!」「私はこれでいいと思う!」「いいんじゃね?」「どのみちあのままじゃ何も決まらないだろうしなー」「はふっはふっ」「まあフツーにいいだろこれで」「うん、絶対いいって!」「大賛成ですっ!」
予想どおり完全に賛成一色だった。
ちらりと視線を向けると、土山と野路田は席に座ったまま不満タラタラな顔をしていた。だがもはやこの場が決してしまったことは誰の目にも明白であり、ギリギリと歯ぎしりしながら悔しそうに俺を睨むことしかできない。
(ま、もうヤジを飛ばせる雰囲気じゃないもんな)
会議やプレゼンテーションは流れや雰囲気がカギだ。
他の選択肢のデメリットを突き、自分の案のメリットを強くアピールし、商品サンプルや実演によってその場にいる多数に『この案いいな』という空気を広げて固める。
これが成功すれば反対意見が少数残っていても『空気の読めない意見』となり無力化してしまうのだ。
まあ何はともあれ……上手くいってよかった。
「じゃあ、風見原さん。いきなりしゃしゃり出て悪かったけど。俺の案が採用されたみたいだから」
「えっ!? あっ、んぐっ、じゃ、じゃあ話し合いの結果、新浜君発案の『和風タコ焼き喫茶』に決まりということで! もう時間がないし10分のトイレ休憩を挟んだ後すぐに内容を話し合いましょう!」
タコ焼きを急いで飲み込んだ風見原が宣言し――グダグダ会議はようやく終焉を迎えた。
というか風見原……お前一応司会役なのに三つも四つも食ってんじゃねえよ。
10分の休憩時間の間にトイレに行っていた俺は、廊下の窓から吹き込む風を受けて自分のシャツがうっすらと濡れていることに気付いた。
どうやらさっきのプレゼンテーションで少々汗をかいたらしい。
(はあ、疲れた……思えば社畜時代もプレゼンは苦手だったなあ)
あの瞳に囲まれる状況が周囲全てから責められているように思えて、たびたび胃を痛めたもんだ。
(それにしても……この俺がクラスのみんなの前に立って、ヤジが飛ぶ中で熱弁を振るって自分の意見を認めさせるとか……はは、前世の高校時代じゃ逆立ちしても無理だったな)
まあでも……上手くいって良かった。
これでなんとかなるだろう。
ふと耳を傾けると、教室からザワザワとした声が聞こえてくる。
さっきのタコ焼き試食会で雰囲気が柔らかくなっているせいか、休憩中にも関わらずあちこちの席で出し物のことを話し合っているようだ。
「そういえばエプロンどうする? 買ったら高いでしょ?」
「それなら家庭科で全員作った奴があったでしょー? あれ使おうよー」
「ね、ね、新浜君が用意した定番メニューもいいけどオリジナルも用意しない?」
「筆橋さんさぁ……そう言って家庭科の時も激辛卵焼きとか作ってなかった?」
「タコ焼きソースどうするよ? やっぱオダフクか?」
「は? ブルトック一択だろ?」
「お、イガリをハブるとか戦争か?」
うんうん、雑談混じりだが意識が高まっているのは結構なことだ。
良い感じで雰囲気は加熱している。
これなら紫条院さんが望んでいたようなみんなで楽しくワイワイやれる出し物になるだろう。
「あ、新浜君! ここにいたんですか!」
声に振り向くと、紫条院さんが俺の傍らに立っていた。
なんだかとても嬉しそうに興奮している。
「さっきの会議での新浜君……本当に、本当に凄かったですよ! まさかあんなことを計画していたなんて! もう本当に素晴らしすぎます! おかげで前にも後ろにも進めなくなっていたクラスが動き出しました!」
「いやいや、大げさだよ。みんな疲れ果ててうんざりしていたから、俺の案をあっさり認めてくれただけだし」
謙遜してそう言うが、おそらくただ手を挙げてあの案を述べただけじゃ成功はしなかっただろう。
何故なら、あの場には俺を敵視する奴らと、楽な展示推し派という敵がいたからだ。
その中でクラスの大多数の賛成を得るには、ああやって有無を言わさぬ勢いや試食会の実施などで一気に空気を固めるという、ある種の劇場型プレゼンが必要だったのだ。
「けれど……あんなにちゃんとした案とその説明資料なんていつの間に用意したんですか? ついこの間に『そういえばそろそろ文化祭か』みたいなことを言ってましたし、前々から準備していたわけでもなさそうでしたけど……」
「ああ、2日前から案を含めて急いで用意したんだよ」
「え、ええええ!? 出し物案を考えだしたのが2日前だったんですか!? そんな短期間であのガッチリ調べた資料とか全部準備するのはものすごく大変だったでしょう!? ど、どうしてそこまでして……!?」
「それは……」
その理由を問われたら、俺は口ごもってしまう。
いくらメンタルが強くなったとはいえ俺は童貞だ。
例えそれが気持ちの一欠片であっても、なかなか言葉が紡げない。
「クラスみんなでの文化祭を……楽しみだって言っていたから……」
「え……」
「あのまま出し物が駄目になったら……紫条院さんが悲しむだろうと思ったんだ」
「――――――……」
俺が顔を真っ赤にして答えると、紫条院さんは目を見開いて強い衝撃を受けたように固まった。
そうして、沈黙が満ちる。
窓から吹き込む風の音しかない廊下で、俺たちは向かい合ったまま何も言葉を発せない。
お互いの瞳に、ただお互いだけを映している。
そして――
「いつまでサボっているんですか新浜君!」
空気をぶち壊す風見原の声が教室から響いた。
「これから決めることは山のようにあるんですよ! 発案者のあなたがそんなところで油を売っていていいわけないでしょう!」
ちょ……お前、こんな時に……!
「……ふふっ」
不意に、紫条院さんの口から笑いが漏れる。
「もう休憩時間は終わりみたいですし、そろそろ行きましょうか。新浜君が考えてくれたこの案は、絶対成功させたいですし」
「お、おお。そうだな! それじゃ俺たちも行くか!」
俺は頬の赤みを隠すように、早足で教室に戻る。
そしてその最中に――
―――――ありがとう、新浜君。
紫条院さんの強い想いがこもった呟きが、俺の胸の奥へ確かに響いた。
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