第62話61 狩り 4
「結構登るのね」
リザは息を切らせてアンテの背中に言った。
道とも言えない道は急な坂になっていて、そこをアンテは慣れた足取りで進んでいく。
「起伏の多い土地柄ですから。体力がないと、こちらではやっていけません。領民たちの住む村々を見廻るのも仕事ですからね。馬も乗りこなせないと」
アンテは振り返りもせずに言った。
「ああ。見えてきました。ここです。見晴らしがいいですよ」
「わぁ!」
リザは高台の端に立った。下は急斜面のちょっとした崖のようになっている。
麓からは小さな丘のように見えたのだが、登ってみると結構高く森が一望できる。足下には美しい木々の梢が風にそよいでいた。
「これですよ。珍しいでしょう?」
アンテの言葉に振り向くと、足元の岩陰に丈の低い花が咲いていた。
「まぁ。本当。こんなのお父様の図録でもみたことがないわ」
その花は黒と赤を混ぜたような色合いで、鳩の卵のような大きさの釣鐘状の花を俯き加減につけている。
美しいと言うよりも不思議な形の花だ。一株に一輪しか花をつけない種類のようで、数は多くはないものの、この高台にはいくつかの群生があった。
「変わった花だわ……名前はなんて言うの?」
「正式な名前は存じません。ですが、私たちはカラス百合と呼んでいます」
「カラス百合……」
確かに、その花の持つ風情は首を傾げるカラスに似ていた。カラスに似ていると言うことは自分に似ていると言うことだ、とリザはその花に親しみを覚える。
「もうすぐお昼だけど、写生してもいいかしら?」
リザはエルランドもらった、小さな手帳と筆記具をポケットから出しながら尋ねた。
「ええいいですよ。ぜひそうなさいませ。ターニャから聞きましたが、リザ様はたいそう絵がお上手だとか。私も見てみとうございます」
これはいつも厳しいアンテにしては非常に珍しい言葉だったから、リザは一瞬呆気に取られたが、彼女も自分と同じように二人の距離を縮めようとしているのだと解釈して、リザは礼を言い、早速写生に取りかかった。
リザは得意の精密な描写で花弁や、小さな葉っぱを描き取っていく。
もうすぐしたら、絵の具が届くはずだから、届いたらもう一度ここにきて写生がしたいわ。
そう考えながら夢中で筆を動かしていると、眼下の森の中の少し開けた空間に動くものを見つけた。
そこはさっき、エルランドと馬を並べて散歩したところで、リザが木漏れ日を見上げた場所だ。
二つの人馬が真ん中で立ち止まった。
エルランドとウルリーケだ。
昼になったので、集合場所に戻ってきたのだろう。だが、他の人影は見えなかった。
「……」
リザが思わず見ていると、ウルリーケが何かをエルランドに言ったようで、すっと手を差し伸べている。何を言っているのか、声までは届かなかった。
しかし、エルランドはすぐに駆け寄って、
「……っ!」
リザはひゅうと、息を飲んだ。
彩の木々に囲まれた空き地の中で、二人は抱き合っている。
リザの方からはエルランドの背中しか見えないが、おそらく二人は熱烈に口づけ合っていると思われた。
やがてエルランドは体を離すと、ウルリーケに何かを語っているようだった。ウルリーケの頬は真っ赤に染まっていた。
「あらあらまぁまぁ」
背後からアンテの呆れたような声がした。
「お二人とも、もう少し遠慮されたらいいのに」
「……?」
茫然とリザが振り返ると、アンテは悪びれもないように言った。
「もうおわかりかと思いますが、お二人はエルランド様がこの地に来てからずっと恋人同士だったのですよ。ですが、エルランド様は既に、王女殿下であるリザ様と
「……あいしあって」
「はい。でも、ナント侯爵家とのご縁はイストラーダにとって大切なもの。ですから多分、エルランド様はウルリーケ様を御側室になさると思います」
「そくしつ?」
リザは阿呆のように繰り返した。
「ええ。まぁ、そんな顔をなさらずに。リザ様、貴族の家ではよくあることではありませんか。リザ様のお母上とて、国王陛下の御側室の一人だと伺っております」
アンテは事もなげに続ける。
「ウルリーケ様なら、辺境のことも都の事もよくご存知だし、ああ見えて武芸もおできになられるのですよ。きっとリザ様を助けて、イストラーダを発展させてくださるに違いありません。お二人はとても気が合われるようですし」
「ええ。そうみたいね」
リザは写生道具を取り落として、崖下を見た。睦まじかった二人の姿はもうない。代わりに狩りから戻った男たちが獲物を抱えてどんどん通り過ぎて行く。
「さぁ、リザ様戻りましょう。すぐに大変な作業が待っています。腕が鳴りますわ!」
アンテはリザの落とした道具を拾い上げ、手渡しながら言った。彼女はとても楽しそうだ。
「……わかった」
「そうそう、念のために申し上げますが、ご領主様に今見たことを話してはいけませんよ。それはとても野暮な事ですし、エルランド様はご自分の私的なことに口出しされるのを、
「そうね。そうするわ」
リザは心の底が冷えていくのを感じながら、アンテについて斜面を下った。
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