第81話80 略奪者 5

「ひひひ……あの時よりも、だいぶ美味しくなっているみてぇだなぁ」

 バルトロは身軽に壁を飛び降りた。

 どうやら近くに立っていた樹木をよじ登り、飛び移ってきたようだ。

「俺はなぁ。あれからひでぇ目にあったんだ。牢獄に入れられて何度も鞭打たれて、殴られ蹴られてよぉ……あの方が脱獄させてくれなかったら、多分あのまま死んでたな」

「あの方? 脱獄?」

 謎のような言葉をリザが聞きとがめる。

「どういうこと?」

「かなり上のお方さぁ。おおっと、これ以上は言えねぇぜ! さぁお嬢さん、こっちに来な!」

「!」

 バルトロがリザをつかもうとしたが、そこにファルカが立ちふさがった。

「控えろ下郎! 奥方様に触るな!」

「おくがたさまぁ〜?」

 男はべろりと舌を出した。

「あんた。ここの領主、キーフェルの殿様の嫁さんなのか? こりゃあ驚きだ! わっはっは!」

「……」

「キーフェルの旦那にはずいぶんお世話になったからなぁ〜! こりゃあいい仕返しができるぜ!」

「おのれ!」

「おっとと、邪魔なんだよぉ〜」

 バルトロは懐から小さな袋を取り出し、ファルカに向かって投げた。

「うわ! 目が!」

「目潰し玉さぁ! しばらく目が開かねぇぜ」

「リザ様、お逃げください! どうか! 早く!」

 ファリカは剣をめちゃくちゃに振り回しながら叫んだ。その様子をバルトロはへらへら笑いながら見ている。そして、不意にその笑いが残忍なものに変わったと思うと、彼に向かって弓矢を構えた。

「ファルカ! 左によけて!」

 ひゅうと放つ。近距離なので外しようがないが、リザの声で体を左へひねったために致命傷にはならなかった。

 しかし、矢はファルカの肩に突き立ち、彼は激しく顔をしかめた。

「ちっ! けど、これで楽しみが増えたぜ」

 バルトロは素早く二の矢をつがえて放った。今度は太ももに矢が刺さる。かなり深い。

 ファルカは呻いて膝を落とした。バルトロはわざと急所を外し、なぶり殺しにするつもりなのだ。

「さぁ、まずはお前からだよ、兵隊さん。次はどこを狙ってやろうかなぁ。奥方様はそこで見物していな!」

 そう言いながらバルトロは再び矢をつがえる。

 しかし、その上半身に大きなショールが被さった。リザが自分がまとっていた毛糸のマントを投げたのだ。夜明けの風に乗って、それは見事にバルトロと弓矢に絡み付いた。

「このっ! 味な真似を!」

 バルトロは風で絡む大きなマントと格闘している。

 リザはその隙に傷ついたファルカを中に入れようとしていたが、弓矢ごとショールをむしり取ったバルトロが、怒りに顔をゆがめて襲いかかってきた。

「このアマ! 今すぐここで犯してやる! あの時の続きだ!」

「あっ!」

 リザは胸ぐらを掴まれ、宙吊りになった。そのまま、張り出しの鋸壁に背中を押しつけられる。

「このまま下に落としてやってもいいんだけどよぉ、この寒い中でやるってのもオツな話じゃねぇの」

「ひ、卑怯者!」

「いい泣き声だぜ。じゃあ、いただいます」

 バルトロがリザのスカートをまくり上げる。

「エル……エルランド様! 私はここよ! ここにいるの!」

 リザは自分の上に広がる紫色の空に向かって叫んだ。高い声が風に乗って大気中に散らばる。

「そんな、いもしねぇ男の名前を呼んだって……」

 その時、大きな馬のいななきひづめの音が戦場と化している前庭に響き渡った。

 バルトロが下を見ると、大きな黒馬に乗った男がものすごい勢いで、斜めになったまま止まっている跳ね橋を駆け上がり、真ん中の空間を飛び越えたところだった。

「な……! 正気か!」

 思わずリザを取り落として男は叫んだ。

 黒馬は、そのまま速度を緩めずこちらに突っ込んでくる。

 男が鞍の上に立ち上がった。馬が大きく跳躍した瞬間、男は馬の背を蹴り、さっきバルトロがよじ登った樹木の枝を両手で掴む。その反動を利用して大きく体を振り子にすると、足の先からちゅうへ飛んだ。

「え?」

 さっきまでリザの首を締め上げていた男が張り出しの床に伸びている。その顔には泥まみれの靴がめり込んでいた。

 黒馬が現れてからわずか十数秒でのことだった。

「リザ!」

「エル! エルランド!」

「遅くなった」

 リザは紫色の空を背景にした黒い男に取りすがる。エルランドほんの一瞬、片腕でリザを抱きしめたがすぐに、自分の背後に庇った。

「下がっていろ!」

「うおおおお……くそが!」

 顔中泥まみれになったバルトロが、噴水のように鼻血を吹きながらよろよろと立ち上がった。手には剣を握っている。

「て……てめぇは山にいるはずじゃ……」

「いたさ。だが空を飛んで戻ってきたのさ。お前を二度と俺の妻に触れられないようにするためにな!」

 エルランドはわずか半歩前に出ると、さっと剣をぎ払った。リザの目には見えなかったが、何か小さなものがぱらぱらと床におちた気配がある。バルトロが叫んだのはその一秒後だった。

「ぎゃあああ! 指が! 指がぁっ!」

 エルランドはバルトロの右手の指の先を斬り払ったのだ。

「もう一方も同じようにされたくなかったら、この企みの首謀者を吐け!」

「うううう……あああっ!」

 エルランドの長剣が再び一閃する。

「ひぎやぁああああ!」

 バルトロは今度は耳を押さえてのたうちまわった。耳たぶの一部を落とされたらしい。

「言う! 言うから! 殺さないでくれ!」

「誰だ?」

「あいつだ! メノム! 王宮筆頭侍従長のメノムだ!」


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