第64話63 宴の夜 2

 夜会用に整えられた大広間の様子は、昨夜の晩餐会から一変していた。

 全てのテーブルは退けられ、飲み物を置いた小卓が壁際に並べられ、大広間と続きの部屋には、今日の獲物をふんだんに使った肉料理が山のように置かれている。

 我慢しきれずに飲み始めていた客達は、領主夫妻が並んで入ってくると、拍手で出迎えた。既に顔を真っ赤にしている商人や騎士もいる。

「方々、良き夜か?」

 エルランドは上座の中央に立ち、辺境風の挨拶をした。

「良き夜なり!」

 居並ぶ騎士や商人達が一斉に唱和する。

「今宵は心ゆくまで楽しんでもらいたい。昼間の疲れはいやされたか?」

「はは! この城の風呂は格別ですな!」

「どうせなら美女と入りたかったですが!」

「あら、私達が入っていたら、間違えた振りして入ろうとされていたのは、一体どなただったのかしら?」

「むむ?」

「お主だろうが!」

「ははは! 面目ない」

 どっと笑いが起きる。

 即妙そくみょうな言葉を返したのはウルリーケだった。彼女は騎士達に取り囲まれていたが、エルランドをみるとすぐに足早にやってきた。

「こんばんは! エルランド様、リザ様。良い夜ですわね」

「ウルリーケ嬢、こんな田舎の宴で申し訳ないが、どうぞ楽しんでください」

「今夜はこの城で初めての舞踏があるんですわね。エルランド様、また私と踊ってくださいましね」

 リザにはウルリーケが「また」の部分をわざと強調したように聞こえた。その青い目は、リザの反応を伺うようにきらめいている。

「私でよろしければ。しかしどうやら、大勢の競争相手がいるようだ」

 エルランドは如才じょさい|なく応じている。その様子は他人行儀で、昼間に熱烈な抱擁ほうようを交わしていた相手にするものとは到底思えない。


 普通の恋人同士って、人前ではこんなものなのかしら?

 二人きりなったら、また抱き合ったり、口づけたりするのかな?

 それが当たり前のことだったら、私は受け入れなくちゃいけないのだろうけど……。


 リザが悶々もんもんと考えているところに、ウルリーケの弾んだ声がかかった。

「ねぇ、今夜のリザ様のドレス、とても素敵ですわ。都からお持ちになったの?」

 リザが顔をあげると、背の高いウルリーケが笑いかけている。

 それは美しい微笑みなのだが、裏に何事かを隠しているように見えて、リザは自分の心の狭さに、ますます気分が落ち込んだ。

「……いいえ。こちらであつらえたものです。ウィルターさんの商会で」

「まぁ、イストラーダにもこんな布地を扱う商人が来るようになったのですね。エルランド様のおかげね」

 ウルリーケはエルランドに向かって甘い目線を送る。今夜の彼女がまとう明るい緑のドレスは、見事な金髪を否応なく引き立てていた。

 昨夜と同じく、胸元は大きく開いていて、男性たちの視線がちらちらと注がれるのを十分意識した仕草も堂にいっている。

 そこに妻を伴って商人のウィルターがやってきた。

「こちらはウィルター殿、奥方のパーセラ殿と共に王都の新進の布商人です」

「お初にお目にかかります、ウルリーケ姫。王都の布地商ウィルターと申します。実はお昼間からウルリーケ姫のお衣装の見事さには、目を奪われておりました」

「そうですわ。一体都のどちらの商会からお求めになりますの?」

 パーセラ達は巧みにエルランドとウルリーケを離していく。

 そこにセロー達、エルランドの側近も酒の盆を持って間に入ったので、リザは幾分ほっと肩を落とした。エルランドは平気な顔で杯を干している。


 恋人なのに、あんなに冷たい態度でいいのかしら?

 ああ、そうか。

 きっと、私に気を遣っているのだわ。エルランド様もセロー達も。


「リザ、こっちへ」

 エルランドは、ぼんやりしているリザを広間からホールへと引っ張り出した。

「え? エルランド様、宴の主催が抜け出してはまずいのでは?」

「ここは王宮じゃない。イストラーダの宴会は初めから終わりまで無礼講だ。リザ、少しだけ教えておこう。手を出して」

 どうやらエルランドは、リザに基本的な舞踏の足取りを教えるつもりのようだ。

「左手を俺に預ける。右手は肩に。俺の手はこうだ……で、最初右足をこう出す。俺の足の間に入る感じだ」

「は、恥ずかしい……」

 リザは大きな手に掴まれた左手と腰を意識せざるを得ない。そこがとても熱いのだ。

「何言ってる。もっと恥ずかしいことを、その内にするんだからな。あ、いやその……今はとにかく舞踏だ。次はその足を軸にして半回転。次は反対側の足から同じ動きで……手を離したらお互いに小さく礼。基本的にはこの繰り返し」

「うう……難しい」

 つま先を踏ん張って回転するとよろけそうになる。

「いい。俺が支える。ここは王都じゃないからな。力任せに女性をぶん回す野郎もいる。まぁ、あとはその相手との信頼関係だ。基本さえ覚えたらなんとかなる」

 二人はそのまま基本の足回しを繰り返した。十回転ほどするうちに、リザは回転のコツを掴めるようになってきた。あまり力み過ぎるとかえって回りにくい。

「そう。すぐに覚えられるじゃないか。さすがにリザは器用だ。それに軽いから羽のように舞える。ほら、楽団の準備が整ったようだぞ。広間に戻るぞ。いいか?」

「はい」

「くれぐれも言っておくが、俺以外の男とは……そうだな。コル以外とは踊ってはだめだぞ」

「セローとも?」

「セロー? 奴となんか絶対にだめだ」

 よくわからないながら、リザは再び大広間へと足を踏み入れた。領主夫妻が戻ってきたのをみて、軽快な曲が流れ始める。人々が下がり、広間の真ん中に空間ができた。

「さぁ、いこう」

 エルランドは滑るようにリザを誘った。


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