第65話64 宴の夜 3

 うわぁ……私、浮いてる?


 リザは自分に何が起きているのか、よくわからなかった。

 足も手も勝手に動く。まるで操られているみたいだ。

 実際操られているのだろう。エルランドの巧みなにリードによって、緊張で強張こわっていた体が解けていく。

 何も考えなくても、何もしなくても、床から少し浮いているかのようにリザは軽やかに舞っていた。真珠色のスカートの裾がふわりとひるがり、回転に合わせて体に巻きつく。


「まぁ。リザ様……」

 ニーケが呟いた。

 いつも一緒だった女主。ニーケにはその気持ちが手にとるように伝わる。リザは無意識にエルランドに恋をしているのだ。

 さまざまなことに興味を持ち、いろんな才も持ち合わせているのに、王宮ではできることが極端に制限されていた女主。やっと、王都から抜け出し、自由な辺境に来てもなんとなく窮屈そうにしていたリザが、今、羽が生えた蝶のように軽やかに舞っている。大きく強い領主に支えられて。

 容姿も体型も服装も、これ以上ないくらい調和した、見事な一対である。

 二人は今、この大きな空間の雰囲気を支配していた。

「まるであつらえた様なお二人だわ……」

「本当に……エルランド様があんな風に女の方と踊るのを初めてみましたよ」

 コルが嬉しそうに瞳をきらきらさせている。

「とってもお綺麗……」

 ニーケの頬に涙が伝う。それを「失礼」と言いながら、セローが手布ハンカチで拭ってやった。

「鼻をかんでもいいですよ」

「……かみませんわよ。でもありがとうございます。これ洗濯してお返ししますわ」

「そのままでいいですよ。でも……うん、ニーケさんも綺麗だ」

「お前、女にモテない理由がわからないんだろうなぁ」

 横のザンサスがため息をついた。

「ああ、でもお館様が、あんな風に楽しそうに寛いでいらっしゃるところを久々に見るな」

 隣のランディーもカタナも頷いている。彼らはエルランドの気持ちがよくわかるのだ。

「いいなぁ、お館様」

 セローも羨ましげにつぶやいた。

 ウィルターもパーセラも、周りの客達も、うっとりと広間で舞う二人を見つめている。

 やがて、最初の曲が終わり、頬を真っ赤にしたリザをエルランドがニーケの元まで送り届けた。

「リザ様! 素敵でしたよ!」

「……」

 リザは夢を見ているようにぼんやりとしている。それをエルランドが上座に座らせた。

「我が妻は少し運動しすぎたようだ。何か軽い飲み物を。ああ、酒はならん。絞った果汁をな」

「かしこまりました!」

 セローがすぐに飲み物を取りに走る。

「コル、俺はこれからしばらく客の相手をしなけりゃならない。リザを頼んだぞ」

「おまかせくださいませ。しっかりお守りいたします」

「エルランド様?」

 エルランドがそう言ったそばから甘い声がかけられた。いうまでもなく、ウルリーケだ。

「次は私と踊ってくださるお約束ですわ」

「そうでしたな。では他の客たちが不満を募らせぬように一曲だけ」

 曲がややゆったりしたものに変わった。

 これは踊り手たちの体がかなり接近する踊りになる。エルランドは妙だなと思ったが、今更止めるわけにはいかない。広間には他にも何組もの客がそれぞれの相手と踊り始めた。ウィルターとパーセラもその一組である。

 曲は甘い旋律だった。

 舞踏の興奮冷めやらず、なんとなく曲に耳を傾けていたリザだったが、次第に冷静さを取り戻すと周りの様子が見えるようになってきた。


 皆さんとても上手に踊ってる……。

 あら? ニーケが隅っこでセローに足どりを教わっているわ。

 ふふふ、ニーケったら困ってる。でも楽しそう……。

 ゆっくりした曲で、足取りのごまかしがきかないから、こっちの曲の方が難しいんだわ、きっと。

 でも、エルランド様はどこに……?


