第87話86 王都再び 2

「わ、私はこれにて、失礼いたします」

 若い侍従はエルランドの視線に押されるように、そそくさと退出していった。

「……さて」

 エルランドはゆっくりと部屋の中央に立っている男の方へと振り向いた。

「お久しゅうございます、キーフェル卿、リザ様」

 メノムは慇懃いんぎんな態度で腰を折っていて顔は見えない。

 そこは先ほどよりも一層豪華な部屋で、贅沢な調度が部屋中に置かれていた。壁に並んだ飾り棚には高価な装飾品がところ狭しと飾られている。そして、室内のあちこちに繻子しゅすとばりが掛けられていた。

「子爵とはいえ、一応領主である俺を部屋まで呼びつけるのだから、筆頭侍従殿とはよほど偉いのでござろうなぁ……お久しぶりに存ずる、メノム殿。いっそうお痩せになられたか?」

 エルランドは部屋中に鋭い一瞥いちべつをくれた後、眼鏡の男に目を据えた。

「は……確かにその通りでございます。こんな奥までお呼び立てして申し訳ございません。おっしゃる通り、少し体調を崩しておりまして。筆頭侍従ひっとうじじゅうとは激務でございますから」

「どうもそのようだな」

 金緑の瞳は鋭さを増して、メノムの右手に注がれている。真珠色の白手をした手を。

「……どうぞおかけください。ただいまお茶を用意させます」

「不要だ。さっきまで散々待たされて、たらふく頂いたからな」

 エルランドは呼び鈴に手を伸ばそうとしたメノムを押し留めた。

 周囲の帳がわずかに揺れたようだが、エルランドは気付かぬ風に、自ら椅子を引いてリザを座らせた。そして自分もどっしりと腰を下ろす。

「して、キーフェル卿には王宮になんの御用で参られましたかな? 陛下への謁見の要請は伺っておりませんが」

「俺が王都にやって来たのは、鉄樹の最後の搬送の指揮を取っていたからだ。また強奪されては敵わんからな」

「強奪! そんなことがあったのですか! 近年の東街道は、キーフェル卿のお陰で治安が良くなったと聞きましたが」

「……」

 メノムの演技力はなかなかのものだと、エルランドは妙なところで感心している。

「そうだな。だが、俺の話は人まず置いておこう……俺の妻がお前に聞きたいことがあるそうだ」

「リザ様が? はて?」

 メノムはリザを見てわざとらしく首を捻った。

「私からも挨拶するわ。お久しぶり、メノム。エルランド様と離縁して、公爵様と再婚しろと言う知らせを持ってきてくれた時以来ね」

「おっしゃる通り……恐縮でございます。ですが、私は陛下からのご伝言をお持ちしただけですので……」

 メノムはますます恐れ入った風で頭を下げた。

「そうね。あなたはいつも、私に思いがけない知らせを持ってやって来る。でも、届けない知らせも会ったようね」

「……」

 メノムは、以前のリザとはうって変わった威厳のある態度に少し驚いたようだが、その口角はうっすらと上がっている。エルランドではなくリザが相手なら、なんとでもなると思ったようだ。

「五年間、エルランド様が私に寄越してくれたお手紙やお金、品々はどこに行ったの?」

「は? なんのことだかわかりませんな」

「とぼけないで。品物はあげるから、手紙を返して頂戴!」

「リザ様、なんの証拠もないのに、王家の筆頭侍従であるこの私を侮辱なさるのですかな? 兄上様がお怒りになりますぞ」

「兄上が私に怒らなかったことなんて一度もないから、そんなの今更怖くないわ」

 ずけずけと言い放つリザに、メノムは鼻白んだように肩を竦めた。

「そんなことをおっしゃって、後で後悔──」

「なぁ、メノムよ。こっちの飾り棚の中にある、青い宝石の原石な? あれは三年前、俺が領地の南の崖から掘り出した物だと記憶しているんだがなぁ。リザの瞳の色に似ていると思って喜んだが、あの頃は磨く技術が我がもとにはなくて、原石のまま送ったのだが」

 エルランドが親指で背後を指しながら軽く言った途端、メノムの顔色が変わった。

「き、記憶違いでございましょう。あれは私の知人からいただいた物です。原石なんてものは、どれも似通ったものですからな」

「なるほど。そういえば金貨もどれも似たようなものなのだよなぁ」

「……」

 メノムは今や、額に汗を浮かべている。

 リザへの手紙や品物は、ごく当然のように彼が始末をしていたので、罪悪感も何もなかった。今日、エルランドが乗り込んでくると知っても、すっかり忘れていたほど、彼に取っては当たり前のことだったのだ。

 この部屋にあるたくさんの装飾品の中から、まさかエルランドが小さな宝石に目を止め、しかもそれを自分で掘り出したなどとは思いもよらなかったのだろう。

「リザ、おそらく手紙など開封もされないで燃やされたのだと思う。諦めなさい。ここに俺がいるのだから」

「あなたの五年間の気持ちが知りたかったのに……なんて欲張りな人なの? メノム親父の馬鹿!」

「これはこれはまた、お生まれがわかる言い草ですなぁ、リザ姫」

 眼鏡がずれたのを直しながらメノムは、リザを馬鹿にする。

その態度は昔とちっとも変わっていなかった。

「そうだな、我が妻は素直で勇敢で、そこは王家の血をあまり引いていないのだよ。ところでつかぬことを聞くが、、メノムよ」

「……なんでございますか?」

「この暖かい部屋の中でも手袋をしているのはなぜかな?」

「……え」

 今度こそメノムの顔色が変わった。


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