第86話85 王都再び 1

「リザ、大丈夫か?」

 二人は今、王都ミッドラスにいる。

 

 略奪者による急襲事件があってから十日近く経っていた。

 雪が深くならないうちに密かにイストラーダを発ち、昨日遅くに到着したのだ。そしてミッドラスの東にある、ウィルターの屋敷を当座の宿としている。

 目的は略奪者を扇動せんどうしたメノムの糾弾きゅうだんである。これ以上遅くなると、証拠がえ《・》恐れがあった。

「昨日の今日だ。疲れているだろう」

「いいえ。へいき」

 リザは窓の外へと目を遊ばせた。

 二人の部屋からは、東の通りが見渡せる。ここはかつてリザが花の店を出していたところだ。そしてその奥には白蘭宮の美しい尖塔が見えていた。

 イストラーダに比べ、南に位置するミッドラスには殆ど雪は降らない。リザの記憶にある通り、通りには人が満ち溢れていた。

「無理をしなくていい。嫌なら俺が一人でケリをつける」

 エルランドは張り出し窓に腰を掛けているリザに腕を回していった。

「いいえ。一緒に行くわ。兄上には一言、言いたいもの」

 リザはきっぱり言い放った。

 だまし討ちのように、エルランドとの離縁を迫られ、彼からの手紙を隠されたことをリザは忘れてはいない。

「私はもう、以前のカラスじゃないってことを兄上も知るべきだと思う。戦うのは二人一緒よ」

「……よい目だ。リザ、あなたは強く美しい俺の妻だ」

 二人はお互いの目を見つめ合い、軽く口づけた。背後に見える王宮に向かうのは今日の午後である。


「相変わらず勿体もったいを付けるところだな、ここは」

 エルランドは通された一室で苦く笑った。

 王宮の門をくぐったのは午後の早い時間、そして今は三時を大きく過ぎている。

 辺境領主で騎士の身分なのに、許された随身はたった二人だ。エルランドはコルとセローの二人を連れてきていた。

 案内された部屋は、広大な王宮の廊下を幾度も曲がった部屋である。

「この部屋には窓もないのね」

 リザはつまらなさそうに言った。豪華だが、薄暗くて空気が澱んでおり、生活感がこれっぽっちもない真四角の部屋である。

「ここがどこかもわからないわ。ずっとこの宮殿を見てきたはずなのに」

「大丈夫だ。俺が覚えている。この間忍び込んだ時にこの城の一階部分はほぼ頭に入れたからな」

「忍び込んだ?」

「……いやその、リザとラガースの街で会って、俺の愚かさ故にすれ違った時、あなたを探しに夜の王宮内を探索した」

 エルランドはその時のことを思い出したのか、決まりが悪そうに言った。

「そうだったの……それなのに私はエルに見捨られてたと思って、どこまでも逃げてやろうと思っていたのよ」

「あの時のことを思うと、未だに腹の底が冷える」

「エルが受け止めてくれなかったら、私は死んでいたかもしれないわ」

「恐ろしいことを言わないでくれ……あの時、一生分の後悔を俺は味わった」

 傍に座るリザを引き寄せ、エルランドは確かめるように黒い旋毛つむじに顎をのせた。

「だから、俺からリザと領地を奪い取ろうとするやつらと対峙するために、ここまで来たんだ」

 エルランドは不敵に笑った。緑色の目が光る。

 その笑みはリザが初めて見るものであったが、彼が戦うところを知っているコルやセローにはお馴染みのものだった。

 彼が笑って対峙した敵が無事にすんだ試しはないのだ。

「いっそ、こちらから乗り込みますかな?」

 コルがからかう。

「まぁ、それもいいが。ここは相手の手の内に乗ってやろう。ほら、気配が近づいたぞ」

「え?」

 リザにはなにも感じられなかったが、すぐに扉が開いて入ってきたのは意外にもリザのすぐ上の姉、ナンシーである。

「お久しゅうございますわね、キーフェル様。いえ、エルランド様とお呼びしても構いませんかしら?」

 ナンシーはリザには目もくれず、エルランドの前に立って腕を差し出した。エルランドは儀礼通りにその手を取ったが口はつけず、失礼にならぬ程度に額を近づけ、その手を離した。

「お待たせしているようですわね。申し訳ないので、部屋を変えてお茶でも致しませんこと?」

 リザはこの姉に会うのは数年ぶりである。

 エルランドと会えなかった五年前には何度か姿を見かけ、そのたびに虫でも追い払うような態度を見せられた。その後、同じ庶出の姫でも母の身分があったナンシーは、有力な貴族に嫁いだと聞いている。