 十組くらいがくるくると回っているので、人影が重なり合って最初はわからなかったが、反対側にウルリーケの緑色のドレスが見えた。二人はぴったりと体を重ねている。

 ウルリーケは肩に置くはずの右手をエルランドの首に回し、二人は顔を近づけて微笑みあっている。時々何か話をしているようだ。


 こうして遠くから見ると、背の高さも体格も本当にお似合いの二人だわ……。

 私から見えないように、わざと向こうの方で踊っているのかしら。


 高揚していた気分がどんどんしぼんでいく。再び大きく打ち始めた心臓は、さっきと違って冷たい血液を送り出しているようだ。指先がじわじわと冷えていく。

「リザ姫、お疲れになりましたかな?」

 声をかけてきたのは、意外にもナント侯爵だった。

「よかったら、次の曲は私のお相手をお願いできませんか?」

「え? でも、私……あまり上手ではなくて……」

 リザはコルを見上げたが、コルも非常に困った風をしている。

 侯爵が踊るのを見たことがなく、今日も酒ばかりを飲んでいたので、今までの宴で見てきたように、別室で酔い潰れるのだろうと思っていたのだ。

「お相手など恥ずかしいですわ」

「私もご同様です。舞踏は何年ぶりかというところでしてな。どうぞお気楽に。それともこんな爺ぃと踊るのはお嫌ですかな?」

「いえ」

 そこまで言われては断るわけにもいかない。リザはコルに頷いて見せると、曲の変わり目で侯爵の手を取った。

 エルランドはまだ戻ってこない。姿も見えない。

「リザ様には辺境の暮らしはいかがですかな?」

 前の曲より明るい曲に乗って、侯爵はリザをリードする。謙遜していたが、彼はなかなか巧みな踊り手であった。

「はい。少しずつ慣れてきました」

「それはよかった。ところでリザ様は、あまり白蘭宮にはお出ましにならなかったとか。私も王都に屋敷を持っていて、王宮にもよく足を運びましたが、お会いする機会がなかったようですな」

「はい」

 昨日はウルリーケも似たようなことを言っていた。

「私は離宮で育ちましたので」

「体がお弱かったと伺っておりましたが」

 侯爵はリザを広間の隅に誘いながら尋ねた。

「そう……そうでした」

 兄が自分のことを何と言っていたか知る由もないが、体が弱いと言ったのなら、リザは肯定するしかない。

「なるほど、だからキーフェル卿とご結婚されても、長い間辺境のイストラーダには来られなかったのですな。ここは厳しい土地ですからねぇ」

 侯爵は一人で納得している。

「キーフェル卿は強い戦士で人望も、才もある立派な男です。捨て地と言われていた貧しかったイストラーダを、これほどの宴が開けるまでに成長させた。この地はまだまだ発展する。私は彼を高く評価しておるのです」

「はい……ありがとうございます」

 夫をめられたのだから、妻としては礼を述べるしかない。しかし、ナント侯爵の意図はよくわからなかった。

「そして彼には後継ぎが必要だ。強い血を引く後継者が」

「……はい」

「リザ様は、王室や貴族の事情によく通じておられますかな?」

 侯爵は突然話題を変えた。相変わらずにこにこしているが、その目は笑ってはいない。

「いいえ。ほとんど知りません」

 リザは正直に答えた。何か面倒なことを聞かれたら、答えられないと思ったからだ。

「それなら私が一つお教えしよう。王族もそうですが、有力な貴族や地方領主は、たくさんの子どもを持つことが重要なのです」

「そうですか」

「つまり我々は正妻の他に、第二夫人、第三夫人を持つことは珍しくないのですよ。リザ様のお父上がそうであったように」

「……」

 侯爵の言いたいことが、だんだんとリザにもわかってきた。

 今は早く曲が終わって欲しい気持ちでいっぱいだ。エルランドを探そうにも、侯爵が巧みにリザの視界を遮るように回転させる。隅でセローと踊っているはずのニーケの姿もここからではわからない。

「キーフェル卿はこの国でも有数の武人だから、強い男子を設けねばなりません。家のためにも国のためにも」


 ああ、誰か……私をこの場から救い出して!


 リザは必死で見える範囲を探すが、曲はまだ終わらない。

「……そして我が娘ウルリーケは、心身ともに健やかで、体も大きい。きっと強い子を産めるでしょう。気立てもいいので、リザ様ともきっとうまくやっていけるはずです」

「そ、そうかもしれません……」

「おお! これは嬉しいお言葉だ! 娘はキーフェル卿を大変慕っておるようです。ですから、もし卿がお求めになったら、我が娘を第二婦人としてこの城に迎えることを許してやってほしいのです。どうかご寛容なお心で。リザ姫様」


 自信に満ちた侯爵の言葉を、リザはただ聞くことしかできなかった。


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