第82話81 夜明け 1
リザは不思議な気持ちで彼──エルランドを見ていた。
夜空を覆っていた雲はいつしか切れて、夜の底が紫紺から
リザの夫だ。
彼は雄々しく、強く、そして美しかった。
「リザ……」
エルランドは、恐怖のあまり失神しているバルトロを
「すまない。知らせを聞いた時は生きた心地がしなかった」
分厚いマントで冷え切った体を包まれても、まだリザは彼が急に現れたことが信じられない。
この人はいつも、私が危ない時に駆けつけてくれる……。
抱きしめられて、リザはようやく肩の力が抜ける。
「……無事、で……よかった」
その声がほんの少し震えていることにリザは気がついた。大きな手が強くリザの肩を掴む。彼の手袋もマントもぼろぼろであちこち破け、小さな木の枝がいくつも刺さっていた。
「あいつになにかされたか? けがは?」
「ないわ。へいきよ」
「……リ、ザ」
「ありがとう……守ってくれてありがとう」
リザは男の匂いを肺いっぱいに吸い込んだ。もう安心だという気持ちが静かに満ちてゆく。
「カタナ! こいつを縛り上げておけ!」
エルランドは駆けつけた部下に言った。
「は!」
「そうだ! あなた! 大丈夫?」
リザは傍でボロボロ涙を零している兵士に駆け寄った。
「お前、ファルカか! 目をやられたか?」
「うう……だ大丈夫、です」
「どうやら刺激にやられただけで、眼球は無事なようです。とにかく目を洗わないと」
カタナがファルカに自分の水筒から水をかけてやっていた。
「よかった……! 」
リザが駆け寄ろうとするのを、エルランドはがしりと止めた。
「馬鹿! こんな戦闘の最中に外に出るものじゃない!」
ようやく事の次第が飲み込めてきたエルランドがリザを叱る。リザの目が大きく見開かれた。
「……ご、ごめんなさい。私、夢中で……役に立ちたくて……」
「ああ、すまない。俺がもう数分でも遅かったらと思うと……リザ、頼むからこれ以上役に立とうとしないでくれ……もう十分だから」
エルランドが再びリザを腕に囲い込む。
「うん。ごめんね、ごめんね?」
「もういい。さぁ中に入るぞ。体が冷え切っている。向こうは大丈夫だ。戦闘は既に終わりかけている。略奪者は一人も無事ですまさない」
それは確信に満ちた声だった。
カタナはファルカに肩を貸して、中に入っていく。リザはエルランドに肩を抱かれながら最後にもう一度前庭を振り返った。
エルランドにやや遅れて戻ってきた兵士、セローやランディー達が敵を次々に倒していた。
後からあとからエルランドの部下達が到着し戦闘に加わると、一旦崩れ出した略奪者達は立て直すこともできず、悲鳴を上げて逃げ出すものもいる。
そして夜明けとともに、戦闘は終結した。
略奪者達は百人近くいたが、多くは捕らえられ、何人かは傷が元で死んだ。
逃亡したものには追撃隊が組織されている。慌てふためきながら逃げた彼らは痕跡を大量に残しているから、程なく捕まるだろう。
彼らは城の地下に閉じ込められることになった。村民達が避難していた場所の、更に奥だ。
リザが決して入ってはいけないと言われたそこには、古い地下牢が昔のまま残っているのだ。牢というよりも、古い拷問のための場所だった。
そこには人間を痛めつけるさまざまな道具が残されていた。松明の明かりの元で、それらは錆びついてはいても禍々しい様相を呈している。中には古い血糊がこびりついたものもある。
エルランドがリザには決して見せたくないものだった。
略奪者達は順番に尋問され、再び罰を受けることになる。エルランドはそのすべてに立ち会わねばならない。
しかし彼の今の最優先事項は、そのことではなかった。
コルから話を聞いたエルランドは。小さな妻がなしえたことに驚きを隠せなかった。
彼女は、怪我人をひとところに集めて、看護や手当てを合理化した。そして自らも治療の手伝いを行った。
また、略奪者が城を襲う可能性に思い至り、城壁外の村民達を城中に収容しようと言い出したのもリザだという。その予感は的中して、兵士の負傷者は出たが、村人は誰一人として傷つかなかったのだ。
「リザ、こっちにおいで」
リザは後始末に忙しいエルランドに遠慮して離れていたが、素直に彼の手招きに応じた。小広間の片隅である。
「全くうちの奥さんは……大人しくしているようにと言ったのに……」
膝の間にリザを挟んでエルランドはその腰を抱き寄せた。
「これでも我慢していたわ。ずっと」
リザは素直にエルランドにもたれかかって甘えた。
「ずっとあなたのことを考えてた。だから、こんな時あなたならどうするかって思ったの」
「……」
山中でザンサス隊が襲われたと知ったエルランドは、怒涛の如く城へと駆け戻った。彼の留守を知って襲ったのなら、襲撃は絶対に一度ではすまないと思ったからだ。
「俺がもっとこっちに兵士を置いていけばよかったのだ。これは俺の失態だ」
「そうなの? だったら次からやり方を変えたらいいわ」
リザはあっさり言ってのけた。
「そうだな。リザ、あなたはやっぱり賢い。俺に変わって皆を守ってくれてありがとう」
「だって港だもの。安全にみんなを迎え入れなくては」
「港だって? いいや違うな。あなたは早くて強い鷹だ」
「鷹? カラスじゃなくって」
かたん、とリザの首が傾く。
「ああ……でも、もう危ない目には合わせない。頼むから俺だけの港でいてくれ……リザ」
エルランドは確かめるようにまだ冷たいリザの唇に覆いかぶさった。リザも負けじとそれに応じる。
二人の髪も指もまだ冷たい。しかし確実な熱がその内側から生まれようとしていた。
「リザ、リザ……リザ!」
「んん……、あっ! あん!」
離れていた隙間を埋めるように、二人はお互いを確かめ合う。エルランドの大きな手がリザの体をはい回った。
ああ、温かい……生きているんだわ!
激しい求めにリザの頭がぼうっとし始めた時──。
「えっと、あのう……朝食の支度ができましたけど……」
寄り添う二人に遠慮しいしい、ニーケが声をかけた。
「きゃあ!」
リザは慌ててエルランドの膝上から滑り降りた。見ると周り中、視線を泳がせた兵士達でいっぱいだった。
リザの頬はエルランドが惚れ惚れするほど真っ赤に染まった。彼も少々ばつが悪そうに俯き、リザを背後に隠した。
私ったら! まだ全部終わった訳じゃないのに!
「ありがとうターニャ。さぁ皆さん朝ごはんよ! 女の人達がみんなでがたっぷり作ってくれたのよ。なんなら悪い人たちの分もあるわ!」
リザは恥ずかしさを吹き飛ばすために大きな声で言った。食事と聞いて疲れ切った男達の顔が輝く。
「うわぁ! 俺、今だったら木の根っこでも食べられるって思ってたんですよ! 二日間飲まず食わずでしたから!」
「じゃあ、セロー。お前は根っこを喰っとけよ」
「そんなぁ。ランディーさん」
女達はみんなで熱々のシチューを配り始めた。
その中にはアンテもいたが、エルランドは何も言わなかった。リザが許しているのだから、自分が今、何も言う必要はないと思ったからだ。
「はい。セローには特別大盛りよ! 木の根っこも添えてあげるわ!」
リザがたっぷりとシチューを青年によそってやっている。
イストラーダにとって、この冬一番厳しい二日間がようやく終わろうとしていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます