第61話60 狩り 3

 リザはコルと一緒に、森と荒野の周辺を並んで歩いていた。

 視界の右と左で、まるで違った風景が展開するのが珍しい。遠くには青く光る湖も見える。コルによると、森の中には無数の小さな流れや泉があるのだという。

 狩りをする男女は、今頃森の奥まで突き進んでいる頃だろう。

 リザは久しぶりにコルと一緒に過ごせる時間を嬉しく思った。


「バネッサはもともとはコルの馬だったのでしょう? 戦にも出たって聞いたわ」

「ええ。あの頃は私も若かったですよ。頭髪もふさふさしておりましてね」

「まぁ! ふふふふ」

 リザはつるつるに禿げ上がったコルの頭を見て、ふさふさだった頃が想像できなくて笑った。それは、コルでさえ思わず見惚れるような微笑みだった。


 全くこのお姫様は無垢だ……エルランド様が大切になさる気持ちがわかる。


「……リザ様、エルランド様を許してあげてくださいね」

 コルは静かに話し出した。

「あの方は子どもの頃から戦場しか知らないのですよ。お爺様の代に南方の領地を失い、お父上は傭兵となって苦労に苦労を重ねられ、エルランド様がお生まれになったのは場末の酒場の、一番安い部屋でしたからね」

「……コルはその頃からエルランド様を知っているの?」

「ええ。私はエルランド様の父上の従者だったんです。剣や弓、体術など全ての戦闘の基礎を、お小さかったあの方にお教えしたのは私なんですよ」

「コルが?」

「ええ。エルランド様の初陣にもお供しました」

 リザは好々爺こうこうやを具現したようなコルが、戦闘に参加している姿など、やっぱり想像もできなかった。

「あの頃はねぇ。今みたいに落ち着いた生活もできなくて。毎日毎日野宿で……狼の遠吠えを聞きながら眠ったものです。そして夜が明けたらまた戦闘。エルランド様はと父上は、いつも一番危険な局面にばかり立ち向かわされて。慰めや安らぎなどは、金で買うものでしかなかった。おかげで功名こうみょうは上がりましたが、お父上は領地を取り戻せぬままに戦死されて……」

「……」

「だから、エルランド様の頭にあったのは、とにかく自分の領地を手に入れ、私ら郎党ろうとうに報いようとされてのことだったのです。リザ様を長い間放って置かれたのは、そう言う訳でもありました」

「……ええ。知っているわ」

「でも、決して思いやりのないお方ではないのですよ。むしろリザ様にどう言う態度を取ればいいのか、悩んでおられるのがこの爺にはわかるのです」

「それも……わかるわ。私に気を遣って、一生懸命に優しくしようとしてくださるようだから」

 むしろ、その努力が痛々しいように感じる時もある。

「不器用なのですよ。あの方は。裏切り、離反、陰謀など、人間の多くの負の側面も見てこられましたからね。大切なものにどうやって接したらいいのかわからない、だから仕事に打ち込んでしまう……男にはそんな面もあるのですよ。弱い生き物です」

「……そう?」


 エルランド様が弱いとは思わないけれど、私達は少し似ているのかもしれないわ。

 恵まれないことに慣れすぎて、本当の幸せがどんなものか想像できないの。

 失うことが怖くて、偽りばかり。そして、いつも何か言い訳を探している……。


「領主の仕事は、私が思うよりもずっと大変なのだわね」

 リザはエルランドが、リザ自身を大切にしてくれているのか、王女としての出自を尊重してくれているだけなのか、実のところ、まだ測りかねている。

「私が王女でなければよかったのに……」

 小さな呟きは、バネッサのいななきによってかき消された。


「リザ様!」

 ニーケとターニャが木立の切れ目から顔を出した。森の入り口である。

 そこには既に大きな炉が組まれ、獲った獲物を解体するための大きな刃物や鍋が並べられている。なかなかに恐ろしい風景だ。

「こちらの窯ではパンを焼いています。私たちはジャムを煮ているんです」

 狩りに行かない婦人たちは、ここでいろいろな準備をしたり、副食を作ったりしている。指揮をしているのはアンテだが、王都育ちのニーケは何もかもが珍しいらしく、やや興奮していた。

「獣物は血抜きをされて、ばらばらにされるんだそうですよ」

「私たちが普段食べているお肉はその一部ね。ちゃんと見ないといけないのかな?」

「ご無理されることはありませんわ」

 パーセラは食器を切り株に並べながらいった。例の無地の白い陶器である。

「……やっぱり、少し絵があると楽しいかも」

 リザは肉を盛り付けるための大きな皿を眺めて言った。

 ふと思いついて、近くにあった赤いジャムの壺からスプーンを取り、先端を使ってするすると花と鳥の図案を描く。

「まぁ! お上手!」

 覗き込んでいたパーセラが喜んだ。

「こんなに絵が上手だなんて! これは商品になりますわ!」

「そうだといいけど」

 我ながらよく描けたと、リザは皿に描かれた模様を見て考え込んでいる。


 エルランド様はいつか、職人さんのところに連れて行ってくれると言ってたけど……。


「……リザ様」

 声をかけたのはアンテだ。

「なぁに?」

「お花がお好きなら、森に少し入ったところの高台たかだいに、珍しい花が咲いている場所があるのですが、見にいかれますか?」

「珍しい花?」

 リザは興味を持った。花のこともあるが、アンテがこんな風に話しかけてくれるのは久しぶりだったからだ。

「ええ。この時期にしか咲かない花です。いかがですか?」

「見てみたいわ。馬で行くの?」

「いいえ、少しだけですが急な斜面があるのです。馬は下り坂が苦手ですので、徒歩になります。やめますか?」

「いいえ。行く」

 リザは立ち上がった。アンテと仲良くなれるいい機会だと思ったのだ。

「では、私も」

 ニーケがジャムを煮る手を止めて言う。

「ニーケさんはジャムの係だったでしょう? 手を止めたら不味くなります。焦げてもいけませんし」

 アンテはきつく咎めた。

「でも……」

 ターニャの姿は今はない。妊娠中のパーセラもついてはいけない。

「いいのよ、ニーケ。もう直ぐお昼だし、女手は少ないから、みんなで準備をしておいてちょうだい。すぐに戻ってくるから。

「ではこちらです。参りましょう」

 アンテは先に立って歩き出した。

 歩幅の広いアンテにリザは小走りでついていく、その背中をニーケは心配そうに見守っていた。




 

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