 しかし、以前よりも華やかに着飾った様子は、美しいが既婚夫人の落ち着きはない。嫁いだ姫が王宮に普通にいるのも妙である。

「結構です。俺は妻とここで待っている」

「つま?」

 ナンシーは初めてリザに気がついたように、振り向き、そして大きく顔をゆがめた。

「おやお前、まだいたの! とっくにウルリーケに追い出されたかと思っていたわ」

「お久しぶりでございます。ナンシー姉様」

 リザは作法通りに頭を下げた。ナンシーは無遠慮にリザをじろじろ見ている。

「カラスの癖に、分不相応な服ね」

 今日のリザの服は若草色のレースが流れるドレスだ。パーセラが仕立てておいてくれたものである。

「私はもうカラスではありませんわ」

「カラスだわよ。その汚い目の色と髪!」

「控えられよ」

 王女の言葉を遮った男の声は、固く冷たかった。

「あなたはお呼びでない。ナンシー殿下。嫁ぎ先で忠義の貴族の対面に泥をぬって、戻された不貞の姫よ」

「なんですって!」

 ナンシーは柳眉りゅうびを逆立てたが、驚いたのはリザも同じである。

「辺境領主は何も知らないとでも思われたか? 俺にはこの国中に散った仲間がいる。俺はやり返したい相手のことは徹底的に調べる性質タチでね。あなたが、降嫁された公爵家の執事の私室で何をされたのか、見下しておられた妹御いもうとごの前で話してもいいのですかな? その結果、公爵家からいとまを出されたことも?」

「……し、失礼な人ね! 私にそんなことを言っていいと思っているの⁉︎」

 エルランドの言葉を聞きながら、額に汗を書きはじめていたナンシーだが、最後の意気地いくじでエルランドを睨みつけた。

「聞き飽きた言葉だが、あえてお答えいたそう。思っておりますとも」

 エルランドは平然とナンシーを見返した。

「この……田舎領主風情が! お兄様に言いつけてやる! 覚えてらっしゃい! お前もよ! カラス!」

 ナンシーは最後にリザを睨みつけ、扉を叩きつけるようにして出て行った。

「やれやれ、お約束のように甘やかされた女ですね。さすがにあのウルリーケ様のご友人ですな」

 コルは呆れたように言った。エルランドもナンシーが触った手を手布ハンカチで拭いて、それを捨てた。

「王家の中でもあの女の素行が一番悪いことは聞いていた。少し調べただけで、胸の悪くなるような事実がわんさか出てきたぞ。たくさんの証拠を突きつけられ、さすがのあの王も庇いきれなくなったようで、黙って引き取ったようだな」

「それはどういうこと?」

「いやいやいや、リザには絶対してもらいたくないことだから、知らなくていい」

「でも執事さんのお部屋でって……」

「リザ様、リザ様のお姉様はしてはならないことをしてしまったのです。自業自得とはいえ、お身内の恥ですから。勘弁して差し上げてください」

「……コル。そうなの? ごめんなさい。なら、私も恥ずかしいと思わないといけないわね」

 しゅんとなったリザの頬にエルランド指先が優しく触れる。

「リザにはあずかり知らぬことだ。気にするな」

「左様でございますね、あ」

「来たな。今度は間違いないようだ」

 エルランドが表情を別人のように引き締めた。

「程なく立派なお仕着せをきた侍従が現れた。メノムではない、若い侍従である。

「失礼いたします。キーフェル卿、今からご案内いたします」

「待たせた詫びはないのか?」

「……詫びろとは申し付けられておりません」

 エルランドの言葉と目つきに、侍従は少なからずひるんだようだが、なんとか踏ん張ったようだ。

「ほう……だ、そうだ」

 エルランドはコルとセローを振り向いて言った。

「なるほど。さすがは王宮侍従様でございますなぁ」

「全くです。俺たちとはしつけられ方が違う」

「……」

「では参るとしようか、侍従殿。どうせ随身は遠慮しろとか言うのだろうな」

「さ……左様で、ございます。お二人のみとの、お言葉です……ございます」

 敵意むき出しの三人の戦士を前に、初めて若い侍従の目に恐怖の色が浮かんだ。

 エルランドが一歩前に出る。

「それを言ったのはメノムか? 陛下か?」

「ひっ……! 申し訳ございません、私にはお答えできません。こちらへ」

「……」

 エルランドはコルへ目配せを送ってから、リザと共に侍従の後に従った。

 リザは初めて二階へと続く階段を登った。

 今日のリザのドレスは、ウィルター商会で購入したもので、若草の色合いだ。あちこちに淡い色の小花が立体的に刺繍されており、胸から裾に流れるに従って色が濃くなっている。

 そして首筋には、エルランドにもらった宝石を巻き付けた。それはリザの髪と瞳に見事に調和し、お互いを引き立てていた。

 まだ遠い春の妖精のようだ、とパーセラは大層褒めてくれた。

「こちらです」

 侍従は大きな両開きの扉の前に立った。

「メノム閣下、キーフェル卿ご夫妻をお連れいたしました」

 中から不愉快そうな声が聞こえる。

 そして扉が開いた。


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