第80話79 略奪者 4

「あれは! あいつは!」

 忘れたくても忘れられない男の顔。

 リザの肌に触れ、舐められたぞっとするような感触は、いまだに鮮明に覚えている。

 彼の一味はエルランドによって捕らえられ、しかるべき処罰を受けたはずだ。

 その男が──なぜ。

「いけない!」

 考えているいとまはない。

 彼は跳ね橋を走り抜けようとしていた。

 跳ね橋を上げることで内側の城壁は閉じる仕組みになっているから、突破されれば、城の正面までわずかに百ルーメルメートルしかないのだ。

 ザンサスから指示が出たのだろう、橋は徐々に上がり始めていたが、何人かの男たちは闇に近い中で易々と飛び越えてしまった。

 内壁内ではザンサスが十数人の手勢を率いて、強襲者を迎え撃とうとしている。

 そこまで城の上から見定めて、リザは階段を駆け下りる。

 コルもザンサスもいない今、この城の責任者はリザなのだ。

「起きて! 跳ね橋を渡った敵がいる!」

 叫びながら駆け抜ける。

 夜明けまでには少し間があったが、ニーケやアンテの声かけでほとんどの者が起き出し、外の様子を心配そうに伺っている。

 リザは階段を降りながら大広間に集まった召使や、村民たちに向かって言った。

「皆、よく聞いて! 今からすぐに地下に避難するのよ! あそこなら入り口もわかりにくいし、隠れられるわ! 負傷者は手分けして抱え上げて!」

 正面扉は厳重に塞いであるが、万が一破られたら大広間の負傷者や、女子供はあっという間に殺されてしまう。リザは一度エルランドに注意されて入ることができなかった地下室へと、皆を誘導することに決心したのだ。

 おそらく敵の目的は略奪で、人殺しではないだろうが、それでも顔を見られたり、邪魔だったりする者は排除されるというのはリザにもわかる理屈だ。

「アンテ!」

「はい、ここです!」

 アンテがさっと進み出てくる。

「あなたなら、ある程度地下を知ってるわよね。ニーケと一緒に、先頭に立って案内くれる? 一時的にそこに皆を!」

「わかりました。地下に降りてしばらく進んだところに大きな空間があります。そこなら全員入れるかと」

「暗いから気をつけて! 安全に確実にね!」

「承知しました! リザ様はどうされるのですか?」

「私は皆が避難するまでここにいるわ」

「リザ様!」

 ニーケが悲痛な顔で叫んだ。

「私はリザ様と残ります」

 ニーケがリ取りすがろうとするのを、リザは視線で押しどどめる。

「いいえ。これは命令よ! ニーケもターニャも、お城の人たちは村の人達や怪我人を守って!」

「は、はい! でも、必ず後で来てくださいね!」

「もちろんよ」

 ニーケの悲痛な声に、リザは笑顔で答えた。

「では皆さん、ついてきてください!」

 アンテは大きな廊下に皆を誘導した。負傷者は女数人で抱えたり、即席の担架に乗せて運んでいる。

 ほんの十数分で、一階に残っているのはリザと、男の使用人、そして最後に残された警備兵だけになった。

 万が一、敵がなだれ込んできた時、戦えるのは三〜四十人というところだろうか。

「リザ様! リザ様も早く地下室に避難を。ここは我らが」

 一人の兵士が心配そうに言った。以前リザが堀の外の畑に出た時に挨拶してくれた、ファルカという兵士だ。

「ええ。でも、外の様子がわからない……どうなっているのかしら?」

「今数名がホールの張り出しに登って様子を見ています。場合によっては私たちも打って出ます」

「張り出し、そんなのがあるのね。私も行ってみる!」

「リザ様! ちょっ! お待ちを!」

 張り出しとは、吹き抜けのホールを囲む回廊の正面側に外側へ突き出した露台バルコニーの部分のことだった。あっという間にリザは大階段を駆け上った。

「お危のうございます! 矢の射程内ですぞ!」

 ふぁるかが背後から叫ぶ。

「私は小さいし、真っ黒カラスだから当たらないわよ。へいき」

 リザは機敏に回廊を回って外へ出た。

 城の天辺から見るより生々しく戦闘の様子が見える。夜の底がほんの少し明るくなってきた。夜明けが近いのだ。地面はぬかるみ、空気は肺を切るように冷たい。

 跳ね橋は途中で止まり、敵も味方も堀を挟んだ二箇所で戦っている。略奪者の数は予想以上に多かった。

 ザンサスが言ったように全ては計画されていたのだ。

「正面扉は大丈夫? 破られたりしない?」

 リザは心配になってファルカに尋ねた。

「ええ、中から大きなかんぬきを下ろしていますし、念のため大広間のテーブルを積み上げてあります」

 堀の向こう側の戦いは、かろうじて味方の優勢になっていた。先に出たコル達が伝令を受けて戻ってきたからだ。コルはいくつか負傷していたが、彼の剣は的確に敵を減らし続けている。

 しかし、城の真正面は守りが少数なのと、跳ね橋を渡った命知らずの敵が意外に多かったので、完全に劣勢になっていた。

 ザンサスも果敢に戦っている。巻いた包帯からは新たに血がにじみ、額からも血を流していた。コルも堀の向こうが不利なのに気付いているようだが、現状では手の出しようがない。

「ああ!」

 一人、城の若い兵士が斬られた。リザにいつも笑いかけてくれる青年だ。彼はまだよろよろと敵に向かっていこうとしたが、ばったりと倒れてしまった。

「助けなきゃ!」

 思わず身を乗り出したリザは、青年を倒した男と目が合った。

 バルトロだ。血しぶきを浴びたその姿は凄惨せいさんそのものだ。

「おやぁ! お嬢さん!」

 ファルカの持つ松明でリザの顔が照らされている。

「久しぶりだなぁ。こんなところにいたのかぁ。あの時のことはよく覚えているぜぇ!」

 リザを見上げたバルトロは素早く背中から矢を抜き取り、弓につがえて放った。

 まだ暗かったのと、リザがファルカに押されて、素早く鋸壁きょへきに身を隠したので矢は当たらなかったが、二階の壁に当たった矢が足元に落ちてきた時はぞっとした。これに当たれば死ぬかもしれないのだ。

「リザ様! お怪我は?」

 ファルカがリザを背に庇う。

「大丈夫、あなたが守ってくれたから……」

「どうかもう中へ……ああっ!」

 顔を上げると、どうやって登ってきたものか、張り出しの壁の上からバルトロが身を乗り出している。

「あの時のお礼をさせてもらうぜ、お嬢さん」

 バルトロが壁に足をかけた。


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